スキル屋店員の、奮闘。5
誰もが残念だ、そう思ったが口にはしなかった。ハーバンは大地の事を夫と呼んでいる。確かに茶番では良くあることだし、大地もそれなりに流していた。だが、それが気に食わない人が約一名存在する。
その人物は猫耳をピンッと立てて、目くじらをたてながら女神の騎士装備を纏っているハーバンを睨みつけた。
「ハーバン! 勝手にそういう事言うのは関心しません! 大地さんが迷惑だと思いますし、良い気はしないと思います!」
途轍もないほどお怒りのフフィは、尻尾まで立たせている。これだけ感情表現が豊かならば、生きているだけで疲れるだろうとハーバンは思った。まぁ、いなくなったら、なったでご飯が食べられなくなる。それは嫌だから勝手に死なれたら困るなぁと考えていた。
それはそれとして、いずれは大地の件についてフフィとは決着を着ける筈だ。
だが、今はまだ早い。なんて言ったって大地をフフィから奪うとかの前に、大地そのものがいなければ争奪戦も意味がないに等しいのだ。となれば、早く大地を取り戻す為には目前の男――――アルツ・フレンを倒さなければならない。
ハーバンは女神の騎士の使っていた武器――――天女の聖剣を、するりと構え、迫り来るアルツを見据えた。
天女の聖剣は、刀身がまるでプラチナのように輝き、その鍔は天女の羽毛の如く翼を象っている。
「ハァッ!」
息を大きく吐き、身体中の力を聖剣に集約するかのようにハーバンは握る力を強めた。
同時にアルツも息を詰め、横薙ぎを放つ為に腰に剣を構えている。
互いの距離が近くなり、ハーバンとアルツの視線は交差し、鋭い視線が火花を散らす。
視線の火花が散った瞬間、同時に剣は振られ、二人の剣は刃と刃を交わし、小さな爆発を起こしたかのような摩擦熱が発せられた。
鍔迫り合いの形になったハーバンとアルツ。だが、どちらも負けるつもりはなく、お互いの剣を強く握り締める。
「女のクセに……やるねッ!」
「そちらこそ、軟弱体型らしい力ではありませんわね」
フフィやレイ、優やセシファーは生唾を呑み込んで見守る。誰もハーバンが負けるとは思っていない。だが、同時にあのアルツ・フレンという男が負ける姿も想像できなかった。
つまり、どちらが負けてもおかしくないのだ。
ハーバンは真剣な瞳で、アルツに語りかけ始める。
「……あなた、惚れていますのね」
「な!?」
瞬間、アルツは力が弱まってしまい、今の今まで保っていた均衡が崩れ、アルツは吹き飛ばされる。その後を追うように、追撃するハーバンは、横払いを放つ。
壁に激突したアルツだったが、すぐに体制を立て直してハーバンの横払いを防ぐ。
再び鍔迫り合いとなり、アルツは言葉を返す。
「ぼ、ボスに惚れてなんか……」
「誰も、ボスとは言ってませんが」
「え!?」
図星を掘ったアルツは再び吹き飛び、一階に転落する。
どうやら、ボスに恋をしているようなのだ。それを戦闘中に口に出すハーバンもハーバンだが、やられるアルツもアルツである。
しかし、ハーバンにはアルツの気持ちが痛いほど分かったのだ。
すぐにアルツの元へと走り、刃を首元に向ける。
「……もしかして、あなたのボスは、あなたを置いて他の男に現を抜かしているのではありませんか?」
「………………」
「ビンゴですの?」
「は、はい……」
戦意喪失、と言っても過言ではない程、アルツは戦いに身が入っていなかった。いや、そもそも、何でこんなにメンタルが豆腐なのだろうとすら思える。
レイや優にセシファーは、一階にハーバンとアルツが行ってしまった為に、何を話しているのか何をしているのかすらも分からない。だが、地獄耳を持つフフィだけは微妙な顔をしながら話をただ聞いていた。
「私も、同じような事があったので分かりますわ。……愛する人が、私以外の誰かに力を尽くす姿を見て、それはもう、心が痛みましたわ」
「…………ふふ、凄い。本当にドンピシャだ。僕の心をここまで当てられるとは。認めよう! あなたは、僕の――――」
アルツが何を言おうとしたのか。ハーバンには分からない。
しかし、元気がなくなっていた筈のアルツの身体を何かが包み込む。その何かとは、魔力とは違うし、光でもない。まるでモザイクが纏わり付いているかのような、識別が難しいものが蠢く。
瞬間、アルツは予期した。
「……どうやら、終わったようですねぇ」
「何が終わったんですの」
今まで愛を語っていた顔とは打って変わって、厳しい面持ちへとなっていた。心の中で、大地に何かがあったのかと思い、心配で仕方がない。
アルツはすぐに視線を鋭くさせ、ハーバンを睨みつける。
「少し、少しだけ楽になったけれど。僕のボスはやはり、あのお方しかいない」
「…………叶わない恋でもいいんですの」
「構わない。それが、僕の選んだ道だッ!」
瞬間、覇気を帯びたアルツは起き上がり、剣を振るう。
慌てながらもハーバンは太刀を防ぎ、背後に押される。先ほどとは、まるで違う力。ハーバンはあの何かが、アルツの身体能力を大幅に上げたのではないかと考えた。
一振り、二振り、三振り。少しずつ、しかし確実に一太刀ずつ強くなっていくアルツ。
剣を防ぎながらも押されていたハーバンは、壁にまで追いやられ、遂に余裕の表情は消えていた。
正直、ハーバンは相手を侮っていたのだ。それこそ、もう少し早めに倒していれば今更壁にまで追いやられる事はなかったかもしれない。
自分の油断が隙を生んでしまったのか。
「あなたの選んだ道が、どうであれ! 私は私の主を守る為に戦いますわ!」
「ならば、お互い似た者同士、どちらが強いか決めようじゃないか!」
鍔迫り合いになり、叫んだハーバンとアルツ。だが、アルツの力はまるでブーストがかかっているかのように強くなっていく為、ハーバンには既に対等に戦う術はなかった。
奥歯を噛み締め、ハーバンはアルツを睨む。だが威勢だけでは相手に勝つこともできない。それを良く知っているハーバンだったが、それでも力が圧倒的に足りなかった。
「……これが限界かい?」
「ま、まだ……ですわッ!」
負けず嫌いのハーバンは、アルツを押し返そうと最後の力を使い果たすつもりで勢い付いた。
だが、ハーバンは目を疑う。先刻までは少なくとも対等であったのにも関わらず、今ではビクともしない。まるで相手にしているのは、バハムートの実物大の石像かと思えるほどだ。
ハーバンは悟ってしまった。この戦いは負ける、と。そして、その負のイメージというのは現実にも影響するほど強いモノだとハーバンは知らなかった。
アルツがニヤリと微笑む。
瞬間、一階の壁に亀裂が入る。まるで、地震でも起きたかのような亀裂だ。ひび割れは二階にまで届き、レイやフフィ、優にセシファーの顔色を青白くさせる。
「ハーバンっ!」
「ハーバンさんッ!」
フフィとレイは叫び、すぐに動こうとするも斬撃の牢屋は崩れない。まだ、ハーバンの息はある。致命傷でもないが、ハーバンは確かに攻撃を受けたのだ。フフィは血の気が引き、一階の様子を見ようと必死に顔を動かす。
だが、ハーバンやアルツの姿は見受けられない。
そして、一階では、ハーバンは壁に背を預けながら息を整えていた。
背中を激しく打ち、ダメージを負ってしまったのだ。頭もぶつけた為、額には血が垂れている。視界がぼんやりとして、目の前にいるアルツ・フレンが何をしようとしているかすら分からない。
「……ま、負け、ましたの?……」
「そうですよ。あなたは僕の愛するボスの為に死んでもらうんです。それは決定事項です。さぁ、あなたも一花様に身を捧げる事に感謝致しなさい」
アルツの握った剣が振り上げられる。照明の光が反射して、ハーバンの視界を更にボヤけさせた。だが、不思議と眩しくはない。
ボヤけた視界に映った剣は、ハーバンの身体を貫くのだ。その為に、振り上げられている。
ハーバンは、そんな時にあることを考えていた。
大地は一体誰にやられたのか。
目の前にいる男は確かに強い。だが、それはあくまで力――――つまりステータス的なものでしかないのだ。今回は力でハーバンは負けたわけだが、総合的な力で言えば、多分絶対的に大地の方が強い。それは異質で異常で圧倒的だからだ。
アルツはスキルを使わない。今でこそ、レイやハーバンを抑える為に使っているもの以外はまるで見せないのだ。
その瞬間に、ハーバンはある可能性に辿り着いた。
――――スキルを使わないんじゃない、魔力が少なくて使えないのね。
謎を解き明かして、ハーバンは笑う。
その様子を見たアルツは、何かが気に食わなかったのだろう。振り上げた剣を、一度降ろして、刃をハーバンの華奢な首に向けた。
「何が可笑しい。狂ったのか」
「あなた、スキルを余裕で使えるほどの魔力がないのですね」
「なっ!?」
上品に笑ったハーバンに対し、図星をつかれたアルツは目を見開きながらも、剣でハーバンの首を撥ねようとした。
だが、瞬間。アルツは別の意味で驚きの声を上げる。
「え?」
景色が反転していた。いや、正確にはアルツが倒れていたのだ。身体が反転し、見ている光景が逆転しているだけ。
そうただそれだけ。
遅れてくるのは、腹部へのダメージ。それを感じて、アルツは血を吐いた。
「かはっ!?」
殴られた事にも気がつかない。
一体いつの間に殴られたのだろうか。アルツの頭に疑問が浮かぶ。しかし、目前にはハーバンの姿はない。
ゆっくりと起き上がり、二階へと視線を移す。
すると、そこには信じられない者がいた。
「あら、随分マヌケな顔をしていらっしゃいますね」
口元に手を当てながら、ハーバンは微笑む。
だが、その背中――――いや鎧からなのか、まるで天使のような白い羽毛でできた翼が生えていて、頭のティアラはまるで天使の輪っかの如く光りながら回転している。
そこにいたのは、天使だ。
「うふふ、専用スキル『天使降臨』」
「て、天使……だとっ!?」
女神の騎士。それは天使だ。ハーバンは上品に笑い、その表情は少しだけ傷ついていながらも、美しいものだった。
「いい表情ですわね。まさか、私がスキルを発動しないとでも思ったのですか?」
「ま、まさか……」
「うふふ」
ハーバンは笑いながら、片手をアルツに向けて掲げた。その姿は、天罰を与える神にも見える。
そして、ハーバンは叫んだ。
「天の裁きを受けなさい。『天使降臨』【神の裁き】ッ!」
ハーバンが叫んだ瞬間。
天井から、まるで樹木のような光が降り注ぎ、睡眠屋というこの場所を穿つ。
そのど真ん中に位置していたアルツは、死を悟った。だが、彼はある事を思い出していたのだ。
――――もし、負けそうになったら、このスキルを使って。
紛れもない、愛するボスの言葉。
その言葉を噛み締め、アルツは温存していた魔力を解放した。
「『召喚・天空の城』」




