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弦巻天竹 人形夜話

朝空を織る娘

作者: 黒森 冬炎
掲載日:2026/07/07

 人形作家・弦巻天竹(つるまき てんちく)は、本名を甚五(じんご)という。その名で呼ぶ人も少なくなった。還暦をとうに過ぎ、髪はすっかり白くなり、昔ほど細かい作業が出来なくなってきている。そんなある年のこと。


「甚五くん」


 夕暮れの町を歩いていたら、老人から突然声をかけられた。初めて来た土地である。


「えっ?」


 思わず驚きの声が漏れた。


「甚五くんだろ?」

「えっ、どなた」

「えー、俺、変わっちゃったかなぁ。お互いジジイだもんなあ。仕方ないか」

「や、その、ええ」

「はは。甚五くんは面影あるよね。小学生の頃も静かだったから、そもそも変わらないって言うか」

「小学生」


 どうやら小学校時代の知り合いらしい。天竹の世代は、ひとクラスに五十人以上いた。時と共に印象が薄れてしまい、顔も名前も思い出せないクラスメイトもいる。


鳥橋(とりはし)。鳥橋(かける)だよ。五年生の時にクラスメイトだった」

「ええと」

「はは、覚えてないかー。ごめんね。俺、こんな店やってんの、今。良かったら覗いてみて」


 ショップカードを渡して、その人は立ち去った。


「リサイクルショップか。時々、面白い人形があるからな。行ってみるか」


 その日はもう閉店後だった。鳥橋老人は、仕事帰りだったのだろう。翌日の午前中に店を訪ねてみることにした。午後には帰路に着く。妻が集めている陶器の指貫もあるかもしれない。



「や、いらっしゃい。どうも、どうも」


 カラランと心地の良い音がする。使い込んで飴色になった、竹細工の鳴子だ。細長く切った竹が数本下がっているだけの、簡単な造りである。


「こんにちは。このドアチャイム、良い音しますね」

「でしょ?お客さんにもらったの。竹のおもちゃいくつか置いてってくれてね」


 話しながら、竹玩具の棚に案内された。


「くれたんだけどさ。売っていいって言うから。売れたら一杯奢ろうかな、って思ってるよ」


 メインは保存状態の良いミニチュアベッドだ。他には、笛や水鉄砲、竹蜻蛉などがあった。 


「これもですか」

「それは違う。竹だけどね、違うよ」


 一塊にして飾られた竹玩具とやや離れた場所に、竹を編んだ人形が飾られていたのだ。機織りの最中で、織り機も台座も竹である。まるで切り出したばかりかのように青々とした竹だった。


「あれ?」


 鳥橋老人は、眼鏡を掛け直して人形をじっと見た。


「この布、長かったかなあ」


 人形が織っている布も竹で出来ている。


「台座まで届かない長さだったと思ったけど。ほら」


 見せてくる写真では、たしかに短い。


「思い違いではなさそうですね」

「どっかに仕掛けがあるのかな」

「偶然動かしたんでしょう」


 天竹は人形の機織り機をあちこちの角度から見る。


「うーん、すぐには分からないな」

「そうですねえ」

「これ、気になるからいただくよ。幾ら?」



 帰宅後、人形は茶の間の窓辺に飾った。翌朝起きると、人形の布は更に伸びていた。


「や、のびたなあ」

「仕掛け、まだ分からない?」

「分からないなあ」


 天竹夫婦は、白髪頭を並べて人形に見入った。


「ねえ、またのびてるわよ」

「やや、ほんとだ」


 竹を編んで作られた布が目の前で長くなり、台座をはみ出していた。それから数日経った晩のことである。


「ねえねえ!起きて!」

「んん?なんだい」


 夜中に起こされて、のそのそと若竹色のサマーカーディガンを羽織る。妻の手編みだ。


「静かにね」


 茶の間を覗くと、微かな水音がした。音の方に目をやる。天竹は息を呑んだ。竹の布が伸びて川のようになり、その上を竹筏が流れて行く。寝る前には無かったパーツだ。筏には、長い竿を操る三角笠の船頭がいた。その後ろには、また別の人形が座っている。織り機まで到達すると、織り手が立ち上がった。客人の人形は一旦筏を降りる。船頭は筏の向きを変えた。


 岸辺にいた人形二人が竹筏に乗り込むと、船頭は布の端へ向かって漕ぎ出した。天竹夫妻が息を潜めて見ていると、竹の布がはためいて、水飛沫が上がった。竹筏は流れに乗って軽快に進む。竹細工で出来た布は、緩やかに曲がって窓へと筏を運ぶ。


 窓の外で、鳥の羽音がした。群れのようだ。竹筏はカーテンをすり抜ける。天竹夫妻は、再び顔を見合わせた。カーテンに突き刺さった竹筏がすっかり消えた時、思い切って茶の間に足を踏み入れる。廊下の足元ランプが漏れてきて、茶の間の中はボンヤリと照らされている。


 羽ばたきの音が遠ざかってゆく。夫妻はそっとカーテンの陰を覗く。何もない。人形を確認する。台座の上に機織り機がある。竹細工の布は、筏が消えた時の形で固まっていた。人形は一体もない。息を潜めて、ふたりはカーテンを開けた。ガラスの向こうでは、雨戸が立てられている。羽音はもう聞こえず、水音もすっかり止まっていた。


「開けてみましょうか?」


 妻が囁く。天竹は頷いた。なるべく音を立てないように、窓を開け、雨戸を引き開ける。夜空を仰ぐと、上弦の月が明るく輝いていた。月に向かい、鳥の群が昇ってゆく。黒いが、鴉には見えない。鵲のようだ。鵲たちに囲まれて、竹細工の筏が人形をふたつ乗せてゆく。もう羽音も聞こえないほど高い。やがて人形は見えなくなった。鳥たちも天の川に溶けた。


 二人が首を下ろすと、お向かいのベランダに七夕祭りの笹飾りが揺れていた。


「ああ」


 天竹は得心した。


「七夕でしたか?」


 ふたりにはチマキを食べる習慣がない。子供が自立して、孫も幼くはなかった。笹飾りや短冊を用意するのもやめている。


「旧だろう」

「お向かい、風雅なこと」


 真夏の夕風が、皺の寄った額をふたつ撫でて過ぎる。


「あのふたりに、橋は必要ないね」

「筏がありますものね」

「橋までは船で行くと聞いたことがあるけど、あの人形は、機織り部屋まで迎えに来ちゃったね」

「それでも、会えるのは七夕祭りの夜だけなんですね」

「天帝もなかなかにシツコイ男だな」

「厳し過ぎますよ」


 妻が不服そうに口を尖らせる。


「冷えるな」

「ええ、ちょっと寒いわね」


 ふたりはそそくさと雨戸を立て、窓を閉め、カーテンを引く。ふと見ると、竹の布がほんのり朝焼け色に染まっていた。


「仕事を放り出しちゃったのは、やっぱりいけないねえ」

「夜が明けないのはこまりますねぇ」


 夫婦は顔を見合わせて、くすりと笑った。



 その翌日、小学校同窓会のお知らせが来た。五年ごとに送られてくる。


「やっぱり思い出せないなあ」


 天竹は、予定が空いていれば同窓会に出席している。鳥橋翔という男には、会った記憶がなかった。


お読みくださりありがとうございます。

2026(令和8)年の旧七夕は、8月19日です。

織姫の布は一説に朝焼け

担当者が勝手に地上に降り、恋に夢中で戻らなかった為に夜が明けず、天帝お怒りと言う伝説もあります


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― 新着の感想 ―
拝読させていただきました。 このシリーズは懸命に生きる者を優しいホラーなので好きです。
読みごたえのある品格のあるホラーでした。 ラストで登場人物などの伏線の謎も解け、納得のいく作品に仕上がっていると思いました。 お上手です。
なるほど、この機織りの竹細工人形は織姫さんだったのですか。 七夕シーズンの今の時期にピッタリなお話ですね。
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