extra-4 It's a wish in snow-2/3AM
「却下」
一言で片付けて、ルティシアはいつものように局長メモを開いた。
ちょっとだけ覗き込んで、あたしはげんなりする。降誕祭の前日である今日、あたしのスケジュールはびっしりだ。仕事で。
ま、もともとあたしには無縁なイベントだし、構わないっちゃ構わないんだけど。
家族愛とか異性愛とか。
創世神話とかどこ吹く風で、世の中の人々が降誕祭に望むものはおそらくそのどちらか。
どちらにしても世界中の人がとても大切にしている類の愛情で、世界の皆様はそれはそれは充実した前夜祭並びに降誕祭を過ごすわけだ。
そんな日に、あたしは書類と手に手を取って愛し合う。
だって、世界と言ってもあたしの知らない世界。あたしにはあまり関係がない。唯一の家族であるじいちゃんは、もう死んでしまった。家族のいないあたしにも一応異性愛が残されているけれど、繁忙期を投げ出してまで大切にするものなのかと問われれば、うーん。
愛情よりも繁忙期をとったあたしの提案に対する一言が、冒頭の台詞。てか単語じゃん、文章で話そうよ。
「絶対いいと思う。ミルッヒが赤鼻なんてキュートだって」
だからあたしは、文章を紡いだ。鬼秘書に向って。しかし、彼女は動じない。
「今日中央に必着の書類が7通。それから、今日あたりから最繁忙期ですから、きちんとペース配分していただかないと。超過勤務を極力出さないようにしてくださいまし。局員の超勤資金が今月どれだけ余っているかの確認と個々の時間配分も必要ですわよ」
あたしの言葉を全面的に無視して、ルティシアはテキパキと続ける。
「それから、貴女最近体調が良くないのではなくて? そうでなくても冴えないのに、随分と顔色が悪いですけれど。自己管理もできないくせに局員の統率なんて高等技術ができるわけないでしょう。連絡しておきますから、今日はアリエラさんの施療院に必ず顔を出すこと」
流れるようになめらかな予定確認には割り込む隙がない。それでもなんとか言葉の合間に割り込む。
「それよりディアンが赤いコート着て……」
「それからっ!」
突然の大声に、身を竦ませる。
食い下がるあたしを睨みながら、声を荒げたルティシアがわざとらしくパタンと音を立ててメモを閉じた。
ピンク色のリップがツヤツヤ光る唇をそっと開き、彼女は大きく息を吸い込む。あたしの視界のはしっこでその様子を横目で見ていたフィーアがにやりと笑って耳を塞いだ。
あう、あたしだって耳塞ぎたいってば。でもそんなことしたらルティシアもっと怒るのが簡単に予想できるし。
「私に言わせていただけばくっだらないことこの上ない企画ですわ。だいたい飛竜乗りが仕事をするのは深夜ですから、評判になるようなことはまずないでしょう。確かにアイディアとしてはいいのかも知れません。でも時間がなさ過ぎます。きちんと練り上げて企画を上層部に通してからの方が得策です、うまくいけば経費だってもぎ取れますから。それとも何か、貴女は独断で私的資金からそれを実行すると? 自分のやるべき仕事そっちのけで? 誰も見ていない深夜のために?」
突然の土砂降りが屋根を鳴らすように、凛とした声が切れ目なくあたしをまくし立てる。反論する隙もないと言うか、全部正論だから反論しようがないと言うか。
……うぅ、鬼秘書が怖いよう。
* * *
針葉樹にはビーズをたくさん使ったオーナメントを付け、ドアにはきらきらしたモールを織り込んだ手作りのリース、夜になると玄関のランプに薬品で色をつけた火が灯る。ちかちかと小さくてもあたたかな光が、冬の夜を彩るのだ。
そんな決まりきった降誕祭の装飾には、それでもその年によって流行り廃りがあったり、世相を反映したデザインだったりする。だから、眺めているだけで今年一年が見て取れたりするから面白い。
アリエラさんの所から帰る道すがら、あたしは町の装飾を眺めてゆっくり歩いていた。本当は急いで帰って仕事をしなければならないけれど、久しぶりに見た町並みがあまりに鮮やかで、それもなんだか気持ちが良かった。
アリエラさんは他の大陸から渡ってきた移民だ。だから、降誕祭のような行事があっても時期が少し違うらしい。こちらの降誕祭と似たような時期に冬至祭はやるけれど、別に飾り付けをしたり大騒ぎをしたりする風習はないんだってさ。
そのせいだろう、施療院は特にいつもと変わらない落ち着いたたたずまいをしていた。
それでも、施療院の周りも通う道も、いつもよりもずっと鮮やか。いつもとおなじ施療院でさえ、なんだかきらきらして見える。
特に目に付いたのは、オーナメントのジンジャー・クッキー。今年はどの家にも、白い砂糖で模様が描かれた竜がいる。きっと、ミルッヒだ。今年の創村祭、ミルッヒ目立ったから。なんとなく鼻が高いや。
「あ、チェリス、散歩?」
軽い足音が、背中の方から近付いてくる。
振り返ると、ミントの爽やかさを纏った好青年クンが満面の笑顔でやって来た。吐く息が、白く後ろの方に流れていく。きっと、ミントの香りがするに違いない。ちょっと冬場には寒いかなミント。
「ちがうよー、ディクス。ちょっとアリエラさんとこ行ってきた」
「え、なに、病気?」
あたしの言葉を聞いて心配になったのか、ディクスが自分の巻いていたマフラーを外してあたしに巻いてくれる。男物なのかあたしには少し長いそれは柔らかくて、今まで巻いていた彼の体温が移ってあたたかかった。柔らかくてなめらかなこの材質はたぶん高級品。ロージアス家だからこそ普段使いにできるシロモノだろう。
懐具合によるとこれからも手にすることがなさそうな高級品なのでありがたく巻かせていただくことにして、あたしは笑顔で「ありがとう」と言った。
「ちがうちがう。ここんとこちょっと、まぁ、だるくて」
まあ、理由はわかっている。それは、病気ではないし、しかたがないこと。別に深いわけがあるわけでもなく、単に、体調が思わしくない時期であるだけなのだ。たぶん、ルティシアは病気でないことをわかっていて気晴らしと言うか休憩時間としてあたしを施療院に押し出したんだろう。
とはいえ、ディクスみたいなきれいな子にそんな生々しいことを言う気にもなれなくて、あたしは言葉をぼかした。
「ふぅん? 気をつけてね」
わかっているのかわかってないのか、ディクスはにっこり笑ってあたしの背中をぽんぽんと叩く。どちらかというとあたしと同じ目線でぎゃーぎゃーやってる双子の弟クンと違い、ディクスはいつもあたしに甘いというか、紳士だ。ちなみにこれがルティシアなら恐らく体調管理ができないのはあたし自身の落ち度だと言ってお説教するだろう。
「もうすぐ降誕祭だねー」
ゆっくり歩きながら、白い息と一緒にそんな言葉を吐き出す。すると、ディクスが吹き出した。
「なに、しみじみとため息混じりに。チェリスってばなんかオバサンっぽいよ」
オバサンだなんて失礼な。あたしはちょっとだけ頬を膨らませる。手を当てると、悲しき肌荒れで少し乾いたそこは外気にさらされて冷たくなっていた。
「ひどーい。だってさぁ、久しぶりに外出たんだもん。ほら、進言してくる家族もいないし。ずーっと局の中で仕事してたら、降誕祭なんて忘れちゃうって。急に明日だなんて実感したら、誰だってしみじみするって」
「ごめんごめん」と心のこもらない謝罪であたしを宥めつつ、ディアンは一人したり顔で頷いている。なんだろうとその端正な顔立ちを覗きこもうとしたあたしを、急に悪戯っぽい目になったディクスはガバッと引き離した。
「なっ」
何、言おうとしたあたしに片目を瞑る。
「僕、急用思いついたから行くね」
急用……思いついたって。普通、『思い出した』って言うものでしょうが。
あからさまに何か企んでいそうな彼は、あたしをぽつんと一人置いてどこかに向かって走り去った。手を振る姿が角を曲がり、見えなくなる。
取り残されたあたしを笑うように、耳元でぴゅううと音を立てて風が通り過ぎていく。ちりりとした痛みを感じ、あたしは首を竦めた。柔らかくてあたたかいものが、冷えた耳たぶを包み込む。
……マフラー、借りっぱなしでいいのだろうか。
にしてもあったかいな。
ふむ。
暖かい味方が増えたわけだし、ちょっとだけ遠回りをすることにしてあたしは空を見上げた。
冬の空は、鮮やかで、高い。
ミルッヒ、この空に映えるんだろうなぁ。
* * *
今日のお茶も、昨日と同じだった。
「イチゴのケーキでしょ?」と言うと、ナルは「大正解ですぅ」とご褒美に満面の笑みをくれた。正確にはクリームというわけではなくバニラとイチゴだそうだ。きっと正式にはミルクティーにするもので、そうすればイチゴのケーキらしさが増すのだろう。
「さて、俺、これからちっとヤボ用で。もう帰るわ」
早々にお茶を飲み終えたジンがニッと笑って片手を挙げる。あたしも片手を挙げ返すと、彼は照れたように笑った。なにこの笑顔。彼女でもできたのだろうか。前夜祭から当日にかけて、甘い夜でも過ごすのだろうか。
今夜も仕事三昧なあたしに向って幸せをまき散らすとは、なんと失礼な輩だ。なんとなく不愉快になったのを隠すように、あたしは小さく咳払いをした。
「わたしも今日はちょっとぉ……」
「僕も息子にプレゼント買って帰るんだー!」
「お疲れ様でしたー」
別に残業を頼もうだなんて欠片も思っちゃいないのに、みんなして口々に言ってそそくさと事務室を出て行く。
最後に残されたのは、あたしとルティシア。
なんとなくルティシアを見上げると、彼女は目をそらして小さな咳払いをした。
「シアも前夜祭なわけねー。ふぅん、いいなぁ、青春だなぁ。好きにすればいいんだよいい男引っかけりゃいいんだよ」
あたしは、半目になってぶつぶつ呟いた。もしかしたらディクスでも誘うのかもしれない、なんてちょっと思ったりもして。
「なっ……!」
しかし、自由を保障されたはずのルティシアは一瞬怒ったように眉を吊り上げて、けれどすぐに顔をぷいと横に向けてしまった。表情は見えない。だけど顔を背けた向こう側に向かって何かぶつぶつ呟いているのは耳に届く。
「わっ、わたくしだって……、何を好きこのんで、こんなことを……」
呟きの意味がわからず首を傾げたあたしに向き直り、ルティシアは困ったように眉を寄せて口を開いた。
「そのっ、あ、貴女は……どうなさいますの?」
その声に驚く。あたしに向かってきっぱりと無情なスケジュールを言い放つのとは別人かってくらい心許ない声。なんだか、悲壮感すらある。
なんたって、こんなに必死なんだろう。怒り以外の何かに少し震えた声は、普段の会話ではあまり聞くことができないレアものだ。
「どうするも何も仕事まだ残ってるんだけど? てか知ってるでしょ。どうしたの、改まって? なんかあった?」
心配するあたしを無視して、ルティシアは止まらず回る時計の針みたいに話を進める。
「その……誰かと二人きりですごすとか」
「いやだから仕事なわけでってか人の話聞いてる?」
まったくもって要領を得ない。不満げに唇を尖らせてから、あたしは彼女の言いたいことに気付いて視線だけを天井に向けた。特にあたしの座るあたりは、煙草のヤニで汚れている。
「あー……、そういう……」
仕事をしながらも二人で過ごすとか、そんな芸当が可能な奴が、一人いるんだっけ。
村中に響く大声で言ってやってもいいけど、あたしたちはちっともそういう関係じゃない。少なくとも、世間的な線引きをしている限りは。
あたしは仕事が忙しいし、仕事をしていないときはそいつが仕事をしているし。あのときから何も変わっていないのかといわれればそうではないんだけど、結局は今までと同じように面白いくらい色っぽさのカケラもないもん。
ディアンとは。さ。
「てゆーかギリギリなスケジュール調整したのシアでしょうが」
「まぁそれはそうですけど……」
もごもごと口の中で呟いていた彼女は、やがて逃げるように事務室を出て行ってしまった。結局何が言いたいのかはよくわからなかったけれど、とりあえず、オチのないままぽつんと残された身としては不完全燃焼。
しかし程なくして、私服に着替えた局員たちが団体で事務室に戻ってきた。通用口が事務室にあるから通り道になっているだけなんだけど、ひとりぽつんとしていたあたしとしてはちょっとだけ嬉しかった。
「お疲れ様。みんな、楽しんでね」
言うと、彼らはみんなして同じようにニタリと笑った。半月形に切った爪を三枚貼り付けたような顔になっている。ルティシアだけが、困ったように目をそらしていた。
「おつかれ局長~!」
「おつかれさまでしたー」
みんな満面の笑顔。老いも若きも独身組の多い職場なのに、みんな何のかんの言って充実した前夜祭を過ごす予定があるらしい。羨ましいことだ。
ま、繁忙期で色々ストレスもあるだろうし。パーッと遊んでリフレッシュしていただこうではないか。
閉じるドアをいつまでも眺めていたあたしは我に返ると肩をすくめ、ペンを握り直した。
世間がどうだろうと、部下がどうだろうと、あたしはこの書類の群れを確実に処理しなければいけない。
ちらりと時計を見上げる。
なんとなく一瞬だけこんなときに限って来るのが遅い、あのひょろ長いシルエットが頭に浮かんだけれど。
あたしは気付かないふりをして滑りの悪いペンを無理やりに動かした。




