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POSTAL HEART  作者: KKN
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3-5 そうして朝がやってくる

 我に返った瞬間、手の中のドアノブが勝手にガチャリと回る。ドアの向こう側から、いきなりドアを開けられたのだ。もしかしたらあたしがいるのに気付いていたのだろうか。思わず少し赤くなった顔に驚いたようなみんなの目線が突き刺さるのが、居心地悪い。でもドアを開けたその人は、あたしにもじもじする時間をくれなかった。

「あのさ、ちぃ。俺、前々から思ってたんだけど」

 立ち聞きを責めもせず、しかし不機嫌な声色でディアンがあたしを見下ろした。

「俺ら、なんなわけ?」

「……どういう意味」

 突然響いた大きな音に身を竦める。ディアンが、机を思いっきり叩いたのだ。他のみんなは驚いたように、おろおろとあたしとディアンを見比べるだけ。普段ディアンっていうのは飄々とはしているけれどどちらかといえばほのぼのしているタイプだから、驚くのも無理はない。実の兄であるディクスや付き合いの長いあたしが驚いているくらいなんだし。

 喧嘩したって必ずあたしが勝てるくらい、ディアンには攻撃性ってやつが欠如しているはずなのだ。いつもは。

 自分の脳内にある『いつもは』という言葉に寒気がした。『いつもは』ってなに。つまり今は、『いつも』では、ないと?

「俺らを危険な目に合わせない? なんなんだよそれ。俺ら、ココの客かなんか?」

 力いっぱい肩を掴まれ、あたしは顔を歪める。傷が痛かったというのもあるし、緊張から胸がどうしようもなく苦しかったというのもあるし、でもたぶん何よりもディアンが怖かったから。あたしは、ディアンっていう奴はのほほんと穏やかで喧嘩したって必ず折れるような奴だと思っていたから。

 何も言い返せないあたしに、ディアンはなおも苛々と声を荒げる。

「ちぃ上司だろ? 俺ら部下だろ? で、仕事のことなんだろ? 関係あるじゃん、なんで俺らに言わないんだよ、俺らそんなに信用ない?」

 あたしは、泣きそうだった。

 確かに、出来が悪いうえにあまり威厳のないこのあたしは上司で、毎日毎日頑張ってくれているみんなは部下。あたしなんかの下で納得いかないだろうに頑張ってくれているみんなのこと、信用してないわけ、ない。

 信用できないから言わないんじゃない、みんなを危ない目にあわせたくないから、言えないだけなのに。なんであたしがこんなに怒鳴られなくちゃいけないの? あたし、何か悪いことしたの?

「……」

「……信用できないなら、別の信用できる奴でも雇えば」

 あたしが何も言わないからだろう、ディアンはしばしの沈黙の後苦々しく吐き捨て、あたしに背を向ける。彼はたいてい身一つで出勤してくるから、まとめる荷物もない。そのまま早足にドアを開け、みんなに挨拶もなしに局を飛び出してしまった。

 後に残されたのは、あたしと、おろおろとしているみんなだけ。ディアンは行ってしまった。戻ってくる気配はない。

 妙に、動悸が激しくなってきた。耳元に引っ越しでもしてきたみたいにうるさい心臓を意識しながら、みんなを見回す。気まずい雰囲気は変わらないけれど、心なしかみんなあたしに対する視線が同情混じり。そりゃそうだ。あそこまで言われたもんな。よりによってディアンに。

 別の信用できる奴雇えって。なんで、そんなこと言うかな。そう簡単に雇えるわけじゃないのも、ついでに言うなら希望者がいなければどうにもならないのも知っているはずなのに。

 そもそも、誰か欠けると局が動かないっていうのは、例えではなくて真実なのに。あたしみたいなダメ局長がやっていくには、ベテラン局員に甘えるしかないんだから。好きこのんでダメ局長の下で我慢しようだなんていう人、いないんだから。

 なんて、うじうじしててももうどうにもならない。あたしは、努めて明るい声を出した。

「……区分は終わっているから、受渡しよう」

 受渡簿を手に取り、かろうじて笑う。ディアンが怒ろうと、あたしが落ち込もうと、そんなことは関係無しに郵便局は今日も正常運営。時間になったら、仕事を始めなくちゃならない。もちろん局内の人間関係がゴタゴタしてるなんてお客さんに関係ないんだから、笑顔でね。時間って言うのは平等で、平等っていうのはとっても無慈悲。感傷なんて、暇、そうでなければ有能な人間の特権なんだ。残念ながらあたしはそのどっちでもない。

 ――朝だ。

 のろのろと、ジンが重い腰を上げる。それにつられるように、ケインやユウキも準備に取り掛かった。フィーアとナルが顔を見合わせ、ルティシアとディクスがなにやら真剣に話し合っている。

 これで、よし。朝が始まるんだ。

 安堵して目を伏せたとき、のほほんと明るい声がその場の空気に割って入った。

「おっはよーさん」

「あ、おはよう」

 卵のシルエット――ジークだ。正直言って、遅刻ギリギリなんだけど……まぁ、空気が和んだのでよしとする。正直、ありがたいわ。

「おい、ディアンどしたん? あっちの角でぶつかったけどあっという間に行っちまったぞ。最近の若いモンはあれだな、せわしないな」

 愛嬌のある顔立ちを精一杯しかめ、ジークは眉間に深い皺を寄せて見せた。そのしぐさがあまりに脳天気だったもんで、思わずくすりと笑ってしまう。

「ん……トイレにでも行きたかったんじゃないの」

「変なもんでも食ったのか? お前さんも顔色悪いぞ。まったく、無理すんなって言っただろが」

 あっという間に行ってしまったというディアンは、当然局内であったことなんて話さなかったのだろう。ジークは特にあたしに対して不信感を抱いている様子もなく、あくまでいつも通りになで肩をむりやり竦め、煙草をくわえる。あたしは彼にマッチを投げ渡して、はぁとため息をついた。

 そういや昨日、無理すんなって言われたんだっけ。善処するつもりだったわよ、あたしだって。なのに、あたしが考えるよりもずっとハイスピードで物事が展開してくんだもの。無理の一つや二つしないことにはどうにも収拾がつかない。

「チェリス」

 背中に暖かい手が触れて、あたしは我に返る。ルティシアだ。正直、ディアンと同じくらい怒っているのだろうと思っていたから、意外。触れた背中から体中に暖かさが染み渡るような気がして、あたしは小さく息をついた。なぜだか、その暖かさが妙にほっとしたのだ。

「それで、結局どういうことなのかしら?」

 にっこり、有無を言わせない笑顔でルティシアはそれていた話題を戻した。目が笑っていないもんだからすごく怖いんですが、お嬢様。

「わたくしたちを危険な目に合わせないように? 馬鹿にしないでくださいまし、わたくしたちの中に誰か、貴女よりも要領の悪い人間がいて? 仕事が一番できないのは誰かというのを考えれば、簡単にわかることですわよね?」

 こういうのを、毒舌っていうのだ。人を散々けなして、それでいて――

 ああ、毒っていうのは少量だったら薬になるっていうのは本当なのかもしれない。ルティシアの言葉は容赦がないけれど、どこかあったかい。

 彼女はディクスと頷き合い、他のみんなを見回してから言葉を繋いだ。

「それがわかったら、貴女のすべきことを順番にこなしてくださいまし」

 わかったわよう。感傷にはひたりません。とっととお仕事します。

 無言で受渡簿を手に取ったあたしを、ルティシアは押しとどめる。

「物わかりが悪いですわね。貴女のすべきことって、もっと重要なものがあるのではなくて?」

 え? だって、これから配達の分の郵便物を受渡するのが最優先じゃないの?

 意外な展開に困惑気味のあたしの背中を、「しゃーねーなぁ」と笑ってジンがぱしんと叩いた。

「ディアン連れてこいっての」

 驚いて見返したあたしを、彼をはじめとした配達部隊が片っ端から小突いた。

「気になって配達もできねぇよ」

「さっさとディアン連れてきて」

「全部ゲロしちゃえ!」

 がしがし小突かれてもみくちゃにされているあたしに、最後にはナルが肩から体当たりしてきた。ふわんと立ち上る花の香りがいつも通りで、花束を抱き留めた気分になる。

「局長ちゃんのなすべきことはぁ、怒ったディアンを連れ戻すこととぉ、状況説明ですねぇ。説明もなく対処できるほど有能でしたらぁ、あたしたちだってもっと給料いいとこで働いてますよぉ、だ」

 いたずらっぽく笑って、ナルは片目を閉じる。ナルは充分有能だからどこに行ってもやっていける気がするけど。彼女は「無理ですよぉ」とからから笑いながら離れた。

 フィーアがジークにコーヒーを手渡しながらことの顛末を話している。ぼんやりとそれを見つめていたあたしは、ゆっくりと、ゆっくりと微笑んだ。

 ベイシス・バイブルの一件は何一つ片付いちゃいないのに、どうしてか安堵感で胸がいっぱいだ。

 ふと目の前が霞んで見えて、慌てて目を拭ったあたしを覗きこむ人がいた。頬に掛かる金髪が、ふわりと揺れる。

「貴女に悪気がないことはわかっていますわよ。貴女の怪我を見れば、危険なことに巻き込まれているんだろうというのも。貴女が他人を巻き込むのを嫌がるお人好しだってことまで承知で、わたくしたち、昨晩決めましたの」

「わたくしたち?」

 ルティシアの言葉に首を傾げたあたしの肩を、ディクスがつんつんと突付いた。あぁ、そっか。昨晩、走り去ったルティシアをディクスに追いかけてもらったんだっけ。

「貴女が迷惑だって自警団に泣きつくまで、とことんまで首を突っ込んで差し上げましょうって」

「……そっか」

 呟くと、ルティシアはポッと頬を赤く染めた。そのさまを見て、あたしも思わず照れてしまう。なに女二人で見つめ合って赤くなってるんだか。

「わたくしたちは、ですわよ! ディアンは知りませんわ。あんなに怒ってるの初めて見ましたけど、大丈夫ですの? ご自分で、きちんと決着をつけてくださいまし」

 心臓が、また跳ね上がる。あたしだってあんなふうにキレられたの初めてだ。大丈夫かなんてわかるもんか。あれが修復できるものなのかできないものなのか、想像もつかない。

 ――想像つかない?

 嘘。本当は、想像、ついてる。なんとなく。だってジークは言わなかったもの。希望的観測なんだけど。それでも、ディクスをのぞけばこの中で一番付き合いが古いもの。きっと、わかってるんだ。あたし。

 だから、あたしは。

「――よぉしっ!」

 胸の鼓動を抑えるように気合いを入れて、あたしは大声を上げた。みんなが何ごとかとあたしに注目する。

 決めた。そんなに言うなら決めてやるわ、あたし。みんなに話す、フィルさんのことやベイシス・バイブルのこと。みんなを危険に巻き込むのは嫌だし、やっぱりその気持ちは変わらないのだけれど。それがあたしのすべきことなのだ。

 あたしはミスをした。頼られたからって舞い上がって危険な仕事を引き受けた。それはもう覆らない。

 だけど、まだフォローできることもある。それは、郵便局としての基本。フィルさんの荷物をきちんと配達することだ。きちんと配達すれば、たとえきっかけがあたしのミスでもスピリーツェ郵便局のミスにはならない。

 あたし一人でできることなんてたかが知れている。だけど、みんながいたらできることも増える。毎日書類ばっかり書いているあたしと違い、郵便局の仕事についてはみんなの方がよっぽど有能なのだ。

 あたしはもっと、考えるべきだったのだ。あたしは局長なんだから、局長として頷いてしまえばそれはもうあたし一人の問題ではないのだと。

 次からはそうする、でも今は次ではない。だから、できることをしよう。悪いけど、みんなの力を借りよう。

「ディアンが戻って来たら、五分で終わらせるわよ! そっから先は通常業務、支障ないようにね!」

「イエス、ボス!」

 イェー、と、ジンやユウキが必要以上にノってくる。盛り上がるあたしたちに、年長者らしくジークがぽつりと至極当然な横槍を入れた。

「……原因作ったの、誰だっけな」

 それは、あたしです。

 本当に。みんな。巻き込んで、ごめんね。

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