2-1 不気味系女子とデキる秘書
ふっ……、
くくくくくくくくく……、
ぷっすー。
うふっ、うふふふふふ……
お客さんが途切れたのをいいことに、ナルが低く笑い続けるあたしを不気味そうに振り返る。まあ、その反応はまだマシな方か。ルティシアなんて露骨にあたしと距離を取っているもの。
昨夜から一睡もしていないからなのだろうか、あたしはいわゆるナチュラル・ハイになっていた。すべりの悪いペンで書類を殴り書きしながらも、なんだかとても楽しくて常に笑っている状態。自分でも何が楽しいんだかさっぱりわからない。なのに、やたらと笑えて仕方がなかった。睡眠不足って怖い。
昨晩誰かに水浴びを覗かれたあたし、部屋に駆け込んで鍵という鍵を閉め隙間なんてどこにもないってくらいにカーテンを引いたにも関わらず、妙に目がさえちゃって。ハッとノックの音に我に返るともう空は白み始めていて、集中局から帰ってきたディアンが不審そうに明かりのついたあたしの部屋を伺ってたってわけ。
徹夜よ徹夜。もう、創村祭を目前にしたこんな大事なときに。てか、どうせ徹夜するなら仕事するんだった! 時間を無駄にしてしまったではないか。ちくしょう変態覗き野郎め。いや女性の可能性もないわけじゃないけど。
結局そんなわけで、なんとかバイブルのことは思い出せず。創村祭は明々後日だから、ここにそれが着くのはおそらく明後日。まあ、とりあえず時間はあるから焦らず思い出そう。
「ちょっと貴女、顔色悪いわよ……少し休みなさい。倒れられたら迷惑ですもの」
ルティシアが書類片手にうんざりとした口調で言ってくる。
「別にそんなことないよ、あたしは元々色白系美少女なの」
「頭の方がやられてしまったのかしら」
あたしの軽口に真顔で肩を竦めたルティシアが、手帳をめくり始める。それを見たあたしは口の中で「うげ」と呟き、書類の山に突っ伏した。
誰が名付けたか――というか被害者はあたししかいないから名付けたのはあたしなんだけど、『局長メモ』というそれは見たところ何の変哲もない小さめのノート。しかし、実はあたしが世界で一番恐怖を抱いているのがこの安っぽい帳面なんだから侮れない。中を覗き見ようだなんて思わないけれど、恐らく整った字でびっしりとあたしが今日やらなければいけないこと、提出期限までに余裕はあるけれど早めに終わらせた方がいい書類、会う予定の人たちの名前なんかがずらーっと書かれているはず。まだ一年しか経っていないというのに、もう何冊目だろう。両の手足じゃ数え切れないのは確か。
「午後イチ……時間、空いてますわね。アリエラ様の所に行きますわよ。連絡は入れておきますから」
サラサラと、何やら書き込んでいる。アリエラ様というのは、この村唯一のお医者様。風邪っぴきから持病の癪まで、なんでもござれの名医さん。もっとも、この村唯一のお医者さんなんだから名医もへったくれもないんだけど。
アリエラさんはまだ四十代の美人さんで、クール・ビューティーとの呼び声名高い。あたしがこの村に来るより前から開業していたらしいけど、元は別の国から渡ってきた移民だそうだ。余所者なのにスピリーツェの村人たちの信頼を勝ち得ているあたり侮れない人だと、同じく余所者のあたしは思っている。
「ンな大袈裟な。ただの睡眠不足よ」
ペン先で机の上を叩いて、唇を尖らせる。確かにちょっと眠いけど、診療所に行くなんてとんでもない。その間に何枚の書類が処理できるのだ。ちょっと睡眠不足だからって医者にかかってたまるもんですか。
「大袈裟ではありませんわ。だいたい、同じ事務室で働く身にもなってくださいまし」
「そうそう、局長ちゃんちょっと不気味よ?」
「いつもと様子違いますよ~」
でも、タイミングを読んだのか、ルティシアだけでなく今まで黙っていたナルやフィーアまで口々にそう言ってくる。
いつもと様子が違う? いつもってどんなよ。
あたしは机の中から煙草を取り出して首を傾げた。まぁ確かに、昨日の覗きはちょっぴり衝撃だったけど。寝不足で疲れているのはいつものことだ。うん、何も変わらんな。大丈夫。
煙草を巻きながら、みんなに向かってひらひらと手を振る。
「結論。大丈夫」
「貴女に決定権はありませんわ」
にっこり、ルティシアはきれいな――けれど反論する気にもなれないほど凄みのある笑顔で微笑んだ。
「貴女のスケジュールは、すべてあたくしの管理下にあるんじゃなくて? そうしてくださいって頼んできたのは貴女の方じゃないの」
うぅ、左様でございます。反論の余地はございません。あたしは計画的行動だの時間配分だの苦手だから、任せきっているんだよねスケジュールとかそういうの。おかげさまで提出書類の締め切り破りはせずにすんでいるんだけど。
勝ち誇ったようなルティシアの笑顔の前に、あたしは肩を落としてうなだれる。
「……わかったわよ……行けばいいんでしょ……」
くわえた煙草に火を点けて、仕方なく呟く。
笑う気なんてすっかりなくしてしまったあたしに安心したのか、三人娘は目配せしあってからそれぞれの仕事を再開した。
地味な仕事だけどさ、窓口業務って何気にすんごく大変だよね。
窓口系女子、応援しております。
■ ナル ■
「だからぁ。禁制品でもないのにぃ、配達しないのはダメですよぉ」
いつもにこやか、のんびりのほほん。
郵便局の窓口と、コーヒー担当。24歳。
喋りも頭の中も間延びしているけれど、意外とテキパキしていたり鋭かったりもする。