Menu5 みたらし団子
金曜日のオフィスはいつも慌ただしい空気に包まれている。夕刻だと言うのに仕事は落ち着かず、ひっきりなしに電話が鳴っては、新たに雑務が増えていく。時間と仕事に追われているその様は、まるで自分自身の余裕の無さを表しているかのようで好きじゃない。
少しの溜息を零して私は仕事を再開した。パソコンの画面は、酷使して疲れている目には酷くまぶしく感じられる。
「ねえ、美和。時間までに仕事は終わりそう?」
同僚の寺本百合が話しかけてきた。彼女の肌はとても白くて、スタイルはすらりとしている。大きな可愛らしい瞳と人形の様に巻いた茶色の髪が、彼女を若々しく見せていた。
「うん、大丈夫。もう少しだから」
「今日のコンパ、7時からよ。間に合う様に6時半にはここを出る予定だからね」
百合は私が時間に間に合いそうか確認をすると、自分の席へと戻っていった。少し急がないと。溜まっている仕事を思い出しながらも、壁の時計を見た私は作業のピッチを上げる。
「田中美和さん。少し教えてほしいんですが、今いいですか?」
あともう少しで仕事が終わると言うところで、2年後輩の小川大地が私の所へやって来た。彼の説明によると提出した書類に不備があったらしく、私は時間を気にしながらも、困惑している様子の小川君に修正箇所と理由を説明してやった。
小川君は入社三年目でそろそろ仕事に慣れても良い頃なのに、こうやって時々私の所へ相談にやってくる。私としては、もう少ししっかりしてほしいと思うのだけれど、それは求め過ぎなのだろうか。
どうにか約束の時間に間に合わせ、大急ぎで服を着替えると、洗面所に直行してメイク直しをする。落ちてしまったファンデーションを塗り直し、最近気になってきたシミを隠す。隣の百合はグロスをたっぷりと塗って、アイメイクも少し濃い目に直していた。随分気合が入っているみたい。
「今日こそはイイ男がいるといいわね。私、30歳までには結婚したいの。でも、会社にはこれっていう男なんていないじゃない?」
「そうね。でも、それは百合の理想が高いからじゃないの? 選び過ぎなのよ」
「そんな事無いわよ。それより今日の相手は四菱商事の社員だそうよ、期待できそう」
私と百合は同い年の同期だ。百合はいつも、30歳までには結婚したいと口癖のように言っていた。あまり口には出さないけれど、私だってそれは同じ。出来たら二十代の内に結婚したい。けれども現実では、気が付けばあっという間に27歳になっていて、23歳で彼氏と別れてから4年間、ずっと一人でずるずると年だけ取ってしまった。このまま仕事だけを生きがいに生きて行く気はないし、昇進して人の上に立ちたいという野心も無かった。
このまま何も無い自分に、焦りだけがゆっくりと埃のように募っていく。せめて、何もしないでいるよりはと、最近では料理教室に通い始めていたのだけれど、何かがぽろぽろと指の間をすり抜けて行くように、何も変わらない自分が同じ場所に立っていた。
コンパは私達を含めて女5人、男5人の状態だった。人数は合っていたのであぶれる事はなかったけれど、ほとんどの男性は私より年下ばかりだった。一人だけ、二歳年上の男性がいたけれど、その人にはこれといって惹かれる物が無く、魅力をまるで感じなかった。少しでもいいと思うような相手には、すかさず若い女の子達が隣の席を陣取ってしまい、私は全く近寄れそうにもない。百合はいつの間にか気に入った男性の傍に座って、なかなか良い雰囲気になっている。いつもはしないような、お酌や料理の取り分けなんかを甲斐甲斐しくやっているのを見ると、なんとなく嫌な気分になる。まるで、媚を売っているように見えてならなかった。彼氏はほしいけれど、あまりがっついているようには見られたくない。焦っている自分なんかを他人に悟られたく無かった。
私にとって今日のコンパもはずれでしか無かった。年上の男性がメルアドを聞いてきたけれど、多分唯の礼儀みたいなものだろう。私はその男性の名前すら覚えていなかった。
理想の男性なんて出会いが無い。良い男は大抵早いうちから結婚しているか、決まった相手がいるものなのよ。その夜私は一人、電車に乗って帰宅した。途中、電車の窓に映る自分の顔はやけに影が濃く、窓の向こうのまばらな家庭の黄色い明かりが、自分の実家を思い出させた。
休日が終わり、再びいつもの日常が戻ってくる。今日も相変わらず忙しく、仕事に追われる日々だった。
「美和、そろそろ休憩どう? もう昼の時間だよ」
百合が小さな袋とお財布を手に立っている。
「うん、あと少しで終わるわよ。小川君の仕事を少し手伝ったら、直ぐに行くから。先に食堂へ行っててくれる?」
「それじゃ、先に行って待ってるから。早く来てね」
そう言うと、百合は先に食堂へと向かった。その後ろ姿を見送った私は、小川君が金曜相談してきた書類が指摘した通り改善されているか眼を向ける。書類は指摘した箇所を含めて、指摘以外の場所も改善されていた。へえ、頑張ってるじゃない。私はほんの少し小川君を見直した。
少し遅れて食堂に着くと、百合が定食を食べながら席を取っていてくれた。この時間、食堂は結構混んでいて、席が空いていない事もあるのだ。
私は百合の向かいに腰を下ろすと、持参したお弁当を広げる。
百合はコンパのあと、良い雰囲気になっていた男性とどうなったのか、何も言ってこない。多分、上手くいかなかったのだろうと私は解釈した。上手くいけば、百合の方から報告してくるだろうから。私は昨日の話題には触れなかった。
「すいません、ここ空いてますか? 席が埋まっていて」
見ると、トレーを持った小川君が愛想の良い表情を浮かべて立っていた。
「空いているわよ、どうぞ」
返事をすると、小川君は私の横の席に腰を下ろした。彼の昼食は百合と一緒で日替わり定食だ。
「田中さんは今日もお弁当ですね。朝から作るなんて凄いな。一体何時に起きてるんですか?」
「そんなに大した事じゃないわよ。昨日の残りを詰めてきただけだし、あとはチンしただけ」
「そう? 私なんて、お弁当を詰めるだけで面倒よ」
そう言いながら、百合はお弁当の中身を覗き込んだ。大した物など何も入っていない、ただのお弁当なのに。
大げさに感心してみせる百合と後輩に、恥ずかしく感じた私は下を向きながらぼそぼそと答えた。すると、その間に定食を食べ終わっていた百合が、先程手に持っていた袋を取り出した。
「ねえ、小川君、貴方甘いものとか食べれられる?」
「え? 食べますけど」
「実は今日、デザート持って来たの! 丁度三本あるから一緒に食べましょうよ」
そう言いながら、百合は嬉しそうに袋の中からみたらし団子を取りだした。
みたらし団子は三本入りのパックに入っていて、串には四つ団子が刺さっている。周りにからめてある飴色の餡が艶々と光り、中心にある白玉の焦げ目が何とも美味しそうだった。
私は百合に勧められると遠慮なく、みたらし団子をいただいた。餡の甘さと醤油のしょっぱさが混ざり合って丁度いい。もっちりとした歯ごたえと、少しの香ばしさが口の中に広がって、堪らない味わいだった。
けれども、団子を三つ食べたくらいでお腹が一杯になってしまった。串には四つ団子が刺さっていたけれど、私にはちょっと多いのだ。三個目を食べた位になると餡がしつこく舌に残り、白玉といえば酷く素朴な薄い味わいだった。
ふと、残った団子は私自身のように思えた。余分なあまり物。餡がなければ取り立てて美味しい物でも無い、素朴な味。飾ったところで、特に目を惹く物なんてどこにもない。
あれこれと理想ばかりを並べてきたけれど、本当の私を好きになってくれる人なんているのかしら。実際に私とつり合う人なんて、いないのかもしれない。
年を取る毎に理想ばかりが高くなって、一人歩きしていく。白玉団子のように素朴な自分を置き去りにして。
私は食べきれない、残りの一つをどうしようかと思いながら、じっと無骨な串に刺さった団子を見つめた。
「美和、どうしたの? 多かったら残してもいいよ」
「うん。ゴメン、お腹一杯になっちゃった。悪いけど、多いから残させて」
すると、横から少し日に焼けた手が伸びてきて、ひょいと私の串を持って行った。
「僕、みたらし団子好物なんですよ。田中さんが残すなら、貰っても良いですか?」
「えっ?」
驚いている私の眼の前で、小川君は残りの一つを美味しそうに食べてしまった。
「僕、この餡も好きだけれど、中の団子自体も好きなんですよ。味とか歯応えとか」
そう言って、小川君は少し照れた様に笑った。その顔は、今まで気が付かなかったけれど、とても好感の持てる魅力的なものだった。
読んで下さいまして、ありがとうございました。