クリティリィム族末裔の、夢。前編
フフィ・クリティリィム。
年齢、二十一歳女性。
彼女の朝は早い。
この世界では珍しいスキルを売る店の従業員である。その為、早朝から掃除や従業員の食事を作るのは彼女の仕事なのだ。
六時、起床。
「すぅ…………」
「………………」
目が覚めると、そこには彼女が働くスキル屋の店長、九星 大地が眠っていた。
男性にしては少し長い黒髪に、常に悪戯を考えているかのような笑顔が特徴の二十歳男性。スキルを造るスキルを持つ、フフィの恩人である。
その店長が、隣で寝息をたてて眠っていた。
フフィは頬が熱くなるのを感じた。レイ・キサラギという従業員ならまだしも、隣にいるのは大地である。
ダンジョンで助けてもらい、囚われの身から解放してくれた大地。
色恋を知らない二十一歳のフフィに、恋心を抱かせるのには充分過ぎる相手だ。
――――ま、まさか、大地さんと一夜を!?
フフィの脳内では、喜びがこみ上げていた。
ここ最近、カーバンクル種のハーバンに大地と会話をするのを邪魔され、食事中ですらまともに会話をさせてくれなかった。
だからか、余計に大地が一緒に寝てくれていた、という事実に発狂すらしそうなほど嬉しかったのだ。
脳内をピンク色に染めるフフィは、眠る大地の頬を人差し指で突ついた。
「………………起きないですよね」
謎の確認を誰にとったのか不明だが、フフィは眠る大地の顔を眺めた。
――――いつもは口うるさくて、頑固なとこもあるけど、やっぱり大地さんにも可愛いところがあるんだなぁ。
フフィは調子に乗って、前髪をちょんっと触ったり、唇を触れたりする。
そこで気づく。
――――い、今ならキスぐらいしても、いいんじゃない!?
真っ赤に顔を染めたフフィの心の中で、悪魔が囁く。
もし、大地が万が一目を覚ましたとしても、恩人の言うことが聞けないのかー! とでも言えば許してくれるだろうと、勝手な自己判断をした。
だが、いざキスをするとなると、心臓がバックンバックンと鼓動を早める。このまま、心臓が停止するんじゃないかと思えるほどだ。
しかし、このまま何もしなかったとして、この後、ハーバンに大地のファーストキス(多分)を奪われるのは悔しい。
そう、恋は先手必勝。ハーバンに取られた分を返して貰わなければならない。
拳をグッと硬め、決意したフフィ。
高まる鼓動を抑えるように、髪の毛を耳の裏に掻き分ける。
大地は相変わらず寝息を上げ、気持ち良さそうに眠る。
近づく、容姿端麗な顔。
大地の唇まで、あと少し。
「何してるんですか」
突然の声。
その瞬間、フフィは身体をベットから跳ね上げさせ、急いで振り返る。
そこには、腰に手を当てた究極の美女。ハーバンが立っていた。寝起きなのに、いつもと変わらない美しさは、恋敵のフフィから見ても圧巻の一言だ。
慌てて大地を隠そうとするフフィ。その顔色はよろしくない。
「な、なんでもないですよ!」
言葉を噛んでしまうフフィ。
だが、ハーバンは溜息を吐くだけだった。
「え?」
「フフィさん。あんまり新婚だからって調子に乗らないでくださいね。私だって悔しいんですから」
「し、新婚? だ、誰と誰がですか?」
ハーバンは嫌味を言われたかのように、顔をしかめ、フフィを睨みつける。
「誰がって、フフィさんと大地様に決まってるじゃないですか。嫌味ですか?」
「え、だ、だって私たちは……」
「私たちはなんですか。いい加減にしないと、隕石の一つでも落としますよ」
「は、はぁ……」
フフィは何だかわけがわからなかった。
昨日までは確か、大地との関係は店長と店員だった筈なのだ。なのに、今日起きたら、いきなり新婚夫婦だ。これは変だ。
いや、でもかえってこれは幸せなのでは?
状況を整理するフフィ。
「え、ええええぇぇぇぇっ!?」
「うるさいですね、大地様が起きたらどうするんですか!」
怒るハーバン。きっと、まだ大地への恋心は冷めていない模様。
そんな中、大地は目を覚ます。
「……起きたよ、ハーバン」
「ほら、大地様が起きたじゃないですか」
「え、だ、だって私と大地さんは……」
口をパクパクさせ、振り返るフフィ。
そこにはさっきまで眠っていた、大地が欠伸していた。
「ん、夫婦じゃないか。フフィ」
「や、やっぱり……。っていうことは、私、大地さんと……」
大地は笑顔で言った。
「ん、一緒に寝ていただけじゃないか」
その一言にフフィは、想像してしまった。
自分が大地と一夜過ごすという妄想。
以下、フフィさんの妄想。
『なぁフフィ、いいだろ?』
『だ、ダメですよ……。だ、だって……』
『だってってなんだい? 俺と君は夫婦だろ』
『そ、それはそうですけど……』
『大丈夫、優しくするから』
『だ、大地さん……』
『愛してるよ、フフィ』
「キャアアアアアアァァァァッ!」
「うるっさいです!」
「奇声をあげないで欲しいんだが」
妄想を終えたフフィを、ジロリと睨む大地とハーバン。
だが、フフィは顔を真っ赤に染めていた。
だって、自分を救ってくれた好きな人と、一夜を過ごしたのだ。しかも、体裁は夫婦だ。こんなに嬉しいことはない。
そうだ、大地はいつだってフフィを助けた。どんな時も身体を張って、いつも笑顔で出迎えてくれる。
涙がポロっと溢れる。
「なんなんですか!? 朝から惚気たと思えば、今度は泣くなんて!」
「そ、そういうつもりじゃなかったんですけど、で、でも大地さんが……私を……」
大地は笑顔でフフィの頭を撫でた。
「当然だよ。俺は君が好きだからね」
「う、嬉しいです! 私は世界一の幸せ者です!」
フフィは大地に抱きつく。
このやりとりを何回も見せられたハーバンとしては、いたたまれないが、恋の敗北者には何も言うことができなかった。
「じゃあ、今日も仕事だし、朝食頼んでもいいかな」
「はい! 大地さんの為なら!」
とりあえずの茶番が終わり、ハーバンは溜息を吐いた。
朝食はレイももちろんいる。
だが、そのレイは顔をしかめていた。
「ふ、フフィさん。大地さん食べにくそうですけど」
「いいんです、私は妻ですから!」
「ん、それはそうだが、レイの言うとおり食べにくいな」
「私の事嫌いですか?」
「ん、好きだ」
「えへへへ!」
大地が何かと文句を言えば、フフィは好きかどうか聞く。なんて、ウザい女にのだろうとハーバンは思っていた。
惚気全開のフフィにレイは呆れていた。
二人の痛い視線を浴びながらも、フフィはスクランブルエッグを箸で摘まむ。
「大地さん、あーん」
「……………」
「あーん嫌いですか?」
「ん、好きか嫌いか言われれば、皆の目の前だと恥ずかしいから、やめてほしいから後者かな」
「私の事、嫌いですか?」
「ん、愛してるよ」
「じゃ、あーん」
「……………あーん」
大地は文句を言っていたが、結局食べた。
その様子にレイが溜息を吐き、ハーバンはイライラしているのが、手に取るように分かっていた。
妻の特権。と言わんばかりにフフィはハーバンを見つめる。
悔しそうに歯を食いしばり、フフィを親の仇のように睨むハーバン。食ってかかるかと思いきや、ハーバンは箸を机に乱暴に置く。
立ち上がったハーバンは、そのまま何処かへと去ろうとする。
「ハーバン?」
「……………私はまだ諦めてないですから」
「諦めてないも何も、大地さんは私の旦那さんですから。何かするなら怒りますよ」
「……………今のうちは、そうやって妻のフリをしていればいいわ」
それだけ言ってハーバンはとごかへと去った。それを追うようにレイもハーバンを探しに部屋を出た。
ちょっと言い過ぎたかな。なんて思いながらも、フフィは大地にスクランブルエッグを食べさせ続けるのだった。
いざ、開店時間になると、ハーバンはいつものようにメイド服を着込み、笑顔で接客をしていた。
同じようにメイド服を着るレイも普段通りである。
白いスーツではなく、赤いスーツを着た大地は何事もなかったかのように働いている。
なんだかいつと違う。
白いスーツ姿の大地を見慣れていたからか、なんだかフフィにとって大地の存在感が大きく見えた。
いや、いつも大きいのだけど、やはり白いスーツじゃなければ大地じゃないような気がしていた。
「あ、あの大地さん」
「ん、なんだい」
「今日は白いスーツじゃないんですか?」
フフィは思い切って聞くことにした。
だが、尋ねると大地は首を傾げる。
「ん、君が白いスーツはハーバンがプレゼントしたものだから着ないでほしい、と言っていたんだが」
「あ、そうなんですか。是非、そのままの姿でお願いします」
「ん、なんだか今日は変だな」
それならば、白いスーツは着なくていい。愛する夫が他の女からプレゼントされたものを使っているのは、確かに見ていると嫌な気持ちになる。
少し怪しまれてしまったが、大地はそれ以降気にすることなく、仕事をこなしていく。
その日は激務であったが、夫もとい大地とイチャラブしながら仕事をしていたので早く終わった。
充実した一日だったな、とフフィは喜んでいた。
そんな中、ハーバンが閉め作業を終え、フフィに近づいてきた。
「あらあら、御婦人。お疲れ様です」
「いえ、今日は楽しかったですね」
「嫌味ですか」
ハーバンは相変わらず、露骨に敵意を剥き出しにしている。
しかし、フフィとしては、ハーバンは大地争奪戦に負けた相手であって、もう敵同士ではないのだ。だから、少しは仲良くしてあげてもいいかな、と思ってる。
「もしハーバンさえ良ければ、私はもっと仲良くなりたいです」
「さらに嫌味を言うんですか」
「嫌味じゃないですよ。ただ、ハーバンとも仲良くなったら夫……じゃなくて大地さんも喜ぶと思って」
「………………」
ハーバンは黙り込み、フフィを見つめる。
なんだろ、まだ争う気なのかしら。フフィはそう思いながら、ハーバンを見つめた。
すると、こんな言葉が返ってきた。
「フフィさん、あなた、もしかして病気にでもかかったんですか? それとも素で言ってるんですか?」
「もちろん、後者ですよ」
フフィはニコっと笑いかけた。
だが、ハーバンはその笑顔を見た瞬間、顔がまるで般若のように怖くなる。
「え、ど、どうしたんですか!?」
「フフィさん、あなたずっと今日は変でしたね。まるで、結婚したのを忘れていたかのように」
「ち、違いますよ! ここ最近ボケちゃって」
焦るフフィ。
だが、ハーバンの疑いの目は振り切れない。
「なるほど、それは仕方ないですね」
そう呟くハーバン。
しかし、次の瞬間。フフィの目の前に隕石が落ちてくる。
空を斬りながら迫る隕石。
大きさは石ころと変わらないが、威力は凄まじいだろう。
それがフフィの目と鼻の先に落ちた。
「え、え、え!?」
混乱するフフィ。
それを見て、ハーバンは確信した。
「フフィさん、いえ偽者」
「に、偽者!?」
「今から、偽者であるあなたを殺します」
「ちょ、待ってください! 私は偽者なんかじゃ――――」
「なら、なんで結婚してることに対して、そんなに驚いてたんですか? 結婚なら三ヶ月前に終えてますよね」
「あ、え、えーっと……」
「なら大地様が結婚式で言ってたこと覚えてますよね」
「……………」
「ほら見なさい」
ハーバンは勝ち誇ったように、フフィを見下ろす。
そして、叫んだ。
「『天空石』! 今から偽者、あなたを倒します」
「え、え、えええええぇぇぇっ!?」
殺気に満ちたハーバンに、宣戦布告されたフフィ。当然、混乱する。けれど、大地もとい夫を賭けた戦いだ。
フフィはハーバンを睨む。
「ハーバン、見苦しいですよ。大地さんが欲しいのなら、そう言えばいいんです」
「よく平気な顔で言いますね。わかりました。素直に言いましょう、フフィさん。私が勝ったら、大地様と離婚してください」
「いいでしょう!」
フフィとハーバン。
二人の乙女の戦いが、今、幕を上げた。




