RECORD7:定まらない決意
柔らかな西日が差し込む、病院の一室。
ついさっきまで4人の話し声が聞こえていたその部屋には、今は1人しかいない。
「傭兵、か……」
窓の外に輝く日暮れの太陽に向かい合うようにベッドに腰掛け、リースはさっきここで行われた会話を思い出していた。
「輸送機が直り次第、君にはここから離れてほしいのだ」
ロクヒードの口から言い放たれたその一言に、部屋はしばらく水を打ったように静かになった。
彼の言った事の真意が分からず、皆言葉が出ない。
瞬きの音さえ聞こえそうなその部屋で、最初に口を開いたのはリースだった。
「そんな……自分も戦います!」
「いや、君にはやって欲しいことがあるのだ」
西日に当たったロクヒードの顔には先ほどの覇気が無く、日に照らされた明るい部分よりも浮き彫りにされた影の部分の方が目立った。
「今、町の男共が墜落した輸送機を森からこの病院まで1日かけて運んでおる。もうそろそろ着く頃だろう」
ロクヒードは右腕で銀色に光る腕時計をチラリと見た。
リースもそれに視線を合わせると、時間の他にも年月日が分かるようになっている高価そうな文字盤が一瞬見えた。
が、彼は時間を見るか見ないかのうちにそれを戻した。
「それからすぐに修理に取り掛かり、完了次第、君には荷物を積んですぐに基地に引き返して欲しいのだ」
その口からはっきりと帰還の要請を出したロクヒードに、間を置かずにフィノールが抗議の声を上げた。
「そんな!おじさんどうして…!?」
切実にあげられる彼女の不平不満を、ロクヒードは片手を以て抑えた。
その表情は朝のものとは到底似つかないほどに固い。
目を閉じて、唇を真一文字に結んでいる。
リースにはその顔が何かに苛まれている様な苦悶の表情に見えた。
そんなロクヒードの様子を見て、フィノールもやむなく言葉を呑み込む。
彼女がこれ以上騒がないのを確認して、手を下ろしたロクヒードはもう一度リースの方を向いた。
「ワシが頼みたいのはそれだけだ。分かってくれたかの?」
彼の静かな問いに、リースは答えることが出来なかった。
この戦いに協力してくれと言われると思っていたからだ。
町の皆と一緒に力を合わせて、この町を守って欲しい、と。
リースの方にもその覚悟が出来ていた。
いつもは危険な任務をエイドのイルマに撥ねさせ、それでも当たった危ない任務は極力裏方に回り、元から持ち合わせていない傭兵としてのプライドよりも自分の命を重きに置いてきたリースだが、彼らとは命を懸けて共闘しても決して後悔はしないだろうと感じていた。
知り合ってから短い時間しか経っていないが、それでも彼らに協力したいという強い気持ちが自分の中にあったことにリースは内心驚いていた。
その原因はよく分からないが、傭兵になって2年間、これほど雇い主に感情移入させられたことは今までに数度とない。
「何故……突然そんな事を?」
「突然なんてことはない。君は元々輸送機のパイロットだろう?」
まるで聞かれることを分かっていたかのようにロクヒードの切り返しは速かった。
「本来なら昨日のうちに帰っているはずの身だ。問題はあるまい」
さも当然のように言うロクヒードに、フィノールは愕然とし、眼鏡の男は目を閉じ、リースはまだ釈然としない気持ちを抱えていた。
しかし彼にはもうこれ以上話す気は無いようで、小さいパイプ椅子からいそいそと立ち上がってリースにその大きな背を向けた。
それから気付いたように背中越しに声をかけてくる。
「おおそうだ。今晩はもう一度ここに泊まるといい。部屋は若干余裕があるのでな。それと、この病院はちと広いからな、後でフィノールに案内させよう。院内くらいは一通り知っておいた方がいいからな」
ロクヒードはそれだけ言って、フィノール達の方には目もくれずドアの方に歩んでいった。
「最後に……一つ質問させてください」
しかしそれをリースの声が追いかける。
その静かな声に、ノブにかかったロクヒードの手が止まった。
フィノール達もリースの方を見る。
「…何かな?」
言葉は素っ気無いがロクヒードは嫌がってはいないようだ。
ただ、何か言われる事を恐れているかのような……突然目上の人に呼び止められた時のような、そんな声だった。
「俺が戦力にならないと思ったから、こんな事を言うんですか?」
正直に思ったことを聞いてみる。
通常、今のように臨時に兵力が必要になった時、クライアントが戦闘要員以外の傭兵も戦力として使うことが多々ある。
パイロットやドライバー、技師や整備士なんかでも、傭兵なら基礎的な戦闘訓練は受けている為、報酬さえ払えば傭兵を好きに使えるクライアントからすれば、必要に応じて担当する仕事を変えるのは当然の権利であり、また日常的に行われていることであった。
だからこそ、こんな危機的な状態にありながらも平然と傭兵を返そうとするロクヒードにリースは納得がいかなかった。
クライアントが自由に使える傭兵をみすみす手放すことはほとんど無い。報酬以上に働かせようとするのが普通だ。
それをしないとなってくると、随分と理由が限られてくる。
その中でリースが真っ先に思い当たったのが、今の質問の中身だ。
「信用も出来ない、荷物一つ満足に運べない傭兵だから……」
「違う」
ロクヒードは今度ははっきりとした口調で否定した。
「それは……断じて違う」
リースの方からは後姿だけで表情は見えないが、どうやら顔は下を向いているようだ。
「君は傭兵達の中で唯一ワシらの所まで来てくれた。フィノールの命まで助けてな」
「おじさん、ならどうして?」
ロクヒードの背中に向かってフィノールが疑問の声を投げかける。
その声にロクヒードはしばらく黙った後、ノブにかけた手を静かに下ろした。
「……逆だ」
「逆?」
ロクヒードが静かに首を振る。ここから見える後姿からは、彼の表情は読み取れない。
「君にしか、こんな事を頼めんのだ」
彼の声には悲しみと、僅かな自己嫌悪の色があった。
「信用があり、最後まで忠実に責務を全うでき、経験と人情に富んだ人間。ワシは君をそう見込んだ」
ロクヒードの言葉はまだ続く。
「正直言って、ワシは君の力が欲しい。訓練を積まれた強靭な戦闘力、正確な判断力、迅速な指揮力……その全てがここでは貴重な能力なのだ。だがの、君には娘を救ってもらった恩がある。こんな所でその命を無駄な危険に晒してほしくはないのだ」
「では……他人を見捨てて俺にだけ逃げろと?」
「だからこそ、君に頼むのだ」
リースの少し語気を強めた問いに、ロクヒードはそう答えて振り返った。その顔はわずかに微笑んでいる。
だが、それはリース達へのものではなく、自らに向けられた自虐的なもの。
彼が見せる初めての、悲しい笑み。
「ただ君に帰れというわけではない」
すぐにその笑みを崩した彼は、顔は動かさず視線だけをフィノールに移した。
「君には『荷物を積んで』離れて欲しいと言ったのだ」
「おじ…さん?」
最初、見つめられたフィノールはロクヒードの言葉の意味が分からずきょとんとしていたが、意味を理解するとともに急に表情を変えた。
それに反して、眼鏡の男が全く反応を示さずに視線を落とした所からして、彼は既に知っていたのだろう。
「そんな……う、嘘!?」
「フィノールだけではない。我々で選抜した者達も乗せてもらうつもりだ」
「そ、そんなの嫌です!!私はみんなと残ります!それにおじさんも皆で力を合わせて、って言ったじゃないですか!」
慌てふためくフィノールをよそに、ロクヒードは再び視線をリースに戻した。
「もちろん、タダと言うわけではない。特別に報酬を弾もう」
そう言って彼は胸ポケットから細長い薄い紙をリースに手渡した。
リースはしばらくそれを眺めた後、再びロクヒードに視線を戻す。
「敵の情報ははっきりとしていない。ただ分かっているのは、工場を経て、兵力を持つほどのとてつもない財力を持っているという事と、冷酷無比で善人ではないという事だけだ」
そして、と彼は言う。
「今の状況では、ワシらが勝てるかどうかは五分五分と言った所だ。地の利はこちらにあっても、いかんせん戦力は向こうが上だ」
──もちろん、だからと言って妥協は一切しない──
ロクヒードの目からはそういった感じの決意が溢れている。
「だから、危険が及ばぬように一刻も早くその者達をここから遠ざけたいのだ。もうワシはこれ以上大切な者達を失いたくは無い……」
だから、引き受けて欲しい。
ロクヒードは改めてリースに懇請する。
しかし、リースはそれでも首を縦に振らなかった。
「……」
一見すれば深く考えている故の無表情に見えるが、フィノールにはすぐにそれが怒っている顔だと分かった。
それはただ単に、フィノールも同じ気持ちだったからそう見えただけなのかもしれない。
フィノール自身は行きたくないと思っていた。
ここに残って、みんなの役に立つ事をしたい。
どんな時でも、私はみんなと一緒にいたい。
大好きなこの町を守ろうとする人達と、それを必死に支えようとする人達。
そんな皆を置いてはいけない。
故にフィノールは怒っていた。
いくら自分の為とはいえ、彼にだけ都合のいい事を勝手に決めた町長に、おじさんに、理不尽だという気持ちがあった。
だから、目の前にいる傭兵の青年には絶対に承諾して欲しくなかった。
そのせいで、ずっとイエスと言わないリースの顔も怒っているように見えたのだろう。
しかし、リースの今の顔には妙に既視感があった。
自分が小さい頃に一度だけどこかで見たような、怖いけど、懐かしい……そんな顔に見えた。
そんなフィノールの気持ちを知ってか知らずか、リースはその顔を笑顔に変えた。
「ロクヒードさん。その搭乗者のリストをしばらくお貸し頂けますか?」
「ん、ああこれか。もちろん構わんよ」
別に返さんでもいい、と言いながら、ロクヒードは嬉しそうにリースに1枚の紙切れを渡した。
リースはそれを「特別料金」としてもらった紙と一緒に握り締めた。
それを見てフィノールが愕然とする。
傭兵とはこれ程までにお金で意思を変えれらるものなのか?
報酬さえ出されれば、自分の人情や心情を曲げて平気で尻尾を振ることができる生き物なのか?
フィノールの中で傭兵に対しての価値観が確実に変わってきていた。
しかし、それは唐突に終わりを告げる。
リースはしばらくリストの用紙に目を留めてから、きれいに畳んでベッドから立ち上がった。
「それでは、しばらく考える時間をくれませんか?」
「なに?」
商談は成立したと思っていたのか、ロクヒードは不意を突かれたような表情をした。
「決めるのは明日になってからでも遅くはありません。輸送機の修理には最短でも半日以上かかります。俺も手伝いますが、まず間違いなく明日にもつれ込むでしょう」
「だ、だがリストを受け取ったではないか?」
「それは必要最低限の流儀です。仕事をするなら『書類には目を通せ』と言ったのはあなたじゃないですか」
「確かにそうだが……」
突然の出来事にしどろもどろになっているロクヒードに、リースは薄い紙切れを軽く手渡す。
「そ・れ・と、これはとりあえずお返しします。まだ仕事を請けてないうちから金品は貰えないので」
一部口調を強めてロクヒードに「特別料金」の紙を返したリースは、最後にフィノールの方に向き直った。
その顔は綺麗な笑顔だった。
「それとフィノール。ここの案内を頼めるかい?院内は一度一通り知っておいた方がいいだろうし」
「は…はい!!」
一瞬驚いた顔を浮かべ、それをすぐに笑顔に変えた彼女の、心の中の傭兵に対しての価値観は再び変わったようだ。
「そろそろ着替えるか」
夕陽に向かっての回顧を終えたリースは、立ち上がって部屋の隅に置いてあるロッカーに向かった。
自分より少しだけ背の高い古ぼけたロッカーは、軋んだ音と共にその中身を露呈する。
その中には自分が着ていた傭兵の装備一式が綺麗に吊り下げられていた。
「皺まで伸ばしてるな……」
自分が着ていた頃より美しくなっているSCのロゴ入りのユニフォームをしげしげと見ながら着る。
不燃性の特殊繊維で織られたとても軽いその服は、道具を入れる為のたくさんのポケットがついていて、戦場で相手に対して精神的な威嚇の効果を持たせるために、ユニフォームの色は紺色にカラーリングされている。
そして、それと同じ色に揃えているこれまたポケットのたくさんついたズボンをはき、ユニフォームの上にあまり嵩張らない特製のボディーアーマーを着込み、更に重ねるようにベルトやポケットのたくさんついた紺のベストを着用する。
このベストは自分用の幾つかの改造が施してあるオーダーメイド品だ。
最後に、ロッカーの小物入れに丁寧に置かれていたヘッドギアを右耳に着け、ロッカーをバタンと閉める。
「レイナードさん。準備はできましたか?」
リースが、閉めたロッカーの横に置かれている二つのアタッシュケースに驚いたのと、部屋の扉の向こうからフィノールの呼び声がしたのは同時だった。
「ああ、今行くよ」
アタッシュケースの小さい方だけを右手に持ち、リースは胸に芽生え始めた一抹の不安と共にドアへと駆け寄った。
そう、一体誰が自分を寝巻に着替えさせたのかという、ほんの一握りの不安と共に。
※ここからは作者の見るに耐えない駄文ですので読み飛ばして下さってもなんら問題ありません。と言うより読んだ方が時間の無駄かもしれません。
ハイ、タッチの差で日付を跨ぎました。すみませんacruxです。
極一握りの僅かな定期読者様。本当に申し訳ありません。
ここまでずれてしまってはもう日曜から月曜に更新日を変えたほうがいい気もしてきます。
自分の文章力の無さに落胆です。
コレ自体は続けて書いていこうと思いますが、これからは不定期更新になるかもしれません。
8月はいろいろとあるので。
最後に、病室での会話のシーンが無駄に長いことをお詫び申し上げます。
動きが少ないので読んでて何がなんだか分からなくなってきます。
次からは部屋を飛び出して書きますので。
と、ここら辺りで次回に続きます。