6-4 配達完了
「やめて」
短く、呟くように。
けれど、ひしゃげた声ではみんなは聞こえないのか、あたりは殺気だったままだ。恐らく聞こえたのは、あたしの両隣で動かないディアンとルティシアだけ――彼らは、はじめからフィルさんに掴みかかろうとはしていなかったけれど。
「やめなさいって、言ってんのよっ!」
一喝すると、みんな驚いたようにあたしを振り返った。驚きに見開かれた目には、しかしどこか非難の色が浮かんでいて――
気持ちは、わかる。痛いほど、わかるわ。
フィルさんって、すごく不愉快だ。あたしだって、ムカつく。けど、この人は、お客さんだもの。
お客さんと別れるとき、あたしたちはどうするの?
顔を上げる。視界に入るのは、荒れたお茶畑。そう、ここはお茶畑。お茶が名産の、スピリーツェの町だ。あたしたちは、この町に根付いたただの郵便局。春にはお茶摘みに来る出稼ぎの人に配達する郵便物に頭を悩ませ、夏にはできあがったお茶をたくさん他の町に運ぶ。秋には創村祭をもりあげて、冬には新年のカードに忙殺される。それ以上でも、それ以下でもない。
あたしたちは、フィルさんの父ちゃん母ちゃんでもなければ、友達でもない。彼がどんなに不愉快であろうと、たしなめてあげるいわれはないし、それどころかムカついていても我慢しなければいけない立場にある。
冷静に考えろ。あたしたちのすべきことは、なんだ?
「……ご利用、ありがとうございました」
苛立ちをこらえ、深々とお辞儀をする。上げた顔は笑みを浮かべ――たつもりだけど、上手く笑えているかどうかは定かではない。
フィルさんは特に疑問もないようでわずかに小首を傾げただけだったけれど、振り返ったみんなはなにか奇妙なものでも見るようにあたしを見つめた。お茶畑を渡る風だけが、ひゅうと声を上げる。あたしは顔を伏せたくなる衝動をこらえて、その風に顔を晒した。
あたしはフィルさんを見つめることにしたので、今みんながどんな顔をしているかはわからない。わからないけれど――本当は、見たくないのかもしれない。
ふと、空気が緩んだ気がした。隣で、かすかな衣擦れ。
「またのご利用がございませんことを、心よりお祈り申し上げますわ」
自然な大きさのパニエで膨らんだスカートをちょっとつまんで。あたしよりわずかに高い位置にあるはずの頭が同じ高さになっている。
視界の隅で、ルティシアが優雅にお辞儀をしたのだ。
ずいぶん慇懃な言い方だけれど、あたしも同感だなぁ、なんて。
ちょっと苦笑。でも、肩の力は抜けたかも。
フィルさんに背を向け、あたしはその場を去ろうとする。燃えて灰になっていく小包も、怒りに震えるみんなも、見ていて気持ちがいいものじゃないもの。配達は終わったんだし。届けたのだから、あたしたちはそれで良いはずだ。
「コイツ許せるのかよっ!」
あたしの背中の方から、ジンが苛ついたように怒鳴った。
許せないわ。許したくなんてないわよ。けれど口にせずに、あたしはちらりと彼を振り返るだけ。
「局長の意思ですもの。わたくしは、それに従うだけです」
ルティシアの言葉には、なんとなくまだ納得できないとでも言いたそうな棘がある。恐らく、彼女だってフィルさんに腹を立てているのだ。けれど、あたしが帰ろうとしているからこれで終わりにしようとしているのだろう。
あたしは息苦しくなって、うつむいた。鬼秘書だけど有能なのだ。誰よりもあたしをけなすくせに、たぶんあたしのことだって好きではないはずなのに、それでも今、このときに、最良のことをしてくれる。
ありがと。
「ルティシア、ディアン! 本当に、これでいいと思うの?」
「いいよ」
苛々とたたきつけられたフィーアの声に、ディアンがしゃあしゃあと答えた。彼は、恐らく本心からだろう。いつも通りのんびり気楽そうな笑顔で首を傾げる。
「だって、フィーアさん。俺ら、ちゃんと仕事できたじゃん。何が気に食わないの?」
彼はそう言って、うんうんと頷いた。
「ね? ちぃ」
……いやぁ、ディアン。こう言っちゃアレだけど、気に食わないことなら山ほどあるわよ。個人的には馬鹿にされたこととか、あとは囮にされたこととか必死に運んだ小包を目の前で燃やされたこととか。
しかしあたしはそれを口には出さず、覗き込んできた彼に向かって苦笑を浮かべるだけにとどまった。
「――あたしたちの仕事って、なんだっけって、言ってたもんね」
呟くように言ってみる。
昨夜の、ディアンの言葉だ。彼もそれを覚えていたのだろう、にっこりと頷く。
「俺は、ミルッヒに乗って集中局に行くこと! それから、無事に帰ってくること」
ディアンが、集中局から持ってきた小包。みんなでそれをつけ狙う男からそれを守って運び、フィルさんに無事届けた。たとえ中身がなんであろうと、あたしたちはやらなければならないことはすべてやったわ。ベイシス・バイブルじゃなかったけれど、大事な大事な郵便物を守り通した。
「フィーアさんは、無線でみんなの計画と誘導。フィーアさんがいなけりゃ、毎日三人じゃ配りきれないよ」
みんなに背中を向けていたあたしは、もう一度、向き直った。気が変わった。まだ、帰れない。
見たくないと、背中を向けるのはだめだ。
「やり遂げたじゃない。ありがとう、おつかれさま」
だって、そうみんなに言うのは、あたしの仕事の一つだもの。
だから――たぶん、今度は上手く笑えているはず。だって、みんなが驚いたようにあたしを見つめているから。
あたしは知っている。こう見えて、管理者だ。みんなの管理評価をするのも、あたし。だから、あたしは知っている。
みんな、自分の仕事をまっとうした。間違いない。
しんと静まり返る中、やがて、最初に動いたのはジーク。
「ご利用ありがとうございました」
卵のような身体でちょこんと頭を下げ、あたしの隣をすり抜けてフィルさん宅の門を出る。
「――ちょ、ジークさ……あぁ、もうっ! ありがとっした!」
やけ気味のジンがガバッと勢いよくお辞儀をして、小走りに出て行く。顔を見合わせたユウキとケインが、慌ててお辞儀をして後を追った。
三人があたしの横を駆け抜けると、あたしの前髪はさらりと揺れた。
「……仕方ないわねぇ」
「もー……ありがとうございましたぁ」
小さく会釈をして、女二人も続くようにしてあたしの両脇をすり抜け、この荒れた庭から出て行く。花の香りが、ふわんと一瞬あたしを包み込んだ。
「んじゃ、しつれいしまーす」
気遣わしげに立っていたディアンとルティシアも、フィルさんに一瞥をくれて踵を返した。二人とも、すれ違いざまにあたしの両肩をポンと叩いていく。ルティシアはじんじん痛むほど力いっぱい、ディアンは一瞬だけかすめるように。
「さよなら」
最後に、あたしも言い捨ててフィルさんに背中を向ける。
振り返る直前に見たフィルさんは、あっけに取られたように立ちすくんでいた。あの顔は、わかってないって顔だ。
きっと彼にとっては、何故か集団でやってきた郵便局員たちが突然怒り出し、どういう話の流れか一様にお辞儀をして帰っていった不可解な出来事、くらいなんだろう。
それでいい。もう、それでいいよ。
むなしいけれど、他人の仕事なんてそれくらい理解の難しいものなのだ。
わかって欲しいなんて、そんなのただのわがまま。だからあたしたちは、最後まで郵便局員としていられればそれでいい。
あたしたちは、配達を終えたのだ。




