若き元社長の、戦い。2
何時間潜っていたのだろうか。フフィは不意にそんな事を気にしていた。
このダンジョンに無理矢理入れられてから、少しは状況を呑み込めた気がする。
猫耳を揺らしながら、フフィは先に外へと出た大地とハーバンの後を追う。
大地はフフィの事を恩人と言っている。だが、フフィにとっても大地は恩人である。
折角忠告してくれたのに、フフィは怒りに任せて大地を追い出してしまっていた。しかし、今は大地に申し訳ないけれど、あの時追い出して良かったと感じていた。
でなければ、再び出逢う事もなかっただろう。
大地が感じたように、フフィもまた大地と一緒に過ごすのは居心地が良い。
フフィは歩くのを止め、両手を硬く握り、瞳を閉じて頭を下げた。
彼女は祈るのではなく、感謝した。
――――神様、ありがとう。
扉の外は闇に染まっている。
夜になってから時間がかなり経っているのか、涼しいというのは少し無理があるほど寒かった。
スーツのみの大地に、ワンピースのフフィ、さらに素肌のみの魔物カーバンクルのハーバン。皆が、外に出るのと同時に身震いをした。
「さ、寒いですねぇ……」
『こ、凍える……』
フフィは耳と尻尾を折り畳み、暖を取っている。尻尾や猫耳は暖かいのか、多分、この二人と一匹の中では一番寒くはない筈だ。
逆に洋服を着ていないハーバンなんかは、一番寒さに震えている。まるで分身でもするんじゃないかと思うほどだ。
それに対して、大地なのだが。
「く、くくく、クッソ寒いなぁ…………」
スーツを着ている分、ハーバンよりも暖かい筈なのだが、どうやら寒さには弱い様子。
いつも平然と構えている顔が凍りついていた。
その様子を見てか、フフィは軽く吹いた。
「大地さんも寒さには弱いんですね!」
「ん、愚問だな、こういうのは寒いと思うから寒いんだ」
『強がりにしか見えないんですけど』
震えながらハーバンは大地をジト目で見つめる。
だが、かなりの負けず嫌いの大地は、ポケットに収めていた両手を取り出し、スーツのジャケットを脱ぐ。
「だ、大地さん!?」
『この寒さで、上着を脱ぐなんて自殺行為ですよ!?』
「何、問題ない。俺が今から『寒いと思うから寒いんだ。暑いと思えば暑い』という理論を実行してみせよう」
偉そうに言う大地。
ジャケットを脱いだかと思えば、今度は下に着ている白のシャツまで脱ぎ始めた。
脱いだシャツから現れるのは、強固そうな胸筋と六つに割れた腹筋。
二の腕も筋肉があり、血管も浮き出ている。
その姿を見て、フフィとハーバンは、鉄を熱で溶かしたかのような赤い顔をした。
「ちょっ、大地さん! ここには私がいるんですよ!? ば、ばばば場所を考えてください!」
『ぼ、ボボボクは、良い身体だなんて思ってないですよ!?』
「ん、暖かくなったのかい? 君達、顔が真っ赤だが」
大地は首を傾げる。
彼は何故、フフィとハーバンが顔を赤くしているのかを分かっていない様子。
社長時代、大地はすぐに露出するという極めて悪癖があった。当時秘書を務めていた妹に「自分が大好きなんだね、でも、お巡りさんに捕まるから、やめた方が良いよ」と言われたのは懐かしい。
その妹に対して「大丈夫、お巡りさんが何人集まっても負けないから」と返していたのだから、どうしようもない。
そんなことを考えているうちに、大地はあることに気がついた。
「クションッ」
「って大地さん、くしゃみしてるじゃないですか」
「ん、問題ない。風邪を引いたかそうでないかは、恐らく前者だろうけど、理論自体は別の答えが出たようだし」
「理論って、まだ検証してたんですか!?」
「ん、どうやら暑いと思った本人は暑くならないらしいけど、周りにいる人達は暖かくなるようだね」
上半身裸でキメ顔を作る大地。多分、理論は半分当たっている、と言いたいのだろう。
しかし、フフィやハーバンからしたら、ただのバカである。
「それよりも、少し寒くなってきた。フフィ」
「はい、なんですか。バカな大地さん」
「暖めさせてくれ」
「ふぇ!?」
大地は上半身裸でフフィに抱きついた。もちろん、やましい気持ちはまるでない。ただ暖まりたかっただけである。
筋肉質な大地に抱き締められたフフィは身体を硬直させ、さらに顔を赤く染める。このまま赤くなれば、フフィの頭から湯気が出てくるのではないかと思えてくる。
それをじーっと眺めるハーバン。
『……大地さん。ボクの方が多分暖かいですよ』
「ん、そう言われてみれば、そうかもしれない」
「ハーバン!?」
大地はフフィからハグを解いて、ハーバンを抱きしめる。
その瞬間、大地は珍しい物を見るかのような目つきでハーバンを見つめた。
「こ、これは……!?」
あまり驚かない筈の大地だが、これには大層驚いたようだ。
熱過ぎず、また生温くもない。
触れる感触は、愛用の掛け布団のよう。
そして、何よりも柔らかい。
『ど、どうです?』
「ん、とても暖かいよ。これから君は俺の抱き枕という仕事を与えよう」
「ちょ、大地さん! 男同士はちょっと……」
「ん、問題ない。俺はそういう目でハーバンを見たりしない」
そう言うと、ハーバンは大地の腕から抜け出した。
暖が逃げた事により、大地には寒さが襲ってくる。
一度味わった暖かさを知ってしまったが為に、大地はもう一度暖を、柔らかさを、温もりを味わいたいと思い、ハーバンを求める。
しかし、宙に浮きながら振り返るハーバンは怒っていた。
『何か、勘違いしていませんか。お二人さん』
「それはない。俺は君の事を愛している。もちろん抱き枕として」
「大地さんがホモに!?」
『話を聞いてください』
ハーバンは呆れたように溜息を吐き、大地とフフィを半目で、じーっと睨みつける。
『ボクの性別、オスだと思っていませんか』
「ん、それは事実であり、真実だろう。一人称がボクなのだから」
「そうですよ、まさか、メスだとでも言うんですか?」
『何で気がつかないんですか。ボクは――――』
何やら大事な話をしようとした瞬間。
ハーバンは耳をピョコンと立てて、顔を強張らせた。
同時に、フフィも目を見開いた。
突然、黙り込むフフィとハーバンを怪訝に思った大地は、とりあえずシャツとジャケットを羽織る。
「何かあったのか?」
『大地さん、魔力は回復しましたか?』
「ん、いや、ダメだ。『零』を使ったせいで、まだ魔力は回復していない」
「大地さんは休んでてください」
フフィは力強く頷いた。
その様子を見て、なんとなく誰がやってきたのか、大地には想像できた。
このタイミングに襲いに来るとは、運が良い奴らだな、と大地は思った。
『大地さん、どうしますか』
「もちろん、迎撃さ。どうせ奴らには、既存のスキルで充分対処できるし、俺らには四神の剣が……」
しかし、大地は満足に立つ事ができなくなっていた。
さっき回復し始めたばかりなのだ。急にまた動くとなると、難しいのは当然だ。
だが、大地は立つ。
「大地さん!」
『無理ですよ』
「いいや、やれる。ハーバン、フフィを連れて逃げてくれ」
「ダメです。大地さん、今度は私があなたを救います」
フフィは確固たる決意をしていた。
助けられてばかりじゃダメだ。自分の事は自分でしなければ、一人前じゃない。
その決意を見つめ、ハーバンは大地が動き出そうとするのを止める。
『大地さん、ここはフフィさんに任せて、少しでも長く回復しましょう! でなければ、あなたも殺されますよ!』
「その意見はボツだ、俺はまだ動け――――」
ハーバンは大地の身体を抑える。
そして、フフィは大地に背中を見せる。
「……ハーバン。大地さんを頼みます」
『うん、わかった』
「待てフフィっ!」
大地は片手をフフィに向かって差し出す。
だが、フフィはその手を握らず、大地の元から去ろうとする。
必死に抑えるハーバン。
大地は呼びかけに応じずに、行くフフィの事を見つめる。
――――一緒にスキルを売る仕事をしようって言ったじゃないか!
自分の体力のなさ。
さらには自惚れていた自分自身に吐き気がしていた。
ハーバンは大地の事を抑えながら、額にある宝石を光らせる。
『大地さん、フフィさんを救いたいですか?』
突如、救いの光が大地を照らす。
その光は、ハーバン自身が持つスキルの発動以外にはあり得なかった。
不思議な光に照らされた大地は、一瞬呆然とするが、すぐに首を縦に振った。
「ハーバン、俺はフフィを助けたい」
『それは大地さんの願い、ですか』
ハーバンは真面目に問う。
「恩人を救うのは当然だ。ここでフフィを死なせてしまったら、俺の美学に反する」
『それが理由、ですか?』
「……ああ」
大地の決意は揺るがなかった。
恩人を助ける。普通の人ならば、たかが一週間世話になっただけで、ここまで必死にはならないだろう。
だが、もしかしたらフフィを危険な目に遭わせてしまったのは大地が原因なのかもしれないのだ。
そう、大地がフフィと出逢ってしまったばかりに、フフィは命を落とす事になっていたかもしれないのだ。
大地という危険因子が、何も知らないフフィに近づいたばかりに。
だからこそ、助けたいのだ。
もし、大地と出逢ってしまった事で、死ぬ運命なのだとしたら。
それは大地が悪い事になる。
不思議な光を浴びた大地は、立ち上がる。
「俺は俺を救ってくれたフフィを死なせるわけにはいかないんだ。恩には恩を返さなければ、俺という人間のアイデンティティが失われる。だから、助けるんだ。例え、腕が引きちぎられようが、足がもげようが、目が見えなくなろうが、俺は恩人に対して、最良の措置をする」
大地の身体からは失われていた筈の魔力が、溢れ出す。
「ハーバン、俺は君を助けた。最初は君がどんな珍しいスキルや魔法を扱うのか興味があっただけで、怪我を治しただけなんだ。けど、認識を改めるよ」
大地は自分をここまで回復させてくれたハーバンに、感謝の敬意を表し、頭を撫でた。
「君も俺の恩人だ。ありがとう」
『大地さん……』
ハーバンは少なからず、最良の措置をしたとは思っていなかった。
大地に施したのは、元から持っている魔力の上限を上回るほどの魔力を与えるスキル、『魔力限界突破』だ。つまり、このスキルを使って回復させた者は皆、普段以上にスキルを連続して発動させることができるのだ。
そうなれば、大地は無茶をするだろう。
サファリ・ラジーナの副団長、レイ・キサラギにもそこそこ手こずったのに、今度はレイと団長の両方を相手しなければならない。それに加えて、強弱問わず多くの人間がいる。
それこそ、ここで大地を休ませていれば、まだ大地は生きられたかもしれない。
俯いたハーバンは、大地の暖かい手によって撫でられるが、安心することなどできなかった。
『大地さん、約束してください』
ハーバンは大地の額におでこを押し寄せ、囁いた。その言葉は大地とハーバンにしか聞こえていない。
約束について、大地は首を縦に頷かせ、了解した。
『必ず、約束、守ってくださいね』
「ああ、恩人からのお願いだ。必ず守る」
大地はニコッと笑い、フフィの行った方向を見つめる。
「行くぞ! ハーバン!」
『はい! 大地さん!』
二人はサファリ西草原を駆け抜ける。
◆
日が登り始める草原。
周囲に魔物はおらず、他に動物がいる様子もない。いるのは人間のみ。
その多くは、鎧や剣、さらには魔法を扱う為に必要な杖を所持している。
彼らの先頭に立つのは、一人。
茜色のショートヘアーで、ビキニを着用した紅い瞳の持ち主。
フフィが知る、彼女の名前はアジル。
だが、本当の名前はバジリーナ。フフィが恩人だと思い込んでいた人間だ。
「あれ? 大ちゃんはどうしたのー?」
不意に声をかけるバジリーナ。
大ちゃんなどと親しげに、大地の事を呼んだのに苛立ちを感じる。
しかし、フフィは自分の感情を隠して、バジリーナの前まで歩く。
「大地さんは逸れました」
「なるなる! そうなんだ!」
ケタケタと酒が入っているのかと思うほど愉快な笑い方をするバジリーナ。
だが、その態度にもフフィは苛立ちを感じてしまう。
「ま、それなら話は早いよねん」
バジリーナは影のある笑みを溢した。
その瞬間、フフィの逃げ道を塞ぐかの如く、フフィを囲む者達。
だが、抵抗をしようだなんてフフィは考えてなかった。
大地が無事であれば、もう何も望まないと決めていた。
「まわりくどいですね、私は逃げも隠れもしません。ですが、バジリーナさん。一つだけお願いがあります」
決意を固めたフフィは真剣にバジリーナの瞳を見つめる。
バジリーナも背筋を伸ばして、フフィの願いを聞こうとする。
「何かな」
バジリーナが問う。
フフィは溜息を深く吐いた。深呼吸にも見えたが、それは違うようだ。
「何で私は、あんな人の為にこんなお願いをするのか分からないんです」
「ん?」
バジリーナは話の切り出し方に疑問を感じる。
「私、誰かの為に生きるとか死ぬとか考えたことなんて、なかったんです。一族の復興だけを夢見て、生きていたつもりだったんですよ? でも、あの人に出逢って少し分かりました」
フフィは何かを思い出すように、一度息をした。
「珍しいものが好きで、素直じゃなくて、頑固で、意地っ張りで、恩を仇で返すのは嫌いだとか、わけのわからないような人。本当に今思い出しただけでも、本当はバカなんじゃないかって思えてくる、その人が言ったんです」
フフィは笑っていた。
「自由に人生を生きたっていいじゃないかって。だから、私は自分のしたいように生きるって決めたんです」
「それはアタシ達から逃げるって事?」
ううん、と言って首を横に振るフフィ。
「違います。私は私の分まで、彼にしっかりと、この世界を生きて欲しいんです」
「………………」
「だから、どうかお願いします。大地さん、大地さんだけには、何もしないでください」
九十度腰を曲げたフフィ。そのお辞儀は見事なものだった。
バジリーナは、自分の計画が滞りなく進むのなら安い願いだ、と思っていた。
「わかった。あなたの願いは守るよ」
「団長!?」
そこでレイが割り込んでくる。
ギルドの仕事を妨げられた副団長としては、大地は邪魔な人間であり、倒した方がいい人間だと考えている。だからこそ、この変なお願いを受け入れたくなかった。
しかし、バジリーナは頑なに、レイの意見を受け入れようとはしなかった。
そして、バジリーナは言った。
「アタシは約束を守るよ」
バジリーナの言葉に、安堵の溜息を吐くフフィ。
本当に良かった、と思いながらフフィはバジリーナに近づく。
だが、不意に誰かの声が響く。
「フフィッ! 行くなッ!」
その声の方向に視線を向けると、大地とハーバンがこちらに向かって走っていた。
大地は言った。
「俺は、君にまだ恩を返していないんだ! だから、行かないでくれ!」
大地は必死に叫んだ。
その行動に涙が溢れそうになるフフィ。しかし、先刻約束したばかりである。
フフィは目元を洋服の裾で拭き、言い放った。
「今まで、ありがとうございました!」
その笑顔は明らかに無理をしていて。
涙を流すのを我慢しきれてなくて。
とても辛そうな顔だった。
大地は、走りながら、自分の胸が熱くなるのを感じる。
そして、大地は叫んだ。
「『天界速度』ッ!」




