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POSTAL HEART  作者: KKN
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3-3 朝はまだ紫煙のむこう

 あたしは祖父に引き取られてからずっと、この郵便局で暮らしている。学校もここから通ったし、友達が遊びに来るのもここだった。だからかな、郵便局は嫌いじゃなかった――むしろ、好きだった。あたしの家だから。ろくでもない親のせいかおじいちゃん子だったあたし、辛いときもムカついたときも、祖父のいるこの郵便局に帰ってくればご機嫌だった。

 けれど、祖父がいきなり亡くなって、あたしがここを継ぐことになって。それからというもの、正直、好きな場所とは言えなくなってしまった気がする。無理難題を押し付けてくる上層部、何様のつもりなのか我侭放題のお客さん――考えるだけでストレスがたまる。

 今まであたしを守ってくれた祖父はもういない。祖父のいたこの郵便局はあるけれど、祖父がいなければそれはただの入れ物だ。入れ物なだけならまだいい、ここは仕事場だ。一人ぼっちで、帰る場所もなく、あたしはこのただの仕事場である箱にいなければならない。でも局長じゃなくなれば次の局長の家とするためにすぐさまこの箱を出て行かなければならず、そうなると行き先もない。だから、辞めるわけにもいかない。

 なんとなくみんなには言いづらい――というより言いたくないこのストレスで潰されそうだったとき、あたしは祖父の引き出しから巻き煙草一式を見つけた。それは火がついてなくても祖父の匂いがして、あたしは好奇心もあって記憶に残る祖父の手つきを思い出しながら一本作ってみたんだ。教えてもらったことはなかったけれど、毎日見ていただけあって簡単に作ることができた。今思えばあれは確実に湿気ていたけれど、そのときはまだ煙草がどんなものかを体感したことはなかったから気付くこともなく。

 煙が目に染みたのかそれとも他の理由か、あたしは初めて煙草を吸いながら、やたらとボロボロ泣いた。けど、辛くはなかったのをはっきりと覚えている。祖父の匂いがして、あたしは幸せだった。

 以来、あたしはこの煙草というものにはまってしまい、今に至るわけだ。苦しくて、たまに目眩もするけど、それでも止められない。大人の嗜好品のはずなのに、あたしは未だ祖父離れができないお子様なんだなとつくづく痛感させられてしまうのは少し辛い。

 本当は、少し違うけど。そのお子様レベルのあたしが局長なんていう大役を果たさなきゃいけないなんていう現実を痛いほど感じるのが辛いのだ。

 はたと、灰皿に目をやる。なんというか、灰皿というより灰山ね、これは。ぼんやりしながら煙突化していたせいか、知らぬ間にかなりの量になっていたみたい。

あたしが煙草を吸うことに嫌な顔をする人は少なくない。ルティシアに、アリエラさんに、角のパン屋の見習いに、あと煙草の葉を売ってる薬局のお兄さんも。

 そのうちの一人であり筆頭でもあるディアンに見られたらうるさそうだから、さっさとこの灰山片付けよう。

 古新聞で包んで灰をまとめながら事務室を見回し、あたしは唖然とする。局内、白くもやがかかっているの。煙草の煙よ、これ。ぼんやりしていたとはいえ、ちょっと呆れてしまう。年頃の女の子のすることじゃない。うむ。反省。

「うーわーぁー、最悪」

 空気を入れ替えようとぴっちり閉まったカーテンに手を掛けて――あたし、ふと動きを止める。どうよ、カーテン開けたらあの男が立ってたら泣くわよ。しかもわらわらいたりしたらもう、あらん限りの大声で泣いてやるんだから。

 大きく深呼吸。こほんと咳払い――よし、喉の調子はおかしくない。

 ええい、開けちゃえ!

 思い切って、カーテンを開ける。

「!」

 そこに人影があることに、心臓が止まるんじゃないかってほど驚く――だって、実際恐れていたことが目の前に起こるとどうしようもなくパニック起こすものよ、人間。悲鳴を上げようと大きく息を吸ったあたし、やっと目から入ってきた情報が頭に浸透してきてその息をゆっくり吐き出した。

 ゴーグル姿のその人は、窓越しのあたしの反応に呆れたように唇を歪める。ゴーグルを外し、クイッと顎でドアを示して――あ、鍵開けてくれってことか。出入り口に立って、鍵置き場にディアン用の鍵があることに気付く。今日、鍵忘れてったのね、こいつ。あんなに急いで行くからよ。

「おかえりー」

 カチャリとドアを開けて出迎えたあたしに何も答えず、ディアンはドサドサと郵袋を運びこむ。何よ、愛想のない。

 外を見ると、星の数が若干減る程度に空が白みはじめていた。ぼんやりしているうちに、こんなに時間が経っちゃったのね……って、また徹夜か……。

「ミルッヒ、お疲れさん!」

 声をかけると、ミルッヒが喉を鳴らしてあたしに答えた。真っ白い飛竜。見たまんまなセンスの欠片もないこの名前をつけたのはディアンだったわ。

 まだ星の光の方が強い程度しかない空の明るさの中、仄かに光って見える。ミルッヒは、とってもきれい。あたしは目を細めて、感嘆のため息をついた。

「兄貴は」

 うっとりしていたあたし、ディアンの問いかけに我に返る。

「え?ディクス?」

「泊まってったんじゃないわけ」

「話して、帰ったよ。一晩中待っててもらった方がよかった? お兄ちゃんとおうちに帰りたかったの?」

 そりゃ泊まっていって欲しいのは山々だったんだけど――コーヒーでも入れようと事務室を横切りながら冗談交じりに言うと、一体何が気に入らないのかディアンがゴミ箱に八つ当たりして大きな音を立てた。ごろんと転がったそれから、紙くずが転がり出る。なんとなくムッとして、あたしは立ち止まった。

「ちょっと、何苛々してるんだか知らないけど、八つ当たりしないでくれる」

 あたし、間違ったこと言ってないよね? 抵抗できないものに八つ当たりするのは、よくないこと。

 なのにディアンってば、眉間に深く皺を刻んであたしを睨んだんだ。失礼しちゃうな。

「ちゃんとゴミ拾いなさいよね」

 チッと聞こえよがしに舌打ちして、奴は紙くずをゴミ箱へと投げ入れる。

 ――認めよう。正直、あたしだって徹夜明けで苛々している。そのうえ、ベイシス・バイブルという難題を抱えているんだ。いつもよりちょっとばかり短気になっているのは自覚しているわ。もっとも、自覚しているからって止められるほどあたしは自制心の強い人間じゃないんだけど。

「なんで舌打ちなんてするわけ、あたしどっか間違ったこと言ってる?」

「はいはい、申し訳ございません、ちぃはいつだって正しいです」

「なんなのその言い方、馬鹿にしてんの?」

 普通、ここって怒るところだよね? なんで? どうしてわざわざこんなムカつく言い方するの?

 あたし、ディアンを睨みつける。こんなんじゃ、話というか相談、できないじゃない。集中局へ行く前は聞く気たっぷりだったくせに。むしろ聞かせろって感じだったくせに。

「なんでいきなり変わるわけ?」

「は?」

 憎らしい。心底何言ってんだコイツって顔をしてあたしを見るディアン。

「集中局行く前はあんなに親身になってくれたのにさ」

「ふぅん、親身になって欲しいわけ?」

 彼は目をすがめる。まるで、そう、馬鹿にするみたいに。

 さすがに、それは、完璧、頭きた。

 あたしはディアンを平手で張り飛ばした。仕事についてからは大人になろう大人になろうと自分に言い聞かせてすっかり楽隠居していた『喧嘩っぱやさ』ってやつが若いモンには負けてられんって唐突に飛び出してきたみたいに、感情が追いつくより早く動いていたのだ。

「誰があんたに!」

 もちろん、手だけじゃなくて口もいつも以上に回る。

「だいたいあんたが聞いてきたんでしょ、なのにいきなり喧嘩腰ってどういうことよ、聞く気がないならはじめから聞かないでくんない? こっちだって疲れる!」

 もう一発殴ってやろうかと振り上げた手は、ディアンの手にしっかりと捕んで止められた。それ以上振り下ろせないのが悔しくて、むちゃくちゃに腕を振り回すとすぐに手は外れる。ちらりと見ると、手首はわずかに赤い跡がついていた。

「ぎゃんぎゃん騒ぐなよっ。話したけりゃ兄貴にでも話してりゃいいだろ」

「もぉなんなの! なんでいつもあんたの話にはディクスが出てくるわけ、あたしはあんたと話しててあんたの態度が悪いって言ってんの!」

 ――もう、ここまで来ると何がなにやら。あたしたちは郵便物の区分どころか受渡しすら行わず、ただひたすら口喧嘩を続けた。原因がなんだかあたしたち自身にもよくわからないのだけれど、そうでなくてもベイシス・バイブルのプレッシャーと睡眠不足に疲れていたあたし、一度爆発したら止まらなかったんだ。ディアンはあたしに数発殴られたし、さすがに男女差があるせいかお返しにあたしを殴るまではできないらしい彼はゴミ箱だの机だのに八つ当たりをかまし続けた。

 夜が、世界の反対側に行ってしまう頃まで、ただひたすらに。

 結果――怒鳴りすぎ怒りすぎでボロボロになってきたあたしたちが、しゃべるのも嫌でただ黙ったまま肩で息をし始めたあたりで、局の皆がぼちぼち出勤する時間にまでなってしまった、と、いうわけ。

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