1-4 クレイン嬢、覗き被害に遭う
不揃いのくすんだ金髪はパサパサで、切るのが面倒なのか少し鬱陶しいまでに伸びたそれは麻紐で結ばれている。おしゃれに縁はなさそうね。無精ひげといいよれよれの服といい、お世辞にも素敵な白馬の王子様とは言えないけれど――なんだろう、すごく知的な目をしている。怯えのような色に染められているけれど、聡明そうな黒の瞳。学校に一人はいる、『アタマ良い人』って感じ。
「カーテンを、閉めてください」
「え?……わかりました」
男の言うとおりに、あたしは開いていた職員用の入り口付近のカーテンをぴっちりと閉めた。ディアンは、さっきこの出入り口から出て行った。男を「ヘンなことしたら生きたまま飛竜の餌にしてやる」と真顔で脅してから行ったので、まぁこの小汚い男にあたしがどうこうされるということはあまりないだろう。飛竜は肉食じゃないことを男が知っていたら話は別だけど。
さて。
あたしはティセット一式をお盆に載せ、応接用のテーブルに運びつつ考えた。子供の頃からこの村にいたとはいえ、年数だけで考えたらあたしは数年前にここに来たばかりの新参者。ただ、職業柄けっこう顔は広い方と自負している。プラマイゼロ。
それなのに――うーん、見ない顔なのよね、この男。
「それで……ご相談というのは」
お茶を注ぎながら問いかけると、男は目線をきょろきょろとあたりに動かしながら口ごもる。
「その……何から話せばいいのか。あ、すいません」
あたしの差し出したお茶を一口すすり、男は困ったように目を伏せる。
困っているのはあたしの方だ。そのご相談とやらの見当もつかないんだから、何から話せばいいのかなんてあたしにわかるわけがない。とっとと始めてくださらんか。
憮然としたあたしを見て、男は少し微笑んだ。
「あ、すいません。申し遅れました、僕はフィルと言います。学者をやってます」
「ご丁寧にどうも。あたしはチェリスです。ご存じの通り郵便局長です」
つられて深々とお辞儀をしながら、あたしは思わず暴れたくなった。見合いか、これは。趣味は料理で特技は飛竜乗りですとか言わなきゃならないのかこの状況。
「学者というと響きはいいんですけど……正確には、親の遺した資産を食い潰しながら研究をしています」
「へぇ、学者さん」
あたしはやっぱりと頷いた。あたしの見立てはそう間違ってなかったようだ。アタマ良さそうってやつ。
「ベイシス・バイブルというのをご存知ですか? それを研究しているんですよ」
「へー」
今度は曖昧に相槌を打つ。実のところ、あたしは勉強があまり得意ではなかった。学校の授業はもちろん、郵便局の研修だって学科はぎりぎり。郵便約款は頑張って読んだけど、あとの指導書なんて数ページでぐっすり眠りの住人。
「考古学の観点から読みほどく研究所の出身なんです、そもそも恩師のリコッタ先生がご存じの通り著名な考古学者でして……」
そんなあたしに向かって難しい話なんてしないでほしいものだけど、フィルさんにとっては自分の研究について話せるいい機会なんだろう、目をきらきらさせて話し続ける。
「とはいっても、僕自身は写本すら実際目にしたことないのが現実なんですけれど……まあ、こんな片田舎の若い学者にはセラフィン留学なんて夢のまた夢ですからね」
う~ん、まったく意味がわからないのですが。まず固有名詞がさっぱりわからない。あたしの沈黙をどう勘違いしたのか、フィルさんは慌てたように早口になる。
「あ、すいません、脱線してしまいましたね」
……脱線、してたんですか。気付きませんでした。
「それで……その、ずっと探していた九分冊の写本が人伝に手に入ることになりまして」
「ふぅん……」
九冊もあるのね、そのなんちゃらバイブル。まったく意味がわからないあたしには、急にフィルさんが声のトーンを下げたわけもさっぱりわからない。とりあえず、聞こえにくいのは確かなことで、あたしは心もちフィルさんの方に身体を傾ける。
「はじめは、傭兵に頼むという話だったんですが、流れの者だと逆に殺されて奪われてしまう可能性が高い。だから、公共機関である郵便局を利用することになったんです。ですから、そのことを承知しておいてもらいたくて……」
「? ……はい」
「他の人が祭に気を取られている間を狙って、創村祭の日に配達されるように向こうは発送してくれます」
あ、そういえばお祭りはじまりの挨拶考えないと。
「……創村祭の日、うち、休みですけど」
間髪入れずに答えると、フィルさんは気の抜けた声をあげる。
「……え?」
口をあんぐり開けて、目を見開いて。彼は呆然と動きを止めてしまった。
そんな顔されたって……ねぇ? 仕方がないじゃない。
郵便局の休日っていうのは、基本的に週に一日。それと、局は開けるけれど個人の休みというのがそれぞれ月に二日。その他に、村や町に特別な行事のある場合は申請を出せば連続三日間まで局を休業にすることができる。創村祭は年に一度の大きなお祭り、伝統的にスピリーツェの郵便局はその日に休業なの。祖父よりも前の代から、ずっとそう。あたしのせいじゃない。
フィルさんは、相当ショックだったのかがっくりと肩を落としている。なんだか気の毒になってきてあたしは彼を覗き込んだ。
「そんなに大切なものなの?創村祭の日に配達ってことは前の日に届いてるはずだし……取りに来る?」
「滅相もない!」
何がそんなにご不満か、フィルさんてば壊れた玩具のようにカクカクと頭を左右に振る。捻り切れちゃわないかしらなんて、いらぬ心配しちゃうほどの勢い。
なんだかあたしは拍子抜けしてしまう。なによ、気を使って言ってみただけじゃない。
「嫌ならいいけど。それとも、あたしがお届けします? 必要だからわざわざ確認に来たんでしょ?」
休日といえば休日だし創村祭の役目はあるけれど、本の一冊や二冊届けるのを渋るほど忙しくもない。お客様には平等になんていう郵便局のモットーからいくとあたしのしようとしていることは間違っているのかもしれないけれど、まあたまにはいいじゃない。せっかく頼ってくれているんだもの。
「……よろしいのですか?」
「どうぞ」
あたし、笑って頷く。
恥ずかしいんだけど、正直な話、内心では舞い上がっていた。
だって、あたしは局員からもお客さんからも『局長ちゃん』扱い――まだ『女子供』の域を抜けちゃいない、そんな扱いしか受けていないんだもの。そんなあたしを、フィルさんはわざわざ夜中にやって来てまでこんなに頼ってくれているんだなぁと思うと、少しのわがままくらいどんと来いな気持ちだった。
「局長さん……ご迷惑を、おかけします」
だからあたしは、うんと気が大きくなってきて、どーんと胸のあたりを叩いて見せたのだった。
「何言ってるの、それがあたしの仕事よ」
***
住所がわからないと届けられないよね、そう言ったあたしに住まいを答え、フィルさんはくれぐれもよろしくと深く頭を下げてから不安そうに帰って行った。
当たり前だけど局にはもうあたししかいないから急激に静けさがあたりに満たされて、今が真夜中だということを思い出す。感じられていた熱が急激に冷めて、あたしはなんとなく身震いする。今日はもう休もうかな。今から書類仕事しても気持ちがから回る気がする。
いつも通りにしっかり鍵をかけ、事務室の明かりを落とした。静かな事務所の闇の中で、時計の音だけがやたら大きく響いている。
あーあ、こんな時間じゃ浴場閉まっちゃってるわよね。仕方ないから今日は水浴びで我慢だわ。
それにしても。
フィルさん、あの人、なんなんだろう。
水浴びのために道具を準備し、盥に水を張りながら、あたしはふと考える。
考古学者って言ってた。あたしは自分を捨てた父親が学者に近いことをしていたから、あんまり学者の類い好きではない。けれど、まあ、職業で判断してしまうにはちょっと気の毒な感じの、普通の人だったな。記憶にある父親みたいな、世間知らずの変わり者って感じは少しあったけど。
えっと、何バイブルだっけ……学校で聞いたことあるような気がする。
準備ができたので思い出すのは諦めて、制服を脱ぐと洗濯物籠に放り込む。水浴びが終わったらこんどは洗濯しないと。ああ疲れてるのにめんどくさい。せめてあったかいお風呂に浸かれたら少しは身体も休まるのにな。
盥にしゃがみこむと思ったより冷たくて、深いため息が勝手に漏れてきた。
この村じゃ内風呂のある家なんてディアンのお屋敷や規模の大きい農場主の屋敷ぐらいで、あとの人たちは公衆浴場で野菜みたいにごろごろじゃぶじゃぶ入浴するのが普通。慣れているからそれ自体はかまわないんだけど――ただ、公衆浴場って、閉館時間が決まってるのが困る。仕事柄、あたしって自由時間が少ないから間に合わずにこうやって水浴びで済ますことの方が多くなってしまう。こう見えても競い合って長風呂するような年頃の女の子なのに、なんたる悲劇。もう慣れたけど。
しかし、ホントにフィルさん、あの人なんなのさ。だって、別に誰に何が届こうが、あたしたちはどうだっていいのに。お客さんが『届けて欲しい』と思うものを社会のルールの許容範囲で届けるのが郵便局だもの。なのに配達があることを承知してほしいだなんてわざわざ言いにこなくたって……それに冷静に思い返してみると、殺されて奪われるとか言ってなかった?
なんとかバイブル……?
もしかしなくても、危険物なのか? 聞き流すべきじゃなかったかしら。むくむくと不安が膨れ上がる。
整理してみよう――あたしは身体を洗うのをやめて背筋を伸ばすと目を閉じた。
とりあえず、落ち着いて考えてみよう。不安になるな。客観的になれあたし。
えぇと、まず、フィルさんがあたしを訪ねてきた。理由は、なんとかバイブルの九分冊とやらが創村祭の日に配達予定なので、承知しておいてほしいから。ここで生じる疑問一。何故承知する必要があるのか。
つづき。そのなんとかバイブルは、傭兵のようなはぐれ者に運ぶのを任せると最悪殺されて奪われてしまうようなシロモノ。だから、一応国際組織であるあたしたち郵便局に依頼し、尚且つ承知しておいてもらいたかった――疑問一解決。例え国際組織であるとはいえ、狙われるかもしれないのはかわらないから承知する必要があった、ということ。
――って、ちょっと待て! もしかして、なんとかバイブルってのは、誰か、目的のためなら人殺しもしてしまうような奴に狙われているってことか? そういうことか? 貴重品は書留で送ってくださいとかいうの超えたレベルなのか?
冗談じゃない! ンなもん、あたし一人で判断できる案件じゃねーぞ!
ぱっと目を開けたあたしは、もっと冗談じゃないものがその視界に飛び込んできて一瞬我が目を疑う。
生き物の、瞳。戸惑うような光をたたえた、薄茶の瞳。
前述のように、こんな田舎の民家には内風呂はない。じゃあどこで水浴びしていたかというと、キッチン脇のポンプ式井戸のすぐわき――つまり、辛うじて室内なわけ。とはいえ、水場であるのは代わらないから、通気性が良くなるように窓がある。窓は倉庫に面しているので特になんの変哲もない窓で、目を開けたあたしの真ん前にはその窓があって。
「きぃやああああぁぁあああぁっ」
あたし、今まで考えていたものはとりあえず忘れて、手当たり次第にそっちにものを投げつける。
信じらんない、こんなときに覗きなんて!
メイン4人のうち1人がうっかり出てきてないので、ジンでお茶を濁す。
彼はお茶を濁すのに便利。動かしやすい。
■ ジン ■
「マリアちゃんが拉致されて傷心のジン、ただいま賊を追跡中でーす」
配達トリオその1。見た目がけっこうかっこいい21歳。
配達トリオの中では一番オイシイとこを持っていった。
エロ本片手に大活躍。