若き元社長の、迷宮。6
光るキノコの明かりが弱まっていく。完全な夜になるのを知らせる為の、粋なはからいなのだろう。
緑の空間が少しだけ、暗くなっていくのを通常の人間ならば感じるであろう。
けれど、今、この空間に存在している人々は誰もが、七色の鎧を纏った剣士と黒スーツの男の戦いを、瞬きせずに見守っていた。
彼らの戦いは、フフィやハーバン、その他幹部にとって次元が違うとしか言いようがなかった。
時折チラつく斬撃が、彼らが今も戦っている何よりもの証明であった。
剣という名の刃物を扱うレイに対し、大地は拳で応じる。それがまた、幹部達を黙らせていた。
世界で二位のギルド、サファリ・ラジーナの副団長であるレイ・キサラギ。彼もまた、自分の太刀筋を全て素手で受け流す大地に驚いている一人である。
「君、スピード落ちてるんじゃないか」
「そっちこそ、さっきよりもスキルが弱まってるんじゃないですか!?」
「ふむ、それは君に合わせているだけなんだが」
「強気になっても無駄ですよッ!」
レイは空中にいる大地を貫く為、剣を槍にモードチェンジする。
自動的に剣から槍へと変形する武器。
そのまま、レイは宙に浮く大地に突き刺す。
だが、その槍を回避し、大地は着地と同時に拳を解き放つ。
拳を走らせた大地だが、その拳は空を突き、レイは反射運動を利用したのか、空中で拳を躱す。
しかし、レイは一瞬、反応が遅れたせいで、鎧に拳が掠る。
その瞬間、鎧の腰部分が大きく凹んだ。
「ッ! やりますね」
「そっちこそ」
大地もまた、槍を躱しきれていなかったのか。頬に小さな掠り傷をつけていた。
お互いは、一度息を整える為に着地した。
「霧がありませんね」
「それは俺の台詞だ。君は悉く、避けるのが好きなようだしね」
「元々、僕はスピード特化型の人間ですから」
二人の会話を聞くフフィ。
元来、戦いというのを知らないフフィでも、この二人が最早次元的に異常な戦いをしているというのが分かった。
幾つもの戦いを見てきたハーバンですらも、この二人は本当に人間なのか疑ってしまいそうなくらいだった。
フフィとハーバンは、この戦いをいつまでも見ていたい、という願望すら生まれてきていた。
「僕一人じゃ、大地さん、あなたを倒す事なんてできないかもしれない。けど、仲間とならあなたを倒せます」
「ん、仲間とやらと協力して俺を倒すと、そう言っているのかな」
「はい、そうです。見せてやりましょう! 僕達の力を!」
一際力強く叫んだレイ。
だが、その声に賛同する者は存在せず、ただ沈黙だけが響き渡る。
レイが振り返ると、白髪の第三席の男が顔を強張らせていた。
「ど、どうしたんですか、皆さん……」
これは恥ずかしいな、と大地は思っていた。
この超次元的な戦いを前に、サファリ・ラジーナの面々は大地に勝てないと見込み、唖然としていたのだ。
無理もない。片やスキルを造るスキルの持ち主である。本来ならば立ち向かうレイの方が異常でもある。
大地は仲間意識、というのを極端に嫌っていた。
元々一人で、なんでもこなしてしまう天才な大地。
高校生の頃に開発を始めたアストロナイト・オンラインも、フルダイブ技術の理論も全て一人でこなしてしまったのだ。
大地が一人でアストロナイト・オンラインもといフルダイブ技術の理論を造る事になったのは、とある事情があるのだが、それはまた別の話である。
第三席の男は、尻もちを着いたまま、扉に寄りかかっていた。
「ど、どうしたんですか、クサカベさん。皆で力を合わせれば――――」
「そんなの不可能じゃ! わ、ワシに死ねと言っているのか!」
「いえ、そういうわけじゃ……」
第三席の男は頭を抱え、まるでホームシックにかかった少年のように喚く。
「こ、こんなところにいたら、殺されてしまう! そうじゃろう、皆ぁぁ!」
第三席の声に、幹部たちは皆首を頷かせる。
レイは目を見開き、愕然とした。
自分の仲間がここまで、弱者だとは思っていなかった。
もしくは、もう少し戦力になると思っていた。
だが、実際は違う。
レイは内心で呟いた。
――――結局は、この世界でも偉い奴って言うのは、自分の事しか考えてないんだな。
溜息を吐き、レイは大地に視線を移す。
しかし、大地も同じように、うんうん、と頷いていた。
「分かるよ、君達の気持ちは痛いほどわかる。普通、自分より強い人と戦う事になっても、逃げたくなるよね。それが人間の心理ってものだと俺は思うよ」
「は、ははは……話が分かるじゃないか!」
最早、この第三席の男は壊れている、と大地は思った。
仲間と一緒に潜ったのに、結局はこの男も自分の事しか考えていない。
大地は死に間際に見た、大手企業の社長の顔を思い出した。
――――都合の良い時ばかり、やってきて。自分のやりたいようにやったら怒る。本当に、人間っていうのはバカが多いな。
完全に自分を棚に上げた思考をしていた。
だが、大地は逃げようとする男の前に立つ。
「……君達が戦おうと逃げようと勝手だ。けど、俺はどうしても仲間を裏切るっていう恩知らずが大っ嫌いなんだ」
「何!?」
「これでも俺は短気でね、よく秘書には怒られたものだよ」
大地はニコニコと笑いながら、扉を蹴った。
「さぁ、行きなよ。君の帰り道はすぐそこにあるよ」
蹴った勢いで開く扉。
まるで幾千年もの間、動いてなかった鉄の塊が動かされる音が響く。
ギギギっと音を放ち、全員の視線は扉の奥へと向けられる。
いや、大地だけは第三席の男――――白髪頭のクサカベだけを見ていた。
「その帰り道は、君を土まで帰らせるか、それともギルド本部まで無事辿り着けるか、どっちだろうね」
扉は完全に開かれる。
その奥は、およそ、千人ほどの人間が入れそうなほど広い。
壁には青く光るキノコが設置され、部屋内を照らす。
ボス部屋。そう、この部屋の中央には、魔物が住んでいた。
瞳は鮮血のように赤く、
背丈はまるで電柱のように高く、
腕の太さは保存大樹を思わせるように太く、
体躯の筋肉は百年以上肉体労働をしたかのように分厚く、
頭から生える角はまるで蛇のように長く鋭く、
肌は人間が怯えたときに見せるかのような青色。
そして、その手には背丈と同じ長さの、黒鉄の斧が握られていた。
悪魔。それ以外に呼び名があるのならば、大地は知りたい。
『これは……蒼炎ミノタウロスッ!』
ハーバンが叫ぶ。
その姿に、誰もが怯え、誰もが視線を釘付けにした。
ミノタウロスは大地達の姿を前に、大きな咆哮を上げた。
『ブルォォォォオオオオオオオオオッ!』
鳥肌が立ち、顔を青白くさせるフフィ。
レイは剣を片手で握りながら、ただ呆然とするだけであった。
大地はただ静かにミノタウロスを見つめる。
そう、ただ一人、大地だけはミノタウロスに怯えていなかった。
あるのは、ただの好奇心。
奴はどんな攻撃をするのだろうか、奴はどれくらい強いのだろうか、奴は大地を楽しませてくれるのだろうか。
ただの好奇心だけが、大地から怯えや恐怖を拭い去って行った。
「う、うわぁぁぁあああああああッ! た、助けてれぇぇぇぇええええッ!」
泣き喚くクサカベ。
しかし、その声に反応するギルドメンバーはいない。
叫んだせいか、ミノタウロスの標的となってしまったクサカベ。
ミノタウロスは斧を片手で持ち、空いた大きな手をクサカベに走らせる。
そして、一瞬でクサカベはミノタウロスに握り締められる。
「ぐがぁッ!? ぐがぁぁぁ……アガァ……」
紙を丸めるように、クサカベを握り潰すミノタウロス。その手から垂れるのは鮮血のみ。
その光景を見たフフィは、叫んだ。
「いやあああああああぁぁぁぁッ!」
「ん、確かにこれは楽しめそうだ」
フフィの叫びにも、クサカベの死にも動じない大地。
ミノタウロスの次なる標的はフフィに定められた。
彼はズンっと大きな足音をたてながら、部屋を出てくる。
その先はフフィがいた。
『大地さん!』
「分かってるって」
ハーバンが必死に叫ぶ。
その前に大地は走り出していた。
ミノタウロスは部屋から一歩出ると、斧を両手で握り、横薙ぎを放つ為に斧を振り上げる。
そして、黒鉄の斧は横薙ぎを放つかのように、振り下ろされる。
だが、横薙ぎは完全に振り払えなかった。
フフィが殺された、と一人と一匹を除いて誰もが思った。だが実際は一人も死んではいない。
大地は自らが盾となり、フフィを庇っていた。
フフィは恐る恐る閉じていた瞼を上げると、そこにはスーツを着用した大地が無傷で立っていた。
彼は片手で、自分の何倍もある黒鉄の斧を受け止めていた。
「だ、大地さん……」
「君は恩人だからね、死なせやしないよ。それに、君は勘違いしているようだから言っておくけど、白髪頭の彼は別に死んでない。多少怪我はしたかもしれないけど、ね」
大地はフフィに笑いかけた。その笑みはフフィを安心させる為であった。
クサカベに関して、大地は彼がミノタウロスに握られた瞬間に、以前レイにかけたスキルを使っていた。
少し発動するタイミングが遅れた(大地は少々の罰だと思い、わざとタイミングを遅らせた)が、腕が一本折れた程度の筈だ。
『ブルオオオォォォッ!』
ミノタウロスは咆哮を上げる。
現在、ミノタウロスの握る斧は、大地が邪魔に入った事で進行を中止している。
つまり、大地は生身で斧を受けているのだ。
だが、怪我どころか、スーツに汚れ一つない。
「『絶対防御』の【物理攻撃無効】。君はどうせ、力づくでしか相手を倒せないだろう」
大地は半ば挑発するようにミノタウロスに言葉を向けた。
だが、反応はない。
特定の魔物には、人間の喋る言語は通用しない。
それは本来カーバンクルも同じである。けれど、ハーバンは少々性質が違う。
スキルの説明をされても、ミノタウロスは斧で大地を振り払おうとする。しかし、赤ん坊が何十トンもある石像を動かすかのように動かない。
「君じゃ、俺を倒すのは不可能だ」
大地がそう告げると、ミノタウロスは諦め、次なる標的を探す。
その視線の先にいたのはサファリ・ラジーナのメンバーだ。
すぐにレイ以外の全員が顔を歪める。
だが、ミノタウロスは躊躇せずに斧を振り上げた。
多分、一網打尽、一撃で全員を殺すつもりなのだろう。
ここで、大地が全員に『迷宮帰路』を使用しても良い場面である。
だが、大地はあえて何もせずにレイを見守った。
『ブルオオオォォォッ!』
振り下ろされる黒鉄の斧。
幹部は全員、涙、鼻水、涎を吐き出す。
そして、何かが散った。
まるでガラスを割ったかのような、光の破片が大地の視界に入る。
幹部達は目を閉じたまま、死ぬのを待っている。
だが、ミノタウロスの斧は幹部達に降り注いでいなかった。
さらに、ミノタウロスの握っていた筈の斧は、あるべき場所に存在していなかった。
現在、幹部達を守るように前に立つ男が、剣を一振りしていた。
その剣はまるで、全てを産まれた姿に戻してしまいそうな白色のオーラを、纏っていた。
腰部分が軽く凹んだ七色の鎧を着用した青年――――レイ・キサラギは、ミノタウロスに向け言った。
「『零』」と。




