3-1 きしみはじめる夜のはじまり
「だからぁ、なんでもないって。近道だからって人気のないとこ通ったのが運の尽きってだけで」
うんざりして言うけれど、みんなは納得いかないって顔。あたしは大きくため息をついた。
腕に包帯、肩と頬に絆創膏。ホッとして意識が遠くなったあたしをディアンが診療所まで担ぎ込んでくれたおかげで、処置も早くできた。顔の傷も、ちゃんと治るまで処置しておけばそんなに跡も残らないだろうってさ。アリエラさんには一日に二回もお世話になっちゃったわ。
「それより、午後空けちゃって悪かったわね。大丈夫だった?」
ベイシス・バイブルのことでちょっと心配性になっているあたし、それとなく聞いてみる。
だって、あたしはいきなり刃物で脅されたのだ。あの男が単独犯なのか団体さんなのかはわからないけど、別働隊が郵便局を襲う可能性だって考慮すべきだよね。
「局の仕事でしたら、大丈夫ですけどね。貴女がいらっしゃらない方がはかどりますもの」
いつもはここぞとばかりに襲ってくるルティシアの毒舌も、こころなしかあまり冴えない。
まぁ、仕方がないことなのかもしれない。
考えてみてほしい。体調不良で病院に行った上司が、半日寝込んだ挙句包帯巻いて帰ってきて、しかも理由は話さない。しかも彼女は昨晩の覗き騒動なんかも知っている。これで気にしない奴って、相当の大雑把さんだわ。
「配達の方は、無事終了。書留の不在が少しあるが、いつも通りだな」
ジークさんが煙草の煙を吐き出し、あたしをちらりと見た。何か言いたそうだけど、あえて気付かないふりをする。
言わないとダメ、なんだろうか。創村祭の日は、みんな休日だ。何も言わなければ、関わらないでいられるかもしれないのに。、
コーヒーを傾け、あたしは床を見つめる。当然だけど、床に答えが書いてあるわけではない。けれど、怪訝そうなみんなの顔を見ているよりはずっとましだった。
彼らに心配かけたのも迷惑かけたのも事実だし、第一、いくらあたしが勝手に受けた依頼だとはいえ郵便局の仕事に関係があるといえばあるのだからみんなにだって知る権利はある。だけど――
「……痛て」
知らず包帯を巻いた腕を掴んでいたあたし、小さく呟く。
――こうなるかも知れないということなのだ。ここにいる全員が。
あたしが怪我した理由を知れば、色々対策を考えてくれようとして、結局巻き込まれ最終的に狙われる。そんなの困るじゃない。たとえばケインは、子供が生まれたばっかりなんだから危ない目には遭わせられない。ケインだけじゃない、ディアンやルティシアはセレブなお人だし、ナルやフィーアは嫁入り前のお嬢さん。ジンもユウキもまだまだ将来有望な若者だし、ジークは……えーと、たまごだし。
窓の外に目をやる。夕焼け時はとうに過ぎたけれど、外はまだ明かりがなくても平気で出歩ける程度には明るい。これ以上だらだらしてたら、たぶんすれ違う人の顔もわからない暗さになってしまう。そうなると、やっぱり心配だ。
「ん、今日は早いけど上がって」
景気付けに手をパンパンと両手を叩く。意外と大きい音だったからだろう、みんな驚いたように顔を上げてあたしを凝視した。
だってさ。やっぱ、言えないよ。みんなを巻き込むかもしれないって思うと。創村祭の日は休日なのだ。その日に、あたしが個人的に受けた依頼だ。そんなことのために危ない目にあわせたくない。
「さぁて、あたしは今日の書類あげちゃわないとね~」
努めて明るく言ってのけ、あたしは煙草を咥えると書類の束に手を伸ばす。その行為が遠回しな拒絶であることにはじめに気付いたのはやはり年の功、ジークで。彼は卵のような身体でよいしょと立ち上がると控え室の方へ向かう。それを見た配達隊と内務三人も仕方がないというふうに立ち上がった。
あたしの横をすれ違いざま、ジークは小さく言った。
「無理すんなよ」
……できるだけ、善処したいとは思っております、ハイ。
振り返って小さく笑って見せたあたしの視界の隅に、ディアンがじっとこっちを見ている様子が飛び込んでくる。
煙草の煙を吐き出して、あたしはそれに気付かないふりをした。
***
タイムリミットは意外と近い。
何のって、書類の仕上げだ。もう少ししたらディアンには集中局に行ってもらわなきゃなんないのに、まだ仕上がってないんだな。
郵便局の仕事は配達と集荷だけだろうと思っている人は多いだろうけど、そんなことはない。
たとえば、目立たないけれど委託業務もある。スピリーツェみたいな田舎でも毎朝都会の新聞が読めるのはディアンが郵便物と一緒に新聞も運んでいるからだし、毎日村の中を走り回っている配達部隊は自警団の依頼で村の安全に配意しているうえにもしもの時には仮だけど犯人の逮捕権も認められている。
配達と集荷だけでも事故だの監査だの書類は山ほどあるのに、そういう委託業務に関する書類でしょ、それから管理者だけの書類――職員の評価とか局状とか――なんかもけっこう多いんだからたまんない。書類の苦手なあたしとしては、もう毎日これをこなすだけでいっぱいいっぱいだ。
書き終わった書類にざっと目を通してサインを書き加え、局長印を押す。封筒に入れて封蝋をして、おしまい。
終わった。間に合った。
机にぐったりと突っ伏して、あたしは息をついた。落ち度もあるかもしれないけど、もう無理。頭の中はベイシス・バイブルのことでいっぱいだっていうのによくもまぁここまで集中力が持続できたもんだ。我ながら感心感心。
コト、と、小さな音がする。腕の辺りが急にほわんとあったかくなって顔を上げると、湯気の立つカップが置かれていた。
「おつかれ」
もう着替えも済んで出立の準備万端のディアンが、自分のカップ片手にあたしの机に腰掛けている。局長の机に尻を乗せるとは、なかなかの度胸だ。それにしたって、ここにいることをすっかり忘れていた。あたしの集中力もそれなりにそれなりらしい。
だって存在を忘れてしまうくらい、あたしたは集中していたということで。同時に意味するのは、夕方からずっとあたしたちには会話がなかったというわけだな。あたしは黙々とバーサス書類でタイマン勝負をしていたし、ディアンはただ黙って座っているだけだったし。
うわ……嫌な感じ。
改めてその顔を盗み見ると、だいぶ不機嫌な様子。そこに何の罪があるのかは知らないけれど、床を睨みつけるようにじっと見ている。
「ありがと」
一応お礼は言って、あたしはカップを傾けた。
……さすがお坊ちゃん、どうしてこんなふうにお茶をいれられるんだろうというほど不味い。ザラッと舌に残る微妙な渋さは出そうと思って出せるものじゃない。ある種才能ね。
「痛くないの」
ディアンが、顔を上げてじっとあたしを見る。
「平気。ひどい傷は腕だけだし」
これ以上このお茶を飲むのは正直とても嫌だったので、それとなくカップを置くとあたしは背もたれに寄りかかった。
「あれ、誰」
……やっぱそうきたか。むしろ今まで言わずに我慢してくれていたのを感謝すべきか。すべきなのか。
あたしは返答に困って視線を泳がせた。
ディアンはあたしがあの男に襟首掴まれて脅されてるのを見ているわけだし、聞かれるだろうとは思っていたけど。わざわざみんながいないときに聞いてきたことには感謝しているけれど。
「見たことない人だったけど……」
「うん、あたしも知らない」
嘘じゃない。あたしはあいつを知らない。でも、予想通りディアンは苦い顔をした。
「知らない人が普通いきなり襲う?」
「ホラあたしかわいいから」
茶化したあたしを、ディアンが睨む。うぅ、怒ってるよこいつ。ていうかそれってあたしが可愛くないって暗に主張していることになるんだけどそこんとこどうなの今はそういう空気じゃないから言わないけど。
さて困った、それが正直な気持ち。いっそ、ディアンに話してみようか。どうせ彼はもうあの男に顔は割れているんだし、そういえば昨日、フィルさんが来たのも知っているんだから説明しやすい。それに――
倉庫街での出来事を思い出す。身も竦むくらいの恐怖と、震えるほどの怒りと、そのすべてを覆い隠してしまうほどの悔しさ。意地を張るくらいしか、抵抗するすべもなくて。結局、あたし一人では乗り越えられなかった。ディアンが見えたとき、本当にホッとしたんだ。今度ご飯でも奢ってやろうってほど感謝したの。
あたしはぼんやりと黙って足元を見つめていたけれど、ハッと我に返ると目の前にディアンが移動していた。しゃがみこんで、長い足の上に頬杖ついて。顔は怒っているけれど、多分心配してくれているんだろう。だって、そういう奴だもん。付き合い長いから、それくらいわかる。
「……あのさ、ディアン」
意を決して、あたしは口を開いた。手を伸ばして彼の頭を撫でるように髪をくしゃりとかき混ぜると、彼は肩をくすぐったそうに竦めながら先を促す。
「うん?」
「ん……うん」
言いたいと思うのだけれど、唇が重い。どうしてなんだろう。
立ち上がったディアンが、身を屈める。何も言わないあたしを覗きこんでいるのだ。
きちんと話そうと思うのだけれど、引きつるようにしか息が出来なくて、苦しい。
「……っ」
おかしいな、声まで出なくなってきた。
あのさ、ベイシス・バイブル九分冊『終末の書』の写本なんていうめんどくさそうなモンが、明後日ここに運ばれてくるらしいんだよ。創村祭の日は局が休みだから、あたしが配達するの。するって言っちゃった。だって、頼られたのが嬉しかったんだもん。みっともないけど。でもなんかそれ、狙ってる人がいるみたいで、危ないんだ。みんなを巻き込んじゃうかもしれないと思うと言うに言えないし、だから言わなかったらみんなに変な顔されるし。ホントはさ、一人で対処しきれる自信もないのよ。どうすりゃいいの、もうお手上げ。
思うのは簡単、言うのは何故か至難の業。
「だいじょうぶ?」
口を半開きにして固まっているあたしを覗きこんだまま、ディアンが不気味そうに問いかけてくる。
大丈夫じゃない。大丈夫だったらとっくに言って楽になってる。
ふと、思う。もしかして、あたし、言ってしまうことが怖いんだろうか。言ったら巻き込んでしまうって思っているのが、現実になってしまうかもしれないのが怖いのかな。
「ちぃ、落ち着いてよ」
両方の肩を掴まれて、あたしは深呼吸した。ホントそうよね。落ち着かなきゃ。
美味しくないお茶を一口飲む。あいかわらず不味いけれど、心を落ち着けるにはじゅうぶんだ。
「あのさ……、まだ内緒にしてほしいんだけど」
今度こそ!
あたしは気合いを入れてディアンを見つめた。ディアンもうんうんと頷き返してくれる。けれど。
――けれど。
本当にいいのだろうか。一瞬の躊躇を見計らったかのようだった。
これは、絶妙のタイミングというか、最悪のタイミングというか。
「チェリス、いる?」
局員用通用口がトントンとノックされた。あ、そういや今晩お見舞いに来てくれるって言ってたっけ。ディクスの声だ。ディアンが、驚いたようにあたしの肩から手を放す。その仕草がまるで汚いモノから距離を取るかのようで、あたしは密かに傷ついた。別に肩を支えてくれなんて頼んだ覚えはない。そっちが勝手にしたくせに、そんな嫌そうにはねのけること、ないじゃない。
気にしないふりをして姿勢を正すと、あたしは声が震えないようにわざと大きな声で答えた。
「はぁい、開いてるよ」
ディクスは局員じゃないけれど、まだ祖父が健在のときからしょっちゅう遊びに来たりしていたくらいには親しいので、こっちの職員用入り口を使うことが多い。もっとも窓口が開いている時間には気を使って来ないもんだから、必然的に鍵の掛かっていないこっちを使うっていうのもあるんだけど。
カチャリとドアが開いて、何やら包みを抱えたディクスが入ってくる。小さな舌打ちが聞こえて音の方――ディアンを見たけれど、彼は苦い顔をしているだけ。
「聞いたよ、怪我したんだって? 大丈夫? あ、これ、手土産」
包みの中は数種類の果物。剥いてもいないのにふわんと立ち上る、甘そうないい匂い。受け取ろうと手を伸ばしたあたしの腕を見て、ディクスは眉をひそめた。
「ひどいね……もしかして、昨夜の?」
昨夜って――何故それを、と警戒しようとして、あたしはすぐに息を呑んだ。あ、そういえば昼間ディクスに会ったときに話したんだっけ。そのときはまだただの覗きだろうと思ってたし、まさかこんなことになるとは予想外だったんだもんなぁ。失敗した。
「うん……よくはわからないんだけ」
ど、言おうとした途端ディアンがものすごい勢いであたしの机に受渡簿を叩きつけた。
「これ。早くして」
「え? あ――うん」
そっか。時計を見たあたしは慌ててペンを取る。
ディアン、もう集中局に行く時間なのだ。慌てて郵袋の数を確認して、滑りの悪いいつものペンでサインする。
受渡簿っていうのは、郵便物のやりとりの時には必ずサインし合う重要なシロモノ。『郵袋の数はこの数で間違いありません、引き渡しました』と『確かに受け取りました』のしるしになる。つまり、郵便物に対する責任者が移動されるわけね。今あたしが渡し済みのサインをしたから、ディアンは引き受けのサインをするわけ。だから、これから集中局で受け渡しのサインをもらうまで、この郵便物に関してはディアンが全面的な責任を負う。例えば今あたしが郵袋に火を点けても、それは阻止できなかったディアンの責任。けっこうシビアでしょ? けどね、預かり物だから、これくらいはしないと。それが郵便屋魂ってもんだ。
郵袋に、ついさっき仕上げた書類を入れることも忘れない。きっちりと口を閉じて郵袋を持ち上げたけど、奪い取るようにしてディアンに持っていかれてしまった。なによ、そりゃ時間は迫っているけれど、そんなに焦ることないじゃないの。
思わずムッとしたあたしにかまわず、彼はスタスタと早足に局を出て行く。最後に、バタンと必要以上に大きい音を立ててドアを閉めることも忘れない。古い局舎が揺れた気がして、あたしは身を竦ませた。
何よぉ、突然。喧嘩売ってるのかしら。機嫌悪いんだかなんだか知らないけど、みっともないからお客さんが来てるときに八つ当たりしないでほしいわ。
眉間に皺を寄せたあたしの背中を気遣うようにポンポンと叩き、ディクスは来客用のソファに腰掛ける。
「まぁ、ディアンは気まぐれなとこあるから。いつもあいつがごめんね」
「やだ、なんでディクスが謝るの! 悪いのはディアンだって、まったく可愛くないんだから」
夜空に小さくなっていくミルッヒを窓から見送って、あたしはカーテンを手早く閉めた。窓を開けておけばいい風が入ってくるのは確かなんだけど、昨晩のことや腕の傷のことを考えるとどうも慎重になる。用心にこしたことはないもんね。
あーあ。なんかうやむやになっちゃって、結局、ディアンに言えなかったなぁ。帰ってきてからでもいいか、別に。
ぼんやりと思いながら、あたしは不味いお茶が未だ残っているカップを二つ持って、キッチンへ向かった。
書いた当時や、サイトに載っけた当時は考えなかったけど。
このときのディアン視点、書けたら楽しいなって思う。
コンプレックスの元凶が、自分にとっての唯一無二を華麗にかっさらっていく。その心情はどんなもんか。
いや、冷静に考えて、ディアンがディクスに劣るものなんて顔の美しさくらいしかないんだけど。(だから劣っている方スキーの私はディクスがお気に入りである)。
さて、キャラ紹介。
配達トリオはお気に入り。
中でも一番のリア充が彼。リア充末永くお幸せにな!
チャラ男のくせに子煩悩な知人をイメージして書いていたが、奴は今もごもごもご。
■ ケイン ■
「こっちとしては、配達するのが仕事だからなぁ……」
配達トリオその2。最近パパになった親バカ28歳。
良い子悪い子普通の子で言うなら普通の子。
彼も割とオイシイ役を担った(目立たないけど)。




