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POSTAL HEART  作者: KKN
17/44

3-7 今日も一日、がんばろう

 ベイシス・バイブル九分冊。

 別名、『終末の書』。

 公式にはセラフィン所有、本当のところはもうこの世にオリジナルは存在していない。

 その本には、世界の終末――つまりこの世の滅亡について事細かに予言されているらしい。その知識さえあれば恐らく世界の終末を阻止することも、そして早めることも可能。

 持つべき人が持てば、それは兵器となる可能性もじゅうぶん有り得るシロモノ。

 その写本を、明後日我がスピリーツェ郵便局は配達する。


 あたしの話――フィルさんのことから昨日の刃物男まで目を丸くしながら聞き入っていたみんなは、話が一区切りつくと物も言わずに顔を見合わせた。

「あたしが口を割らないのもわかるでしょ、もぉ、あたしばっか悪者扱いしてひどいわよね」

 椅子に身を沈めて深いため息をつくあたし。椅子の後ろに立ってあたしの頭に肘をついているディアンがう~んと小さく唸った。

「結局、そのベイシス・バイブルが狙われてるんだ? 誰に?」

「さぁ? 昨日のあの男かもしんないし、アレはそのうちの一人でなんか組織みたいのかもしんないし……」

 頭の上にディアンを乗せたまま、あたしは机の上に頬杖をつく。

 結局のところあたしも、ほとんどわからないのよね。フィルさんは狙われてるだの何だのということは曖昧にしか言わなかったし――まぁ刃物男がベイシス・バイブルのことを口にしていたのだから諸悪の根源は恐らくそれなんだけど。

「チェリス、やっぱり自警団に報告した方がいいよ」

 あたしの話をじっと聞いていたディクスが、やがてあたしの目を見てそう言った。あたし、思わず顔をしかめる。

「そりゃ勿論そうなんだろうけどさ……ジークどうよ?」

 突然振られて、煙草に火を点けようとしていたジークの口からポロリとそれが落ちる。

「なんだいきなり」

「いや……一応年長者として意見をさ」

 あたしの隠し事におそらく気付きながらも、冷静に自分のペースを乱さなかったジーク。自惚れかもしれないけれど、心配してなかったわけじゃないと思う。だって、無理するなって言ってくれたもの。それでもみんなから一歩ひいてあたしたちを見ていたジークなら、正しい判断を下せるような気がした。少なくとも、すぐに突っ走るあたしとは違う物の見方ができるはず。

「配達すべきか、自警団に任せて手を引くべきか? 二つに一つだとしたら、ど?」

 ルティシアが、何かを思いついたのか書棚へ向かう。ジークはそれをちらりと見てから、拾った煙草に火を点けた。どうでもいいけど汚くないですか、おっさん。

「まぁ……オレから配達取り上げたらなんも残らねえからなぁ。それが飯のタネだし」

 ……?

 どういう意味?

 あまりにも遠まわしすぎて真意を見出せないあたしは、思わず首を傾げる。頭の上のディアンが滑り落ちて、驚いたように声を上げた。

「生身の人間や動物の類。麻薬、ただし国立薬剤院の許可証があるものは除く。発火物爆発物の類、マッチも含む。保存加工されていない肉類魚介類――これはつまり燻製の類や瓶詰めは良しということですわね」

 分厚い本を書棚から出したルティシアが、ページを捲る。

「郵便約款です。禁制品の項にはそうあるだけですわね。あとは地方によって差異はあるようですけれどもスピリーツェの項には特に書かれていませんわ」

「……本というのはどこにも記述がない、と」

 フムフムと頷いたフィーアが、ぽつりと呟く。ルティシアが頷き、付け加えた。

「この中に『災いをなすもの』なんて曖昧な記述でもあれば当てはまるのでしょうけれど」

「じゃあ、配達するのが妥当じゃないですかぁ?」

 にこっとナルがあたしに笑って見せた。

「配達するわけじゃない私が言うのって無責任なのかも知れないですけどぉ、少なくとも窓口にお手紙を持ってくるお客さんは、みなさん手紙が届くのをとっても楽しみにしてるんですよぉ」

 すっごく、嬉しそうに言うもんだからあたしもつられて笑ってしまった。うんうん、わかるわ。あたしも局内にいることが多いから。お客さんはみんな、手紙が届くのを楽しみにしているの。たいして高くもない、けれど安くもないお金を払い、遠く離れた人たちに心を届けることをとても楽しみにしている。自分が簡単に行くことができないから。

「だからー……禁制品でもないのにぃ、配達しないのはダメですよぉ。それがお仕事なんですからねぇ」

 両の手を、ぎゅっと握って。

 一番お客さんと接するからそういう気持ちが大きいんだろうな。ナルは珍しく力説した。実際に配達するのは配達トリオとジークだけれど、預かり口はナルだもんね。嬉しい知らせ、悲しい知らせ、なんでもない近況――みんなみんな、ナルは分け隔てなく受け付けている。お客さんの『届いて欲しい』っていう気持ちに一番触れるのは、彼女だ。

「ハイ、俺賛成」

 ディアンが片手を上げて自己主張する。

「やられっぱなしで逃げるの、嫌だ」

「馬鹿ですわねぇ、喧嘩じゃありませんことよ。これだから野蛮な輩は」

 薄く笑って、フィーアはディアンの下のあたしを覗きこんだ。

「でも、わたくしも、配達すべきだと思います。郵便局の存在意義ですもの。危険を伴うかもしれないので、警護は考えるべきだとは思うのですけれど……」

 う~ん、意外や意外。女衆とディアンは配達すべきと言うのね。正直、特に女である内務陣には反対されるんじゃないかと思ってたから――だって怪我したあたしを見ているわけだし、みんな頭が良いから自分がそうなる危険性っていうのを考慮するはずだもの。

「で、あんたたちはどうなの」

 フィーアに促され、配達トリオは顔を見合わせた。

「無理しないでいいから、聞かせて。ナルの言葉は真実だけど理想論だもの。配達する人のホンネっていうのもあるでしょ」

「えぇと」

 ケインが、少し困ったように頬を掻く。

「ジークさんの言うとおり、こっちとしては、配達するのが仕事だからなぁ……」

「うん?」

 もにょもにょと語尾を濁したその言葉は、どうもはっきりしない。首を傾げたあたしに、ジンが笑った。

「俺ら、なーんも考えてないってこと」

「ディアンが運んできた郵便物を配達すんのが仕事だから、それがどういうシロモノかってのは比較的興味ないんだよね実際」

 ユウキも、困ったように首を傾げて。

 ……なんなの、もしかしてあんたたち、あたしの話聞いてなかったわけ?世界の未来に関わることができるかもしれないほどの、けれどそのせいで狙われる可能性大の、前代未聞のシロモノなのに。

 憮然としたあたしをよそに、ジークは煙草をくわえたまま肩を竦めた。

「とりあえず運ぶ、それが配達員の仕事だってことさ。窓口が受け付けて、飛竜乗りが運んで、中央局が区分して、また飛竜乗りが運んでくる。それに関わるつもりはないね」

「つまり判断は任せる、と?」

 ルティシアの言葉に、ジークは灰皿に煙草を押し付けながらウインクする。

「まぁ、結論がどんなでもオレの手元まで来たならそれは運ぶけどな」

 ??? 結局どういうことだ。配達に至るまでに関わる気はなくて、更にどんな判断でもそこにあればとにかく運ぶ。そういうこと?

 自慢じゃないけど、あたしは頭の働きがちょっと鈍い。遠回し遠回しに言われても理解ができない。

「あぁ、もう。わかりにくい。一言でお願い」

 苛々と声をあげたあたしに、配達人員一人ずつ手を上げて宣言。

「任せた~」

「お任せしまーす」

「任せる!」

 フィーアとルティシアが頭を抱え、ディアンとナルが笑い転げる。あたしはどっちかというと頭を抱えたいわ。ホントに何も考えていないのかも、この人たち。

「賛成四、棄権三。多数決じゃないのか、局長ちゃん」

 ディアン、ルティシア、ナル、フィーア。配達しようと言ったのがこの四人。外務三人はあたしたちに任せるということでつまりは棄権ってことよね。そのことは一理あるけど、ジークはどうなのかしら――問いかけようとしたあたしより先に口を開いたのは、他ならぬジーク。

「配達しようや、局長ちゃん。それがなんだろうと、仕事は仕事だ。給料もらって飯食ってんだから、最低限のことはしようや」

 ……そっか。そうだね。

 あたし、にっこり笑った。

 そうね、確かに。まがりなりにも、給料もらってんだから、あたしたち。それなりの勤めを果たすのは義務だもの。物が何か、とかじゃないのよね。

 さっきから、みんなが言っている。当たり前すぎて、忘れがちなこと。結局、何のかんの言って、あたしたちの仕事だ。あたしたちは郵便局をして、生きている。そんな奇特な人、郵便局員しか存在しない。だけど、それがプロってもんだ。

 要は、その配達物が禁制品でないか、料金は正当に払われているか、それだもの。条件を満たしているものは、プロとして配達してみせましょ。

「……よしっ」

 頭の上のディアンを振り落とし立ち上がると、カレンダーの明後日の日付にチョークで赤丸をつける。

「賛成五、棄権三! 反対なし、よって配達するに決定! 明後日は休暇届取り下げるから承知しておいてね!」


「僕は反対!」


 気持ちよく宣言したあたしを、遮るような声。みんな、驚いたようにそっちを見る――もちろん、あたしも。

 声の主はさっきまでずっと黙っていたディクスだ。珍しく強い口調で言った彼は、あたしに詰め寄って手首を掴む。

「どうして? 危険な目に合っているじゃないか! 現に君は怪我をしている。たかが小包一つの為に危険をおかすというの?」

「でもさー、たかがじゃないんだよ。ウチの郵便物は、みんな大事なものだよ、やっぱり」

 ディクスの指をそっと外し、あたしは彼の冷たい指と自分の指を絡めた。

 気を遣ってくれているのは、痛いほどわかる。ディクスは優しいもの。昔から、いつもいじめられっ子で要領の悪いあたしを心配してくれていた。

 けど、これは譲れないなぁ。命とか友情とか信頼とか、そういうものとは別次元なのだ。だって、仕事だから。あたしたちは、お金で動いている。お金で命とか友情とか信頼とかそういったものが買えないように、命とか友情とか信頼とかそういったものでお金をどうこうすることはできないのだ。フィルさんへの差出人はお金を払って郵便局に本を託した。受付郵便局は拒まなかった。だから、大事な預かりもの。

 ベイシス・バイブルが入っているんだから『たかが』呼ばわりできないのはもちろんのこと、たとえ中身が古新聞の束でもやっぱり大切なのだ、あたしたちにとって郵便物っていうのは。

 ご飯がなければ、お腹がすく。いつか死んじゃう。郵便物は、あたしたちのご飯の素。なら、ないがしろにできない。それはもう、仕方がないことではないか。

「君たちが傷ついてまで守るものだというのかい? ありえないよ!」

「ありえるよ。ありえるの。なきゃ、だめだよ」

 じっとこちらを見つめてくるディクス。だからあたしも彼から目をそらさず、強い口調で言った。

「それがあたしたちの仕事だもの」

 ね、そういってルティシアを見ると、彼女もおずおずと頷く。

「……ルティシアまで……あぁ、もぅっ! わかってないよ、君たちは! これだけ危ないって言ってるのに!」

 まだ何か言いたそうに口をパクパクさせていたディクス、やがてぐったりと肩を落としてあたしの両肩に手を置いた。

「僕は止めたよ?」

「うん。でもあたしたちなら大丈夫」

 きっぱり。心配かけちゃいけないと思って、あたしは必要以上に言い切った。少し冷たい感じになってしまったかもしれないけれど、それはもう仕方がない。

 本当は少し不安。でも大丈夫。きっと、大丈夫――ほとんど、自分に暗示をかけるみたいに胸のうちで繰り返す。

「……手伝えることなら言ってよ」

 きれいな顔をゆがめて髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜたディクスは、やがてぽつりと呟いた。

「……帰るね、もう」

 思っていたよりあっさりと回れ右をして、ディクスはドアを開ける。肩を落として帰っていく彼を見送って、あたしは息をついた。

 なんだか妙に疲れたけれど、一日はこれから。ディクスが気にならないでもないけれど、あたしたちの内情なんて知らずに今日も郵便物はやってくるはずだもの。グズグズしていられないわ。

「さって! 時間食っちゃったから今日は朝礼なし! 局開けるわよー!」

 「ィエッサー」とノリの良い返事を返しながら、散っていくみんな。しばしそれを眺めたあたしは、傍らに立つディアンを見上げた。

「あのさ。ディクス、追いかけて一緒にいてあげて。ああ言っていたけど、ディクスだって内情知ってるんだから危ないんだよねたぶん」

 ベイシス・バイブルを狙う誰かが、ディクスに気付いているかどうかはわからない。でも、少なくとも何日も連続で局に出入りしている彼は、無関係とは思われていないだろう。

「ん。わかった」

 出口に向かって二、三歩歩いたディアンはふと振り返ってあたしを見つめる。すごく、不思議そうに。

「聞いていい?」

「どうぞ」

 尋ねておきながら、ディアンはもごもごと言葉を濁した。

「……あれ、なんて言えばいいんだろ」

「いやあたしに聞かれても。わかんないね」

 首を傾げてみせると、彼は困ったように頭を掻いた。

「なんでそんなこと俺に頼むの? 無自覚? もしかして、なんで虫の居所悪かったか気付いてていろいろ言ってる?」

「は? 知らないわよ、そんなの。てか機嫌悪くて八つ当たりはあたしに関係ないじゃない」

「……わかんないなら、いい」

 なによそれ。あたしが問いただそうとしているのがわかったのか、ディアンは逃げるように走って行ってしまった。その顔は、何故かいつもよりうっすら赤くて、けれどどこかとまっどっているようにも見えた。

 あたしのわからない何かに、彼は気付いたのだろうか。表情からして悪いことではなさそうだけど、なんだかすごく癪だ。

 しばし憮然としてディアンの行った方を眺めていたあたしだけれど、やがてため息をついて椅子に沈み込む。まだ一日が始まったばかりだというのに、どっと疲れてしまった。椅子の上に身体がずぶずぶと溶けていくような感覚は、けだるいけれどどこか気持ちが良い。今後の方向が決まった安心感だろうか。

 だけど。なんだか、安心したら、眠くなってきたなぁ。まあ、寝てないんだから仕方がないけど。

「いらっしゃいませぇ」

 かろかろんというドアベルの音と、のんびり間延びしたナルの声。さっきまでの一連のごたごたなんて片鱗も見せず、いつも通り流れ始めた局の時間。

「あ、おはよう、おばちゃん」

 疲れている暇は無い。

 顔なじみのお客さんに手を上げてから、あたしはルティシアの用意した書類の山に手を伸ばした。

 今日も一日、頑張ろう。


 ――こうして始まったこの日は、何事もなく順調に終わった。

 だからあたし、全部思い過ごしでこのまま何事もなく配達できるんじゃないかなんて、少しだけ思っていたんだ。


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