2-4 美人系女医とふるさとの話
今日は休診日というわけではないみたいだけれど、病院内に患者はあたしだけみたい。もともと入院とか受け付けられないような小さな診療所だというのもあるけど、村中が今創村祭に向けてハイテンションだから体調崩す人もいないのだろう。これは自分自身もそうなんだけど、テンション上がってるときって体調悪いことに気付けなかったりするのよね。人間って不思議。
誰もいない廊下を抜け、あたしは診察室と書かれたドアの前に立つ。アリエラさんがいるとしたら、ここだ。
「アリエラさん」
ノックして入ると、机に向かってなにやら書類を書き付けていたアリエラさんが少し驚いたように椅子ごとあたしを振り返った。
「あら、局長ちゃん。もういいの? 外、暑いから、夕方まで休んでいった方が良いわよ?」
コーヒーらしき液体の入った白いカップを傾け、アリエラさんが言う。あたしは慌てて首を振り、近くの椅子に腰掛けた。
「あ、いえ、すいません。帰るんじゃなくて。この機会に、一つ、お聞きしたいことがありまして」
アリエラさんは立ち上がって作り置きのコーヒーをカップに注いで手渡してくれる。あたしはそれを受け取り、ほうと一つ息をついた。香ばしい匂いが、幾分心を落ち着かせてくれる。
「なぁに? 言っておくけど、妊娠でも不治の病でもなくてただの過労よ?」
「身に覚えがありません!」
思わず赤くなって狼狽するあたしを面白そうに眺め、アリエラさんは「じゃあ、どうしたの?」と首を傾げる。
あたしは無意識に、部屋を見回した。窓は全開、カーテンがひらひらと揺れている。外に人がいる様子もないけれど、あたしは何気なく移動して診察室のオマケみたいについている窓のない小さな処置室に移動した。
「あの……アリエラさんて、セラフィン出身なんですよね?」
「ええ、そうだけど」
処置室の寝台に腰掛け、「それが何?」とで不思議そうな顔で、アリエラさんは頷く。なんで移動したのかも不思議だろうに聞かないでいてくれる大人の心遣いが素敵だ。
「あの、ベイシス・バイブルって、有名ですか?」
「え? あぁ、まぁ……普通に教科書には載っていたけれど、一般市民にはあまり関係なかったわね。私だってこれでも一応貴族の出だけど、それでも友達がそれに関わる仕事をしていたから、少し見たことがある程度だし。あと学校に写本もあったわ、医療系の大きな学校だったから」
「見たことあるんですか?」
なんと、良いお答え! 思わず詰め寄ると、アリエラさんはたじたじになって肩を竦めた。美人さんは、こういうしぐさもさまになる。
「えぇ……私が見たのは、三分冊と、五分冊七分冊の写本だけだけれど」
「へぇ、どんな内容だったんですか、それ?」
素直に聞いたあたしに、アリエラさんは目を丸くする。
「あら? 知らないかしら?」
どうやら、その辺のことは常識らしい。う~ん、こんな顔されるくらいなら真面目に授業受けとくべきだったわ。
アリエラさんの話をまとめると、こうなる。
まず、一分冊。『始まりの書』と呼ばれている。いわゆる、天地創造神話らしい。らしいっていうのは、民間人はそれを見ることが出来ないから正確なところは不明っていうことだそうだ。これは、セラフィンの王宮魔術師たちが管理している。
二分冊。『地の書』。これは、実際の書物としてはどこにあるか不明。セラフィンも探しているみたいだけど、まったくもって見つかっていないみたい。一応、タイトルや他の本での記述を考えると、どうやら地理書なんじゃないかって話。
で、アリエラさんの見たことのある三分冊。『天の書』と呼ばれる本。空のことが書いてあるんだって。青い空のこと? って聞いたら、曖昧に笑って首を横に振られた。青い空のもっと上に、夜の星々が浮かぶもっと暗い空があるそうで、それについて書かれているらしい。なんだか想像もつかない世界だけれど、アリエラさんのお友達の王宮魔術士さんはその研究をしているっていうんだからまあ嘘ではないのだろう。セラフィン王室というより、そのアリエラさんのお友達個人が所有しているものだそうだ。
四分冊は、あたしも学校で習ったときの記憶がうっすらと残っていた。『水の書』。ズバリ、海についての書で、伝説の海賊ハーケンが持っているっていうやつ。ハーケンの童話は私もいっぱい読んだから、色々覚えてるんだ。ハーケンが隠したとかいやいや子孫に受け継がれているんだとか言われているみたいだけど、とりあえず所在不明。まぁ、ハーケン自体が実在したのかしてないのかあやふやな人物なんだけど。
五分冊は、『世界一幸せな料理』。その名の通り料理の本。それを聞いて、あたしゃ脱力しちゃったよ。なんで、世界の基盤といわれる神の書にレシピ集があるんだか。ちなみに、もっとも多くの写本が出回っているのがこれと、同率一位で六分冊の『幸福を呼ぶお菓子』というお菓子作りのノウハウ本らしい。……神様、何考えてんだ……
七分冊は、セラフィン王室所有だけれど国内にある医療都市リッツベインの医療学院に保管されている『生命の書』。広く生命について書かれた本で、この写本を簡略化したもので医療学院の生徒たちは授業を行うらしい。アリエラさんはリッツベインの医療学院の卒業生で、だから写本を見たことがあるんだって。でも、内容はとてつもなく高度で、教授たちも全部理解しきれていないそうだ。いやぁ、命ってのは奥が深い。
八分冊は、『忘却の書』。七分冊が広く生命について書かれているのとは対照的に、これは広く精神について書かれているらしい。まだアリエラさんが生まれるずっと前はセラフィンにあったそうだけど、盗まれて各地を転々としているそうだ。大抵宗教関係の組織とかに渡るみたいでセラフィン王家もその辺は掴んでいるらしいけれど、特に必要な本ではないってんで放置しているんだって。あたしは、レシピ集よりよっぽど大切だと思うんだけどなぁ。学者の考えることはわからん。
「それで、九分冊は?」
知らず緊張していたのか、あたしは乾いてきた唇をぺろりと舐めた。不謹慎にも、少しわくわくしてくる。自分が関われるかもしれないものだ。どうせなら、面白いものがいい。まあ、別に読めるわけじゃないけど。
「九分冊は、セラフィン所有ということになっているわね。私の友人の話によると、実際は何年か前に焼かれた事件があってもうこの世には存在していないそうよ」
そっか、この世にないのか。だから写本なのに、そんなに重要なのね。興味深く頷いていたあたし、アリエラさんの次の言葉に思わず固まってしまうことになる。
「九分冊は、『終末の書』。世界の終末――つまりこの世の滅亡について事細かに予言されているそうだけど」
……世界の滅亡?
というと、あれか。予言書の類いか。そういうのって好きな人多いけど、本当に起こるかどうかもわからないこと言われたってねえ、対処のしようがないじゃない。
あれ? でもベイシス・バイブルって神の書なんだっけ? てことは本当に起こるかどうかもわからないわけじゃなく、確実に起こることなのかな。
そこまで考えて、一気に血の気が引いた。なんじゃそりゃ。なんてものを、フィルさんはあたしに運ばせようっていうんだ。
「その兆候が出たら片っ端から阻止すればいいんじゃないかってことで、『終末の書』があれば理論的には世界の終末を止められるっていう話だけれど――って、大丈夫?」
あまりのショックにぼんやりしているあたしの目の前で、アリエラさんが軽く手を振る。
だって。その九分冊があればいつか来るかもしれない世界の破滅とやらについてわかるんでしょう? アリエラさんの話だと、『いつか』を回避すうこともできるかもしれないみたい。でも逆に、『いつか』を早めて『今』にしてしまうことも出来るかもしれないし、自分だけ助かるなんていう芸当も可能かもしれない。そんな危険性を持つ本は国家的――ううん、国境とか関係なしに脅し材料になるはずだし、欲しいと思う人はきっとたくさんいる。
……狙われたってしょうがないわなぁ。
ショックが落ち着いてくると、今度はじわじわと疲れてきた。
そうよね、そりゃ狙うよ。身内のいない女の子一人襲えばそんなものの写本が手に入るとしたら、そりゃ襲うわ。だって、たとえ自分がそんなものに興味がなかったとしても、どう考えたって高く売れるもの。
なんだか、他人事のように妙に納得してしまう。
あー。あたしやばいわ。
「長話で疲れた? そういえば、何が聞きたかったのあなた」
「……いえ、もういいです――じゅうぶんですから」
自分でも、一体何がじゅうぶんなんだかよくわからない。けれどアリエラさんはきっぱりと言ってのけたあたしにあえて何か問いただす気もないようだ。綺麗な指であたしの下瞼を下ろし裏をしげしげと眺めた彼女は支えるようにしてあたしを立たせた。一瞬眩暈はしたけれど、すぐに立ち直る。
「たいしたことないけど強いて言えばまだ貧血気味ね。とにかく、休みなさい。隈がひどいわ」
そう言って、さっきまで寝ていたベッドの部屋までアリエラさんは親切にもあたしをずっと支えてくれた。美人な女医さん、つまり綺麗で頭が良くてしかも優しいだなんて憧れるなぁ。
ベッドに寝かされたあたし、静かに目を閉じる。アリエラさんはとっとと部屋を出て行ってしまったので、部屋に一人きりだ。正直に言えば怖いと思うけれど、ここで原因であるフィルさんの頼まれごとについてアリエラさんにペラペラ話すわけにもいかないし。口止めはされていないけれど、アリエラさんを巻き込んでしまうのは良くない。
しかし、九分冊かぁ。どうせだったら五分冊とか六分冊の方がよかったな。だって、美味しい料理のレシピ欲しいもの。幸せな料理食べたいもの。それがよりによって、世界の終末だのなんだの面白くもなんともなさそうな……正直、スケールが大きすぎて、よくわかんないのが本音だけどね。
身体はだるいのに、眠れない。妙に頭が冴えちゃって、あたしは悶々と枕に顔を押し付けた。
あぁ、どうしよう。
頭の中で、一生懸命整理してみる。
ベイシス・バイブルのことは、わかった。いくら写本といえど、九分冊は確かに不特定多数の人間に狙われても仕方のないシロモノ。それから、ディクスはこの村の人間があたしの水浴びを覗くなんて無謀なことをするはずがないと言ったけれど、現に何者か――おそらく、この村の人間以外の誰かがあたしのこのぴっちぴちの若いお肌をただで鑑賞しやがったのも事実。これが別に繋がりのない小さな事件だったら、あたしだってここまで気にしない。
もしもこの二つの出来事に繋がりがあるとしたら、その繋がりっていうのがフィルさんというあの人だとしたら、すっごく辻褄が合うのだ。
『ベイシス・バイブルを狙った何者かが、郵便局でその配達を担うと知って下見に来たら偶然水浴び途中だった』
……はぁ。仮定がきれいにまとまったからって嬉しくもなんともない。
もしもその仮定が正しかったとしたら。あたしは局のことを思った。
配達予定日である創村祭の日は、ウチの郵便局はもう申請を出してあるから休みだ。だから、今回の件は、たいしたことないと思ってあたしが個人的に請け負った頼まれごと。つまり、一応関わっているのはあたしだけなんだけど、そんなことその何者かがいちいち考えてくれるわけないよな。
「……困ったなー……」
いいとこのお嬢様なルティシア、ぼんやりしているナル。フィーアは、ボーイッシュとはいえれっきとした女性だし。卵体型だからかなんとなく衝撃に弱そうな気がしてならないジークさん、ああ見えて単純で気が短いジン、ナルとタメ張れるくらいのんびり屋のユウキ。ケインなんて、子供が生まれたばっかりだから、危ない目になんてあわせられない。
ああ、それに。毎晩、危険と背中合わせに夜中に一人で飛竜を駆るディアン。
巻き込みたくないんだけどな。
フィルさんが局に来た日の夜にはもう、何者かはウチまで来た。きっと、これから配達し終わるまであたしは見張られたりもしかしたら狙われたりするんじゃないかな。ってことは、他の局員である皆だって危ないのかもしれない。ベイシス・バイブルをフィルさんに配達するっていうことは、何も関係ない、そもそも何も知らない皆を、危険に晒すことになってしまう。
あたしは、頼られたことに舞い上がってそんな仕事をほいほい受けてしまったのだ。我ながらなんて浅はかなんだろう。
でも、だからと言って、みんなに事情をベラベラ話すのも抵抗がある。だって今なら、みんな見知らぬ人に何言われても知らぬ存ぜぬで通せるかもしれない。だって、実際知らないんだから。知らないっていうのは、ある意味もっとも固い防御だわ。ある程度までなら無関係でいられるんだもの。
まぁ、問題はその何者かが『ある程度』で引き下がってくれるか、ということなんだけど……
うんうん唸りながら考えていたあたし、ふと我に返って愕然とした。たかが仮定に、あたしはなんでここまで悩んでるんだろう。
あくまで仮定なんだから。気にしすぎるのも、問題だわ。うん、きっとそう。たぶん。
そういうことにしておいて、とりあえず今は眠ろうと目を閉じる。
頭は冴え冴えとしていたはずなのに。
やっぱり徹夜は身体に良くないのかな。ふと我に返ったときには、既に窓から差し込む光がオレンジ色をしていた。
フィーアねーさん。
書いた当時好きだったサイトのヒロインと名前が被っていることに公開してから気付き、あわあわ謝った記憶がある。
一番最初は、風の精霊使いだった。だから室外にいる配達員と連絡とれるという。
だけど世界観がちょっと違う気がしたので無線にかえた。結果、精霊魔法よりも違和感があった……
■ フィーア ■
「変に手を出してボロを出すよりは自警団に直接捕まえてもらった方が確実だわ」
郵便物の区分と、配達隊との無線連絡を担当。
無線いじりが趣味で、ヒマさえあれば機械をいじっている。
長身でボーイッシュ、カッコイイ系32歳。独身。