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『――神様な彼にとって、それは実に簡単なことでした。
孤独が嫌いなその神様は、だから高らかに唱えます。
「世界よ 光あれ!」と。
こうして世界は生まれ、独りぼっちの神様はただの人間になったのです』
僕はそこで一度ペンを止め、少しだけ迷ってから、結局最後に『つづく』と書き足した。
ペンを置き、丁寧な所作で本を閉じる。
「それ、透が書いた本? ずいぶん大事にしてるんだね」
振り向くと、僕の肩口からぴょこん、と顔を出して、顔見知りの少女が本をのぞきこんでいた。
「うん。この世界でただ一つだけ、僕がこの手で書き上げた物だからね」
そう話す僕の声には、自分でも分かるほどに誇らしさが混じった。
それが彼女の興味を引いたらしい。
「透が読書好きなのは知ってたけど、書いたりもしてるなんて知らなかったな。
あ、ねぇねぇ、どんなこと書いたの?」
「一言で言えば……天地開闢?」
だがその答えは、少女の顔を凍らせた。
「て、てんちか……? なに、それ?」
「僕が作った、新しい世界の神話、みたいなものかな」
どうしても、説明は要領を得ない。
少女の顔がさらに曇るのを見て、あわてて付け加えた。
「もしくは、独りぼっちはよくないねっていう教訓話だね」
「うわぁ。昔図書館から一歩も出て来なかった、元ぼっちキングの言葉とは思えないね」
「まあ、だからこそだよ」
はぐらかしたような僕の言葉に、少女はとうとうへそを曲げてしまった。
「……もういい。説明はいらないから、それ読ませて」
「わ、ダメダメ。こんなの読まれたら僕は生きていられないよ」
「よーまーせーてー!」
本を巡ってしばらく追いかけっこを続けたが、やがて埒が明かないと悟ったのか、少女はふてくされたように口をとがらせた。
「わたしが読んじゃダメなら、一体誰に読ませるつもりなの?」
「そう、だね。世界に一人取り残された、どうしようもなく孤独な人、とか」
「……へぇ。透って、詩人だね」
少女は、少し驚いたようにそう口にした。
引いたとも言う。
「だけどそんな人、ここにいるかなぁ…?」
少女の言葉に引かれるように、教室を見回した。
そこは、目を楽しませる装飾も、掲示物も、暖房器具さえもない、殺風景でがらんどうな教室で、部屋にあるのは黒板に教卓、後は何組かの机とイスと、隅に置かれた大きなダンボール箱だけ。
そして、僕の数人のクラスメイトは、そんな場所に思い思いの格好で陣取っている。
教壇に立って自信たっぷりにクラスを見回している者、イスに座って目を開けたまま寝ている者、肩を怒らせ机に両手をついて怒鳴っている者に、変なオモチャで遊んでいる者。
一人として同じことをしている者などいない。
ただ、一つだけ共通して言えるのは、それでもみんな、楽しそうだということ。
だから、
「いないよ。この世界のどこにも、そんな人はいない」
「え? でも……」
少女が言葉を継ぐ、その前に。
「だから、この本は……」
僕は窓を全開にして、さっきまで大事に抱えていた本を右手に持ち直し、大きく、振りかぶって、
「飛んでけーーーー!」
窓を抜けて世界中に響き渡るような掛け声と共に、思いっきり放り投げた。
「「「……あ」」」
いくつもの声が、重なる。
教壇に立っていた女性も、座ったまま寝ていた少年も、肩を怒らせていた少女も、オモチャをいじっていた少年も、部屋の隅に置かれたダンボールまでもが、その時ばかりはみな一様に動きを止め、僕の手を離れて飛んでいく本を見つめていた。
その本はクラス全員の注目を集めたまま、空の彼方まで飛んでいって、やがて見えなくなった。
「ふ、わぁぁ。本って意外と飛ぶもんですねぇ……」
ため息のようにそう漏らしたのは、誰の声だったか。
しかし、みんなが呆けていたのは一瞬で、
――パンパン!
という手を打ち鳴らす乾いた音が、クラスの全員の視線を再び奪った。
「……よし!
みんな揃っているみたいだし、そろそろいいだろう。
ホームルームを始めようか。
さあ、今日もまた、楽しい学校生活が始まるぞ!」
――そうして、教壇からの威勢のいい号令のもと、今日も一日が始まった。