RECORD9:傭兵の規則
「ねえねえ。アレ見てよ」
「あの人かぁ…」
「え、どこどこ?」
「ほら、フィンちゃんの隣に……」
「ああ!へぇ〜……」
「す、すみません……」
「フィノールが謝る事は無いさ。それに、皆悪気があってやってるわけじゃないし」
フィノールとリースが病室を出た時から、ずっと好奇の目線とひそひそ話が二人を付きまとっていた。
どうやら眼鏡をかけた男の話は本当のようで、この病院にはすっかりリースの噂が響き渡っているようだった。
…まあ、リースが着ている物が場違いなせいかもしれないが。
目を輝かせてこちらを見る者、小さく手を振ったりする者、数人で固まって小声で話し合う者や、すれ違ってからわざわざ引き返そうとする者。
小さな子供から老人に至るまで、皆似たような反応だ。
そして彼の言った通り、その仕草や視線には一切の邪な感情が無かった。
どちらかといえば皆好奇心や憧れの目といった感じで、遠巻きに映画スターを見るようなその雰囲気には、リースが小さい頃に味わった気味の悪いものを見るような様子は微塵も無い。
それに正直言って、病室を出た時に最初にこういった目で見られたのはフィノールだったりする。
リースが病室を出た時、余程傭兵の服が珍しかったのか、フィノールの目がリースの姿に釘付けになったまましばらく固まってしまったのだ。
そのときの表情は、もしかしたら今浴びせられているものよりも数段強いかもしれない。
リースが大丈夫かと声をかけたらようやく反応してくれたのだ。
それも顔を真っ赤にしてわたわたしながら、「何でもないです!そ、それよりも早くここを案内しましょう!?」といまいち文法がまとまってない言葉を発しながら、リースを引っ張るように連れ出したのだった。
そして今。
リースはフィノールに連れられて、病院の中を彼女の説明を交じえながら一周している。
「レイナードさん。これで、西棟は全て周ったと思います」
「やっと三分の一クリアか……」
立ち止まって笑顔で振り返るフィノールに、後ろを歩いていたリースが小さなため息をついた。
ここが中々に広い所だということが、三十分以上歩いても未だ自分のいた棟しか周りきれてないリースには身に沁みて理解できた。
この病院は都市の総合病院並みに規模が大きく、六階建ての西、南、東の三つの棟からなるU字型の様相をしている。
中央には中庭があり、更にその真ん中にはこの病院のシンボル的存在の噴水が備え付けられているそうだ。
そしてこれほどの規模に拘らず、森の中に建てられている事で町からは木立の影で完全に死角になっている。
隠れ家にするならまさにうってつけだ。
これだけの広さがあるのなら、一つの町に住む全ての人を収められるのも納得できる、とリースはしみじみ感じていた。
「西棟はほとんど病室だけなんだな」
「そう…ですね。一応全ての棟に病室はあるんですけど、最も数が多いのはこの西棟になります。他には、手術室や検査室、医師が駐留したりする宿舎があるのが東棟で、交換待ちの機器や道具を置いておく倉庫、そしてそれらを運び込む搬入エレベーターがあるのが南棟、といった具合です」
リースの質問に、口元に手をあてて少しだけ考える仕草をとってからフィノールが答える。
「ちなみに、正面入り口と来客・患者用のエレベータがあるのも南棟なんですよ」
「そっか。南棟からなら両方の棟にすぐに移動できるから……」
「当たりです」
今日二度目の言葉を同じポーズで言ってから、フィノールが微笑む。
「それじゃあレイナードさん。そろそろ南棟に向かいましょう?」
「ん……そうだな」
山育ちのせいなのか、いくら階段を昇降しても、長い廊下を歩き続けても息一つ乱さないフィノールに、リースは少し苦笑いして再び歩き始めた。
「えっと、これが機材の搬入用エレベーターですね」
「随分大きいな……」
南棟の一階、目の前に鎮座している大きな鉄の箱に、リースが正直な感想を述べる。
この棟には幾つかの病室や機材の倉庫などがあったが、一際リースの目を引いたのは他ならないこのエレベーターだった。
ホールまで日が当たるように三階辺りまで吹き抜けにして、壁の変わりにガラス板を敷き詰めた正面入り口のすぐそばにそれはある。
高さはさして普通のエレベーターと変わらないが、大人二人半を横倒しにしたくらいあるその横幅にはただただ目を見張るばかりだ。
見たところグレーの扉は縦に二段階開く構造になっていて、まず下半分の扉を上半分の扉の位置まで引き上げてから、重なったそれをさらに引き上げて扉を開ける仕組みになっている。
そして、その巨大な搬入エレベーターの両端には一般人用の普通サイズのエレベーターが一基ずつ置かれ、大小計三基のエレベーターがリースの目の前にあるといった具合だ。
そしてやはり当然と言うべきか、左端のエレベーターの更に左には、上下に続く段差のきつい階段がその寂れた姿を覗かせていた。
この片田舎の病院がここまで広く、これだけ充実した設備を設けている事にリースはちょっとした驚きを覚えた。
「…あのさ、フィノール。一つ気になる事があるんだけど?」
「何ですか?」
横に立って同じものを見ていたフィノールが、首を少し傾けてこちらを見る。
「これだけ大きな病院だと、電力の消費とかが物凄いはずだろう?でもここは随分山奥だし……一体どこからそれだけの電気を手に入れてるんだ?」
「それはですね…町の近くを流れる滝に小さな古いダムがあるんです。そこで発電した電気を送電線でここまで引いてきてるんですよ」
今日三度目の人差し指を伸ばして語る彼女の仕草は、どうやら意図してではなく癖のようだ。
「十年以上ずっと使われていなかった施設なんですけど、町のそばにある発電所だけでは、工場と病院、町の全てに給電しきれなかったので、急きょダムを再始動してこの病院だけに送電しているんです」
それだけではないんですよ、とフィノールは続ける。
「ダムや送電線に何かが起きた時に騒ぎにならないように、この南棟の地下一階には発電機が備え付けられているんです。燃料を使って発電するのでいつまでも…とはいきませんが、その間に電力の復旧を急ぐ事ができますし、手術中の患者やエレベーターに閉じ込められた人でも安全に対処が出来るんです」
そう言ってフィノールは伸ばしていた人差し指を別の方向に向ける。
それを目で追ってみると、そこにはさっきの階段が人の気配もなく蛍光灯の明かりに照らされていた。
それを見てなるほど、とリースが納得する。
ここが一階にもかかわらず上下に続くその段差は、地面より下にも人工物があることを示す何よりの証拠だった。
と、その時不意にフィノールの表情が曇る。
顔を少し俯けて、人差し指を立てていた手を、唇に指を這わすように当てる。
どこを見つめるでもないその瞳は少し険しい表情で、真剣に何かを考え込んでいるようだ。
「……どうかしたのか?」
リースが声をかけるが、フィノールは反応を示さない。ずっと直立したままだ。
珍しい……のかどうかはリースには分からないが、彼女がこれだけ思考に耽ることはあまり無いような気がした。
それにこの豹変のしかた……ただ事ではない事を考えているのだろうか?
仕方なくフィノールに数歩近づいて、自分より頭半分ほど低い位置にあるその顔を、僅かに屈んで下から覗き込む。
「フィノール……?」
「……」
「おーい」
「………」
返事が無い。ただの……
といった冗談はいいとして、数十センチの所まで顔を近づけても無反応を決め込む彼女の集中力は相当なものだ。
ここまで近づいてみると、フィノールの容姿の細かい所まで見ることができた。
バランスが整っていて、それでいて綺麗で、更に清楚な出で立ちが間違いなく美人の分類に入るだろうその顔。
眉根に少ししわを寄せて考え込むその姿もなんとなく愛嬌がある。
少し細めの瞳には露草色の光を宿し、その苦悶の表情は心の中で必死に何かと葛藤しているようだった。
そしてそれは見ようによってはそれは恐怖の表情にも見えた。
リースがその眼前で手を振るが、それでもフィノールは固まったままだ。
それを見て、リースは辺りに誰もいないことをゆっくり確認する。
状況が状況だからだろう。春の日の燦燦と当たる正面入り口を出入りする者はおらず、受付にも明かりこそ灯っているが誰もいない。
東西に続く通路にも人気が無いことを認めたリースは、ため息を一つついてから両手を口元で軽く丸めた。
すうっ
「フィノール!」
「ひゃあっ!?」
「おわっ!」
大きく息を吸ってから発せられたその声は、一人の少女を現実に引き戻すのに十分な量だった。
……いや、十二分な量だったようだ。
突然間近で聞こえる声に、フィノールが頼りない悲鳴を上げる。
彼女の予想外に大きな反応にリースもつられて驚いてしまった。
そして、フィノールは大きく見開いた瞳で二・三歩後ろによろけた後、わたわたという擬音がぴったりな程に両手を振り回してから、辺りの景色を僅かに投影している床に勢い良く尻餅をついてしまった。
「フィ、フィノール……大丈夫か?」
「大、丈夫…です」
慌てて手を差し出すリースに向けられた露草色の瞳に光る粒がある時点で、今の言葉は嘘だとすぐに分かる。
「……って、仕掛けたのレイナードさんじゃないですか」
「いや、こうでもしないと気がつきそうに無かったから」
瞳に涙を溜めながら抗議するフィノールに、リースが後頭部を軽く掻いて答える。
リースの手を借りて立ち上がったフィノールに何事かと事情を聞くと、今度はあからさまに狼狽し始めた。
「わ、わ、私、そんなに固まってましたか?」
「あぁ、心の中で何かと葛藤してるみたいだった気がする」
リースの言葉に、乱れたストールを羽織りなおすフィノールの額に冷汗が流れる。
「下の発電室に何かあるのか?」
固まった時期から推測して、リースはその線が強いと考えていた。
そして案の定、彼女の表情が「ぎく」といったものに変わる。
「え、えっと……その、発電室はこの病院が建てられた時からあるんですけど、まだ一度も使われてないし、点検すら一回たりともされていないんです」
「確か、建てられて五年だったっけ?」
「はい。だから、何かあったらと思うと少し不安で……」
フィノールはそう言って不安そうに顔を陰らせるが、それくらいのことであんなに長い時間固まるだろうか、とリースは訝しんでいた。
その悩みだけでは、何かと葛藤していたようなフィノールの表情も説明できない。
しかし、リースはその事について深く考えない事にした。
気にならないと言えば嘘になる。
人間には「好奇心」という感情があるからだ。
でもその感情は、表に出していい時と悪い時がある。
リースには今は後者のような気がした。
だから聞かないことにする。
人間、誰しも一つや二つは聞かれてはまずい事を持っている。
それは子供から老人まで、老若男女全てについて言えることだ。
もちろん、それはリースにおいても例外ではない。
それを証明するかのように、リースは後ろ手に左腕を右腕で強めに掴んでいた。
「そうか。確かにそれは少し危ないな」
「でしょう?」
意図的に会話を合わせたリースに気付かずに、フィノールの顔が安堵の表情に染まる。
まあいいか、とリースは思った。
このまま話を続けて、さっきの事をうやむやにしてしまおうとする。
だが、それは唐突に起こってしまった。
「それなら、案内がてらに後で点検にでも行ってみるか?」
何気なく言ったその一言は、少女にとって地雷だったようだ。
「え……」
それも飛びっきり強力な。
「……え!?」
「…フィノール?」
ころころ変わるフィノールの表情にリースが戸惑う。
笑って、悩んで、驚いて、少し怒って。
今度のはなんだろう?
そんな不謹慎な考えがリースの頭を一瞬横切るが、答えは目の前で完成していた。
「て、点検ですか!?今日ですか!?私がですか!?今夜にですか!?」
完全に混乱している。
目は見事に渦巻き模様になり、瞳の涙は三割増し。
そして一言一言に合わせて壮絶なジェスチャーを繰り出す。
一言目と共に階段を指差し、二言目に自分の立っている地面を指差す。三言目で自分を指差し、最後は柱にかけてある時計を「ビシッ」といわんばかりに突き示す。
そんなフィノールの姿は、リースにとって見慣れた日常の風景を髣髴とさせた。
──リースさん!!
自分を見つければ千切れんばかりに手を振る彼女。
──わ、す、すみませんっ!!
成功よりも失敗ばかりが目立つ、たった一人の補佐。
彼女は今どうしているだろうか?
今でも自分のエイドでいてくれてるんだろうか?
リースの表情は自然に暗くなる。
傭兵の世界はとてもシビアだ。
恐らく軍隊よりも厳しいものがあるだろう。
死んだからといって二階級の特進もなければ自分の墓も無く、果敢に取り組み成功した依頼に対しては勲章一つ、労いの言葉一つたりとも与えられない。
軍隊よりも人数が多いSCでは、多量の人員を管理する為にとてもシンプルな決まりを作っている。
救難信号を受信すれば「第一次通告」を、それから二十四時間以上経てば「死亡通告」を、その傭兵に属するエイドに手渡す。
簡単なことだ。
この規則のお陰で、毎日山というほどの書類が作成される。
そしてその紙切れがエイドに手渡された時、そのエイドには二つの選択肢が与えられる。
「死んだ」ことになった主を待つか、契約を解消してほかの主に就くか。
数あるエイドの内、大半は後者を選択する。
だがそれは決して冷たい感情ばかりではない。
大抵は事務的な関係にしかないからだ。
傭兵に言われた雑務や事務をこなし、自分はその見返りとして賃金を貰う、単調な繋がり。
中には顔を数回しか会わせたことがない者もいる。
エイド達も仕事なのだ。
報酬が無ければ稼げず、生きていけなくなる。
通知によって死亡扱いになった傭兵からは賃金は発生しない。
つまりはタダ働き。奉仕活動。ボランティア。
余程の関係に位置しなければ居残る事を選びはしないのだ。
その点で彼女は──イルマは──どうなのだろうか?
数多くのエイドの中で、たった一人だけリースの格安賃金に手を挙げた少女。
時間的にはもう通知を受け取っているはずだ。
そのときにイルマはどんな反応を取ったのだろう?
他のエイドのようにもう離れているのだろうか?
だとしたら残念だ。
せっかくの只一人のパートナーなのに。
それに約束していた甘い物もまだ奢っていない。
……でも、もしかしたらそれ目当てで残ってくれているかもしれない。
──もう待ちくたびれましたよ。さ、早く行きましょう!
彼女は甘い物に対しての食い意地が張っているから。
足早にリースの前を行き、振り返って嬉しそうに微笑む。
──リースさん!もっと急いでください!
─リースさん!お店に人が並んじゃいますよ!
リースさん!
………
「リースさんっっ!!!」
「うわっ!!?」
突然叫ばれた自分の名前に、リースが頼りない奇声を上げる。
その後は完全にフィノールに「右ならえ」だった。
「いつつ……フィ、フィノール?」
派手に尻餅をついたリースが見上げると、そこには両手をメガホンの形にしたフィノールが目を丸くしてリースの事を見ていた。
「……これって結構効果があるんですね」
「…俺と違って怒鳴ったからな」
「でも、そうでもしないと気が付きそうにありませんでしたから」
微笑んでそう言った彼女の前には、ピンと立てられた人差し指があった。
「分かりましたか?人間誰しも考え事をすると周りが見えなくなるんです」
両目を閉じてリースのそばまで歩み寄るその姿は、立てた人差し指も相まってまるで何かを教える先生のようだ。
そのままリースに手を差し伸べて、さっきとは逆の構図で引き起こす。
「何回も呼んだんですよ、名前?」
「悪いな、気付かなかったよ……」
それだけ考えに没頭してしまっていたのだろうか?
だとしたら少し不覚だったな……
同じ事を仕返されるなんて。
そんな事を考えて、悔しさ半分、恥ずかしさ半分に頭を掻くリースに、フィノールがくすくすと笑う。
「これでおあいこですね」
「そうだな」
そう言ってから、二人はどちらからともなく笑い出した。
誰もいない南棟のホールに、二人の笑い声がしばらく木霊する。
ガラス張りの正面玄関の外では、斜めに差し込む夕陽が今にも消えそうになっていた。
そんな中、笑い終わった二人の中でリースが最初に口を開く。
「…じゃ、さっさと残りの東棟も周るか」
「はいっ!」
元気のある返事と共に、二人は再びフィノールの説明を片手に東棟の方へと歩き始めた。
隣を笑顔で歩きながら、東棟にある医師用の宿舎について説明するフィノールを見ていると、リースはこの町を守ってやりたいという気持ちの源が、親友の死の他にもう一つあるような気がした。
ちなみにリースが、頬を少し赤らめて、さっきよりも嬉しそうに歩いているフィノールに名前の呼び方を変えられたことに気付いたのは、随分後になってからだった。
※ここからは作者の見るに耐えない駄文ですので読み飛ばして下さってもなんら問題ありません。と言うより読んだ方が時間の無駄かもしれません。
久しぶりに深夜になる前に投稿できました。
本当はまだ続くのですが、長くなりそうだったので二話に分割しました。
しばらく言ってませんでしたが、感想、評価は作者の力の糧になります。
とことん、次回へ続きます。