若き元社長の、自由。1
「お疲れ様です」
東京都千代田区のとある高層ビルの最上階で、美人秘書が声をかけた。
美人秘書の目前にいるのは、フルダイブ専用一人掛けソファに座る社長。お値段は約二百万円。
彼はそのソファから起き上がると、現実世界の空気を肺に入れ込んだ。
「うん、やっぱり空気までは再現できないよね」
彼は美女にそう言った。
美女は何て返せばいいのか分からず、「はぁ」と生返事してしまった。
「それよりも、社長。今回のダイブはどうでしたか?」
「ん、相変わらず、何が楽しいのか分からなかったよ。レベル1で初期武器スタート、つまり一般人の初回ログイン状態でやってみたけど、退屈だった。あまりにも退屈だったから、トップランカー全員を引きずり降ろしちゃったよ」
何の悪びれもなく話す社長。
現在、会話をしているのは、社長自ら造ったフルダイブオンラインゲームのアストロナイト・オンラインの話をしていた。
今から二年前。現在の社長が高校生だった頃に、携帯・家庭用ゲームからネットワークに、自らの意志を投入し、仮想の世界を歩く技術の理論を提唱した。全世界のゲーム業界は、その理論を使って、フルダイブ型ゲームを開発しようとした。
しかし、理論通りにフルダイブオンラインゲームを開発する事は、誰にもできなかった。ただ一人を除いて。
その後、半年が経過し、社長は一人でフルダイブオンラインゲームを開発した。名前はアストロナイト・オンライン。
基本プレイは無料で、サーバーも二百種類とかなり豊富。
その内容は、現実とは違う世界。つまりは異世界をベースにして、第二の人生を歩むというものだ。
大雑把に言うならば、剣と魔法がある世界だ。
社長はフルダイブ専用ソファから起き上がり、社長椅子に腰をかける。
「社長、そろそろお時間が……」
「ん、分かっている。新イベントについて、だろ」
「はい。ですが、その後は――――」
「会食。一々言わなくても分かる。俺を何だと思ってるんだ」
「申し訳ありません」
「あ、いや、ごめん、言い過ぎた」
社長は苛立っていた。
自らが考案し、造ってきたゲームが世界の人々には面白いと大いにヒットした。だが、そんな事はどうだって良かった。
社長がこのゲームを発明したきっかけは、別のところにあるのだ。
自分と違う、もう一人の天才に会いたい。
その一心のみで、このゲームを造ったのだ。
彼は生まれが、全世界を代表する超大手企業の御子息。それだけでも人生がベリーイージーモードになる。けれど、類稀なるセンス、知能、身体能力、社交性、およそこの世の中で必要な物を全て詰め込んだかのような人間なのだ。
ベリーイージーモードどころではない、もはや人生などただの作業でしかない。
そんな彼は、ゲームを造り、そのゲームの中にある数々の謎を解き明かしてくる者が現れるのを、ただひたすら待ったのだ。
通常の人間では解けないような、そんな難しい問題だ。
一般人からすれば、天才の事を凡人が分かるわけない、と彼を非難するだろう。
だが、彼は一度でいいから、天才肌の友人が欲しかったのだ。
しかし、それも解かれる事なく一年半。
現在はその夢が叶う事もなく、最近では謎を造り出すことすらせず、自らが起業した会社の連中に、アストロナイトオンラインを任せていた。
それに、今回のフルダイブで分かった事もあった。
天才は世界に一人だけ、かもしれない。
一般人に話しかけ、軽く仲良くなった者がいた。
仲良くなった者は、社長に対してこう言った。
『天才は何かが突出してるから天才なんじゃない。世界に一人しかいないから天才なんだと思うよ』
軽いアドバイスやジョークだったのかもしれない。しかし、社長の中にある夢を打ち砕くのには充分重かったのだ。
社長はコーヒーを片手に、東京の街を見下ろした。
「社長……」
「今行く」
冷めたコーヒーを飲み干し、社長は会議室へと足を進めた。
◇
アストロナイト株式会社本社、五十八階。
第四十一会議室にて、役職の者達が集まり、未だ若い社長を前にして席を立っていた。室内には重苦しい空気が滞り、照明は消えている為暗い。
社長は真ん中の椅子に座りながら、唯一光を発するモニターを黙って眺めていた。
モニターの横には、月末イベントでの企画をパワーポイントで説明している者が一名。だが、どれも同じような企画ばかりで欠伸を噛み殺すのに必死だった。
一人の企画説明が終わり、また次。
これを延々と繰り返している気がしていた。
社長は、もう何人目か分からなくなっていた。
――――もういいだろう。
社長は立ち上がり、企画を説明している者に笑顔を向けた。
「それ、ボツ」
「……え、あ、はい?」
「だから、ボツだって。つまらないし退屈だ。そんなものやっても絶対ユーザーに『運営何考えてんだよw』って某掲示板に書かれるのが山だ」
「……じゃ、じゃあ」
しかし、この企画を持ち込んできた者は、自らが握っている企画説明文を握り締めながら言った。
「こ、この中で良い企画があったんですか?」
怒りを抑えるような口調で若者は言った。
これだから、勉強しかしてこなかった奴は。と思いながら社長は、先刻企画説明をした者に人差し指を順番に向けた。
指された者達は、目を見開きながら席を立っていく。
そして社長は口を開いた。
「全部ボツ。つまらないし退屈過ぎる。ユーザーの怒る顔しか見えん」
『なっ!?』
立ち上がった者達は、一斉に声を漏らした。
反応するプレゼンをした者達に、社長は次の一言を決めていた。
「君達に任せていたら、このゲームはクソゲーになる。俺が考えてやる」
そう言い、社長は会議室を出た。
この会議室には、取り残された役員達が呆然としていた。
◇
「これはどういう事ですか!?」
社長自らが考案し、その企画が実施されてから一ヶ月。
提携をしていた会社の社長達が、アストロナイト株式会社の屋上にて集結する。
デスクに腰をかけた、アストロナイト社長は黙って話を聞いた。
「何故アストロナイト・オンラインのサービスを停止されたのですか!?」
「何故って、ただの気まぐれさ」
息を荒くして叫ぶ者を前にし、アストロナイト社長は淡々と答えた。
社長考案のイベント。それはアストロナイト・オンラインが終わるか続くかの内容だ。詳細は、十体もの最強モンスターを出現させ、それを倒さなければアストロナイトの世界は壊れる、といったものだった。
最強モンスターの力は凄まじく、完ストしたプレイヤーが五百人いても瞬殺されるほどの強さだったらしい。
実際に倒せた魔物は一体。しかも十体の中では一番弱い奴だ。
期間は一ヶ月。イベントはクリアできなかったので、本当にアストロナイト・オンラインは幕を閉じた。
目前にいる提携先企業の社長や、ユーザーはそれに怒りを感じているのだろう。ユーザーの怒りは某掲示板で、それこそ『運営なにやってんだよ』と書かれている。
しかし、アストロナイト社長は笑っていた。
「何が可笑しい! 九星 大地!」
「おっと、フルネームですか。随分偉くなったものですね」
「黙れ! 貴様がやった事が、どれだけ世界に損失を与えたのか分かっているのか!?」
「分かるもなにも、勝手に俺のゲームに君達が便乗しただけだろ。抜かすのもほどほどにしなよ、タヌキさん」
「ぐぬぬぬぬ!」
世界で二番目の大手企業社長が拳を握り締める。
相手がどんな奴だろうと、大地には関係がなかった。
現在、ゲーム業界全体の株価は大暴落。
そのおかげで、株式市場は大荒れし、リストラされたサラリーマンまで続出した。
この事件は、日本史――――いや世界史に刻まれるほどの大惨事となる。
その名は『天才が起こしたリーマンショック』。
大地は高層ビルの屋上から日本を見下ろす。
「この世界はいつだって退屈だ。俺と同等の存在なんて現れないし、何よりも、自分の好きなようにできない。こんな事なら旅に出てた方がマシだったかもしれない」
「ふふ……やはり、天才とはいえ、子供。だな。貴様は私を怒らせた」
大地が振り返ると、そこには拳銃を持った社長がいた。
その数、およそ十人。
「……それもまた、いいかもしれない。俺はこの世界には飽きた」
「飽きただぁ? 死ぬのが怖くないのか?」
「別に。俺は俺を本気にさせてくれる奴に会いたいが為に、このゲームを造った。だけど、そんな存在はいない。仕方がないから、君達の手によって射殺されてもいいかな、なんて今は思っている」
「ど、どこまでもバカにしやがって!」
社長達は、トリガーを躊躇わずに引いた。
今時拳銃なんて持ってる奴、いるんだな。なんて考えながら大地は背中を大きく反らす。
撃ち抜かれたのは、社長室の窓ガラス。つまり、東京の街を一望できる窓だ。
割れるガラス。その破片は雪のように美しく、社長室に舞った。
社長が銃弾に触れる事はなかった。
しかし、大地は割れた窓の前に立つ。少しでも、押せば今すぐに落ちるだろう。
「社長!」
美人秘書が大地を呼ぶ。
しかし、何の躊躇いもなくその身体を宙に浮かせた。
そして、最後。大地は自らの利益しか考えない、大手企業社長連中に向かって言い放った。
「俺は、君達のように自らの脂肪を肥やす為に共同作業なんてしたくない。それに、そんな連中に殺されるのはゴメンだ、と今考え直した」
フン、と鼻で笑い飛ばし、大地は東京の街へと身体を落下させた。
あっという間に小さくなる自分がいた部屋。
共に落ちる、ガラスの破片。
走馬灯なんてものはなく、脳裏を過るのは退屈な人生。
――――俺の人生も、ボツ。だな。
そう思いながら、大地は瞳を閉じて、その姿を眩ませた。