6-5 配達後、ひとり反省会
書類から顔を上げると、外はもう暗くなり始めていた。
そろそろ、明かりをつけないと。あたしは冷え切ったコーヒーを飲み干して、ひとつ大きな伸びをする。
局は、からっぽ。あたしが一人で書類仕事をしているだけだ。そのせいか、遠い創村祭の喧騒が少しだけ聞こえてくる。明かりをつける前に一服しようと煙草に火を点けて、あたしは椅子に寄りかかった。
今日の仕事は、いつもよりずっと早く終わった。
手紙を出す側も今日が創村祭なことは知っているのか、配達物の量がものすごく少なかったのだ。そのうえ、村の人たちはみんな祭りに繰り出しているから窓口になんて来やしないし。だから、どうせ年に一度のことだし、創村祭に行っておいでとまだ拘束時間中にみんなを早く上がらせたのだ。
ゆっくりと息を吸うと、紙巻きの煙草はわずかにちりりと音をたてた。オレンジ色の光が明るくなって、ため息と共に光が弱まる。
どこか鼻につく煙の匂いに包まれて、あたしは目を閉じた。
そういえば、祖父もこうして薄暗くて静かな事務室で、独り煙草を吸っていることがあった。そういうときは話しかけない方がいいわよと当時局員だったおばさんに言われ、まだ小さい頃あたしはいつも黙ってそれを見ていた。
今なら少しだけ、それが正しかったんだってわかるわ。
吸いさしを灰皿に押し付け、ため息をつく。
思い出してみると随分大騒ぎだったけど、今日一日の仕事は無事に終わろうとしている。感慨深いなぁ。今日も、きちんと仕事がこなせたことに感謝感謝。心穏やかに一日を終えられる――
「――わけあるかっ!」
一人きりの局では誰もツッコミを入れてくれるわけがなく、しかたなく自分でツッコミをいれつつ足元にあったゴミ箱を蹴り飛ばす。ゴロゴロと転がったそれは、あたりに紙くずをばら撒いている。
心穏やかに? そんなこと、あるわけない。しかもそれは、あたしより、他のみんなが。
書類だらけの机を八つ当たりでガンガンと殴る。手が痛いということよりも、苛立ちの方がはるかに大きかった。
左腕が痛い――切られて、怪我をしたのだ。この数日間を思い返してみると、あたし随分危ない目にあったわ。みんなにちょっと嫌な目で見られたりもしてさ、最後にはみんなして危険な目に合って――みんなに、危険なことを押しつけて。
「あぁ、もうっ!」
利用されたのだ。しかも、あたしが分別ないと思われて。
確かに分別がない。頼まれたんだから力になりたいとか言いながらも、本当は頼られて舞い上がっていただけのくせに、それが当然だなんてかっこつけて安請けあいして。みんなが危険な目に合ったのも――いや、そもそも休日出勤になったのも、結局のところみんなみんなあたしのせいなのだ!
悔しいわよ、悔しいに決まってるじゃない!
そりゃバカな決断下したのはあたし自身だけど、そんなあたしを利用しようとしたフィルさんを許せるわけがない。あんな、親の遺した金で暮らしてるようなボンボン。人の気持ちも知らないで、あたしたちが必死に守ったものをいとも簡単に燃やしてしまった。
あたしらのものじゃないんだから好きにしろ、だけど、必死に守ったあたしたちの目の前でそれをすることはないだろうが! なんなんだあいつは!
ガンガンと机を殴る手が、だんだん力なくなっていく。散らばる書類の文字が歪んで、あたしは慌てて目を拭った。
あたしは悔しい。悔しいけど、きっともっと悔しいのは他のみんなであるはずなのだ。なのにあたしは、そんなみんなにフィルさんに対して怒ることさえ許さなかった。
本当は、ぶん殴りたい。あたしのせいで巻き込まれたみんななんて、あたしよりずっとずっと殴りたいはずだ。そんなの、簡単に想像がつく。
それでも、あたしはあそこで、そこを許しちゃいけなかったのだ。全部あたしのせいなのに。
鼻の奥が痛い。呼吸が浅く、短くなる。これはやばい、思っているのに。痛みは消えない。
「ちくしょう……」
悲しいとか嬉しいとか、あたしはそういうことじゃあまり泣かない。祖父の葬式ですら涙ぐみもしなかった。やることがたくさんあるとき、涙というのはとても邪魔だから。我慢できるなら、それに越したことはない。のんびり泣いている間に、どれだけの書類が片付くだろう。
だけど、さすがに悔し涙というのは我慢したくてもできなかったみたい。
そりゃそうだ、悔しさのレベルが違う。みんなに配ったクッキーにあたしの分だけナッツが乗っていなかったとか、そういうレベルじゃないのだ。独断で部下を危険な目にあわせたなんて。不甲斐ない。不甲斐ない自分が、ものすごーく悔しい。
書類に、ポタポタと涙が落ちる。これじゃあ字が滲んでしまうとか考えないわけではないけれど、止めようと思って止められるようなものならたぶんあたしははじめからこんなふうに泣いたりはしないだろう。
「……うぅ……」
それでも声をあげて泣くのは悔しくて、あたしは椅子に座って書類の上に突っ伏した。いいわよもう、書類が滲んだって。今までだって、たまに居眠り中のよだれで滲んだりしていたもの。提出されたもの読むのはあたしじゃないんだし。
喉の奥から、引きつったような声がこみ上げる。
あたしは突っ伏したまま、久しぶりにしゃくり上げながら歯を食いしばっていた。
思ったより、泣くっていうことはストレス発散になるらしい。
しばらく突っ伏して一人で唸っていたあたしは、やがて幾分かすっきりしてぼんやりと熱を持った顔を上げた。
薄暗い窓の外に、薬品で色をつけた炎が青色にちかちかと光っている。いつの間にか、誰かが火を付けて回ったようだ。
遠くに聞こえる、創村祭の音楽。いろんな人の笑い声。ダンスでもしているのだろうか、手拍子も聞こえる。
暗い部屋の中で机の上に組んだ腕に頬を乗せ、あたしは幻想的なその光を眺めた。そういえば部屋の明かりをつけないと。そう思いはしたけれど、泣いたせいで少し重い瞼やだるい身体を動かすのが、ひどく億劫だった。
きっと広場では、村人たちが歌って踊って飲みまくっているんだわ。行けば、少しは気がまぎれるのかな。精神的にものすごく疲れたっていうのもあるけれど、今日一日の全力疾走のせいか全身だるいなぁ。まあ、せっかくだし頑張って行ってみるか。実行委員のおっさんたちも、早くおいでって言ってくれていたし。
「あれ~、暗い」
机から半身を起こしたあたしの耳に、気楽そうな声が飛び込んでくる。
しばし後にカチャリと職員用のドアが開き、ランプ片手に入ってきた人影が事務室内の照明器具に明かりを移した。
窓の外の幻想的な光がほわんと明るくなった視界に溶け、変わりにあたしの八つ当たりのせいで荒れた部屋が照らし出される。う、みっともない。
「きったない部屋~」
呆れたように言いながら、人影――ディアンがランプを置いてお盆を手に事務室に入ってきた。
そのひょろ長い足で器用にドアを締め、ツカツカと歩いてくると机の上に乱暴にお盆を置く。
あたしは涙でにじんだ書類を見られないように握りつぶし、机の向こうに投げ捨てる。
それを見ながら、ディアンは少し眉をひそめた。
「差し入れ」




