スキル屋店員の、天空迷宮。7
「……ここが最上階だよ」
ミチチの案内を得て、レイ達は全員が魔物と一度も対峙することなく最上階に辿り着く事ができた。最上部は屋上となっていて、空は雲一つない快晴のように見える。だがそれは違う。雲は天空迷宮の下。つまり、このダンジョンは浮いているのだ。
優とミチチが空を眺めてはしゃぐ中、優とセシファーは山頂で深呼吸をするかのように杯に空気を押し流した。これだけの絶景を見て、深呼吸をするのは人間の大人だからなのだろうか。優はセシファーとレイをオバさん臭いなと思った。事実、一人はオバさんなわけだが。
「レイレイ! こっちに来て!」
「ミチチちゃん危ないですよ」
「お空ってこんなに綺麗なんだね!」
「え?」
「あ、言ってなかったっけ? ミチチはね、このお城みたいな場所から出たことなかったの」
ミチチは悲しそうな顔はしていない。だが、どこか感傷的になっていた。外に出れない。それは魔物全体がそうなのだろうかとレイは考えてしまった。確かに、外にも魔物はいるがダンジョン内の魔物は段違いに強い。それは、これだけ窮屈な空間に閉じ込められているからなのか。それとも無意識的に力を蓄えているからなのだろうかと悩む。だが、今や白い毛並みの狼は、十四歳くらいの白く長い髪の毛を持った少女だ。これから先どうするかは、どこかにいる大地にでも聞けばいいだろうと考えた。
野球の球場くらい広い最上階で、セシファーは視線を辺りに散らす。そこに一花の存在がいないか探しているのだ。だが、いくら遠くを見ても一花どころか大地もいない。もしかしたら、最上階ではなく別の場所にいるのかと思えてくる。しかし、セシファーは確かに予知でみたのだ。空が開けた屋上で、誰かに刺され死ぬところを。この場所で殺されるのは間違いがなかった。
そんな中、優はある物を見つける。
「なんだこれ」
それは何かが刺さっているようだった。それを引き抜こうとしても、まるでコンクリートに埋まっているかのように固められて動かない。そこで諦めることはできず、優はなんとか一人で引き抜こうとした。
大根を引っ張るかのようにムキになった優を見つけ、レイは呆れながら歩み寄る。
「優君、どうかしたんですか」
「あ、レイさん。実はこれが抜けなくて……」
レイの視界に映ったのは、確実にダンジョンでの報酬である剣の柄である。ダンジョンを数回制覇したレイが報酬を手にする場面で、剣が抜けないという状況は一度もなかった。ということは、あり得る状況としては……。
「あ、あぅ……」
「ぬぬぬ……」
考えていたレイの思考を覗いたかのように、本人は現れたようだ。剣の柄を握ろうとしていたレイは振り返り、セシファーとミチチの二人を見ようとした。だが、それよりも視線がいってしまう大きな物体がそこにはいる。
白銀の鎧を纏い、黒い鱗が特徴のドラゴンナイト。二足歩行するこの魔物の名は、剣戟黒龍。竜にしては珍しく小柄で、役全長が五メートルほどのオーガより少し大きいくらいの魔物であり、握っている武器は剣と盾だ。幻獣種の竜種族よりも知能が低い、いわば劣化版ドラゴンである。
驚き、腰を抜かすミチチとセシファーに、その巨体の影が照らされた。瞳がミチチを捉えると赤く光り、口から煙が溢れる。
『クガァァァ……』
「み、ミチチは美味しくないよっ!」
涙目になって剣戟黒龍の標的を変えようとするミチチ。慌てて人差し指を優に向ける。
「ちょ、俺かよ!」
「だ、だって優は絶対美味しいもん! 不味いわけないよ!」
「ふざけんなよ! テメェ元魔物だろうが!」
「い、今は人間だもん! 優なんか食われちゃえ!」
優とミチチの口喧嘩で、多少の警戒心が薄れそうになるセシファーとレイの二人。だが、そうこうしているうちに、剣戟黒龍は口から青い炎をちらつかせる。
レイは目の色を変えて、ミチチに向かって駆け出す。
「危ないッ!」
「え?」
『グカァッ!』
レイはミチチを、お姫様抱っこして剣戟黒龍の視線から逃れる。ミチチを抱き上げた瞬間に、青い炎が吐かれ、ミチチが腰を抜かしていた場所は、まるでロウソクのように溶けた。
女顔のイケメン、レイに抱えられたミチチは目をハートマークにしていたが、すぐに自分があのまま腰を抜かしていたらどうなっていたかを認識する。
冗談抜きで、剣戟黒龍は強い。ミチチでも魔物時はかなり強かったのだ。そんなミチチが雑魚に思えるくらい強くなければボスではない。つまり、剣戟黒龍はミチチの数倍は強い魔物に違いない。
獲物に炎を避けられた剣戟黒龍は、赤い瞳を動かしてレイを捉えた。どうやら黒龍自身も、レイが一番強いと判断したようだ。その証拠にレイをギロリと睨んでいる。
ミチチを降ろしたレイは、立ち上がって深呼吸をした。
さっきの戦闘では、レイは足を引っ張ったのだ。そのせいで、レイは戦力外とみなされフフィとハーバンにはお守り役として逃がされた。それはレイにとって辛い事実だ。男として、元第二位ギルドの副団長として、あってはならぬ事。
レイはアブソーションを素早く操作して、武器を顕現する。
「優君、セシファーさん。ミチチちゃんを頼みます。コイツは僕がやります」
「な、レイさん! 俺がやるに――――」
「優君。君は誰かを守るという事を覚えた方がいい。これは僕からの忠告じゃない。男として、自分の在り方をよく考えるんだ。それが、僕という男からの警告だ!」
レイはアブソーションを操作して、纏っていたメイド服から、戦闘用の赤黒いコートを羽織り、中には忍者が着るような軽々と動けるような衣服を着用していた。その色は黒。今、ここに〈黒衣の死神〉は舞い戻った瞬間だった。
瞳を閉じたレイは、ストライク・ソードではなく、片刃の赤黒い刀を出現させる。名前は赤竜の永刃。社員旅行にて大地から贈られた武器である。武器専用スキルはないものの、その優れた刃に宿る魔力は、幻獣種の王、バハムートのモノ。つまり、スキルの魔法や技が最大限のパフォーマンスを発揮する武器だ。
レイはそれを片手で握り、黒龍を睨む。
「僕の力を、とくと味わうといい。『零』」
一撃必殺のスキルを発動すると、赤竜の永刃からは赤く黒いオーラが滾る。このフロアにいる誰もが生唾を飲み込んだ。それはレイの力が全員を怖じけつかせたのか。それとも武器がそうしたのかは定かではない。だが、セシファーだけは、レイを弱者呼ばわりしたのは撤回しなければならないと感じた。
魔力が宿るような武器は、基本的に使う側に凄まじい疲労感を与えるのだ。だが、レイは涼しい顔をしながら、そんな物を握っている。彼自身、赤竜の永刃を扱えるようになるのに相当な努力をしているのだろうと、内心で称賛した。
赤竜の永刃をギュッと握り締めたレイは、床に着いてる足に神経と力を集約し、爆発させるかのように、その力で床を蹴る。
剣戟黒龍は、突然襲いかかってかたレイに視線を集中し、これから放つであろう攻撃を防ぐことに意識を集中させた。盾を構え、剣はレイの隙を突く為のカウンター攻撃に備える。
光の速さで黒龍に近づき、レイは赤竜の永刃で、己の速度を落とすことなく突き上げを放つ。
あえて盾を狙ったレイは叫ぶ。
「『生命数値・零』ッ!』」
零の技。生命数値・零を放った。このスキル技は武器に纏うことにより、接触した全ての生命数値を瞬間的に削る。つまり、レイの握る赤竜の永刃に触れたモノは全て腐るのだ。
レイからの突き上げ攻撃をまともに盾で受けた黒龍は仰け反るが、レイから視線を逸らすことはしない。それどころか、黒龍は握る剣を仰け反りながら走らせた。
刃を振り上げた格好のレイは、迫る刃に再び赤竜の永刃を振るう為に、一度突き上げた刀を黒龍の剣に向けて振り下ろす。
触れ合う金属音。その後、皆の耳を突いたのは剣が壊れる音だ。壊れたのは黒龍の剣。海賊などが握りそうな刃が曲線を描いている剣が壊れた。
黒龍は武器が消滅したことにより、細くなっていた赤い瞳が、驚きによって見開かれる。
レイは一度腰を低く下ろし、黒龍を睨みつけた。
「チェックメイトです」
静かに呟き、レイは赤竜の永刃を走らせる。横薙ぎをするかのように放たれた刃に、黒龍は為す術もない筈だ。今もまだ仰け反り中であり、レイの攻撃に対処するのは不可能に思えた。
隙だらけの黒龍と刃が接触する。
誰もがレイの勝利を垣間見た。しかし、相手もまたボスだからなのか。それともミチチと同じように呪いにも似た鎧を着用していふからか、黒龍はスキル『絶対防御』を発動し、レイからの即死攻撃を防いだ。
「ボスにも『絶対防御』が……!」
これ以上の攻撃は危険だと判断し、レイは後方に飛び退いた。これといって得策もないし、絶対防御を破るような都合の良いスキルがあるわけでもない。むしろ、今頃そんなスキルがあるのなら、レイはスキル屋で働かずにサファリ・ラジーナの幹部をしていただろう。
盾も武器も失くした筈の黒龍は、赤い瞳を細くしレイを睨む。多分、レイの焦りを感じ取ったのか、余裕が相手にはできたのだろう。だが、ここで攻撃を止めてしまえば、後方にいるセシファーやミチチ、優にまで影響する。それはあってはならない事だ。
レイが倒すと言った以上は、周りへの被害を最小限にし、完膚無きまでに倒すのが常識である。
「くっ……」
汗がレイの顔を歪ませた。
近づく黒龍。攻撃しても防ぐ絶対防御に、これ以上退けば仲間がピンチに晒される。レイは、どうすればいいか悩む。
その時、ミチチが叫んだ。
「レイ! 絶対防御は発動時間があるんだよ!」
「え?」
突然かけられた声に振り返る。そこには、まるで応援をするかのように大声をあげていたミチチの姿。
彼女は、絶対防御を持つ魔物だった。だから知っているのだろうか、絶対防御には時間があると言っている。確かに大地にもそれなりに効果時間があった筈だ。
絶対防御は万能ではない。魔力を大量に消費し、全ての攻撃を防ぐ。その効果時間は三十秒と極めて短い。大地の場合は別のスキルで効果を伸ばしているので、それほど短くないのだ。
レイはニコリと微笑み、ミチチに笑顔を向ける。
「ありがとう、ミチチちゃん」
アドバイスに笑顔を返したレイは、赤竜の永刃を握り締め、黒龍を睨みつけた。
絶対防御は時間がある。だが、どうやって時間を見極めればいいのか。それは簡単である。絶対防御は微かにシャボン玉のような膜が貼ってあるように見えるのだ。つまり、それがある限りは、仰け反りもしないし攻撃を受けない、最強状態である。
効果時間があるのならば、それが解除された瞬間、つまりは膜が溶けた時が勝負だ。
近寄る黒龍に視線を集中させ、レイは剣をギリリと音をたてながら握る。
「グカァッ!」
青い炎を口からチラつかせ、それを吐こうとする黒龍。炎はまるで深海のように深く青い。だが、レイは臆せずに黒龍と対峙する。
まだかとレイは黒龍の纏う絶対防御の膜を見続けた。
しかし、遂に青い炎が吐かれる。
炎がレイと衝突しようとした瞬間。時は訪れた。
――――黒龍の纏っていた絶対防御が解ける。
レイはまるで居合抜きのように、赤竜の永刃を滑らせ、青い炎ごと黒龍を一閃した。
「【零】『死神の一撃』ッ!」
黒龍の胴体が、真っ二つに斬られ、黒龍はそのままガラスの破片のように光となって消える。




