6-6 アイム・ポストマスター
「差し入れ」
お盆の上には、所狭しと創村祭の料理が置かれていた。
ほうれん草とベーコンのキッシュでしょ、トマトをくりぬいてチーズたっぷりのサラダを入れたものとかソーセージの入ったオープンオムレツとか、手でつまんでかぶりつけるような料理がいっぱい。あたしが昨日作るのに参加した、鶏肉とトマトのシチューは、パンの器に入っていた。ビスケットの上に乗ったりんごのコンポートだの赤ワインを浮かせた綺麗なレモネードのグラスだのデザートまで網羅されているから、いつもの食事よりもずっとずっと豪華だ。しかもあたしの好きなものばっかりだわ――気を遣ってくれたのかしら。
それらを少し乱暴な手つきでテーブルに並べる彼に、あたしは無意識のうちに呟く。
「……そういえば、お腹空いたわ」
ふぅん、と、生返事が帰ってくる。
全部並べ終わったディアンは、指に着いたシチューを舐めながら眉間の皺を深くした。
「ねえ、もしかして泣いてた?」
……気を遣っているつもりなら、指摘しないで欲しいもんである。まあ、目が赤いだろうからここで否定したって意味はないし、あたしは何も言わずにはぁとため息をついた。ごしごしと顔を擦って、転がったゴミ箱を元に戻す。
「うるさいわね。もう平気よ」
「そういう問題じゃないよ」
荒れた室内をどうにか食事ができるレベルに戻してからインクと涙で汚れた手を洗ってくると、レモネードのグラスを手に取る。ひんやりとした冷たさが、水では冷やしきれなかった手に染み渡る。
あたしはゆっくりグラスを傾けながら、応接用のテーブルに並んだ料理を見つめた。一人分にしては量が多い。
上着を脱いだディアンが、椅子にそれを掛けながらちらりとあたしを見やる。
「本当にもう平気?」
「しつこい。ほらあんたも。食べるわよ」
平気といえば平気だけどお世辞にも気分が晴れたとは言い切れないあたしは、ごまかすようにそう吐き捨てる。
行儀悪く机の端にお尻を載せて、ディアンもレモネードを手に取った。あたしのグラスにカチンとそれをぶつけてから口元に持っていく。
「傷が痛む? それとも、やっぱ悔しい?」
上司と部下である時間よりも友人である時間が圧倒的に長いからか、こういうときのディアンには遠慮が無い。腹が立つけど、指摘が的確だからあたしは反論することもできないのだ。
甘酸っぱいはずのレモネードがなんだか苦みが強いような気がして、あたしはグラスを置いた。
「当たり前でしょ、悔しくないわけないじゃない。苦労して苦労して、オチがアレって何」
思い出したように視界が歪むけれど、あたしはそれを堪えたりはせずに目を擦った。泣きたいだけ泣けばスッキリできること、もう実証済みだもの。
目が腫れると思ったのだろう、ディアンはあたしの手を掴んでそれを止めると、くしゃくしゃのハンカチを取り出してあたしの顔に押しつけた。ありがたく受け取り、顔を埋める。
「みんなに迷惑かけて、結局これ。なんであたしってこうなんだろ」
はあぁと顔を覆ったあたしの横で、ディアンが気楽そうに笑い声をあげた。
「ま、仕方ない。それがちぃだし」
「慰めるとかしなさいよね、今回はさすがに落ち込んでるのよあたし」
「今回はって、いつも落ち込んでんじゃん」
「うるさい」
思わず顔を上げて睨むと、制服の腿に、落ちる涙で染みができた。あたしはそれをぼんやりと見つめていたら、なんとなく怒る気も失せてしまった。
静寂が辺りを支配するけれど、居心地は悪くない。乾いていく涙を見つめながら遠くに聞こえる楽団の鈴の音に耳を済ませていたあたしの頭を、ディアンが軽く叩いた。
「落ち込むことないよとか言っても、ムダだしねえ」
「めっさムダ」
即答したあたし、ガバッと顔を上げる。
「あのね、あたしは今、非っ常に後悔してるの。一人で突っ走ったのも、みんなを巻き込んだのも、全部ね。その上更にフィルさんに腹を立ててるのよ。もー、自分のせいだけどあれもこれもに苛つくわ。ここまできて落ち込むなだなんて、感情を殺せって言っているようなもんでしょ」
ちょっと驚いたように目を丸くしたディアンは、やがて悪戯っぽく目を細めるとわざとらしく肩を竦めた。
「うん。確かにちぃバカだよね。仕事できないのに一人でやろうとしたり、学年で下の方にいるくらい頭悪いのに一人で悩んだりしてさ。後悔すべきだよね。まあ俺としては後悔したことを繰り返さないように気をつけてもらいたいものだけど」
「フォローしなさいっつーの!」
ディアンの足を蹴飛ばして、でも、あたしはつい少しだけ笑ってしまった。仕方がないわよね、本当に迂闊だったんだもの、あたし。
彼の言うとおり、せいぜい今回のミスを繰り返さないように気を付けるとするわ。
がしがしと頭を掻いて、あたしは大きなため息をついた。割とひどいことを言われはしたけれど、いつの間にか涙は止まっていた。
あたしの涙が止まったのを確認したか、ディアンはハンカチを取り上げてポケットに突っ込むと、はにかんだ。
「けどさ、うん、立派だったと思うよ」
ディアンのセリフに、目を見開く。
淡く見えていた窓の外の青い炎がゆらりと揺れる。風が吹いたのかもしれない。
「な、に、突然」
いきなり褒めないでよ。むちゃくちゃびっくりしたじゃない。
あたしはまだ涙の乾かない目でしぱしぱとまばたきした。
「フィルさんに『ご利用ありがとうございました』って、かっこよかった」
ああ、フィルさんに掴みかかろうとしたみんなを止めたときのことね。
ディアンを見上げると、彼は照れくさそうに鼻の頭を掻いた。さっきまで意地悪そうに笑っていたのが嘘みたいだ。
「フィルさんは労ってくれなかったけどさ、そのぶんちぃが『おつかれさま』って言ってくれたし。だからみんな、フィルさんを許したんだと思うよ。だから、ちぃは立派だった。それができるの、あそこにはちぃしかいなかった」
……そんなに、褒めないでいただきたい。あたしだって本当は、心の底からムカついていたんだもの。
けれどその言葉が嬉しくて嬉しくて、じんわりと涙が浮かんできたあたしは俯く。それを逃がすまいとするみたいに、机から腰を上げたディアンがあたしの前にしゃがみ込んだ。
椅子に座る背の小さいあたしと、しゃがんでいる背の高いディアン。下から覗き込むように、彼はあたしを覗き込んだ。少しためらうように目をそらしてから、彼は指であたしの頬を拭う。
呟きは、自然と唇をついて出た。
「ありがと」
――そうだ、呟いたら思い出した。あたしは袖で顔を拭うと、立ち上がってディアンに向き直る。しゃがんでいたディアンははじかれたように立ち上がり、あたしを見下ろす。
あたしは彼に、言わなければならない。
深々とお辞儀をするのは、自然な仕種。フィルさんにそうしなければならなかったときと違い、心の底からこうしたいと思ったのだ。
「ディアン。迷惑かけてごめん」
だって、何度もあたしを守ってくれたもの。あたしを心配してくれたもの。あたしのこと馬鹿にできるほど頭が良いわけじゃないのに、変な小細工までして、みんなの怒りをそらしてくれたもの。
今だって、こうして気を遣ってくれているし。優しくされるのって、本当はすごく気持ちがいい。なんとなくくすぐったくて、あたしは小さく笑った。
ディアンがいなければ、最悪、倉庫街でもっと大怪我して配達どころじゃなかったもんね。命の恩人だ。
それに、なにより。
あたしに道を示してくれたのは――あたしの仕事はなんだって問いかけてくれたのは、他でもないディアン。
予感がする。あたしはきっと、これからも、壁にぶち当たる度に自問するだろう。
あたしの仕事は、なに?
そして、その度に自答するのだ。あたしはスピリーツェの郵便局長。飛竜乗りじゃないし、配達員でもない。
あたしは、管理者なのだ。




