3-4 終わらない夜と迫り来る朝
他と勤務時間の違うディアンや郵便局に住み着いているあたしを除いて、一番早く局に出勤してくるのはたいていジンかフィーア。フィーアは暇さえあれば無線機を触っていたいらしくて用がなくてもやってくるし、ジンは局の一番近所にしかも一人で住んでいるから朝食をせびりに早く来ることが多いってわけ。
延々言い争いを続けていたあたしとディアンは、肩で息をしながら職員用の通用口を見る。驚いたようなジンと、彼の足元に郵袋に入ったままの郵便物。そんなに時間が経っているなんて思ってもみなかったあたしたち、思わず顔を見合わせてから気まずさに目をそらす。泳いだ目線で見る部屋は、あたしたちの大喧嘩の影響かいつもよりごちゃごちゃと荒れていた。
「……おはよう、ジン」
とりあえずごまかすように笑いかけたら。
「あ……うん、おはよ」
なんとも歯切れの悪い反応が返ってきた。どちらかというとジンっていうのは元気のいい人で、上司とか部下とかあんまりこだわらない人で。だからあたしはなんだかすごく驚いてジンを見つめた。でも彼は、ついと目をそらして足元の郵袋に視線を移す。どうしたんだろう、ジン。
「ちぃ、サイン」
ぼんやりとジンを見つめるあたしに、ディアンが受渡簿を突きつける。慌てて受渡簿にサインしながらもう一度ちらりとジンを見やると、一瞬だけ目が合ってすぐにそらされた。
あたしを見てた? じゃあなんで目をそらすの。なんなの、どうしちゃったの、ジン。
「急いで区分しちゃわないと間に合わないだろ」
「あ……うん。ジンはコーヒーでも飲んでて」
そうそう、ディアンが集中局から持ってきた郵便物、区分しなくちゃ。ぼんやりしている暇はないわ。
スピリーツェに配達員は通常四人、そのうち一人は書留と小包の担当で別便だから、村中の郵便物を三人で配達しているということになる。つまり、配達前にあらかじめ最低限三つに分けておかないといけないってこと。本当はこういうのは宿直の仕事なんだけど、人手不足のスピリーツェにはそんな要員はどこにもいない。だからいつもこれは集中局から帰ってきたディアンと彼に叩き起こされたあたしの仕事なんだ。口喧嘩してる場合じゃなかったわね。
外から、出勤してきたらしいフィーアとユウキが挨拶している声が聞こえてくる。
あたしの昨日が終わらないまま、郵便局の一日は既に始まろうとしていた。
***
火照った手に、音を立てて流れる水が気持ちいい。
両手いっぱいにためこんだ水で叩きつけるように顔を洗うと、少しぼんやりしていた頭がはっきりとしてくる。二度、三度とじゃぶじゃぶ顔を洗い、あたしは息を吐いた。上げた顔からぱたぱたと水が滴るのを感じながら,
ぼんやりと窓の外を見つめる。今日も、いい天気。
あれは、いったいなんなんだろう。
顔を拭うのが億劫で、ぽたぽたと水を滴らせたまま考える。
大急ぎで郵便物を区分したつもりでも、あたしとディアンの作業が終わる頃にはいつもギリギリに出勤してくるジークともう一人ルティシアを除いてみんな出勤してきていた。けれど、それは別におかしくない。だってそういう時間帯だったし。
問題はみんなの様子だ。ジンみたいに、なんだかやたらと歯切れが悪いの。目が合っても、すぐにそらされる。なんとなくどよんとした空気にいたたまれなくなって顔を洗いに来たんだけど――
ぶるんと頭を振って、布で顔を拭う。こんなんじゃいけない。しゃんとしなくちゃ。
スピリーツェの郵便局は、二階建て。二階には大きな部屋が一つと小さな部屋が一つあって、居住フロアになっている。今いるのは一階で、事務室の奥にあたる場所。廊下を中央に挟んで片側にキッチンと洗面所、片側に倉庫と小さな休憩室があるだけ。
その廊下と事務室を隔てるのは一枚のドアで、採光用に小さなすりガラスがはまっただけのチャチなシロモノ。
「……やっぱ、局長ちゃん変」
ドアノブに手をかけたあたし、漏れ聞こえてくる会話に動きを止めた。
変って言うならみんなだって変だわ。そんなあたしの反論はもちろん口に出さないので、あたしが立ち聞きしていることにドアの向こう側の面々は気付いていないらしい。
「どう考えてもなんか隠してるよな」
「うん、しかも仕事関係のことだね」
あらら、ケインったら冴えてる。あたしだって一応年若い女の子なんだからさ、色々プライベートでもあるだろうと考えるのが普通じゃない?まぁ、プライベートで刃傷沙汰ってロクな生き方じゃない気もするけど。
「どうしてわかるんだよ」
「局長ちゃんの性格から言ってぇ、プライベートならペラペラ喋りますよぉ、くよくよ悩むの嫌いな人ですからねぇ。仕事関係に関しては局長ちゃん意地っ張りだし平気で無理するからぁ、ギリギリまで弱音吐かないと思いますぅ」
答えたのはケインじゃなくてナル――ぼんやりおっとりのナルがわかっているってことはつまり、どうしてわかるのかと聞いてるジンはさておきあとのみんなも気付いている可能性が高いわね。彼女は話し方も頭の中も間延びしてるから。意地っ張りだというのは認めたくないところだけど。
それにしても、痛いところをついてくれる。でも別に無理をしているわけじゃなくて。ただ、自分のせいでみんなを巻き込む方が精神衛生上好ましくないって、それだけ。
「ディアン、あなた聞いているんでしょう、吐きなさいよ」
「知らない」
ディアンの声は、やっぱり不機嫌そうで。あたし、唇を噛んだ。
「兄貴には言ったみたいだけど。結局俺ら信用されてないから話さないんじゃないの?」
吐き捨てるような、ディアンの言葉。誰も言葉を返せずにいるみたいで、不気味な沈黙が流れている。
それにしても。
なんでだ。どうしてだ。
どうして信用されてないなんていう方向に話が進むわけ? 被害妄想なんじゃないの、ディアンって。みんなもどうして否定しないのよ。これじゃあまるで、逆にあたしが信用されていないかのようだ。
なのに、ここで飛び出して否定するようなマネはあたしにはできない。だって、それって逆効果のような気がするもの。盗み聞きしていたなんて、ね。
「おはようございます」
気取った声が、空気を変える。ルティシアが出勤してきたみたい。
「おはようございまーす」
ドア越しに感じるペパーミント的な爽やかさ。あれ、ディクスも一緒?なんでまた。
のんきな声に思わずドアを開けようとして、しかしなんとか踏みとどまる。今出て行ったら、立ち聞きしていたのがばれてしまう。そうでなくても、テーマがあたし自身のことなのに。
今まさに話題に上っていたディクスがのんびりと現れたからだろう、他のみんなはなんとなく黙ってしまったみたい。
「どうしたの、みんな微妙な顔して? チェリスいるかな?」
「今裏行ってるけど――もうそろそろ準備の時間だし。兄貴部外者だろ、出てけよ」
ディアンってば、八つ当たりもいいとこだわ。双子のお兄さんにそんなに冷たくすることないじゃない。
「そんなこと言われても、僕はチェリスに話が……」
「るっせぇな」
話があるなら行こうかな、ドアノブを回そうとしたあたしはディアンの苛々した声に身を竦めて出て行くのをやめてしまう。だって、ディアンがこうやって怒鳴ることなんて滅多にないのよ。普段あんまり怒らない人が急に怒るのって怖いじゃないの。
「ねぇ……ディクス君は、局長ちゃんがあたしたちに何を隠しているのか知ってる?」
フィーアの問いに、ディクスが曖昧な返事を返すのが聞こえる。かすかな舌打ちも――たぶん、ディアンね。昨晩からずっと機嫌が悪いから。
ディクスが喋る気配はしない。考えあぐねているのだろう。
「知ってたんだろ、昨日、昨夜がどうのとか言ってたじゃんか」
「そのことなら、ルティシアも知っているよ。だから、隠しているというわけではないと思う。ただ、もっと深い何かをチェリスが隠しているのはなんとなく気付いてるけど――それに関しては、僕も聞いてない」
ディクスの声は少し沈んでいて、あたしは良心がちくりと痛むのを感じた。心配をかけているんだと、身に染みたからだ。
「何? ディアン、お前隠し事されてるからって拗ねて、だから昨日からそんなに機嫌悪いのか? もしかして他のみなさんも?」
ディクスの言葉で訪れる、気まずい沈黙。でも、仕方がないじゃない、これがあたしに考えつく最善策なんだから。
狙われているのだ。危ないの。あたし、自分を守ることすら自信ないのに、部下を守るなんて無理。
そりゃ、全部、あたしが不甲斐ないからだけど。あまりの歯がゆさに不覚にも鼻の奥が痛くなってきた。ああ、情けない。ぎゅっと唇を噛み締める。
「もう少し、冷静になってみてはどうですか? 何故、チェリスは無理してまでなんでもないふりをするのか、考えたことがありますか? 自分がいなくても局は動くけど、みなさんの誰かが欠けると局は動かなくなるから巻き込みたくないって、彼女、そう言ったんですよ? みなさんを危険な目に合わせないようにって」
その声色は、明らかに非難が込められていた。あたしを弁護し、みんなを非難している。その気持ちはありがたくもあり、でも、少し悲しい。悪いのはあたしだもの。みんなのどこにも落ち度はない。
「それがムカつく」
ぼそり、呟くような声は思っていたよりもずっと近く聞こえた。




