朝空を織る娘
人形作家・弦巻天竹は、本名を甚五という。その名で呼ぶ人も少なくなった。還暦をとうに過ぎ、髪はすっかり白くなり、昔ほど細かい作業が出来なくなってきている。そんなある年のこと。
「甚五くん」
夕暮れの町を歩いていたら、老人から突然声をかけられた。初めて来た土地である。
「えっ?」
思わず驚きの声が漏れた。
「甚五くんだろ?」
「えっ、どなた」
「えー、俺、変わっちゃったかなぁ。お互いジジイだもんなあ。仕方ないか」
「や、その、ええ」
「はは。甚五くんは面影あるよね。小学生の頃も静かだったから、そもそも変わらないって言うか」
「小学生」
どうやら小学校時代の知り合いらしい。天竹の世代は、ひとクラスに五十人以上いた。時と共に印象が薄れてしまい、顔も名前も思い出せないクラスメイトもいる。
「鳥橋。鳥橋翔だよ。五年生の時にクラスメイトだった」
「ええと」
「はは、覚えてないかー。ごめんね。俺、こんな店やってんの、今。良かったら覗いてみて」
ショップカードを渡して、その人は立ち去った。
「リサイクルショップか。時々、面白い人形があるからな。行ってみるか」
その日はもう閉店後だった。鳥橋老人は、仕事帰りだったのだろう。翌日の午前中に店を訪ねてみることにした。午後には帰路に着く。妻が集めている陶器の指貫もあるかもしれない。
「や、いらっしゃい。どうも、どうも」
カラランと心地の良い音がする。使い込んで飴色になった、竹細工の鳴子だ。細長く切った竹が数本下がっているだけの、簡単な造りである。
「こんにちは。このドアチャイム、良い音しますね」
「でしょ?お客さんにもらったの。竹のおもちゃいくつか置いてってくれてね」
話しながら、竹玩具の棚に案内された。
「くれたんだけどさ。売っていいって言うから。売れたら一杯奢ろうかな、って思ってるよ」
メインは保存状態の良いミニチュアベッドだ。他には、笛や水鉄砲、竹蜻蛉などがあった。
「これもですか」
「それは違う。竹だけどね、違うよ」
一塊にして飾られた竹玩具とやや離れた場所に、竹を編んだ人形が飾られていたのだ。機織りの最中で、織り機も台座も竹である。まるで切り出したばかりかのように青々とした竹だった。
「あれ?」
鳥橋老人は、眼鏡を掛け直して人形をじっと見た。
「この布、長かったかなあ」
人形が織っている布も竹で出来ている。
「台座まで届かない長さだったと思ったけど。ほら」
見せてくる写真では、たしかに短い。
「思い違いではなさそうですね」
「どっかに仕掛けがあるのかな」
「偶然動かしたんでしょう」
天竹は人形の機織り機をあちこちの角度から見る。
「うーん、すぐには分からないな」
「そうですねえ」
「これ、気になるからいただくよ。幾ら?」
帰宅後、人形は茶の間の窓辺に飾った。翌朝起きると、人形の布は更に伸びていた。
「や、のびたなあ」
「仕掛け、まだ分からない?」
「分からないなあ」
天竹夫婦は、白髪頭を並べて人形に見入った。
「ねえ、またのびてるわよ」
「やや、ほんとだ」
竹を編んで作られた布が目の前で長くなり、台座をはみ出していた。それから数日経った晩のことである。
「ねえねえ!起きて!」
「んん?なんだい」
夜中に起こされて、のそのそと若竹色のサマーカーディガンを羽織る。妻の手編みだ。
「静かにね」
茶の間を覗くと、微かな水音がした。音の方に目をやる。天竹は息を呑んだ。竹の布が伸びて川のようになり、その上を竹筏が流れて行く。寝る前には無かったパーツだ。筏には、長い竿を操る三角笠の船頭がいた。その後ろには、また別の人形が座っている。織り機まで到達すると、織り手が立ち上がった。客人の人形は一旦筏を降りる。船頭は筏の向きを変えた。
岸辺にいた人形二人が竹筏に乗り込むと、船頭は布の端へ向かって漕ぎ出した。天竹夫妻が息を潜めて見ていると、竹の布がはためいて、水飛沫が上がった。竹筏は流れに乗って軽快に進む。竹細工で出来た布は、緩やかに曲がって窓へと筏を運ぶ。
窓の外で、鳥の羽音がした。群れのようだ。竹筏はカーテンをすり抜ける。天竹夫妻は、再び顔を見合わせた。カーテンに突き刺さった竹筏がすっかり消えた時、思い切って茶の間に足を踏み入れる。廊下の足元ランプが漏れてきて、茶の間の中はボンヤリと照らされている。
羽ばたきの音が遠ざかってゆく。夫妻はそっとカーテンの陰を覗く。何もない。人形を確認する。台座の上に機織り機がある。竹細工の布は、筏が消えた時の形で固まっていた。人形は一体もない。息を潜めて、ふたりはカーテンを開けた。ガラスの向こうでは、雨戸が立てられている。羽音はもう聞こえず、水音もすっかり止まっていた。
「開けてみましょうか?」
妻が囁く。天竹は頷いた。なるべく音を立てないように、窓を開け、雨戸を引き開ける。夜空を仰ぐと、上弦の月が明るく輝いていた。月に向かい、鳥の群が昇ってゆく。黒いが、鴉には見えない。鵲のようだ。鵲たちに囲まれて、竹細工の筏が人形をふたつ乗せてゆく。もう羽音も聞こえないほど高い。やがて人形は見えなくなった。鳥たちも天の川に溶けた。
二人が首を下ろすと、お向かいのベランダに七夕祭りの笹飾りが揺れていた。
「ああ」
天竹は得心した。
「七夕でしたか?」
ふたりにはチマキを食べる習慣がない。子供が自立して、孫も幼くはなかった。笹飾りや短冊を用意するのもやめている。
「旧だろう」
「お向かい、風雅なこと」
真夏の夕風が、皺の寄った額をふたつ撫でて過ぎる。
「あのふたりに、橋は必要ないね」
「筏がありますものね」
「橋までは船で行くと聞いたことがあるけど、あの人形は、機織り部屋まで迎えに来ちゃったね」
「それでも、会えるのは七夕祭りの夜だけなんですね」
「天帝もなかなかにシツコイ男だな」
「厳し過ぎますよ」
妻が不服そうに口を尖らせる。
「冷えるな」
「ええ、ちょっと寒いわね」
ふたりはそそくさと雨戸を立て、窓を閉め、カーテンを引く。ふと見ると、竹の布がほんのり朝焼け色に染まっていた。
「仕事を放り出しちゃったのは、やっぱりいけないねえ」
「夜が明けないのはこまりますねぇ」
夫婦は顔を見合わせて、くすりと笑った。
その翌日、小学校同窓会のお知らせが来た。五年ごとに送られてくる。
「やっぱり思い出せないなあ」
天竹は、予定が空いていれば同窓会に出席している。鳥橋翔という男には、会った記憶がなかった。
お読みくださりありがとうございます。
2026(令和8)年の旧七夕は、8月19日です。
織姫の布は一説に朝焼け
担当者が勝手に地上に降り、恋に夢中で戻らなかった為に夜が明けず、天帝お怒りと言う伝説もあります




