2-2 ペパーミント系男子とお邪魔虫
じりじりと照りつける日差しが、鬱陶しい。こんな中、舞台設営している人たちは気の毒だ。倒れる人が出ないといいけど。
「あんたさぁ……」
あたし、うきうきした足取りで数歩先を歩く自分の秘書を眺める。緩いカーブを描くけぶるような金髪も宝石みたいな鮮やかブルーの瞳も人形みたいに美しい容姿なのに、着ている服はいたって地味。白シャツ黒ベスト赤ネクタイ、パニエを仕込んだ長い黒のフレアスカート――早い話制服姿。それってつまり、まだ仕事中ってこと。なのに、すらりとした手には、どうひいき目に見ても業務には関係なさそうな包み。きれいな布に包まれたそれからは、紙に包まれたパンがはみ出している。。
診療所に向かうには、舞台設営現場の横を通らないとならないからね。どう考えても、差し入れでしょ。
「あたしを利用してないか?」
ああ、やっぱり、あたし疲れているみたい。なんかそれだけのことですっごくイライラするわ。
ダルいもんでゆっくり歩きたいあたしを無視して足早に診療所の方へ向かうルティシア。おーい、あんたがあたしを病人扱いしたおかげでこんな鬱陶しい天気の中で外出するんだから、ちょっとは気を使いなさいよ。
「何を仰るのかしら?貴女が軟弱なのがいけないのでしょう?」
「軟弱って……」
寝不足なうえに日差しはじりじりと肌を刺し、挙句の果てに早足で。このマイナス要素の連続にはさすがにあたしもムッときて、ぴたりと立ち止まった。誰だって、寝不足で仕事責めにあえば肉体的にも精神的にも疲れるわよ。それに、あたしはお嬢様と違ってその辺駆け回って大きくなったんだからね。体力には自身ある方。軟弱だなんて、失礼すぎる。
「しょうがないでしょ、あたし一睡もしてないんだからね。」
「あら、今日も仕事があるのはわかっているでしょうに。自業自得ですわよ」
きた。今のはカチンときた。何にも知らないくせになんでも自業自得にされて、さすがに腹立った。ルティシアの言い方だと、まるで、覗かれたのさえあたしが悪いみたい。
「昨日覗きが出たの! 気になって眠れないのもあたしのせいだって言うわけ?」
あたしは足をだんだんと踏み鳴らして、怒りのあまり腕を振り回した。
そりゃ、親元を離れていたって使用人と暮らすお嬢様にとっては、覗かれたくらいで怯えるなって話なのかもしれない。でもあたしは独りなのだ。祖父がいたら、覗きくらいでギャーギャー言わんよ。でも、あいにく、あたしは独りなのだ。
「のぞき……?」
ルティシア、きゅっと形の良い眉をひそめて呟く。次にあたしを襲うであろう毒舌が簡単に予想できたので、あたしはフンと鼻を鳴らして歩き出す。
「そうよ、世の中変な趣味の人だっているらしいね」
どうせ、ルティシアのことだからあたしを覗くだなんて物好きだとか変わり者だとか言うに違いない。けどまぁ、あたしは小柄な割には出るとこ引っ込むとこがはっきりしているし女の一人暮らしだし、ターゲットとしては上物じゃないだろうか――あぁ、自分で言っててむなしい。
「……」
しかしルティシアは予想外に、黙って何か考え込んでしまった。立ち止まって動かない。何かしら。新手の皮肉ネタでもあるのかなぁ。
「シア?どしたん?」
あたしの問いに何て答えようとしたのだろう、思った以上に怪訝なまなざしのルティシアが口を開きかけたとき。
「チェリス、それにルティシアも」
唐突に、あたしの肩が叩かれた。こんなぎらぎら暑い日にも、爽やかで涼しげな声。匂い嗅いでみたらペパーミントの香りがするに違いないってほど爽やかな空気をまとった顔見知りが、あたしの隣にスッと立つ。
ディクスという名の彼は、ディアンの双子のお兄さん。ディアンより一回り小柄で、そのかわりディアンより一回り整った顔立ち、そんな人。薄汚れた作業着を着ているのに、その爽やか好青年ぶりはまったくの衰えを見せていない。
「ディクスさま」
追記。ルティシアの思い人。
ルティシアってば頬を赤らめ、眉間に皺を寄せていたのなんてすっかり忘れてしまったかのような顔をして駆け寄ってきた。
「設営、お疲れ様です」
言って、抱えていた包みを差し出す。
「これ、その、よろしかったら召し上がってくださいまし」
「ありがとう、いただくよ」
……ペパーミント更に二割増。
爽やか笑顔で、ディクスはルティシアから包みを受け取った。あーあ、ルティシアったら顔が真っ赤。もじもじと俯いちゃったりして、いつもとは別人みたい。普段のあの、鬼秘書っぷりを是非ともディクスに見せてやりたいものだわ。
「チェリスはなんかないの? さしいれ」
呆れ半分感心半分ルティシアを眺めていたあたしを、ディクスが覗きこむ。ぶわっとルティシアがあたしに向かって殺気を放つけど、ディクスは気付いていない模様。気付いてくださいよ、この鈍感ペパーミントめ。
「そうねー……はい、のど飴。それじゃあ、あたし急ぐから……シアはゆっくりしてていいわよ」
ポケットにちょうど入っていた溶けかけののど飴をディクスに押し付け、足早にその場を去ろうとする。だって、ルティシアってば怖すぎるんだもの。
まあ、仕方がないか。
唇を尖らせ、嘆息する。本当のところを言うと、あたしは少し、彼女がうらやましい。
十三歳から三年間、ディクスは隣町の有名な学校に通っていた。通うといっても少し距離があるので、正確には隣町に下宿して休日だけスピリーツェに帰ってきていたのだけれど。
その学校はこの村にある学校よりもよっぽど濃い勉強内容を誇る学力の高い高~い学校で、ディクスは教師になりたいからってそこに通うのを希望したのよね。その学校に通うため都会から別荘に越してきてたルティシアは、学校でディクスと出会ったみたいで、何やら恋に落ちてしまったそうな。卒業後彼がスピリーツェに帰るつもりだと聞いて自分もこんな田舎くんだりまでついて来ちゃうんだから、ものすごーく好きなのね、ディクスのこと。
初めてルティシアに会ったときはかなり驚いた。いかにも都会のお嬢様然とした彼女が思いっきりあたしを睨んでいたんだもの。あたしがディクスと仲が良かったから腹を立てていたみたいだけど、そんなん友達だから仲良くて当然だっての。
ただ、あのときはねぇ。あたしもなんていうかもっと精神的に若かったのよね。そもそも、ディクスって村の女の子の間では憧れの的だったからそのことできつくあたられるのは慣れていたし、凹むことはなかった。村の外から来た人に彼を取られちゃうのは友達としてもなんとなく悔しかったから、少ぅし、張り合ったりしたりしなかったり。まあそんな出来事もあったようななかったような。
――馬鹿馬鹿しい。思い出すのやめよう。どちらにしろあたしにはもう関係のない世界の話だ。
恋愛っていうのは、恐らく暇な人間もしくはそういう余力のある人間の特権で、暇でもなければ毎日がいっぱいいっぱいのあたしには関係ないのだ。
一瞬考え込んだからだろうか。なんとなくめまいがしてあたしは瞬きした。
「チェリス?顔色悪いけど……」
「うん、少し睡眠不足」
慌てて取り繕うあたしの腕を呆れたように支えながら、ルティシアがディクスを見つめる。
「だ、そうなんですけど……ちょっと、気になることを仰いますのよ、この子」
――気になること?
言う元気にもなれなくてきょとんとルティシアを見るが、彼女はディクスから目を離さない。まぁ、確かにあたしなんかよりずっと目の保養でしょうよ。
「水浴びを覗かれた……ですって」
「嘘じゃないわよ」
一応、付け加えてみる。その声がきっと力なかったのだろう、ディクスがルティシアの反対側からあたしを支えた。何よ、二人して。支えてくれなくたって立てますよーだ。やんわりと二人を振りほどき、あたしはため息をつく。
「びっくりしたんだからね、緊張で目が冴えちゃって眠れなかったの」
まったく情けない、そう付け加えようとしたあたしは言葉を飲み込む。ディクスがあたしを見つめていたのだ。
困惑したような、真剣な瞳。その瞳に気圧されたように一歩下がるあたしから目をそらし、彼はルティシアに視線を送る。彼女はすべてわかっているとでも言いた気に頷いた。
ごめんなさい、本人わかってないので目で会話しないでください。
「チェリス、それはおかしいよ」
いや、確かに色々おかしいけどね。とりあえず、覗きをする人が一番おかしいかな。だからあたしを責めないでください。
「そういう意味じゃなくて。あのね、君にはそういうつもりはないんだろうけど、ロージアス家と親しくてルティシア――ヤンネル家とも関わりがあるんだから、チェリスはこの村でも指折りの有力者なんだよ」
へ?
首を傾げるあたしを小突き、ルティシアは呆れたようにディクスの言葉を継ぐ。
「ですから、大袈裟に言わせていただくと貴女は片田舎で一人暮らししている年若い女の子とはいえ、ロージアス家ヤンネル家両方のバックがありますのよ。そんなの、この村の住人の誰もが知ってます。普通、そんな子の家を狙います? デメリットが大きすぎますわよ」
……言っている意味がわかんない。眉根を寄せたあたしに、イライラした口調のルティシアはなおも続ける。
「もう、鈍いですわね。例えば貴女が何者かに殺されるとしますでしょう? ロージアス家も、不本意ですけど我がヤンネル家も、犯人を探し出し裁きを与えようとするでしょうね。それをわかっていながら貴女を狙うなんて普通だったら考えられません、そういうことですのよ」
あたしが、殺される?たとえ話だとわかっているのに、心臓が、どくんと跳ね上がる。昨晩のフィルさんとのやりとりを思い出して――あぁ、そうよ。覗きだなんだで忘れていたけど、急に思い出した。
ベイシス・バイブル。
――頭がくらくらする。
「チェリス、意味、わかった?」
ディクスがあたしの目を覗きこむ。
うん、わかった、わかったわよ、ベイシス・バイブル。なるほど。こりゃやばい。
「この村の人間なら誰もが知っているんだ。君がウチと親しくて、ルティシアの雇い主だってことは。なのに、君は水浴びを覗かれた――」
フィルさん、あたしに、そんなものを運べというの?
「こんなこと、この村の人間がすることとは到底思えない」
ほら、辻褄が合う。この村の人間がするとは到底思えないことをする人間が、なぜ、この村に『今』いるの? 答えは簡単、もうすぐベイシス・バイブルがこの村に届くから。
ベイシス・バイブルを狙う連中――フィルさんの話からするとどうやら目的のためなら人殺しも厭わないような連中が、この村にいるのよ。今、この瞬間にも!
全身が、総毛立つ。
フィルさん宅に届く前、ベイシス・バイブルは郵便局に運ばれて。あたしは郵便局に、女の子一人で住んでいて――それって、絶対やばい。狙ってくださいって、言っているようなもんじゃない。
ディクスが、形の良い唇を動かしている。あれ、おかしいな、聞こえない。キーンって音がするだけ……そうか、耳鳴りがしているんだ。
あれ? そういえば、ルティシアはどこへ行ったのかしら。視界のどこにもいない。誰かが肩を掴んでいる。誰かは、見えない。
見えない――聞こえない――頭がくらくらする――
あ、もしかしてあたし、貧血?
最後に見えたのは、ディクスの焦ったような顔。
やっと出てきたメイン4人目。
話が無駄に長くなるので省いてしまいましたが、設定はヤンデレ。いらぬ情報です。
■ ディクス・ロージアス ■
「君は僕がいなくてもやり遂げてしまうだろう?そんなの、癪じゃないか」
ディアンの双子の兄。まだ学生の身分なので他の登場人物に比べると暇そう。
見た目も性格も頭も良くて、だけど背は低い。
弟と同じくチェリスに恋心を抱いているが、まったく気付かれていない上に常に弟に負け気味。
しかも局員じゃないので出番も少ない。
ある意味かわいそうなキャラ。