若き元社長の、迷宮。4
ダンジョン内部は色を変え始めた。
もう何時間も滞在しているせいか、時間間隔も狂い始めているのかもしれない。
光るキノコは、それまで太陽のような光りを放っていたのに、現在は茜色に光っていた。もしかしたら、外は夕方になっているのかもしれない。
大地の探索に付き合ってから、もうどれくらい時が過ぎただろう。
遂には、ここに泊まってもいいかな、なんて言うもんだからフフィはそれを必死に否定した。
そのおかげで、やっとのことダンジョン最奥部に到達した。
階段を下るわけでもないので、大体このダンジョンの地形をフフィは理解した。広さ的に言えば、薬草を採取していた森よりも少し狭い感じか。
やがて、絶対に大地が触れなかった錆びた扉の前に到着する。
しかし、その扉には今もまだ触れるのを渋っている大地の姿があった。
「……やっぱり、ここに泊まら――――」
「却下」
「……でも、俺は君を助けたんだし」
「私は大地さんの恩人なんですよね。でしたら、少しは恩人の気持ちも考えてください」
「……その意見は――――」
「ボツじゃありません、妥当な判断だと思います」
最後の最後まで大地は渋る。
今となっては、立場が逆転しているようにも見える。
フフィがお母さん的な立ち位置で、大地は昆虫採取を楽しむ子供のようであった。
そんな中、大地は何かに気付く。
「ちょっと待ってもらってもいいかな」
「なんですか、キノコを持って帰るとかなしですよ」
「いや、違うんだ。そうじゃなくて」
大地はそのまま光るキノコが密集している部屋の隅に駆け寄る。
そのままキノコの中を探る。
フフィは、キノコを持ち帰るんじゃなくて今ここで食べる、とか言ったらなんて言い返そうか考えていた。
しばらくすると、大地は何かを抱っこして近づいてきた。
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっと珍しい物を見つけちゃって」
先ほどの大地ならば、珍しい物を見つけた、と喜んで言っていたのだが顔色が優れなかった。
どうしたものかと、その腕の抱えられている物に視線を向けた。
そこには耳が三角形の白いウサギのような魔物が抱えられていた。額には赤い宝石が埋め込まれている。
愛らしいその姿に、思わずフフィは笑顔になってしまった。
だが、その子は足から血液が垂れていた。可哀想な事に、怪我をしてしまっているのだ。
「大地さん、この子」
「ああ、多分怪我をしているんだな。だけど、どうする?」
大地はフフィに尋ねた。
多分、この子は珍しい魔物である。
怪我を治すのは簡単だろう、けれど、この子を回復させてしまった時、襲われて困るのはフフィである。
もし、そうなってしまった場合、一命を取り留めたこの子を殺さなければいけないのだ。
フフィは耳を折り畳み、顎に手を当てながら「うーん」と悩んでいた。
「この子は多分、大地さんの言っていたレアモンスターなわけですよね」
「多分」
「大地さんは、この子を回復させて何がしたいんですか」
大地は小さな魔物を抱えながら言った。
「どんな攻撃をするのかなぁ、って楽しみにしてるんだけど」
「却下です。この子の怪我を治して、また殺すって言うんですか? それなら、この子をそっとして置いた方がいいんじゃないですか」
「そう言ってもね……」
どうも大地は最後にこの子の能力を見たいらしい。男の好奇心とは分からないものである。
フフィとしては、こんな小さい魔物を殺すのはどうなのだろう、と悩んでいる。
それに、このダンジョンにはこんな魔物はいない。もしかしたら、迷ってしまったのかもしれない、と考えていた。
だが、無責任にこのダンジョンから外に連れ出すのは、どうなのだろう、と考えていた。
悩むフフィ。
「うーん、どうしましょうか……」
考えるフフィ。
だが、大地は何かを閃いたようにフフィの背後に目を向けた。
「あ、魔物」
「ひぇ!?」
振り返るフフィ。
しかし、そこには魔物はいなかった。
自分を何で驚かせたのか、怒って聞こうとしたら、大地は既に魔物に対して処置を施していた。
「って大地さん! 何してるんですか!」
「何って、怪我の手当て以外にどう見える」
「どう見えるって、その子の怪我を治してまた殺すんですか!? 無責任にもほどがありますよ!」
「そんなに怒るなって、耳と尻尾をそんなに立たせてたら疲れるぞ?」
「疲れさせてるのは大地さんですよね!」
自分を騙した事により怒りと、勝手な判断で怪我を治している大地を叱りつけるフフィ。
大地は新たなスキルを生み出し、それを使っていた。
不思議なもので、そのスキルを使うとライトグリーンの光が大地の手から漏れ、みるみる魔物の傷が塞がっていく。
やがて、完全に怪我が治り、付着した血液を大地はハンカチで拭きとる。
「大地さん……優しいのか残酷なのか、どっちかにしてください」
「俺は珍しい物を見る為ならば、何でもする」
大地とフフィが喧嘩をしている中、遂にその魔物は目を覚ました。
額にある赤い宝石のような、くりくりとした瞳。
起き上がると、宙に浮いた。
「へぇ、浮く事ができるんだ」
「へぇ、じゃないですよ大地さん」
「まぁまぁ」
大地がフフィの怒りを鎮めていると、小さい魔物はお辞儀をペコッとする。
大地は黙って見ていたのだが、フフィはその愛らしい姿に反応してしまい、お辞儀を返してしまった。
すると、魔物は嬉しそうに「キュキュキュッ」と笑い、額の宝石をフフィのおでこに接触させた。
「……可愛いですね」
「ん、可愛いか、そうじゃないかと言われれば、前者なんじゃないかな」
「言い回しがメンドクサイです」
再び喧嘩を始めようとするフフィと大地。
しかし、そんなフフィは不意に立ち止まる。
『初めまして!』
固まったフフィ。
変なフフィを怪訝に思った大地は首を傾げながら魔物を見つめた。
「しゃ、喋りましたよ!?」
「本当か」
「ほ、本当ですよ! って大地さん聞こえないんですか?」
「ん、全く」
不服そうに大地が言うと、小さい魔物は大地のおでこにも額を押し付けた。
『もしかして、あなたがボクを治してくれたんですか?』
「あ、本当に喋るんだ」
「大地さん信じてなかったんですか」
「ん、信じていなかったかどうかと聞かれれば、信じていなかったかもしれない」
「……もういいです」
白い魔物も苦笑いをする。
『それより、どうしてボクの怪我を治してくれたんですか?』
「ん、そんなの君の怪我を治して俺が君を――――」
「痛そうだったんで治してあげただけですよ!」
大地の口を急いで塞ぎ、フフィが話す。
真実を伝えようとしたのに、と大地は顔をむっとさせた。
すると、白い魔物は顔を俯かせた。
『そうですか、まだ、ボクを助けてくれるような人がいるんですね……』
「それはどういう事かな、君のその傷は人間にやられた、という事でいいのかな」
『……はい』
可哀想に、とフフィは思った。
しかし、大地は考えてしまった。
このダンジョンについて、バジリーナは最近このダンジョンは現れた、と言っていた。それについて、レイは何も知らないようだった。
それに、この魔物はとても嘘を吐いているようには思えない。
だとするならば、バジリーナが嘘を吐いているのか。それともこのダンジョンは前から存在していたものなのか。それとも、ダンジョンは新たな場所へと移動するのか。
色々と仮説を立てながら大地は考え込む。
もし、これがバジリーナ自身が扱う、暗殺方法なのだとしたら。
人々はダンジョンに放り込まれ、死ぬことになるだろう。
一般人がどれくらいの強さを持っているのかは知らない。けれど、大多数の人間がこのダンジョンに潜り込めば、死ぬ事にはなるだろう。
それにダンジョンは、一度潜ったらクリアするまで出られない。
だとしたら、この魔物を襲ったのはダンジョンに潜らされた一般人に怪我を負わせられた、というのが最も考えやすいだろう。
「大地さん? 大地さん」
「ん、ごめん。考え事をしていた」
大地は思考を停止し、とりあえずこの魔物を傷つけのは死した一般人だと考える事にしておいた。
『それより、あなた方は一体何者なんですか?』
何の悪意も感じられない言葉。
大地はすぐに答える。
「俺はしがないサラリーマン風無職の人間さ」
『随分珍しい人間さんですね……』
「わ、私は……」
フフィは口を紡いでしまった。
そういえば、バジリーナにこのダンジョンに放り込まれたが、フフィが一体何をしたのかを詳しく聞いていなかった。
言い辛い事もあるだろう、そう思い、大地は口を開いた。
「一緒さ、花摘みのうるさい無職少女さ」
「大地さんと一緒にしないでください」
「おっと、これでも俺は君は現在、そういう職種だと思っているけれど」
「無職……そうですよね、一般人からしたら無職……ぶつぶつ」
何かとこの年頃の少女はめんどくさいな、と大地は思った。
『人間社会にも色々あるんですね……』
「そりゃあそうさ。やりたい事を本当の意味でやらせてくれないし、いざ強行突破でやりたい事をやったら、殺されるんだ。人っていうのは案外めんどくさい生き物だよね」
『そういうあなたも人間じゃないですか』
「俺はそういうしがらみから逃れた人間、つまり、サラリーマン風無職の人間を逸脱した人間ってところさ」
『わけが分からないですけど、それがあなたなんですね』
大地はかつて自分が起こした会社、アストロナイト株式会社の連中の事を思い出した。いや、正確に言うのならアストロナイト株式会社と提携をしていた大手企業社長連中の事だ。
『それよりも、自己紹介が遅れました。ボクはカーバンクル族のハーバンです』
「俺は大地、九星 大地だ」
「あ、私はフフィ・クリティリィムです」
カーバンクルのハーバン。
大地は、なんとなくカーバンクルなんだろうな、と思っていた。色が違うだけに、本当に稀少種だと知るのは後の話。
『実は折り入ってお願いがあるんです』
「ふむ」
『このダンジョンをクリアしてもらえませんか?』
「それはどうしてだい」
ハーバンは俯きながら言った。
『このダンジョンは元来、神聖な地として異次元から切り離されたダンジョンでした。ですが、最近、ダンジョンを良からぬ理由で使っている者がいて……』
「君は元々、このダンジョンの守り主なのかい」
『い、いえ、そういうわけでは……』
「なら、君がそれを守る義理はないと思う。けれど、その良からぬ理由で使っている人物が人物ならば、君の願いを叶えよう」
そう告げると、ハーバンは小さく呟いた。
『その人物は、死していく人間達に〝アジル〝と呼ばれていました』
ハーバンが小さく呟くと、フフィは目を大きく開いた。




