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願いが叶う雨降る町

作者: 匿名M
掲載日:2026/03/20

雨の降る町だった。


一年のほとんどが雨で、晴れの日は奇跡みたいに扱われる。


その町には「願いを叶える時計台」があった。



古びた石造りの塔。


頂上の鐘は錆びてもう鳴らないのに、なぜか人はそこに願いを捧げに来る。


__ただし一つ条件がある。


「願いはたった一人”記憶”と引き換えに」



それがこの町に住む誰もが知るルールだった。



彼女は何度もその時計台の前に立っていた。

願いなんて最初はどうでもよかった。


ただ、彼の隣に居たかった。


彼は優しかった。


優しすぎるくらいに。


傘を半分上彼女に寄せて、自分は濡れていることにも気づかないような人だった。


「風邪ひくよ」と言うと「大丈夫だよ」と優しく笑う。


そんな何気ない日々が、彼女にとっては全部だった。



でも__


その日彼は言った。


「ごめん、俺もうここを離れるんだ」


突然すぎる別れ。


理由は聞けなかった。聞いたところで、きっと何も変わらない気がしたから。


ただ胸の奥が空っぽになったみたいで、言葉が一つも出てこなかった。


気づけば時計台の前に立っていた。


珍しく雨は降っていない、静かな空だった。


「…願いを叶えて」


声は震えていた。


「彼を、ずっとここにいさせて」


鐘は鳴らない。

でも確かに”何か”が応えた気がした。


次の瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。


何かが消えていく。


でもそれが何なのか___


もう思い出せなかった。


翌日。


彼はいつも通りそこにいた。


「おはよう」


当たり前みたいに笑う彼。


まるで昨日の会話なんて存在しなかったみたいに。


彼女は嬉しかった。

本当に、本当に。


願いは叶ったんだ。

これでずっと一緒に居られる。




それからの日々は完璧だった。


彼はどこにもいかない。


いつも隣にいる。


笑って、話して、雨の日も、晴れの日も、ずっと。


何も変わらない幸せ。


_でもただ、一つだけ


彼は時々遠くを見るような顔をした。


「どうしたの?」と聞くと、


「いや…なんか、大事なこと忘れてる気がしてさ」


そう言って、困ったように笑う。


彼女は、そのたびに胸が締め付けられた。


でもすぐに首を振る。


大丈夫。

全部うまくいってる。


これが幸せな結末なんだから。



ある日、彼は言った。


「なあ、この町ってさ、なんか変じゃない?」


彼女の心臓が、ドクンと鳴る。


「外に出ようとすると、道が同じ場所に戻るんだよ」


「まるで、閉じ込められてるみたいだ」


彼女は笑った。


「気のせいだよ」


でも、彼は笑わなかった。


「俺、前はここにいなかった気がするんだ」


「どこかに、行こうとしてた」


その言葉に、彼女の中で何かが崩れた。


――思い出してほしくない。

絶対に。


だって、それを思い出したら、

彼はまたいなくなる。



その夜、彼女は再び時計台へ向かった。


もう一度、願うために。


「お願い……」


「彼が、何も思い出さないようにして」


鐘は鳴らない。


けれど、また“何か”が応えた。


頭の奥が、また熱くなる。


何かが、消える。


でも、今度は少しだけ違った。


胸の奥が、空っぽになる感覚。


何を失ったのか――

それすら、もうわからない。




翌日。


彼は、いつも通り笑っていた。


「おはよう」


優しい声。


変わらない笑顔。


彼女は安心した。


これでいい。


これで、全部いい。



「……君、誰だっけ?」


その一言を聞くまでは。



彼の目には、彼女が映っていなかった。


初めて会う人を見るような、

何の感情もない視線。


彼女は言葉を失った。


何を言えばいいのか、わからない。


だって――


彼と過ごした時間の中で、

“自分が誰なのか”すら、思い出せなくなっていたから。



雨が降り出す。


いつもの町。


変わらない景色。


彼は、何も知らずに歩き出す。


どこにも行けないはずの町で、


それでもどこかへ向かうように。


彼女は、その背中を見つめていた。


名前も呼べないまま。


引き止める理由も、もう持っていないまま。


それでも彼女は、微笑んだ。


「よかった」


声にならない声で。


「ここに、いてくれて」




時計台は、今日も静かに立っている。


誰かの願いを、叶え続けながら。


大切なものを、少しずつ奪いながら。


お読みいただきありがとうございました。


「幸せは叶っているのに、もう元には戻れない」そんなメリーバッドエンドのお話を書いてみました

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