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「……あれ?」


 玄関に置いていた花瓶が、いつの間にか空っぽになっていたことに気付いた。


「そっか。もう、そんな時期か」


 思わず、つぶやく。


「花、買いに行かなくちゃな」


 僕の少しだけいつもと違う一日は、こうして始まった。




 少し早めに家を出て、学校前に商店街に寄る。


「おかしいなぁ……」


 しかし、いくら探しても目当ての店が見つからなかった。

 僕の知る唯一の花屋。

 その店が、ここにあるはずなのに……。


「場所は……間違ってないよな」


 自問自答。

 僕に限って記憶違いなんてするはずがないし、花屋は確かにここにあった。


 だとすると、とうとうなくなってしまったのか。

 まあ、あまり珍しいことでもない。

 望まれなくなった店舗という物は、びっくりするほど早く淘汰されてしまう。


「……雑貨屋、のぞいてみようか」


 結局はいつものお店を利用することにして、僕は商店街を離れた。




 昨日と同じうららかな陽気の中、のんびりと通学路を歩いて、学校近くまでやってくる。

 学校から十数メートルという近場に、件の店はある。


「お邪魔しまーす」


 なんとなくそう断って、どうせ無人だろう店舗に入る。


 店の人の姿を見たことがない、いつの間にか商品が湧き出してる、だけど学生が欲しい物全てがそろってる、なんて噂されるその店には、今日も店員の姿はない。

 ただ、カウンターに置かれたザルだけが店番の役目を果たしている。

 いつもながら、完全に良心市の様相を呈していた。


「……ないかぁ」


 しかし、ここでも花は見つからない。

 花柄の女性用下着なら、見つけたのだけれど。


 やっぱり美玲もこれ買ったりしているのかと益体もないことを考えながら、僕は仕方なくトランプとウサギのエサを購入。

 行きがけに家から持ってきたチョコレートを二個、ザルの上に置いて、僕は店を後にした。




 雑貨屋を出ると、もうその正面が学校だ。

 校門を抜けた所でちょうど風が吹き付け、同時に桜吹雪が舞った。


「今日もご苦労さま」


 校門脇の満開の桜にねぎらいの言葉をかける。

 この桜は『高校っぽいから』なんて理由で、成華さんのお気に入りになってるそうだ。

 こののべつ幕なしな満開っぷりも、そうと聞くだけで納得出来る。


「のぞみー、ご飯の時間だよー」


 桜の下をくぐっていくと、次に見えるのは飼育小屋。

 一声かけると、中のウサギが寄ってくる。

 雑貨屋で買ったエサをあげた。


 小さな『のぞみ』がエサを可愛らしく、しかし懸命に食べる姿に心癒される。

 出来るだけ長く生きていてくれるといいなと思いながら、校庭を抜けて校舎の中へ。




 校舎の中を歩いて、目的の人物を探す。


「あ、成華さん!」


 捜索はすぐに実を結んだ。

 やはり、頼み事なら生徒会長様だろう。


 ただ、計算違いもあった。

 彼女の隣に、もう一人生徒がいたのだ。


「なんだ、君は!

 今は私が成華くんに話をしているのだが!」


 彼女の前には、花束を差し出す男子生徒。

 見るからに取り込み中だった。

 ひどくにらまれる。


「ああ、透クンじゃないか!!」


 一方、成華さんは地獄に仏を見た顔をして僕に近寄ってきた。


「何だ? んん? 私に用事か?

 面倒で時間のかかる用事だったら喜んで承るぞ?」


 下心が透けている発言をして、いつになくグイグイ来る。

 しかし残念ながら、僕のは時間のかからない用事で、しかも間が最悪だ。

 いや、あるいは最高なのか。


「あの、花を、探してるんですけど」

「ほう、花か」


 成華さんはうなずいて、ちらりと横の男子生徒を見た。


「それも、出来れば花束がいいかな、なんて思うんですけど」

「ほう、花束か」


 成華さんは深くうなずいて、じろりと横の男子生徒を見た。


「よし、私に任せておけ! ちょうど当てがあるのだ!」


 え、と言いながら、成華さんに捧げた花束を慌てて引き寄せる男子生徒。

 だけど、それは無駄な努力だった。


「ちょっとだけ待っていてくれ、透クン。

 なぁに、ほんの数秒で調達してみせるよ」


 成華さんは元気よく請け負うと、哀れな男子生徒に近寄っていったのだった。




 うまいこと花束を手に入れることは出来た。

 放課後までの時間は、いつものように本を読んで過ごす。


「あんたって、本当に本が好きよね」


 美玲に呆れたように言われるけれど、これだってかなり落ち着いた方だ。


「そうだね。本さえあれば、飲まず食わずでも100年くらいは生きていけると思うよ」

「え……」


 固まってしまった美玲に、笑みを返す。


「そうだ。これから10年くらい、図書館にこもってみようかな」

「な、何言ってんのよ、透! そんなこと……」


 妙に焦る美玲。


「もちろん、冗談だけどね」

「じょっ……」

「やーい、騙されたー!」


 美玲の顔が真っ赤に染まっていく。


「わ、わたしだって、そんなの信じてなかったわよ!!」


 耳をつんざく絶叫を聞きながら、僕は思う。


 ――今日も彼女は平常運転だ。




 そして、待ちに待った放課後。


「なぁ透! トランプやろうぜ!」

「悪いけど、これから用事があるんだよ」


 早速声をかけてきたタケルの誘いを躱して、席を立つ。


「何だよ、最近付き合い悪いな。

 今日だけでいいから参加してくれよ。

 48時間耐久、ダウトマラソンやるつもりなんだからさぁ!」

「うーん。気持ちは嬉しいけど、参加したら確実に今日だけじゃなくなるよね、それ」


 トランプは嫌いじゃないけれど、丸二日、ダウトばっかりやるのはちょっと勘弁だ。

 僕は花束を手に、教室の扉に向かう。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」


 それを、今度は女子生徒の声が押し留めた。

 美玲だ。


「そんな似合わない花束なんて持って、一体どこ行く気よ!

 ま、まさか、それを女の人にプレゼントする気じゃ……」

「うん? ……まあ、そうなるのかな」

「そうなるのっ?!」


 美玲が急にトーンの高い声を出す。

 いつもだったら、ここで少し話をしていてもいいんだけど。


「悪いけど、話なら後にしてくれないかな?

 ちょっと、待ち合わせをしてるんだよ」

「そ、それって、女の人と?」

「うん」


 隠すことでもない。

 軽くうなずく。


「も、もしかして、相手は、恋人……とか?」

「いや……」


 この質問には、首を横に振って、


「元、恋人かな」


 そう、訂正した途端、


「ぁ、ぁ……」


 美玲の身体が、ぐらりと後ろに傾ぐ。

 倒れそうになる。

 が、ギリギリで踏みとどまったかと思うと、


「わ、わたしも……」

「え?」


 僕を涙目でにらみつけて、


「――わたしも、一緒に行く!!!」


 唐突にそんなことを叫んだのだった。




 よく分からないまま、美玲を同行させることになった。


「お待たせ。……美玲?」


 一足先に校庭に出た美玲に声をかけるが、返事がない。

 美玲は門の方を見たまま、固まっていた。

 ゆっくりと、美玲が桜の木の下を指さす。


「あ、あんたの元恋人って、あ、あの人……?」


 そこには、確かに人影。

 遠目でも分かるかなりの長身と、陽光を反射するメガネ。

 すらっとした体型をした、なかなかのイケメン。

 ……つまりはれっきとした人間♂だった。


「美玲は、そういう恋愛、理解がない方?」

「え、ええ、ええええっ!?」


 僕が言うと、美玲は目に見えて動揺した。


「え、だ、だって、えっ!?

 と、透ってそんなそぶりは少しも……。

 あ、でも、あんたがそうだって言うなら、わたしは、応援……。

 ああ、でもっ……!」


 その焦り具合を充分堪能してから、僕は言った。


「まあ残念ながら、僕は異性愛者だけどね」

「……え?」


 美玲がまたからかわれたと気付く前に、僕はまくしたてる。


「あの人、深見先輩だよね。

 時々、この学校の桜の木を見に来てるのを見かけるんだ。

 今日も、そうなんじゃないかな?」

「深見先輩って、一度も学校来てないっていう、あの?」

「うん、多分その人」


 深見ふかみ先輩は、毎日毎日学校そっちのけで何かを調べている。

 噂では、教室にやってきたことが一度もないとか。


「じゃ、じゃあ、注意してこなきゃ!」

「ストップ!」


 突然学級委員長キャラに戻る美玲を、僕は押し留めた。


「そのままにしておこうよ。学校だけが世界じゃない」

「で、でも……」


 学生としてはどうかと思うけど、それは彼の個性だ。

 あんなにわき目もふらずに一つのことに打ち込んでいる人間を、僕はほかに知らない。


 仮にほかの人間が全て滅んでしまったとしても、彼だけは最後まで自分の研究を続けているだろう。

 そんな風に思わせるだけの何かを、あの人は持っている。


「少なくとも、今日は待たせてる人がいるんだ。

 またの機会にしてほしい」

「……分かったわよ」


 理屈というより、僕の熱意に負けたんだと思う。

 美玲は不承不承折れてくれた。


「それで、あんたの元カノとやらはどこにいるのよ?

 やっぱり、妄想の……」

「いくらなんでも、そんな妄想はしないよ。

 多分、門の辺りに……あ、いたいた!

 おーい、由奈ぁ!」


 僕が手を振ると、門の陰に立っていた少女が気付いて、手を振り返してくれた。

 その時、背後から美玲が小さくつぶやくのが分かった。


「うそ。……ほんとに、いた」


 うん、結構失礼だよね、美玲って。




 美玲と由奈ゆなの初遭遇は、不穏な空気から始まった。


「あ、あなたが、透の恋人さん?

 わたしは美玲。

 透のクラスメイトで、女子の中では一番・・仲がいいの。

 まあ、よろしく」


 美玲が緊張をしながらも、要所要所を妙に強調した偏った挨拶をすれば、


「へぇ、透とクラスメイト(・・・・・・)の美玲さんですか。

 わたしは透とは恋人同士・・・・だった由奈です。

 こちらこそ、透がいつもお世話になってます。

 これからも、透をよろしくお願いします」


 負けじと由奈がおかしなアピールを交えた自己紹介をする。

 にらみ合う二人。

 何だか面倒なことになりそうな予感。


「はいはい。それじゃ、自己紹介も済んだところで早く行こうか」


 花束を手に、先に歩き出そうとした僕に、


「え?」

「え?」


 双子でもこうは行くまいとばかりに、見事にシンクロした疑問の声が上がる。

 美玲も由奈も何やら不満があるようで、二人とも一斉に僕に詰め寄ると、


「と、透?! その花束、この人へのプレゼントじゃなかったの?」

「ま、待ってよ! 何でおばあちゃんのお墓参りにこの人がついてくるの?」


 同時にそんなことを言い立てて、


「え?」

「え?」


 再び、恐ろしいまでのシンクロ。

 お互い、顔を見合わせる。


「もう二人で結婚しちゃえばいいのに……」


 つい軽口を叩いたら、なぜだかすっごく怒られた。





「――なーんだ。つまりその花束は、由奈さんのおばあちゃんの墓前に供えるための物だってことね」


 ひどく上機嫌な声で、美玲。


「もう! せっかく久しぶりに透と二人っきりになれると思ったのに!」


 それとは対照的にひどく不機嫌な顔で美玲をにらむのは、当然由奈だ。

 僕はとりなすように言った。


「花束を持って教室を出るところを見つかっちゃってさ。

 どうしても一緒に来たいって言うから。

 まあ、人数が多い方がきっとおばあちゃんも喜ぶだろうし、いいかなって」


 もちろん方便だ。

 いなくなった人間が何かを感じるはずもない。

 でも、こう言えば由奈が反論出来ないのは知っていた。


 黙った由奈の代わりに、美玲が口を開いた。


「おばあちゃんって、由奈さんのおばあちゃんなのよね?

 どんな人だったの?」

「それは……」


 由奈はそこで言いよどみ、口をもごもごさせて、僕に助けを求める視線を送ってきた。

 仕方なく、僕が口を開く。


「実は、由奈はもうおばあちゃんのこと、よく覚えてないらしいんだ。

 あんなにおばあちゃんっ子だったのに、薄情だよね」

「と、透!!」


 僕の言葉に、由奈が泡を食って叫ぶ。

 それに対しては「冗談冗談」と言っていなしたが、


「え? 覚えてないのに、お墓参り行くの?」


 そこで美玲が、思わず、といった風にぽつりとつぶやく。


「い、いいの! だって、わたしのおばあちゃんなんだから!」


 由奈はとうとう顔を真っ赤にして叫んだ。


 ただ、忘れてしまうのは仕方のないことだ。

 由奈の代わりに、僕が話す。


「おばあちゃんは、物知りな人だったよ。

 僕は色んなことを教わった。

 そういえば、個性が大事だってことを教えてくれたのも、おばあちゃんだったかな」

「……あんたの意外なルーツを見たわ」


 なぜか美玲が呆れた声を出す。

 ただ、それを意外に思ったのは美玲だけじゃなかったらしい。


「へー、透が個性個性って言い始めたの、おばあちゃんの影響だったんだ。

 前の学校に行ってた時はぜんぜんだったから、おかしいとは思ってたけど」

「前の学校?」


 疑問の声を上げた美玲に、由奈はこれは自分が優位に立つチャンスだと思ったらしい。

 嬉々として語り始めた。


「そう、前の学校! わたしは昔、透と一緒の学校に通ってたから!」

「わ、わたしなんて、今も一緒に通ってるわよ!」


 なぜそこで張り合う。

 僕は心の中でため息をついたけれど、由奈はさらにその上を行く対応をした。


「ま、わたしと透は学校よりも前からの付き合いだけどね。

 だって昔、図書館に引きこもって本ばっかり読んでた透を学校に連れ出したのはわたしだし!」


 美玲に釣られて、おかしな自慢をし始めたのだ。

 美玲が「本当なの?」と言いたげな懐疑的な視線を送ってきた。

 不承不承、うなずく。


「……まあ、昔から本が好きだったからね。

 あの頃は、本さえあればほかに何も要らないって本気で思ってたんだよ」


 あるいはその方が、楽に生きられたのかもしれないけれど。


「そんな透を外に連れ出してあげた救世主が、わたしなの!

 そもそも、おばあちゃんと透が仲良くなったのもわたしのおかげ!

 引きこもってた透をおばあちゃんの家に連れてって、友達だって紹介してあげたんだよ!」


 胸を張る由奈。

 肝心の祖母の記憶はないくせに、そういうところだけはちゃっかりと覚えている。

 それは、まあ、本当のことではあるけども。


「由奈は恋にばっかり夢中で、友達いなかったからね。

 おばあちゃんに友達はって訊かれた時、連れていけそうなのが引きこもりの僕くらいしかいなかったんだよ」


 あっさりと裏事情を暴露する。


「ふーん。納得」

「納得しないでよ!」


 意味ありげにうなずく美玲に、由奈は猛抗議する。


「で、でも、引きこもりだった透に色々してあげたのは本当だよ!

 普段ろくに食事もしてない透に、お弁当を食べさせたりとか……」

「当時好きだった先輩に作る弁当の試食だったっけ。

 あれ、涙が出るほどまずかったなぁ……」


 それでも、抗議する。


「ほ、ほかにも、外に出ない透を連れ出して、謎の答えを探しに探検したりとか」

「もしかして、あの家の電線の元を辿るって奴?

 二本目の電信柱のところで電線が切れてて、3分くらいで終わったんだよね」


 まだ、抗議して……。


「そ、それに……そう!

 そもそも、透を学校に連れて来たのだって……」

「昼休みに一緒にご飯を食べる相手が欲しかったのが理由、だったよね」

「……う、うぐ」


 とうとう、黙り込んでしまう。

 まあ、あの頃の由奈は割とどうしようもない人間だった。


 流石に口にはしないけど、出会って2秒の男子に告白したりとか、学校の全男子生徒に告白して全部振られたとか、その後女子にまで告白し始めて全生徒フルコンプしたとか、レベルの違う恋多き女ぶりを見せていた。


 今の僕ならそれも個性だと受け入れられるかもしれないけど、あの学校の人たちにそれは無理だった。

 その移り気な面を見抜かれて告白は全て失敗。

 由奈はほかの人からも距離を置かれていた。


 ――そんな中で、多分僕だけが例外だった。


 人に興味のなかった僕は、そもそも由奈の人間性なんてどうでもよかった。

 流されるままに傍にいて、流されるままに一緒の時間を過ごした。


 だけどその時間がきっと、僕を少しずつ変えていたのだろう。

 自分の気持ちが変わっていたのに気付くのに、自分でもずいぶんと時間がかかったものだけど。


「そ、そういえば、学校。

 その学校での透はどんな感じだったの?


 沈んでしまった由奈に気を遣ったのか、美玲が話を振る。


「個性がどうとかっていうのは言ってなかったみたいだけど、だったらどんな……」

「……その話は、あんまりしたくないな」


 けれど、それはそれで大きな地雷だ。


「もしかして透、学校で大失敗したとか?」


 それを察知して、美玲がわざとおどけたように言った。

 でも、それは大正解だ。

 大正解すぎて、訂正の余地がないくらいに。


「……そう、だね。確かに失敗、したんだよ」


 最初の内は、うまくいっていた。

 みんな優しくて、楽しくて、ずっとこんな日が続くと思っていた。


 だけど、人は感情の生き物だ。


 恋愛、友情。

 そんな物で感情が高ぶってしまえば、人間関係のバランスは簡単に崩れる。

 自分の役割を忘れて感情のままに振る舞えば、それは個性の崩壊につながる。


「始まりはなんだったのか、よく分からないんだ。

 でも、最初の歯車が狂い始めてからは早かった。

 連鎖反応、みたいなものでさ。

 みんなが好き勝手にやった結果、友達が、どんどんいなくなって、僕の周りから、どんどん人が減っていって……」


 口にするだけで、胸が苦しくなる。

 血を吐くような思いで、僕は言い切った。



「――気付けば僕は、一人ぼっちになっていた」



 一人、また一人と、友達だった人は僕の前で姿を消していった。

 かろうじて残ったのは、由奈一人だけ。

 そんな彼女とも、もう傍にいることは出来ない。


 あの時のつらさを、悲しさを、僕は一生忘れない。

 だから僕は、誓ったんだ。


「個性を大切にするっていうのは、好き勝手にやるってことじゃないんだ。

 むしろ、その逆。

 自分の役割を自覚して、それを忠実に守らなきゃいけない。

 だから、自分の役割をはっきりとさせられるグループを作ること。

 その和を乱さないことが、何より大事なんだ」


 僕はもう二度と、失敗しない。

 みんなの個性を、僕が管理する、と。


「……ねぇ、透」


 気付けば、美玲が神妙な、いや、真剣な顔でこっちを見ている。


「透の言いたいこと、わたしはすごく、分かるけど……。

 だけどやっぱり、人は個性だけで……」

「着いたよ」


 さえぎるように、言った。

 目の前には、墓地。


 その真ん中にぽつんと立つ小さな墓石が、今日の僕らの目的地だった。




 まず、三人そろって墓前に手を合わせる。

 それから由奈が水を汲んでくると言ってどこかに走っていって、残された僕らは二人、墓石の前に持ってきた花を供えた。


「お墓に供えるには、ちょっと……派手な感じね」


 何しろこれは、もともと成華さんにプレゼントするために作られた物だ。

 供え物としてはそぐわないに決まっている。


 だけど……。

 僕は少し、生前の彼女を思い出して、笑った。


「そういうのは気にしない人だったから、大丈夫だと思うよ。

 死ぬ前に、『お墓も葬式もいらない。わたしのことを透が覚えていてくれればそれでいい』って言ってたくらいだからさ。

 むしろこんなお墓作っちゃって、もしかするとおばあちゃん、怒ってるかも」

「お墓を作られて怒られるなんて、やっぱり透の知り合いだけあるのね」


 変わってる、と言いたいのか。

 それはちょっと心外だ。

 だけど、このお墓を見てると、昔を思い出して懐かしい気分になる。

 苛々する気持ちも、浮かんでこない。


「でもまあ、お墓ってたぶん、死んだ人より遺された人のための物だと思うし。

 それに、本当はここに遺体は埋まってないんだ。

 火葬したら、骨も残らずに消えちゃったから」

「そっか。それは、寂しいね」

「……そうだね。本当に、そう思うよ」


 何だか感傷的な気分が込み上げてきて、僕は言うつもりのなかったことを口走り始めた。


「死ぬっていうのは、人間の証明だと思うんだ」

「人間の、証明?」

「死んで、お葬式をして、お墓に埋められて。

 それで人は正しく、人間としての死を迎えるんだよ。

 だからおばあちゃんのお葬式を見た時、僕は悲しかったけど、でも少し誇らしかった」


 あの葬式の風景を、思い出す。

 ちょうど今と同じくらいの時間。

 同じ天気で、同じ暑さだった。


「だけど、火葬をした後、思い出した。

 『わたしは歳を取って死んでいくのが仕事みたいなものだから』っておばあちゃんの言葉。

 ……それが本当なら、おばあちゃんは見事に自分の役目を果たしたってことかもしれないけど。

 でも、死ぬのまでが役目だなんて、それはすごく悲しいことだよ」


 あの瞬間の、絶望に近い失望が、身の内によみがえる。

 震えそうになる肩に、そっと手が添えられた。


「美玲?」


 訝しげに尋ねると、美玲は今まで見たことがないほどに、優しい目でこっちを見ていた。


「わたしには、身近に死んでしまった人がいないから、たぶん、透の気持ちは、分からない。

 でも……」


 続く言葉はなかった。

 けれど、温かなその手の温もりが、何か大切な物を僕に伝えてくれているようだった。




 その後すぐに由奈が戻ってきて、僕らの間の妙な空気は雲散霧消した。

 だけどなんとなく、美玲の様子があれから少しおかしい気がする。


 墓参りを終えた帰り道、そんなことを考えながら歩いていると、


「あ、わたし、ここだ」


 あっという間に、いつも由奈と別れる場所まで来てしまった。

 名残惜しそうな由奈にいつもの通り、花束から抜き出した一輪の花を渡す。


「はい、これ」

「うん」


 それを粛々と受け取る由奈。


「じゃあ、また、次の墓参りに」

「うん、待ってるから」


 花を大切そうに抱いて、由奈が何度も振り返りながら、去っていった。

 手を振り返す僕の左手にも、同じ花がある。


「それ、なんなの?」


 美玲の疑問に、短く答える。


「ああ。あの時の花の一部。

 これが枯れちゃった時、次の墓参りに行く約束なんだよ」


 同じ花束から抜いた花は、不思議と同じ時期にしおれてダメになる。

 だから、自分の花が枯れたのを確認した日か、その次の日。

 僕が新しい花を買い、由奈と一緒に墓参りに行くという約束をしているのだ。


「……へんなの」


 長い時間があって、美玲はそれだけぽつりとこぼした。


「そうかな?」

「うん、ほんと、へん。

 だって、あんなに一緒にいたのに。

 あんなに笑い合ったのに、わたし、あんたのこと、何にも知らなかった」

「……美玲?」


 様子がおかしかった。

 小さな声でそんなことを言って、何かを堪えるようにうつむいている。


 もうすぐ分かれ道。

 美玲とも、ここで別れることになる。


 その、直前で、


「……ねぇ、透」


 美玲が顔を上げた。

 決然とした瞳には、僕の姿が映っている。


「今日は、わたしが付き合ってあげたんだから。

 あ、明日の放課後は、今度はあんたが付き合って」


 僕が付き合わせた訳ではなく、美玲がついてきたような気がするけれど、明日の放課後に特に用事はない。


「いいけど、どこに行くのさ?」


 僕が訊くと、美玲は少しだけ強張った、でもしてやったりな顔で一言、こう言った。


「――屋上」






 最初の内は、うまくいっていた。

 みんな優しくて、楽しくて、ずっとこんな日が続くと思っていた。


 だけど、人は感情の生き物だ。


 恋愛、友情。

 そんな物で感情が高ぶってしまえば、人間関係のバランスは簡単に崩れる。

 自分の役割を忘れて感情のままに振る舞えば、それは個性の崩壊につながる。


 始まりは一体、なんだっただろうか……。



「よく、来てくれたわね」



 翌日の放課後、屋上にやってきた僕は、仁王立ちの美玲に出迎えられた。


「うん。でも、こんな所で、何を……」


 そう言いかける僕を、さえぎって、



「――わたしは、あんたのことが、透のことが、好き」



 照りつける日差しの中、彼女は、



「――だからわたしと、付き合ってください」



 決して戻ることの出来ない道へと、踏み出した。


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