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僕がいつものように教室を開けると、
「や、やめろ! 俺には、俺には何をしてくれてもいい!
だけど、だけどそいつだけは、そいつだけは見逃してやってくれぇぇ!!」
そこには、まるで人類の理解を拒むかのような異次元な光景が広がっていた。
怪獣でも暴れたかのように倒された机や椅子。
残った机の上に置かれた謎のリモコン。
リモコンの隣に置かれたアンテナのついたオモチャの車。
土下座して懇願するクラスメイト。
土下座して懇願するクラスメイトを冷ややかに見下ろすクラスメイト。
そして、なぜだか彼らの隣にうずたかく積まれている、純白の女性用下着の山。
……なんというか、シュールだ。
「あ、おはよう、トオルくん」
そんな中、親友の健一がいつもと変わらぬのほほんとした顔でこちらに歩いてきた。
こちらはあいかわらずマイペース。
「あ、うん。おはよう、健一。
それよりこれ、何があったか分かる?」
「ああ、これ?
あれがあれにあれをあれしてあれしたら、あれがあれしてあれな感じになった上に結局あれがあれしたんだよ」
「うん、見事にあれ以外の情報がないね」
僕は反射的にツッコミを入れつつ、でも実は大まかに状況は理解出来てしまっていた。
身振りで物を示しながら、僕は健一の言葉を繰り返した。
「ええっとつまり、あれ(土下座してるクラスメイトのタケル)があれ(ラジコンカー)にあれ(大量の女性用下着)をあれ(巻きつけ)してあれ(動か)したら、あれ(土下座させてるクラスメイトの美玲)があれ(激怒)してあれ(机と椅子が散乱)な感じになった上に結局あれ(タケル)があれ(土下座)した、ってことだよね?」
「すごいよ! なんでわかったの?」
「むしろ、何で分かると驚くような説明をするのかと僕が驚いてるよ」
健一はまだ、さすがはトオルくんだね、と僕をほめそやしているが、僕がこの状況を理解出来た理由は簡単。
この事態については、事前情報があった。
実は昨日タケルに『俺のレッドクリムゾン(ラジコンカーの名前)につけるいいパーツないか?』と相談されていたのだ。
ふざけ半分にアドバイスはしたものの、まさか実行してしまうとは。
底なしのバカと言われたタケルの面目躍如だ。
……うん。
きっと、こういうぶれない個性の持ち主がこれからの世界には必要なんだろう。
勝手に感心、納得する。
そこで、
「と、透?! 来てたの?!」
僕の声が大きすぎたのか。
美玲が僕に気付いて上ずった声を上げた。
自分の姿をかえりみるとハッとして、スカートのすそを直しながら近くの下着をかき集め始める。
「ちょ、ちょっと! 入ってくるならノックくらいしなさいよ!」
「いや、ここ、教室なんだけど……」
さすが美玲。
朝、教室に入る前にノックしろとは、なかなかに斬新な発想だ。
そして、美玲への文句は別の所からも出る。
「つーかお前、さっきまではそんなの全然気にしてなかったじゃねーか。
いまさら何をあわててんだよ」
「そ、それは、そうだけど…!
でも、ここにはわたしがしてるのと同じのもあ……な、何でもないわよ!」
タケルにツッコまれ、自爆する美玲。
それはそれでいつもの光景だ。
他人事だと思うと、見ていても楽しい。
「だ、大体、こんなたくさんのし、下着を、どうやって見つけて来たのよ?!
まさか、誰かのを盗んできたとか……」
「ち、ちげえよ! ただ、俺は雑貨屋の奥で売ってるって透に聞いただけだ!
そもそも、この車にブラとか巻きつけたら面白いって言ったのも透で……」
あ。
他人事では、なくなった。
「と・お・るぅー?」
怒りの矛先が変わる。
肩を怒らせた美玲が迫ってくる。
「冗談、ただの冗談だったんだって!」
「いつもいつも、あんたとタケルは面倒事ばっかり起こして…!」
弁解するけれど、聞いてない。
どうしようかと考えて、閃いた。
手に持っていた、飲みかけの缶ジュースを美玲に突きつける。
「んん?」
突然の行動に目を白黒させる美玲。
僕は一気にまくしたてる。
「興奮するのは脳に糖分が足りてないからだよ!
とりあえずこれでも飲んで落ち着いて!」
「と、糖分?! え、ていうかこれ、飲みかけで、間接……」
「いいからいいから、騙されたと思って、ね!」
美玲は意外と押しに弱い。
口元までジュースを持っていくと、顔を赤くしながらもおずおずとそれに口をつけ、中身を口に含んで、
「ぶはっ!!」
盛大に吐き出した。
「ごほっ! ごほっ! 何これ、うそ、マズ、しんじられな……」
せき込みながら、動揺する美玲。
それもそのはずだ。
僕が飲ませたのは、学校の近くの色物自動販売機で買ったジュース。
もうこの近くの自販機はそこしかないし、誰も買わなくなってなくなってしまったら嫌だからとたまに義務感で買っているが、中身は全て激マズ。
今日買った苦汁サイダーもあまりの味に途中で飲むのをあきらめたほどだ。
「と、おる、これ、いったい……」
取り乱す美玲の背中を優しくさすりながら、僕は美玲の耳元にそっとささやいた。
「やーい、騙されたー」
……朝の教室に、鬼神が誕生した。
僕とタケルはその後、風紀の鬼と化した美玲にこっぴどく叱られた。
加えてタケルは「二度と教室にオモチャを持ち込みません」という文面の書き取りを半泣きになるまでやらされて、僕は苦汁サイダーの一気飲みという苦行を課せられた。
最後におまけのように『塵一つ落ちていない綺麗な教室を一時間かけて丁寧に掃除する』という精神的に残虐な刑罰を申し渡され、ようやく僕らは解放された。
ここまでされては、さすがの僕らももう何もする気が起きなかった、と思いきや、
「行けっ! 俺のっ! ホワイトファントム!!」
純白の布切れをまとったラジコンカーが、今度は教室ではなく校庭を走り回ったのは、そのほんの数時間後のことだった。
直後、再び鬼神と化した美玲が校庭へと飛び出して行ったのは、もはや言うまでもない。
これが、僕の日常。
個性豊かな仲間たちとの生活は、時に疲れることもあるけれど、それが僕の自慢でもある。
――願わくば、こんな日々が少しでも長く続きますように。
僕はそっと、そんな祈りを唱えて、
「……よし!
みんな揃っているみたいだし、そろそろいいだろう。
ホームルームを始めようか。
さあ、今日もまた、楽しい学校生活が始まるぞ!」
いつも通りの一日が、始まったのだった。