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「――だからわたしと、付き合ってください」



 屋上。

 呼び出された僕は、美玲からの突然の告白を受けた。


 それを聞いた、僕は、


「あ、あはははははは!!」


 大声で、可能な限りの大声で、声を出して笑った。

 呆気に取られる美玲に、僕は笑顔で言う。


「そんなのに騙されないって! どうせそれ、冗談なんだよね?」


 ……もちろん。

 この告白が冗談なんかではないと、僕には分かっている。


 それでも僕には、こう言うしかなかった。

 全てを冗談にして流すほかに、僕に思いつく言葉はなかった。


 これで、美玲が合わせてくれれば、今のをなかったことに出来る。

 けれど……。


「本気よ」


 美玲は、退かなかった。


「透が、わたしたちから距離を取ろうとしてるのは、なんとなく知ってる。

 だけどわたしは、それを少しずつ埋めていきたい。

 友達からでもいい。

 もし、少しでもわたしに……」

「悪いけど、さ」


 熱を帯びる美玲の言葉を断ち切って。

 ぐちゃぐちゃな頭のまま、それでも喉から押し出すみたいに、声を出す。


「美玲は、そんな真面目な顔してるより、怒ってる方が似合ってると思う」

「え……?」


 多分、予想外の言葉だった。

 目を丸くしている。


「正直に言っちゃうとさ。

 怒りっぽい美玲をからかって遊ぶのが楽しいんであって、そういう誤解とかされたら、困る」


 ――怒れ。


「自分の個性っていうか、キャラっていうか、そういうの、ちゃんと理解してる?

 どうして真面目に告白しようと思ったのか、そこが僕には分からないというか……」


 ――怒れ、怒れ。


「なんというか、その、気持ち悪いよ」


 ――怒れ、怒れ、怒れ!


 それだけを念じて、僕は言い切った。


「…………」

「…………」


 沈黙が落ちる。

 屋上は今日も、日差しが強い。

 いつも同じはずのその光を、今ばかりはわずらわしく感じた。


 うつむいた美玲からは、何の反応も返ってこない。

 怒ってくれ、ともう一度願う。


 最悪な僕に腹を立てて、思うままに怒り、当り散らせばいい。

 心の底から、そう思っていた。


 そして、


「……ね」


 漏れ出て来た、小さなつぶやき。

 とうとう美玲が、顔を上げる。


 けれど、



「……ごめん、ね」



 予想していた怒りはそこにはなかった。

 代わりにあったのは、弱々しい彼女の泣き顔だけ。


「わ、わたし、透が、わたしを、構ってくれたから。

 楽しそうに、話して、くれたから。

 わたしのこと、きらい、じゃ、ないんじゃないかって、そんな風に……。

 ご、めん、ほん、とうに……」


 その声に、顔に、感情がにじんであふれていた。

 自分が傷ついたことを隠そうともしない。

 無防備な泣き顔を、透明な滴が伝い落ちていく。


「ぁ……」


 その泣き顔に僕は何か言おうとして、結局何も言えなかった。


「きょうの、こと、わす、れて…っ!」


 それだけかろうじて言い終えて、美玲は耐え切れずに身をひるがえした。

 逃げるように校舎の中に駆け込んで、階段を駆け下りていく。


 僕は、一歩も動けなかった。

 声をかけることも、出来なかった。


 ――失敗した。


 僕がやっとそれに気づいたのは、彼女が屋上から駆け去ってからしばらく経った後で、今から追いかけても間に合わないのは明らかだった。

 いや、それよりも。


 一体どんな言葉で取り繕えば、彼女を元にもどせるのか。


「そんなの……」


 出来るはずない。

 そんなことは、不可能に決まっていた。




 しばらく何もする気が起きず、ただ屋上にたたずんでいた。


「よぉっ」


 場違いに明るい声に顔を上げる。

 タケルがいた。

 こっちに歩いてきている。


「なんだ、タケルか。もしかして見てたの――」


 最後まで言えなかった。

 衝撃で言葉が飛んだ。

 気付くと目の前に地面があって、そうでようやく殴られたと気付く。


「バカ野郎がっ!」


 バカにバカと言われるのも、貴重な体験だ。

 でも多分、今の僕はバカにもはっきり分かるほどにバカなんだろう。

 甘んじて受けた。


「お前はさ、俺より頭がいいよ。

 だからきっと、個性だとか役割だとか、そういう俺たちには見えねえようなもんが見えちまうんだと思う。

 だけどそれは、本当にそんなに大切なのか?

 目の前に立ってるあいつを泣かせてまで守る必要があるような、そんな大切な物なのかよ!!」


 僕には、何も言えなかった。

 ただ声を荒げて叫ぶタケルを見て、これは個性の範囲内だ、と無機質に断じるだけだった。

 感情は、とっくに擦り切れていた。


「何とか言えよ!!」


 胸倉を、つかまれる。

 だけど抵抗はしない。

 タケルの言い分がどうとか、そういうことじゃない。

 戦ったって、勝てるはずがない。


 いつもバカばっかりで、だけど全然ぶれないタケルと、こんなことでたやすく惑って、いつも迷ってばかりの僕とでは、そもそも存在の重さが違う。

 勝負になるはずもなかった。


「あいつが、あいつがお前のこと、どんなに……くそっ!」


 身体が、地面に投げ出される。

 乱暴な足音が、遠ざかっていく。

 一方的に言うだけ言って、タケルはどこかへ行ってしまった。

 あいかわらずせっかちな奴だと思う。


「……あーあ」


 地面に転がったまま、空を見た。

 今日もまた、昨日と全く変わらない青空が広がっている。

 日の光が、なぜか目に染みた。


 突然、その光に影が差した。


「うわぁ。ずいぶん派手にやられたね」

「……今度は健一か」


 僕の友達には、お節介が多い。

 健一は何も言わず、ただ僕の隣に座り込んだ。


「なかなか、大変なことになってるみたいだね」

「……まったくだよ」


 僕は、つい音を上げた。

 美玲との仲は修復不可能なくらいに壊れてしまったし、タケルとだってそうだ。


 グループの和を乱す行為は、人の役割を狂わせる。

 僕が一番、避けたかったことのはずなのに……。


「だけどさ。トオルくんって、オレたちの中で一番、ミレイのことが好きだよね?」

「なっ…!?」


 突然の質問に、息が詰まった。


「そんなこと……」


 とは言っても、後が続かない。


「じゃあ、嫌い?」

「……そりゃ、好きか嫌いかって訊かれれば、それは好きだけど」


 口にした途端、少しだけ胸が痛くなる。

 僕は何を話しているんだ。

 そんな風に思っても、止まらない。


「なんだかんだで、一番手がかかるからさ。

 つきっきりで見てやらないと、心配なんだよ」

「ふぅん」


 相槌。

 賛成しているのかいないのか、健一だけはいまだに読めない。

 つい言葉を誘われる。


「前にウサギを見つけた時、笑ってたじゃないか。

 その、あれは、あの時の美玲は、綺麗だって思った」


 あの時の美玲の顔が、頭に焼き付いて離れない。

 個性とか、役割だとかを抜きにして、ただ、彼女を綺麗だと思った。


「そういう意味では、僕は美玲のことが好きなのかもしれない。

 だから、少しでも長く美玲と一緒にいたいから、僕は……」


 そこで、我に返った。


「って、何を言ってるんだ僕は」


 急速に膨れ上がった羞恥が僕を襲う。

 感情のままに振る舞ってはいけないと分かっているはずなのに、どうしても僕は学ばない。

 僕は勢いをつけて身体を起こして、


「……え?」


 そこでようやく、『彼ら』に気付いた。


「……なん、で?」


 屋上の出入り口、そこで目を丸くして僕を見ている美玲と、してやったりという顔をしてこっちを見ているタケルに。

 頭の中が、真っ白になった。


 聞かれた?

 今のを?


 その、最悪の想像は、


「だますようなことして、ごめん。

 だけど、どうしてもトオルくんの本心を、ミレイに聞かせてあげたくて」


 隣の健一の言葉によって、肯定された。


「昨日、美玲から透に告るって相談されてさ。

 どうせこんなことになると思ったから、お前が素直になれるようにお芝居させてもらったんだよ。

 あ、言っとくけど、美玲はこれ、知らなかったからな。

 変な勘違いするなよ?」


 自慢げなタケルの言葉も、もう耳に入らない。

 混乱が、焦燥が、一気に押し寄せる。


 どうすれば?

 どうすれば、今までの役割を、均衡を、維持して……。


「それ、本当なの?」


 その、最悪のタイミングで。


「透が、わたしのこと好きって、本当?」


 美玲が発したその言葉に、僕はとっさに対応出来なかった。


「美玲、今のは、違うんだ!

 今のは、ただ、健一たちが僕をはめて……」


 口ごもり、言い訳にならない言い訳をした。

 それだけ僕は、動揺していた。

 そしてそれが、傷口を広げた。


「本当に、好き……なの?」

「本当な訳ない。いい? 僕は……」

「ほんとう、なんだ」


 機を逸した。

 もう、聞いちゃいなかった。


「そっか。今までの、全部、照れ隠しだったんだ」

「美玲? あの…」

「好きだから、イジワルしてたんだ!」


 予想もしなかった切り口。

 そんな風に、決め付けられた。


「悩んでて、わたし、バカみたい」

「いいかな、美玲。さっきのは誤解なんだ。僕は……」

「わたしのこと、好きなくせに」


 とことん、人の話を聞かない奴だった。


 僕はそれから百万の言を尽くしたが、それでも結局、美玲の誤解は解けなかった。




 ――変化はすぐに、しかも一目で分かるほどに大きく表れた。


 あれからの美玲は、前より安定してきた。

 どんな時もイライラしたり、怒ったりしなくなった。

 タケルがバカなことをやっても、叱らずにいさめることが出来るようになった。

 それどころか、僕がちょっかいを出しても、怒らずに恥じらうようになった。


 とてもよくない傾向だった。

 ただでさえ、人間関係にはバランスがある。

 彼女が彼女の役割を果たさないのはそれだけでもよくないことなのに、これがほかのみんなにも影響を与える恐れもある。


 美玲を元にもどさないといけない。

 そうじゃないと、みんな不幸になる。



 ――とりあえず、悪口を言ってみた。


「そんなこと言って。ほんとはわたしのこと、好きなくせに」


 ……全然効果がなかった。




 ――イタズラをしてみた。


「そこまでしてわたしの気をひかなくても、今度はわたしから、透に話しかけるから」


 ……ひどい誤解をされた。




 ――嫌がらせに、脅迫めいた手紙で屋上まで来るようにと呼び出してみた。


「透、いるんでしょ、透?」


 屋上に来るなり、いきなり名前を呼ばれた。


「手紙、出したの透だよね。お昼、誘ってくれてありがとう」


 もう脅迫だとかはスルーらしい。


「あ、あのね。わたし、お弁当作って来たの。

 二人分あるから、その、あんまり、うまく出来てないかもしれないけど、よかったら」


 ……二人でお弁当を食べた。




 ――美玲が、体調を崩した。


「結局、向いてないんだよ、美玲には」


 悪意を込めて、そう言った。

 なのに、


「でも、わたしは楽しいから。ありがとう、心配してくれて」


 やっぱり全然効果がなかった。

 そして。


「今日もお弁当、食べるよね?」


 ……なんだかんだで、学校にいる間中、ずっと一緒に過ごした。





 僕は、美玲を怒らせられなくなった。

 美玲は怒らなくなったし、僕も美玲を怒らせたくないと思い始めていた。


 だって、美玲は僕といる時に、今まで見たこともない笑顔で笑う。

 ウサギを見つけた時よりももっと嬉しそうな、輝かんばかりの笑顔。

 彼女の本質とはかけ離れているはずの、心の底からの笑顔で。


 自分にそんな感傷的な部分が残っているなんて、思いもしなかった。

 僕が自分の役割を全うするのに、感情はただの毒、害悪でしかない。

 前の学校で一人ぼっちになった時、そんな物は捨て去ると決めたはずだった。


「お前にも、とうとう年貢の納め時がやってきたってことだよ」


 タケルはいかにも楽しそうにそう言うが、そんなことを認める訳にはいかない。

 今でも個性は大事だと思う。

 何よりも、守らなくちゃならない物だと思う。


「僕は、おかしくなってるんだ……」


 そう独白する。

 いつもの自分に、もどる必要があった。


 だから、僕は本を読む。

 余計な物を排して、生きるための糧を得るために。


 ――それなのに。


「…………」


 全く集中出来ない。

 視線が、文字の上を無意味に通り過ぎていく。


 顔を上げれば、自然と誰も座っていないイスが目に入る。

 美玲は今日、学校に来なかった。



 ――ここが、最後の分岐点のような気がした。



 ここで美玲を突き放せば、もしかすると今まで通りの日常が戻ってくるかもしれない。

 美玲とは元通りケンカ友達になって、毎日怒鳴り合う、そんな日々が……。


 ――都合のいい、幻想だった。


 僕は本を閉じた。

 立ち上がる。


「お、おい透? お前、どこ行くつもりだよ。まだ、学校は……」


 タケルが止めようとするが、構うことはなかった。

 どうせ、授業がある訳でもない。


「美玲に会いに行くんだ」


 ただ、感情のおもむくままに。





「美玲? 入るよ?」


 美玲の部屋は、真っ暗だった。

 窓には厚いカーテンがかけられ、明かりもついていない。

 僕は電気のスイッチに手を伸ばし、


「つけないで!」


 鋭い制止の声に、その動きを止めた。


「……美玲」


 暗闇に慣れてくると、美玲の姿が見えた。

 美玲は、弱った体をベッドに横たえている。


「……ごめん。

 でも、電気はつけないで。

 こんな姿、透に見られたくないから」


 ドアの隙間からわずかに漏れる光で見る彼女は、まるで壊れかけのガラス細工のようだった。

 どこまでも儚げで、透き通っている。


 明かりはつけないままで、部屋を進んでいく。

 部屋の中央。

 美玲まで、手を伸ばせばギリギリ届くくらいの距離で、立ち止まった。

 そこで、



「――話しておかなくちゃいけないことが、あるんだ」



 覚悟を決め、僕は、全てを話した。


 込み上げる感情をそのままに、言わずにおこうと思っていたことも全部、押し寄せる胸の痛みも無視して、全て話した。


 前の学校であったことの、全て。

 打ちのめされて、個性を大事にすると決めたこと。

 僕が何より、美玲の存在を大切にしたいと考えていたこと。

 そのために、わざと怒らせようとしていたことも。


「……よかった。透はやっぱり、わたしのこと、好きだったんだ」


 なのにそれが、彼女の漏らした感想の全てで。

 僕は胸の痛みも忘れて叫ぼうとした。


「美玲、今はそんなこと……!」

「透は……」


 でもそんな中、美玲がすべるようにベッドから降りた。

 闇の中を流れるように、泳ぐように暗闇を進む。


 その姿はあまりに儚げで、今にも消えてしまいそうで。

 そんな頼りない手が、閉め切っていたカーテンを開いた。

 窓の外から、赤い光が差し込む。


「前にわたしを、綺麗だって言ってくれたよね。今は、どう?」


 日の光を影に、彼女は透き通っていて、差し込む陽光が彼女を透かして輝いて、それはとても、幻想的で、この世界に、あるはずのない美しさで。


「綺麗だ、よ…」


 僕には、その言葉しか思いつかなかった。

 嘘をつくことも、出来なかった。

 光を浴びたまま、彼女が動く。


「わたしが、変わってしまったと思ってる?」

「……思ってる。だって、君の個性は、今みたいじゃなかった」


 いつもとは、逆。


「わたしが、後悔してると思ってる?」

「……思ってる。だって、僕と会わなければ、君はこんな風にはならなかった」


 自分の言葉の真実を伝えるために、美玲は僕の心の底までをのぞきこむように、近付いて目を合わせる。


「でも、それは違う。

 透が、わたしを救ってくれた」


 彼女の手が、伸ばされる。


「わたしね。

 透に出会う前はずっと、怒ってばっかりだった。

 全部に苛々して、怒りを止めることも出来なくて、みんな離れていって……。

 そんなみんなに苛々して、そんな自分に苛々して、だけど止まらなくて、つらいってことしか考えられなかった」


 肩に、美玲の手が触れる。


「でも、透が全部変えてくれた。

 透はタケルとバカなことばっかりやって、わたしを怒らせてばっかりで。

 だけどそれが、あんまりにもバカなことで、わたしは思わず、怒りながら笑っちゃって。

 あんなに楽しく怒ったの、初めてだった」


 触れている。

 そのはずなのに、どうしてだろう。


「この気持ちだってそう。

 透が来るまで、わたしは『怒り』以外の気持ちを知らなかった」


 彼女の手の重みは、その体温は、僕には感じられない。

 こんなにも近くにいるのに、まるで遠い……。


「透が、ずっとわたしを守ってくれてたのは気付いてた。

 こんなこと言ったら透が困るだけだって、今なら分かる。

 ……だけど、それでもわたしは、透が好き」


 まるで、吐息と共に、その気持ちまで送り届けるように、


「……ごめん、ね。

 この気持ちを許さない個性なら、そんなもの、いらない。

 そんな風に思っちゃうくらい、透が好き。

 好き、だから……」


 震える声で、顔を寄せる。


「透のこと、どうしても好き、だから……」

「……美玲」


 僕は……結局は、それを受け入れた。

 受け入れて、しまった。


「とお、る……」


 透き通った、潤んだその目が、近付く。

 近付いて、そして、そっと閉じられる。


「……ぁ」


 その瞬間、確かに唇と唇が重なり合って、けれど、


「……美、玲」


 触れた感触は、なかった。

 体を離した美玲は、少しだけ寂しそうに、でも、とても誇らしそうに微笑んで、



「…、…、…、…」



 形のいい唇が、四度、動いた。

 そして、


「美、玲……?」


 呼びかけても、もう答えない。



 ――消えてしまった。



 部屋にいるのはもう、透だけだった。


 ……いくら待っても、そうだった。





 ただ、考える。

 最後に美玲は、僕に何を伝えようとしたのか、と。


 『ざんねん』と言ったようにも思えたし、『すきだよ』と言ってくれたような気もした。

 『ありがと』と言ったのかもしれないし、『さよなら』だった可能性だってある。


 おぼろげだった唇の動きからでは、四文字の言葉だったということしか分からなかった。

 だけど、その言葉を知ればきっと自分は救われる、そんな予感がした。


 だから僕は……それ以上、考えることをやめた。


 美玲のことは、出来るだけ背負っていきたかった。

 そうすべきなのは、そして、それが出来るのは、世界でただ一人、自分だけなのだと分かっていたから。




 夜が明けた。

 新しい朝がやってきて、今日もまた学校が始まる。

 僕は美玲の家から直接、学校に向かった。


 一人での登校。


 昨日と寸分変わらない青空の下、店員が一人もいない雑貨屋の前を通り、年中満開の桜の下をくぐり、何年経っても汚れ一つない、真っ白な校舎に入る。

 人を避けるようにして、教室までやってきた。


 教室の扉の前で、深呼吸をした。

 そんなことで何も変わらないと分かっていても、その覚悟をした。

 ゆっくりと、扉を開ける。


 扉の奥から、ワッと朝の喧騒が押し寄せる。

 賑やかで楽しげな、朝の教室の光景。

 ただ、そこから弾き出されたように一つだけ。

 持ち主を失った一組の机とイスが、教室の端に寄せられていた。


 パンパン、と手を叩く音で、今日も学校が始まる。


「……よし!

 みんな揃っているみたいだし、そろそろいいだろう。

 ホームルームを始めようか。

 さあ、楽しい学校生活が始まるぞ!」


 ――それはあまりにも、いつも通りの日常で。


 打ち捨てられた机の持ち主、美玲のことは、もう誰一人、覚えてはいなかった。


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