4-3 見えない包みにこめる思い
「ダミー小包?」
なんなの、それは。書きかけの書類に目を落としたまま、あたしはナルの酔狂な提案に対して思わず聞き返していた。
外は夕暮れ。料理当番の時間以外は一日中書類に追われていたはずなのに、配達トリオが帰って来はじめている時間帯であるにもかかわらず未だあたしは書類の束を抱えている。何故だ、何故なのだ。
みんなはコーヒーカップを手に一息ついているところだ。こくりと喉を鳴らしてコーヒーを一口飲んだルティシアが、ナルの言葉を補足する。
「つまり、『アレ』を狙っているらしい輩を撹乱しようと、そういうことですわ。一応、わたくしたちやジークさんたちはもう製作の準備ができているんですけれど」
「あたしが無線で連絡しといたのよ」
地味な区分け作業にいそしんでいたフィーアが顔を上げてウインクする。
つまり、あたしが了承すればすぐ製作に取り掛かることができるって、そういうことなのか。
「撹乱とか言って……楽しんでるでしょ、どう考えても」
指の間にペンを挟んだまま頬杖をつく。呆れ口調のあたしを、ジンが覗き込んで来た。悪戯っぽく笑って、じゃーんと何かをあたしの鼻先に突きつける。
「じゃーんっ! プレミア付きと名高い挿絵たっぷりエロ小説、『性少女マリア~秘蜜の花園~』っ!」
「け、汚らわしいっ!」
本を突きつけられたあたしではなく、頬を赤らめたルティシアが非難めいた声をあげる。でもお嬢様、そんなこと言って顔を覆いながらも、しっかり指の間から貴女の青い瞳がキラキラ興味深そうにこっちを見ているのには誰もが気付いていますよ。
「楽しまないと、やってられないよ。休みを正式に取り下げたとはいえ休日勤務なんだからさ」
ユウキが苦笑する。彼が取り出したのは薄い本のようなもの。表紙に拙い字で『えにっき』と殴り書きしてある。……子供の頃の宿題か?
「これをぉ、こう包んで紐で縛ってぇ……ほら、こうすればできあがりですよぉ」
一見して本であるとわかる、けれど中に何の本が入っているかはわからない、そんな小包。確かにこれをいくつも作って持っていれば、撹乱できそうね。確かに重要な本だと思って盗んでおいて、包みを開けたらエロ本だったなんて、確かに楽しいオチだ。
「面白そうね。よっし、採用!」
みんな口々に歓声を上げながら、持ってきたらしい本やそれに準じたものを応接用のテーブルにドサドサ置いている。学校の教科書や、昔流行ったという学術書や、比較的新しい妊娠出産の本――あ、これはきっとケインのだわ。
「たくさんあるわねー」
「とか言いながらその本を熟読するのはやめてくださいまし、若い女の子がはしたないですわよ!」
ルティシアのヒステリックな声はあたしに向けられている。いやぁ、だってこの本ジンがプレミア付きと言うだけあってなかなか……
「いやぁ、後学のために……って、うわ、コレまじですごい」
無理なポーズで生々しく絡む男女二人の挿絵を見ながら言ったあたしの後ろから、唐突ににゅっと首が生えてきた。
「ホントすごーい。ジンさん今度コレ貸して」
「ってディアン!」
ぎょっとしたあたしは思わず本を閉じて飛び退る。
「後学のために? みたいな?」
にっと笑って、彼は荷物の中からガサガサと数冊の本を取り出してテーブルに放る。何が後学のためだ、いやらしい――って、同じことを言っていたあたしにそれを突っ込む資格はないか。
「チェリスってばいやらしー」
笑い混じりの声に、びっくりして振り返る。苦笑を浮かべたディクスが、分厚い学術書を抱えて立っていたんだもの。
「手伝いに来たよ。本ならいっぱい持ってるしね」
でもディクス、あたしたちがベイシス・バイブルを配達するのを反対していたんじゃないの? そりゃあ、手伝えることがあったら言ってねって言われていたけれど、巻き込むつもりなんて毛頭なかったのに――
「君は僕がいなくてもやり遂げてしまうだろう? そんなの、癪じゃないか」
「ちょっと、二人の世界作るなよー」
じっとあたしを見つめて紡がれたディクスの言葉に配達隊から茶々が入る。あたしとディクスは二人して思わずきょとんとしてしまい、あまりにぴったりのタイミングにたまらず吹き出した。ルティシアが嫉妬の炎を燃やしてあたしを睨んでいるのに気付いて、慌てて咳払いをする。怖いです、怖いです鬼秘書。
でも。
うれしいなぁ、顔がほころんじゃう。何も関係ないディクスが、手伝ってくれるのが嬉しいなぁって。危ないけど、巻き込みたくないけど、だけど嬉しいなぁ。たぶん、ディアンやルティシアが説得してくれたんだろう。
アリエラさんが励ましてくれたりディクスが力をかしてくれたり。そういうのが、すっごく嬉しい。
勝手に仕事を受けるというあたしの決断は間違っていた。それは、もう、反省した。
でもそれ以降、みんなを巻き込んだことが正しいのかは、本当はわからない。仕事だからって、危ない目に遭わせていいだなんて思えないし、思ってはいけない。だから。
それにフィルさんも、なんとなく変な態度をしていた。学者先生なんてあんなもんなのかも知れないけれど、それでも不安になるには充分な違和感。
だから、少なくとも理解者が――そして協力者がいるっていうのは、精神的に支えになる。
「さ、あんたたち、ふざけてないで作っちゃってね」
じんわりとにじみ出そうな感情をぐっとこらえて、あたしはわざとさっぱりとした声で言った。この感情に浸るのは、まだ早い。
「作っちゃってねって、局長ちゃん手伝ってくれないんですかぁ」
ナルの非難の声に、あたしはそれもそうかと本の山に手を伸ばす。確かに、みんなでやった方が早く終わるし。でも、あたしが包み紙を手に取る前に、ルティシアがきっぱりと言い切った。
「局長には、ご自分の仕事が山ほど残っていらっしゃいますから、ね?」
う……睨まないでください。怖いです、お嬢様。
あたしは一人みんなの輪から離れて自分の席に着き、がっくりと肩を落とす。書類の数は多いけれど、まぁ、ディアンが局を出るまでには間に合いそうな量ではあるかな。
よーし、小さく呟いて腕まくりをすると、一番上の書類を手に取ってみる。
えぇと……配達日数の調査における換算方法の統一化について? うわぁん、とりあえずよくわかりません。
涙目になりながら天井を仰ぎ見たあたしの視界の隅には、通りに面した窓があって。徐々に暮色に染まるスピリーツェの村が目に入る――はずなのに、なんだかやけに明るいし、心なしか騒がしい。あぁ、そうか、前夜祭があるのね。
「ね、終わったら、上がっていいよ。前夜祭行っといで。明日は夕方からしか創村祭に出られないんだから」
前夜祭と言ってもたいしたことはやらないのだけれど。創村祭用の料理を作るのに余った材料で作られた料理とアルコール度数の少ないお酒が配られて、楽団の最終リハーサルに合わせてみんなで踊るの。
「まあ、危ないから一人での行動は避けて欲しいんだけど」
ぺらぺらと資料を捲るあたしの言葉に、全員が『はぁい』と良い子のお返事をする。ちらりと目をやると、既にダミー小包は幾つか出来上がっていた。みんな世間話かなにかをしながら、楽しそうに作業をしている。
いいなぁ、仲間に加わりたいなぁ、思いながらあたしは目を笑みの形に細めた。
前夜祭の踊りが始まったのか外から賑やかな音楽が聞こえてきて、つられて爪先でリズムを取りはじめる。無意識のうちに口ずさんでいたメロディは誰にも咎められなかったので、あたしは鼻歌歌いながら仕事に没頭することにした。




