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現場検証

血と死体あり

 「遠野(とおの)刑事、美微更(みびさら)刑事、ご苦労様です」

 夜の21時前、こちらに敬礼してきた顔見知りの巡査に軽く会釈し、横を素通りして現場に入る。背丈の小さな美微更棺(みびさらひつぎ)もそれに続…

「君の名前は? 木下。なるほど。よろしく。私は美微更哲学教授みびさらてつがくきょうじゅです。美微更哲学教授です。ああ、そちらの方も。私は美微更哲学教授です。よろしく。美微更哲学教授です」

 遠野は軽く顔をしかめる。サイズの合わない白衣に漆黒の黒髪ボサボサヘアーの小さな美微更棺は、先に入っている制服の巡査たちに、うやうやしく握手をして回っている。巡査たちはこの小憎らしいミニチュアとの第一種接近遭遇に戸惑っている。ようこそ、未知の発狂世界へ。

 「なあ棺、現場保存の巡査たちにいちいち“教授”をアピールするエリート意識の高さには、いったいどういった効用があるんだろうな?」

 「エリート意識? ふん、それは冷泉(れいぜん)の奴のことか。肝心なのは教授の部分じゃない、私がPh.D.“哲学教授”だということなのだ。ボストンの大学で哲学を教えていた。哲学は私の存在証明だ」

 美微更棺は誇らしく胸を張る(例によって無い胸を。

 「元・哲学教授だろ」

 「おお、(こう)、こっちにアストロドライバーがあるぞ。へんしーん。あはは」

 殺人現場に場違いな特撮玩具のBGMが流れる。遠野は軽く頭を抱える。棺がおかしいのはいつものことだ。美微更棺(みびさらひつぎ)、15歳。物心ついた時から神童の中でも神童。8歳でハーバード大学に入学し、数理論理学を存在論史的に解釈した電話帳よりも厚い論文で学位を取る。13歳でボストンの大学で博士号とテニュアを獲得。

 アカデミズムの業界では美微更を、神様がマルティン・ハイデガーとノーバート・ウィーナーを足して2で割り忘れた「消失除法」(ゼロオーダー)と呼んでいるそうだ。

 そんなゼロオーダーさんは、いまは落ちぶれて地元にUターンして刑事に転職。通常15歳ではとても刑事になれない筈だが、美微更の苗字は、美微更市(みびさら)の美微更だ。美微更棺の家は数百年続く地元の名士であり、日本有数の政商の一族でもある。法律の抜け道を通る許可証の発行には事欠かないご身分ということだ。しかしなぜ美微更の転職先がよりにもよって刑事なのかについては、簡単に説明できない事情がある。

 「おい(こう)、ボヤっとするな。仕事があるぞ。こっちに来て手伝いたまえ。鏡検視官(かがみけんしかん)はもう仕事しているぞ」

 いつの間にか特撮グッズを置いて鏡さんの隣でドヤ顔してる棺。

 「こんばんは、遠野くん。このあいだ私、『タクシー・ドライバー』という映画を観たの。知ってる?」

 鏡碧乃(かがみあおの)。美微更市の“妖精犯罪”担当の特別検視官として、現場と特別解剖実験室、通称コティングリーの連絡役を務めている。スラッと縦に伸びるダークスーツ。長身で赤みがかった虹彩に金髪で、黙っていると見た目は吸血鬼の女王のような威光がある。父親が外国人なのだという話だ。しかし、ふだんの内面はややお花畑だ。

 「不幸な男が、自暴自棄になっていく様を描いた欝映画ですよね」

 「ちがいます。トラビスは困っている街の人々のために一人、立ち上がりました。自分が不幸になっても、見る目がない女の人に理解されなくても。アイリスを助けるための悲壮な自己犠牲は泣けてくるわ。何も見返りを求めない。彼は真のヒーローよね」

 鏡さんは赤い瞳をうるうると滲ませる。表面上は確かにそういう話だが…。見返りを求めない自己像が見返りになっている歪みが、あの映画の面白いところだろう。

 「目標への一途さは伝わりますね。肉体改造とかして」

 「でしょ、遠野くんも体を鍛えて、ガスコンロで手を炙って、銃を買ったらどうかしら。その素直じゃない性根を鍛え直しなさい!」

 そう言って遠野の背中を叩き、鏡さんはけらけら笑う。どうやらこの人はテロリストへの憧れがあるようだ。あとで俺の作った要監視対象リストに放り込んでおこう。

 黙っている棺は、二体の屍体をルーペでしげしげ眺めていた。しばらくすると間違えて焦がしてしまったフライパンのようになった二畳ほどの床に両手を付き(無論手袋をして)、大地の発する声に耳を済ませているようだ。棺が何をしてるのか分からないのはいつもの事だ。

 一体目は恐らく男性、四肢がバラバラなのに加え、胸から上が粉々に吹き飛んでいる。もう一体は女性、こちらも四肢がバラバラだが、鑑識が集めて再現したパーツは揃っている。

 鏡さんがこれまでの情報をまとめる。

 「被害者は男性一人に女性が一人。この二人が爆発の中心だと思われます。それと爆発の近くにいた負傷者が7人中央病院に搬送されている」

 「それで、手がかりは」

 「鑑識の現況報告では、現場から爆弾の部品となるような人工物はまだ見つかっていない。事件発生から三時間だから、現場検証はまだこれからね」

 「なのに俺たち妖精課がここに呼ばれている。妖精課は通常の事件では動かない。どうしてだろう」

 「監視カメラに、事件当時の映像が記録されているの。それが奇妙で」

 「“奇妙”ね……奇妙さは俺達にはいつものことですよ」

 といって美微更棺をちらりと見やる。

 「これを見て」

 鏡さんはデパートのカウンターにノートパソコンを置き、ノーパソに機器を繋ぎ、監視カメラの映像を再生した。

 映っているのは、両手にそれぞれ商品の箱を抱えた小太りな中年男性。そして男性となにか会話している女性の店員。この二人を天井のカメラから写した映像だ。男が床に手をついて苦しみだす。右手で左胸を押さえる男。介抱する女。そして男が胸から何か黒い塊を取り出す。女がかざした両手でそれを受け取る。爆発。

 「このシーンを通常の1/100の速さでスロー再生」

 鏡さんのノーパソには、特殊な映像解析ソフトが入っている。けれど1/100の速度でも男女は一瞬で爆発した。

 「まだ速すぎて分からないな」

 「1/500」

 女の手の上にある黒い塊が一瞬、膨張したように見える。

 「1/1000」

 爆発の前後で明らかに、塊が風船のように膨らんでいる。

 「間違いない、この男が出した黒い塊が爆発したんだ。それで、カタマリの正体は分かったんですか?」

 「目撃者の証言があるんだけど、それがなんというかね……。」

 「フムン。これは……まるでギリシャの古代詩を解読しているときのような不可解さだ。じつに奥が深い」

 といって鏡さんと遠野、二人の間から棺がひょっこり顔を出し、ノートパソコンをのぞき込んでいる。

 「で、棺。これがなんだか分かるか?」

 「心臓だよ。だろ、鏡検視官」

 鏡さんは端正なつくりの顔にやっぱり、という表情を浮かべた。

 「病院に搬送された目撃者から、刑事が聞いた話ではね……男が自分の心臓を素手で取り出して、その直後に爆発が起きたっていうの」

 「そんな馬鹿な……。どうやったら人間の血と肉が爆発するんだ? 第一、心臓を取り出す前にその男はショックで絶命してる」

 「まさしく物理的に不可能な、不可能犯罪というわけね。私たち妖精課が呼ばれた理由はこういうことよ」

 妖精課――このごろ美微更市で頻発する不可解な事件や災害の調査と解明を進めるべく、ある地元有力議員の肝いりで1年前に発足した、警視庁の固有地域特別チームだ。ちなみに美微更棺の肩書きは“技術顧問”となっている。

 「鏡検視官、心臓のサンプルはあるかな?」

 「心臓は爆発の中心で、飛散していて殆ど集められていないのだけれど、デパートは綺麗で片付けやすいから肢体探しがしやすいのと、火事にならなかったのが幸いしました。勢い良く飛んだ欠片を一つ回収したわ」

 鏡さんが鑑識の女性警官に言って、赤い塊の入ったビニール袋を持ってこさせる。遠野はスーパーで売ってる牛肉の角切りにそっくりだと思った。棺はそれをひっ掴み、袋のジッパーをスナック菓子を開ける子供のように勢い良く開くと、指で“肉”を摘み上げてしげしげと観察する。そして、ぺろっ。

 「おい、棺」

 遠野と鏡さんは思わず顔をしかめる。一体何度目だろう、棺の奇行は。

 「こ、困ります」

 鑑識の若い女性がたまらず声を上げる。

 「いや、いいんだ、やらせてくれ」

 棺の奇行と型破りを見分けるのは難しいが、型破りの場合には必ず意味がある。まがりなりにも中学生テニュアの天才様なのだ。それを遠野は幼い頃からよく知っている。

 「……甘いな。ニトログリセリンの味がするぞ」

 「分かるのか?」

 「ボストンに私の尊敬する師がいてね。分野は違うが、その人の実験室でいろいろ教えて貰ったよ」

 「……お前に尊敬されるなんて、よほどフランケンシュタイック値の高い博士なんだろうよ。しかしなんでニトログリセリンが心臓から出てくる。ダイナマイトの原料だろう?」

 「ニトログリセリンは狭心症の治療にも使われるのだよ」

 「鏡さん、そうなんですか?」

 「ええ、確かにニトログリセリンには、血管拡張機能がある。でも知っての通り爆発しやすい化合物だから、狭心症の薬は、ニトログリセリンに添加物を加えて製造する。だから、例え被害者が狭心症の薬を飲んでいても、通常は心臓が爆発するはずはないの」

 「ううう、頭がズキズキしてきた。舐めるんじゃなかった。相当濃いぞこれは」

 頭を両手で抱える棺。

 どういうことだろう。棺によると、被害者の心臓にはニトログリセリンが含まれている。しかし薬に使われるニトログリセリン化合物は、通常は爆発するはずがない。しかし大爆発とは言わないまでも、握りこぶし大の物体が爆発して人間二人が死んだ。しかも、どうやって生きた人間が自分の心臓を取り出せるのかは未だ謎のままだ。

 「だからこそ、科学事件ではなく妖精事件なのだろう?これは」

 棺はそう言って、不敵に口を歪ませた。

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