RECORD5:一つの質問と三つの視線
夢には、いろんな種類がある。
嬉しい夢、楽しい夢、信じられない夢に、悲しい夢もあれば、起きた時の機嫌が悪くなるほど神経を逆撫でする夢もある。
そして、悪夢。
リースは目を覚まして、ゆっくりと起き上がった。
と同時に、頭に走る鈍痛と眩しい閃光にすぐに瞳を閉じる。
「っ…」
頭に手を当ててみると、痛みと共に手に伝わる布の感触……包帯だ。
それからゆっくりと目を開けると、辺りの様子がだんだんと映ってきた。
そこは病室だった。
見てくれはかなり古ぼけていて、薄汚れたリノリウムの床に、壁の所々にシミがついて、天井のタイルに至っては一部が剥がれているような有り様なのだが、自分が寝ていたベッドのシーツと毛布、それに隣の小さな棚に乗せているコップと水差しはどれも真新しく、清潔だった。コップは丁寧に逆さまにしてナプキンの上に置いてあり、水差しには澄んだ水が入っている。
どうやらここは個室のようで、割と広い部屋にしてはベッドが一つしかなく、ベッドの脇には背もたれの無い丸いパイプ椅子がいくつか置いてあった。そして閉めきった部屋の窓からは温かな日光が降り注いでいて、リースは一目でさっきの光の正体がこれだと分かった。
「ここは……」
だが残念な事に、リースにはここが一体何処なのか皆目見当がつかなかった。自分はこんな部屋を今まで見た事が無いし、第一、自分がどうしてこんなところにいるのかも分からない。まだ回転数が上がっていない頭で混濁した記憶を必死に手繰り寄せると、やがて一つの結論に達した。
「そうか……俺は墜落したのか」
苦々しく吐いた言葉に、それまでの記憶が矢のようにリースの脳裏を駆けていく。
基地での話、山を覆う雲に、突然の不意打ちで消えていった仲間達。誰もいない廃墟の町に、放射線を吐く謎の工場。そして……
「そうだ、あの子は──!?」
リースは自分が助けようとした少女の事を思い出した。
ジープに追われて必死に草原を走っていた彼女。三台のジープを何とか潰して、それから──。
あの時は気を失ってしまったせいで、結局彼女がどうなったのか覚えていなかった。
これからどうしようかとリースが途方にくれていると、不意に部屋の扉が開いて外から二人の人間が入ってくる。
「お、やっとお目覚めか!」
「…ご気分はいかがですか?」
一人は、厚手のシャツにジャケットを着込んでいるラフな格好の恰幅のいい中年の男性で、人の良さそうな優しい顔にちょっぴりのヒゲを蓄えていた。
「やあ傭兵くん。気分はどうだね?」
男は快活そうに笑いながら、手近にあった安物のパイプ椅子を手に取りその上にどっかり腰掛けた。そして胸元に閉まっていた煙草とライターを取り出して火をつけるまでの間、子供のような黒い瞳でずっとリースの事を観察している。
「おじさん、煙草は…」
「え?おお、いかんいかん」
隣からそう言われて、おじさんと呼ばれた男は「ついいつものクセでな」と恥ずかしそうに煙草の箱とライターをしまった。
そして男を「おじさん」と呼んだのは、さっき彼と一緒に入ってきた少女。
その容姿はリースよりも背が低く年も下のようで、青に統一された落ち着いた服装とズボンに、それに合わせた色の厚手のストールを羽織っている。腰の辺りまで届く長い髪は黒と茶の混色で、濃い栗色に黒曜石を溶かしたような黒が見事にマッチしていた。
そこまで眺めていると、リースの頭の中にわいてくる妙な既視感。
そのぼんやりとした何とも形容しがたい感覚は、令嬢のような清楚で整った顔つきと、リースよりも幾ばくか光の透く、大人びた露草色の瞳を見たときに確信へと変わった。
「君はあの時の……」
「その節は本当にありがとうございました」
少女は両手を前にそろえて瞳を閉じ恭しく頭を下げた。彼女はまさにMHのコクピットから見た女の子と同一人物だった。
「どうやらワシの愛娘が君に命を助けられたようでの、色々と話すついでに一つ礼を言いたくて来させてもらったのだ」
「おじさん…」
彼の口から出る『愛娘』の言葉に少女は気恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「とにかく、まずは礼だ。娘を救ってくれてありがとう。本当に感謝しておる」
「いえ、自分もここまでして頂いて感謝の言葉もありません。それに大事な荷物まで巻き込んでしまって……」
「構わん。万の金より一つの命の方が大事だ。それに、君の輸送機の荷物は全て無傷だったから無事に回収させてもらったのでな」
おじさんはフンと鼻を鳴らしてキッパリ言い張った。
だが、本当に大丈夫なはずが無いとリースには分かっていた。何の為に使うのかはともかく、1機の武装MHと40人分の兵力を使う前から失ったとなればただ事ではないはずだ。
それでも気丈に振舞う彼にリースは謂れの無い罪悪感を感じた。
「まあ、それは置いといて自己紹介といこうじゃないか。ワシはアーサー、アーサー・ロクヒードだ。だが別に何と呼んでくれても構わんよ」
ロクヒードが人当たりの良さそうな笑顔でそう言うと、後ろでずっと立っていた少女が一歩前に出てきた。
「私はフィノール・レセルです。今後しばらくの間よろしくお願いしますね、『レイナードさん』」
フィノールが優しく微笑んで一礼する。
「ああよろしく……え?」
まだ微笑み続けているフィノールをリースは目を丸くして見た。
「…どうして俺の名前を?」
「レイナードさんは傭兵ですから」
笑顔で人差し指を伸ばしてしれっと説明する彼女。
「……なるほど、リストか」
「当たりです」
基本的に、SCに派遣を依頼した雇用主には隊員の情報が載ったリストが送付される事になっている。リースが出勤する時はいつも配られていたはずなのだが、名前で呼ばれることが無かったのでついそのリストの存在を忘れていた。
とその時、病室の扉が再びガチャリと開く。入ってきたのは自分より年上の眼鏡をかけた黒髪の男で、急いで来たのか服装が乱れ少し息を切らしている。
「すみません…はぁ、ちょっと用事が込み入って、ふぅ…」
「あ、お兄さん」
「随分と遅かったじゃないか、店長や」
身だしなみを整えて、ポケットから出したハンカチで額の汗を拭いながら弁解する彼に二人が声を掛ける。
「すいません、ちょ……ロクヒードさん。カーゴルームのハッチが泥に浸かって使えなくて……中身の運搬に思った以上に時間がかかったんですよ」
何かを言いかけた男はロクヒードの鋭い目線にセリフを呑んだあと、名前の部分を微妙に強調して話を続けた。
「そうか、それなら仕方あるまいな。まあ傭兵くんも今目を覚ました所だ、『質問』するのにさして問題はあるまい」
「あ、やっと目を覚ましましたか」
ロクヒードの言葉に男は嬉しそうに銀縁眼鏡を押し上げた後、リースの方に向き直って握手を求めた。その碧の瞳は言い知れない好奇心に満ち溢れている。
「おはよう、傭兵くん。そして初めまして。店長ってのは僕のあだ名でね、町で喫茶店を経営してたもんだから、ロクヒードさんみたいに町の皆は僕の事をそう呼んでいるんだよ。まあ、そんなことは置いといてだね、君に一つ質問したいんだ」
「質問?」
自己紹介も程々に何かを聞きたくてたまらない様子の男に、ロクヒードはゆっくり瞳を閉じて聞き入る体勢に入り、フィノールは椅子から少し身を乗り出して興味津々な眼差しでリースを見つめた。
「そう。だけど、今からするやり取りは残念ながら他言無用には出来ない。ここでの噂の広がる速さといったら、3日もあれば全町民に伝わるくらいだからね。そして、今から聞く内容は既に『噂』として広まり始めている」
彼は皮肉るように苦笑いした。
「それでも、君は質問に答えてくれるかい?」
「ええ、構いません」
リースがそう言うと、黒髪の彼は再びニッコリした。
「じゃあ質問。ズバリ、君はAP、アビリティ・パーソンかい?」
「え?」
「結構プライベートな質問に入るから答える、答えないは君の自由だけど、僕等は今広がっている噂じゃなく、真実を知りたい。君の口からね」
彼は好奇心の入り混じった目で熱を込めて言った。
「……」
二つの視線を感じながらもリースは迷っていた。
彼らになら言っても良い気がしたが、リースにはアビリティに対して苦い記憶しかない。
例えば、初めてアビリティを使った日だ。
あの日は不可抗力で大勢の人目がある中で能力を使ってしまった。
あの時ほど胸が高揚して、一人の人間に感謝されて、誇らしくて──
そして、あの時ほど周りから蔑まれた日は無かった。
言いたくない理由はただ一つ。「言えば差別される」からだ。
その日から、そこで住めなくなるほどにリースは周りから蔑まれ続けた。
気持ち悪い、バケモノ、怪物───
だからリースはアビリティという能力を「便利だ」と思った事はあっても、「感謝した」ことは一度たりとも無かった。
そんなリースの心を知ってか知らずか、眼鏡をかけた彼はフィノールにある質問をかけた。
「ねえ、フィンちゃん」
「はい?」
「アビリティってどんなものか知ってるかい?」
「それは……」
リースの返答を今か今かと待っていたフィノールは、突然の質問に人差し指を口元に当てて少しの間考え込んだ。
「アビリティといえば、壊れたものを修理できたり、怪我した人を癒したりできる特別な能力ですよね?」
その言葉にリースは思わず顔を上げた。
「レイナード君。僕らは何も君がアビリティを使える、使えないでどうこうしようと思ってるんじゃないんだ。彼女の言葉を聞いただろう?ここの皆はAPに対して全くマイナスのイメージが無いんだ。ただでさえ陸の孤島と化したこの町で、悪事に能力を使おうとする人なんか一人もいないし、来る事もないからね。この質問に気を悪くしたんなら謝るよ。ただ、これだけは分かって欲しい。ここにいる人間は皆、アビリティが使える人間を尊重することはあっても、決して差別したりはしないんだ」
真剣にそう言った後、彼は表情を緩めた。
「ただ、物珍しさでちょっとチヤホヤされるかな。この辺り一帯の空はまだオゾン層が残っているから、ここでは外来の医者や看護師くらいしかAPが居ないんだ」
そして彼は細長い眼鏡を外し、手にとってリースを見た。
その瞳はとても優しいものだった。
「そこに君がAPかもしれないっていう話が持ち上がってね。噂が本物か確かめてみたかったんだ。それにロクヒードさんも知りたがっていたしね」
彼が視線をロクヒードに向けると、ロクヒードはいつの間にか開けていた目を天井の剥がれた部分に泳がせた。
「本当に…本当に、アビリティを使えるんですか?」
そしてフィノールは力説する彼の横で陶酔しきった目でリースを眺めていた。どうやらアビリティに対して相当な憧れと関心があるらしい。
そしてそんな瞳でそこまで言われると、最早リースには言わない理由は無かった。
「まあ、少しなら使えます」
「やっぱり噂は本物だったか」
「うわぁ……」
頷いて納得する彼に、瞳の輝きを更に増やすフィノール。
「でも、どうして分かったんですか?」
「ああそれか。精密検査だよ」
「検査?」
「そう。君もこの部屋を見てある程度察しはついていたかも知れないけど、ここは昔廃棄された病院なんだ。設備は多少古いかもしれないけど、未だに現役なんだよ。そこで、君の回復を第一に考えて色々と検査をしたらしいんだけど、APっていうのは能力を使った後だと詳しい検査で分かるみたいなんだ」
そう言って彼は「知らなかったのかい?」というような顔をした。
「で、その能力なんだけど──」
彼は言うべきか言わざるべきか複雑な表情に顔を歪めた。心の中で何かと葛藤しているらしい。
やがて決心したように口を開いた。
「できればちょっと見せてくれないかな?」
「こ、ここで?」
「私も見てみたいです」
「コホン!」
だが、二人の願いも空しく突然の咳払いによって部屋は一瞬にして静まり返った。
「『質問』はそのくらいでよかろう?」
会話に更に熱が入ってきた二人に、唯一「見てみたい」という欲望に打ち勝ったロクヒードが優しく諭す。穏やかな声なのに、内に秘められた威圧感はリースにもハッキリと感じる事ができた。「もうその話は止めてあげなさい」と暗に言われている気がして、二人は渋々それ以上の追及を止めた。
ロクヒードはそれを確認してからゆっくりと立ち上がり、優しい顔をリースに向けた。
「ところでレイナード君」
「…はい」
「腹は空かんかね?」
「………はい?」
余りに予想外の言葉に思わず声が裏返りそうになる。
「だから、空腹ではないかの?君は昨日から何も口にしておらんからな」
「ええ、まあ多少は…」
言われてみれば少しばかりお腹が空いていたのでそう答えると、ロクヒードは嬉しそうに頬を緩めた。
「なら丁度いい。ワシも今から朝食をとろうと思っていたんでの、君もここで食事を済ませるといい。その後でお互いに情報交換をしようではないか。積もる話もあるだろうが、まずは食事からだ。ここの食事は薄味だが美味くてのう、特にハムエッグはワシの大好物なのだ」
部屋のノブに手をかけながら、ロクヒードは美味しい空想に浸っていた。
「では、また後で会おうぞ」
そういい残して、彼は意気揚々と部屋から出て行った。
※ここからは作者の見るに耐えない駄文ですので読み飛ばして下さってもなんら問題ありません。と言うより読んだ方が時間の無駄かもしれません。
今年の正月辺りに購入したPSPが九月にニューバージョンに変わるというニュースを見て、ショックを受けているacruxです。
いよいよ病院で対面を果たした二人ですが、この後一体どうなるのでしょうか?
次回をお楽しみに。