若き元社長の、迷宮。7
魔力。それは、スキルを扱う上で必ず必要な体力のようなもの。
個人差はあるものの、それが多いに越したことはない。
多くは魔法に扱われる。
この世界では、魔力=体力になる。
大量に散る光の破片は、地面に落ちると、まるで雪のように消えてしまう。
それが黒鉄の斧だったのだが、熱で溶けた様子もなければ、ガラスのように素材が柔らかいわけではない。
ましてや、雪のように散るだなんて普通は考えられない。
だが、それがこの世界における、スキルの強さなのだ。
物体を雪のように溶かしてしまう、そのスキルが異質的な強さを放っているのかもしれない。
大地はポケットに手を突っ込んだまま、レイ率いるサファリ・ラジーナの幹部に視線を向ける。
泡を吹いて倒れる者や、気絶している者、レイ以外は戦闘続行が完全に不可能な状態にある。
ここまでか、とレイはミノタウロスの斧を破壊しながらも感じていた。
しかし、ここはダンジョンなのだ。
アジルとかいう輩や大地のように簡単に出る事は不可能。つまり、ダンジョンから脱出するスキルが必要になる。
もちろん、そんなスキルをレイが所持している筈もない。
「ここらで引こうとか考えてるのかな」
そんなレイの考えを見透かすように言葉を放った大地。
的を射た言葉に、見透かされているようで気分が悪かったレイではあったが、大地の言う通りである。
しかし、脱出スキルを習得していないレイに、本当の意味でのダンジョン脱出は不可能だ。
レイは少々沈黙する。だが、そう思っていた矢先、体に浮遊感が訪れる。
大地に視線を移すと、彼はアブソーションを片手に呟いていた。
「君は一応恩人だ。俺は君の望む事をしてあげるよ」
「それはありがたい、けど、良いのかな。僕を外に帰してしまっても」
「問題ない。俺は必ず、このダンジョンをクリアする人間だからね」
強いな、とレイは内心で呟いた。
このだらしない幹部達でなければ、ミノタウロスにも大地にも勝てたかもしれない。けれど、ここは一旦引くしかなかった。
背後を見ると、どうやら大地は幹部達にも脱出スキルをかけていたらしい。
「……優しいのか、冷酷なのか、どっちかにしてくれ」
「ん、俺は常に前者のつもりだが」
「……もういいです。ですが、忘れないでください。大地さん、あなたの背後にいる子は絶対に引き渡してもらいます。そして、その後ろにいる幻獣も」
レイは大地の背後にいるフフィとハーバンを睨み付ける。
視線を送られたフフィとハーバンは同じように肩を跳ね上げさせ、両方とも俯いてしまった。
――――既に主従関係が成立しているのか。
大地はそんなフフィとハーバンを見つめて、ご主人様とペットの関係が築き上げられていると感じた。
だが、そんな二人に代わって大地は代弁をする事にした。
「悪いけど、俺は君には負けない。それは確信した事だ」
「……そうですか、あなたは僕の敵であり続けると」
「ん、君も恩人だから戦うのは歯痒い思いだけれどね」
レイは鼻で、ふん、と笑い飛ばし宙に消える。
大地の使用した『迷宮帰路』が発動したのだろう。
「さて、と」
大地は腕を回しながら、ミノタウロスに視線を向ける。
黒鉄の斧を破壊され、挙句の果てには目の前から敵がいなくなるという混乱を彼は味わっている。
そのミノタウロスの背後には、彼よりも小さい男が一人。いや、正確には、部屋の隅で身を隠している一人と一匹もいる。
フフィはハーバンを抱えながら、大地の姿を見守る。
「君はどんな風に殺されたいのかな、それとも魔物をスキルにするというスキルを扱う、っていうのもアリだね」
『ブルォォォォオオオオオオオオ』
「なるほど、その意見はボツ、と。君も案外分かり易い性格をしているね」
大地はミノタウロスと向き合う。
もちろん、大地が魔物の言葉を理解しているわけでもなく、ただなんとなくミノタウロスに一方的に話しかけているだけだ。
自らの武器がなくなった事による混乱を解いたミノタウロス。まるで岩のように大きくゴツゴツとした手を、大地に向けて走らせる。
『ブルォッ!?』
大地を掴み、紙のようにグシャグシャに丸めようとしたミノタウロス。
だが、その手は大地に触れるどころか、まるで熱い物に触れたかのように、大きく手を宙に上げる。
ミノタウロスは、大地に触れられない。
いや、厳密に言えば、大地に触れようとすると、彼の新しく造ったスキル『攻撃返し』が作動する。
このスキルは攻撃されると同時に、ダメージを十倍にして返す。
つまり、ミノタウロスは大地に触れるだけで攻撃と見なされる。
事実的に触れる事は不可能となる。
「君も随分と人間味があるじゃないか」
反射運動を見せたミノタウロスに、大地は笑った。
魔物なのに反射運動を備えているのを見ると、魔物も生物なんだなと改めて大地は思った。
けれど、背後には怯えているフフィとハーバンがいる。
ここらで、片付けてしまおう、と大地は決意し、内ポケットに入っているアブソーションを取り出す。
「君には申し訳ないけど、これ以上長引かせると恩人がうるさそうだからね。本当は何時間もかけて、じっくりと観察したいんだけど、そういうわけにもいかない。今回は許してくれ」
ミノタウロスに話しかけ終え、大地はアブソーションに向かって囁く。
「『創造能力』、『零』」
その声に、フフィとハーバンは少なからず反応した。
今まではスキルを新たに作っているのかと思っていたが、厳密に言えば少し違っていたのだ。
大地は既存のスキルも造っているのだ。どちらかと言えば、呼び寄せていると言ったほうが近いかもしれないが。
このスキルは先刻、レイが使用していたスキルである。
フフィは、大地は最早なんでもアリだなぁ、と思いながら見守っていた。
大地の拳を、先ほどのレイが纏っていたようなオーラが包む。それこそが、『零』の【絶対即死攻撃】。
目の前のミノタウロスに対して、何の畏怖もなければ、高揚感もない。大地の中に芽生えた想いは、このスキルを試したい、という願望だ。
『ブルオオオォォォッ!』
振り上げられる拳。
その下にいるのは大地だ。
ミノタウロスは拳を硬め、すぐ真下にいる大地に振り下ろす。
叩きつけられるような音が、ダンジョンを支配する。
ミノタウロスの叩きつける拳は、凄まじいほどの衝撃を生み、その余波がフフィとハーバンを襲う。
吹き荒れる突風に思わず、瞳を閉じて顔を俯かせるフフィ。
だが、すぐに顔を上げると、また異常な光景が広がっていた。
ミノタウロスの拳は止まっていた。
大地は潰されているわけではなく、ミノタウロスの片拳を片手で抑えていた。
そして、大地に触れている、ミノタウロスの拳は徐々に腐敗していくかの如く、血色を失っていく。
すぐに腕を大地から離し、腕に何かが浸食していくのを遮ろうとするミノタウロス。
大地が放ったのは、『零』の【絶対即死猛毒攻撃】。武器または素手にその属性を纏わせて、相手の生命を奪う攻撃である。
つまるところ、ミノタウロスの腕から徐々に【絶対即死猛毒攻撃】の即死毒が進行し、やがて命を蝕む技だ。
ミノタウロスは咆哮を上げ、死んでいく腕を、生きている腕で切り離した。
『ブルルルルゥゥゥオオオオオオオォォォォッ!』
よほど激痛だったのだろう、叫び声をあげるミノタウロスをフフィは見ていられなかった。それは彼女に抱えられているハーバンも同じだ。
しかし、大地は何事もなかったかのように、ミノタウロスを見つめる。
「君は案外頭が良くて、根性があるね。そこは敬意を表するよ」
大地は首を縦に振る。
しかし、ミノタウロスの怒りは静まらない。
彼は大地から一歩下がり、鮮血のような瞳を光らせる。
不意にハーバンが叫ぶ。
『大地さん! その炎に触れたらダメですッ!』
だが、その叫びは遅い。
ミノタウロスは口を大きく開き、まるで嘔吐をするかのように蒼い炎を吐いた。
海のように流れ出てくる炎。
その行く先は大地だ。
さらに、その炎が歩いた後は、全てが氷漬けになっている。
まさしく、蒼炎ミノタウロス。その名の通り、ミノタウロスは最後の最後に大技を隠し持っていた。
『大地さん、ボクが怪我を負わせられたのは、あの技です。確かにボクを弱らせたのは人間達ですけど、致命的な攻撃を仕掛けたのはミノタウロスのこの攻撃なんです!』
「ん、そうか」
しかし、大地は興味がなさそうに呟いた。
蒼い炎は全てを燃やす、と言われている。
けれど関係ない。
全てを燃やすのなら、燃やす前に、その炎を消してしまえばいい。
大地は叫んだ。
「フフィ、今から軽くジャンプしてくれ!」
「ふぇ!? い、今ですか!?」
「早くッ!」
「は、はいッ!」
いきなり話しかけられたフフィ。
飛び跳ねろと言われても、わけがわからないのが普通だ。
だが、尋常じゃない様子の大地の言う事には、従うしかなかった。
フフィはハーバンを抱えたまま、立ち上がる。
「い、行きますよ!」
「ああ!」
大地は片手をポケットから取り出している。
そして、フフィはその場から軽く跳んだ。
「えいっ!」
「ありがとう!」
大地は感謝の言葉を短く言い、ポケットから出ていた手を地面に叩きつける。
目前に迫る蒼い炎。
微かな焦りが生まれるが、大地にとってはまだ慌てるような時間ではなかった。
地面に手を押し当てた大地は叫ぶ。
「『零』、【生命数値・零】ッ!」
その瞬間。
地面を伝い、迫ってきていた蒼い炎はまるで水をかけられたかのように消滅し、そこらへんに生えている光るキノコは腐り、木の枝も、苔も、そして、ミノタウロスすらも、全てを一瞬にして腐敗させる。
フフィが地面に着地すると、生物という生物の腐敗は全て完了していた。
もちろん、飛び跳ねたフフィは、感染していない。
この【生命数値・零】は、電気のように進行が速い。そして、その範囲も多大で、地面に手を着ければ、そのダンジョン全てが腐敗化してしまうほどの強力さだ。
だが、その技の効果は本当に一瞬。
大地が発動させたのは、地面。つまり、地に足を着けていた生命体は全て滅ぶのだ。だが、この魔法にはそれなりのリスクがある。
かけられるのは一瞬であり、また、所持している全ての魔力を扱うのだ。
「だ、大地さん!?」
大地は片膝を着いて、腐敗したダンジョンを眺める。
終わった。ダンジョン内のボスを倒し、全てが終わったのだ。
その安堵感が大地の身体を支配し、大地は地面に背中を預けた。
「ハァ……終わったな」
探索するのに疲れを覚えたわけではない。
魔力を全て消費した、という事実があり、大地は疲れ果てたのだ。
そうなると、必然的に眠くなる。
「ちょっと休憩させてくれ……」
フフィとハーバンにそう言うと、フフィは笑った。
「その意見はボツ、です」
「勘弁してくれ」
「違いますよ」
フフィは地面に迷いなく正座し、大地の頭を太ももに乗せる。
いきなりのフフィの行動に、大地は恥ずかしくなる。
「膝枕、この方が休憩し易いと思いますよ」
「ん、そ、そうか」
「ふふ、大地さん、ありがとうございます」
大地はフフィの言葉を聞きながら、腐敗したダンジョン内で瞼を閉じた。




