1-3 クレイン嬢、オトコゴコロがわかってない(らしい)
ため息をつくように深く吸い込んだ息を吐き出すと、それをかたどる紫煙がゆっくりとランプの明かりに溶けてゆく。
小さい子はそろそろベッドに入らなきゃって時間帯、あたしは一人書類を片付けているところ。今日までに集中局へ届けなきゃいけない書類なの。こういう地味な仕事って山ほどあって、片付けるのって大変なのだ。書きあがった書類に局長印を押して封筒に入れ、蝋で封をする。古典的なやり方だけど、これが決まりなの。こういうしきたりって馬鹿馬鹿しいものが多いけど、この蝋の封ってなんとなく好きだなぁ。剥がすとき、わくわくするのよね。郵便の醍醐味って感じがする。郵便を生業にしてる身としては、そういうの、大事にしたいな。
灰皿に吸いさしを押し付け、椅子に座ったまま伸びをする。身体中の骨がバキボキと鳴るのがやたらババくさくて少し悲しいところだけど、気持ちがいいので良しとする。しかしささやかなあたしの休息は、雑音に遮られた。
まるで、イノシシの大群が収穫期の畑を目指してまっしぐら、みたいな。
「ちぃはオトコゴコロがわかってなーいっ!」
唐突に局員用の出入り口が開き、そんな怒鳴り声と共に局員が一人転がり込んでくる。あたしはうんざりして半眼になった。
汗だくで、土埃とペンキで薄汚れているけれど、彼はコレでも良家のお坊ちゃま。どれくらいお坊ちゃまかと言うと、その昔まだスピリーツェが領主制だった頃の領主ロージアス家の家柄なわけで――まぁ、つまりこの村一番のお坊ちゃま家系ってことね。
もっとも、今は何の因果かスピリーツェの郵便局で働いている一般庶民なんだけど。
ぷりぷりと怒りながら、彼は入ってくるなり薄汚れた上着を脱ぎ捨てた。
「ジークさんが俺たちにパン差し出したときの皆の哀れむような眼差し……屈辱だー!」
むぅ、そんな効果音でも出てきそうなほど唇をひん曲げ、彼はソファに身を沈めた。
背は高めで、すらりと伸びた足は村の同い年の男の子たちの中でも一番長い。美形と言い切るにはちょっと抵抗があるけれど、まあ、目をそむけるほどではない顔立ち。考えてもみてよ、そういう奴が拗ねる姿というのは、中途半端に見た目がいい分なんとも苛々するわよ。
「あたしが作ったんだからそれでいいじゃない」
「ちぃが持って来なきゃ意味ないのに~」
「じゃあ、あたしの代わりにディアンが書類やってよ。したらそれくらいの暇はできるけど?」
憮然として言い返すと彼――ディアンは子供みたいに地団太踏んで駄々をこねた。
「書類も差し入れもちぃの仕事~」
「バカ言わないで、あたしがどんなに大変かも知らないで」
「設営だって大変なんだからなっ。はー、腰痛い」
ため息混じりに言いながら、自分の荷物をガサガサあさっている彼を尻目にあたしはキッチンでお茶を淹れる。二人分のカップを持って戻った頃にはもう、ディアンは薄汚れた服からいつもの服に着替え終わっていた。
白いシャツと赤いネクタイ、彼が用意したボトムスはポケットがいっぱいのワークパンツ。これだけなら他の局員と変わらないけれど、彼に付いているオプションは明らかに他とは違う。
例えばつばさをモチーフにした郵便局の紋章が背中に縫い取られた革製の立派なジャケットとか、今は額に持ち上げられているゴーグルとか、手を傷めないように装備されている革の手袋とか、ネックレスのように首にかけてあるチェーンの付いた方位磁針とか――窓口にいたとしたら役に立たないようなものばかり、彼は身に着けている。
彼は、郵便局に欠かせない『飛竜乗り』だ。村中から昼間のうちに集まった郵便物を主要都市にある集中局に空飛ぶ竜を操って運んで、その代わりに村宛の郵便物を受け取って戻ってくる役割。その日集まった郵便を運ぶもんだから飛竜乗りの仕事はもっぱら夜。普通の局じゃ二、三人が交代で仕事に当たるんだけど、人手不足のせいでディアンは毎晩毎晩遠い集中局とスピリーツェを往復している。申し訳ないなぁ、休ませてあげたいなぁと思うのだけれど他に飛竜に乗れる人もいないので、休日なしで頑張ってもらっている。
――あ、いや、その言い方じゃ卑怯か。飛竜乗りがこの村にもう一人いる。
あたし。
このあたし、チェリス・クレインは祖父が健在の頃に飛竜乗りになるつもりで研修に通い、しかも、すべての科目を首席で終えている。自分で言うのはちょっとみっともないけど、あたしは研修中に指導がいらない稀代の天才とおだてられていた。あたしの成績の報告を受けた総裁が会いに来たくらいだ。こんなの初めてだって研修所のおばちゃんが驚いていたもの。
そもそもウチの局の真っ白な飛竜、ミルッヒはあたしが研修所で卵から孵したのだ。だから、研修時代からずっと一緒にいる相棒。ミルッヒはディアンの言うことを聞きたくないくらいに機嫌が悪くても、あたしが頼めば従ってくれる。ちなみにこれも、郵便局の歴史上では稀に見るレアケースらしい。我ながらほれぼれする点差いっぷりだ。悲しいことに、それは飛竜乗り業界限定の才能なわけなのだけれど。
それでも、ディアンの代理を務めるくらいのことなら簡単にできる自信はあるし、ディアンよりもよっぽど腕がいいと自負しているし、未だに飛竜乗りの統括リーダーからは戻ってこいって言われる。
けれど、あたしはディアンを毎晩毎晩飛竜に乗せておきながら自分はあったかいベッドで眠っていることをよしとしている最低人間なのだ。でも、だって、あたしが局を空けるわけにはいかないもの。大変なのはわかっているのに、あたしと比べられて嫌な思いをしているのも知っているのに、代わってあげられないの。
うぅ、ごめんね、ディアン。付き合い長い幼なじみとして、すっごく申し訳なく思ってる。改善する予定はないけど。許せ。
お詫びの印にお茶のおかわりをいれる。こういうの、割といい気分転換だ。
「はい、おかわり」
「ん」
彼の目が机の上をじっと見つめているのに気付きあたしは首を傾げる。書類の山とあふれそうな灰皿と転がるペンがあるだけなのに。あたしの差し出したカップを受け取り、ディアンはしばらくむっつりと黙って突っ立っていたけれど。
「ちぃ、さ。煙草そろそろやめれば」
唐突にそう言って、彼はあたしの――局長の椅子に移動した。長い足を持て余すように組み、カップを傾ける。視線の先は……ああ、そうか、灰皿見てたのか、こいつ。
「身体に決していいもんじゃないし、これから何年もして子供産むときとかどうするわけ? だいたいさ、俺、煙草嫌いなんだよね。兄貴もそう言ってたし」
むん?
あたしは眉を寄せた。身体に悪いのなんて百も承知だっつーの。でも自分の身体なんだから他人に言われる筋合いはない。だいたい結婚もしてないうえ相手もいないのに、子供なんて産むわけないじゃない。いつの未来のお話だ。
でも、カチンと来たのはそこじゃない。
正直、気に食わない。なんでそこでディクス出すのよ。あぁ、それが多分一番癪に障る。よくわかんないけど。なんとなく。
けれど反論するのも悔しいので、あたしは彼を無視することに決める。彼の手があらぬ方向を向いているあたしの頭を掴んで自分の方を向けたとき――
「……?」
同時に気付く、割り込まれるような違和感。
「ちぃ、誰か来た?」
それでも、こういう切り替えの早さって、付き合いが長いから可能なのかもね。あたしとディアン、今までのやり取りも忘れてきょとんと顔を見合わせる。
よくよく注意すると、入り口のドア――職員用のドアじゃなくて一般客用のドアがカタカタ鳴っていた。もう鍵は閉まっているから開くはずはないんだけどね。
お客さん……なわけないか、時間から考えても。
だって、もう夜なのだ。子供は寝る時間だ。夫婦は仲良くなる時間だ。それ以外は涙を飲む時間だ。どう考えたって開いてないでしょ、郵便局。どんだけ郵便局員働かせたいの。
でも、なんとなく物盗りの類じゃないと思うんだよね。だって、明かりがついている建物に泥棒に入ったって捕まるのがオチだからさ。わざわざそんな目立つことしないでしょ、物盗りの類いなら。だから、やっぱお客さんかなぁとも思うんだけど……うぅん、誰だろう? 思考がぐるぐる回って答えが出ないよ。
「出てみれば」
ディアンの言葉に、あたしは思わず後ろに引く。お客さんだろうとお客さんじゃなかろうと、こんな時間にやってくるなんてどう考えても怪しいじゃないの。危険人物だったらどうするのさ。
「えぇ、ヤだよ、ディアン出てよ」
「えぇ~俺も嫌だよ、ちぃ局長だろ~」
当たり前な話だけど、嫌な役を押し付け合っていてもカタカタはやまない。もう、どうしろって言うのよ、この状況。もともとどちらかというと短気なあたし、このままじゃ進展しないからと思い切って一歩踏み出した――ディアンを盾にして。嫌がるディアンの背中を無理やり押してその背中にあたしはすっぽり隠れる。こういうとき、小柄なのってラッキーよね。あたしはディアンとおしあいへしあいドアに近寄り、緊張に喉を鳴らした。
「ど、どうする?」
「どうするって……どうしよう」
こそこそと言い合う。あたしたちがドアの前にいるのにいい加減気がついたのか、カタカタがやんだ。一瞬あたしと視線を合わせたディアン、一歩前に出て緊張気味に口を開く。
「……だ、誰だっ」
「夜中にすいません、局長さんは……」
男の声だ。若い……かな、この声質。もっとも声はひそめているから判別しにくいけど。でもそれって当たり前よね。だって世界は夜なんだもの。夜中に大騒ぎするような奴、例えお客でも受け入れたくない。
まぁ、その他に、ぎゅっと眉間に皺を寄せたディアンが男の声を遮ったから余計に判別しにくかったっていうのもあるかな。
「このたびはお願いしたいことが……」
「申し訳ないですが夜は窓口が閉まりますので御用でしたら明日の朝お願いします」
息継ぎもなく、一気に。
ディアンのいかにも『警戒してます』っていう声色に、ドアの向こうの男が絶句した。
う~ん、なんだかかわいそうな気がしてくるなぁ。人の影に隠れているせいか余裕ぶっこいてのんびりと思うあたしをよそに、ディアンはあたしを引っ張ってドアを離れようとした。
「……待って」
そんな彼の手を、あたしはふりほどく。
思い出したの。そういやナルたちが、あたしに来た客がまた来るって言ったのを教えてくれたっけ。見えないドアの向こうに、あたしは局長らしくなるべく落ち着いた声色で問いかけた。
「朝方、いらっしゃった方ですか?」
あたしの言葉に、ドアの向こうの男はすがるように声をあげた。
「そうです。お願いします、局長さんにご相談が」
鍵に手を掛けたあたしの手を、ディアンが掴む。細い顎が、壁の一点を示してくいと動いた。その先にあるものは、古びた時計。
「明日にしてもらえよ。俺もうここ出なきゃ授受間に合わないし」
そうね、そろそろ集中局に向かってもらわないと、明日の配達に間わないもの。
しかし、ドアの向こうの男はすがるように口を挟んだ。
「お願いします、急ぎの相談なんです」
一瞬、考える。ディアンはもうここを出なければならない。だから、見知らぬ男と二人きりってことになるのよね、もしもここでドアを開けたら。あたしだって一応女なんだし、少しは身の危険っていうのを考える年齢だもの。
でもそれ以上に、こんな風に頼られて何もできないなんて、なんかそれってすごくもったいない気がして。
あたしの心は面白いぐらいにぐらぐらと揺れていた。
「昼間ではご迷惑をかけてしまうかもしれないんです、だから……」
男の言葉なんて耳に入らないみたいに、ディアンは「無視しろよ」と言いながら局を発つ準備を慌しくはじめる。厚手の布で作られた書留入りのボディバックをジャケットの下に装着し、バタバタと局内を駆け回って郵袋を外にいる飛竜――ミルッヒに括り付けているのだ。きちんと括り付けないと飛竜のスピードについていけないで落ちちゃうのよね、郵便物。早く正確に、が、飛竜乗りの鉄則。
さて、どうしたもんか。あたしは忙しそうなディアンを見ながら眉を寄せた。
確かにね、怪しいかもしれない知らない人と二人っきりは嫌。けど、なんか深刻そうなんだもの、昼間だと迷惑をかけるかもなんて。と、言うか、考えてみたら朝方に訪ねてきた人間の台詞じゃないわよね。もっとも、だからまた来ると言いながらずっと来なかったんだろうけど。なんていうか、そういう小さな矛盾点がなんとなく切羽詰まった感を演出しているのだ。どう考えても局が空いていない時間に一人で押しかけるくらい、彼は切羽詰まっているのだ。
「……どうぞ」
えぇいっ、悩んでたって埒あかない。
思いきって、鍵を開ける。荷物を外に運び出していたディアンが職員用の入り口からそのさまを見てあんぐりと口を開けるけど、あたしはドアを開いて客人を招き入れた。
ああ、うん、まあ。
確かに、男は小汚かった。
今回は裏主役。
以前サイトで公開していたとき、断トツ人気だった青春小僧です。
■ ディアン・ロージアス ■
「……なんで虫の居所悪かったかわかってていろいろ言ってる?」
良家のお坊ちゃん、なのに何故か郵便局員。飛竜に乗って郵便物を長距離輸送する役割。
飄々としていてマイペース、純情一途な17歳のオトコノコ。
ひょろっと長身で足が長い。
双子の兄に比べて全体的に見劣りしてしまうのを気にしているため、兄が関わると冷静さをなくしてしまうのが欠点。
作者の『同性双子の出来の悪い方萌え』を詰め込まれてしまったかわいそうな子。