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悪役令嬢に憧れて〜無能な平民と罵られた私が、氷の公女に見出され最強の淑女になるまで〜  作者: 十返香
第2幕 最強の淑女は社交界を嗤う

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14. 魔導書奪取作戦 I

 カイル王子との密談を終え、テラスの冷たい風を背に浴びながら、私は自らの内側に脈打つ冷徹な熱を感じていた。


 ――エリュシオンの断章。


 事象の因果を書き換えるというその禁忌の書は、もはや単なる伝説の産物ではない。ヴァレリアを越え、この歪んだ世界の頂点に君臨するための、確かな『鍵』となった。


 広間へ戻ると、ヴァレリアもすでに奥の小部屋から戻っていた。王族との会談を終えたばかりの彼女は、数名の貴族を相手に短く言葉を交わしながら、氷のような微笑で場を制している。会談の中身を悟らせまいとする完璧な支配者の所作――だが今の私には、彼女の城壁がどこから崩れるかが見えていた。


 ヴァレリアの関心は、遺跡から産出される魔導資源という目に見える富に集中している。彼女の枠組みは資源と領地経営で完結しており、その枠の外にあるもの――エリュシオンの断章という、世界の理を根底から覆す毒――は視界に入らない。


 見えないものは、守りようがない。これは史料の読み方と同じだ。書かれていることではなく、書かれていないことに目を向ける。ヴァレリアは今夜、まさにその空白の上に立っている。


「……エリシア。顔色が少し優れないようね。カイル殿下との会話に、よほど気を遣ったのかしら?」


 背後に戻った瞬間、ヴァレリアは振り返ることもなく、低い声で尋ねた。


 その声音には、主人の余裕と、相手の変化を見逃さない観察者の鋭さが同居している。試されている、と即座に理解した。一分の隙もない動作で歩み寄り、彼女の空になったグラスを静かに受け取る。


「恐れ入ります、閣下。殿下は殿下なりにお気を遣ってくださいましたが、あまりに退屈な誘惑でございましたわ……私が閣下の影として過ごす日々以上の興奮は、残念ながら隣国の王宮にはなさそうです」


「ふふ、いいわ。あなたのその、飼い主を甘やかすような嘘……けれど、その瞳の奥にある渇きまでは隠せていないわよ」


 ヴァレリアは僅かに首を傾け、私にだけ見える角度で目を細めた。


 彼女は疑っている。けれど、その疑念はまだ不確かな期待の域を出ていない。私という毒蛇が牙を研いでいることを知りながら、それをあえて楽しんでいる。


 この傲慢こそが、私の最大のチャンスだった。ヴァレリアは自分の檻の堅固さを疑わない。だから私が檻の中で何を企もうと、最終的には御しきれると信じている。それもまた、彼女の認識の枠が生む死角だ。


「渇き、でございますか……ええ、そうかもしれません。私は閣下に、もっと素晴らしい真実を捧げたいと願っておりますから」


 深く、完璧な一礼を捧げる。その動作の裏で、私は次の手を打った。


「――閣下。一つ、お耳に入れたいことがございます」


 声を落とす。周囲の社交の喧騒が、自然な遮蔽壁となった。


「国境沿いの遺跡――蒼氷の廃都の件でございますが、王家に報告する前に、正確な資源埋蔵量の鑑定が必要かと存じます……不正確な数字が先に流れれば、カイル殿下に交渉材料を与えることになりかねません」


 この提案は、ヴァレリアの認識の内側だけで組み立てた言葉だ。彼女が恐れているのは、カイルが先に情報を握ること。だから資源鑑定という名目は、彼女の警戒心にぴたりと嵌まる。本当の目的が断章にあると気づかないのは当然だった。彼女の地図に、その座標は存在しないのだから。


 ヴァレリアの目が、一瞬だけ鋭く光った。


「……つまり、あなたが先行調査の指揮を執りたい、と?」


「僭越ながら。閣下が王都を離れれば、留守を狙う者たちの動きを封じられません。私の目と、閣下のお名前があれば、遺跡の全容は数日で掴めます」


 沈黙は、三つの呼吸ぶん。


 ヴァレリアは新しいグラスを手に取り、唇を濡らしてから、静かに微笑んだ。


「いいわ、エリシア。あなたに任せましょう……ただし、帰還の折には、私が満足する数字を見せなさい。それが、あなたの鎖の長さを決めることになるわ」


「もちろんでございます、閣下」


 鎖の長さ。彼女はそう言った。私が欲した指揮権は、自ら差し出されるかたちで手の中に収まった。ヴァレリアの微笑は、まだ自分が与える側にいると信じている者の顔だった。




 ◆◇◆




 深夜。舞踏会が終わり、公爵邸が静まり返った頃、自室へは戻らず、北塔の最上階へと向かった。

 冷たい石造りの階段を一段ずつ踏みしめるたび、自分自身を削り出し、一つの目的に向かって研ぎ澄ませていく感覚に酔いしれる。


 扉は開かれていた。部屋の中には、天球儀を眺めながら、古い羊皮紙に複雑な術式を書き殴っているルシアンの姿があった。


「……来たね。カイル王子という触媒に触れて、ずいぶんと面白い顔をしているじゃないか」


 ルシアンは顔を上げることなく告げた。その声は穏やかなのに、瞳だけが暗い熱に浮かされている。


「ルシアン様……エリュシオンの断章について、貴方はどこまでご存知ですか」


 直球の問いに、ルシアンのペンが止まった。彼はゆっくりとこちらを向き、唇を歪な弧へと歪める。


「王子も馬鹿ではないな。君という器に、それほどまでの情報を注ぎ込むとは……そうだ、エリシア。あれは魔導資源などというゴミとは次元が違う。あれは歴史の記述者が残した、この世界の設計図だよ。それを手にする者は、神の指先を持つのと同じだ」


「それを……奪います。ヴァレリア閣下にも、カイル王子にも、誰にも触れさせません」


 ルシアンの机に身を乗り出すと、執着に満ちた私の瞳を眺め、恍惚とした表情で息を吐く。


「いいよ、エリシア。そのために僕は君を作り変えたんだ……だが、あの遺跡の封印は、公爵家の血筋か、あるいはそれに匹敵する魔力の波長を持つ者でなければ開かない。閣下自身を連れていくのは、自らの首を絞めるのと同じだ……だから、僕たちは閣下を欺き、その『鍵』を偽造しなければならない」


 ルシアンの知識は不可欠だ。だが彼が協力するのは、私のためではない。退屈に倦んだ天才が、私という実験を面白がっているだけだ。


 今はそれでいい。彼の愉悦が続く限り、この計画の魔導面は盤石になる。そして政治的な段取り――遺跡に向かう名目を作り、ヴァレリアを王都に留め、調査権限を単独で握ること――は、私にしかできない仕事だ。


「ヴァレリア閣下は、明日、遺跡の第一次調査の指揮権を私に委ねます。先ほど、広間で確約を得ました。ルシアン様、貴方にはその間に、公爵家の紋章が持つ魔力周波数を完全にコピーした偽装の鍵を用意していただきたいのですが……」


「できるとも。ただし代償がある」


 ルシアンは私にナイフを差し出した。


「鍵の偽装には、触媒として血が必要だ。それも、ヴァレリアに最も近い場所で彼女の魔力の薫りを浴び続けてきた器の血がね」


 私は迷うことなく、自らの掌を切り裂く。滴り落ちる赤い血が、術式の描かれた羊皮紙を染めていった。


 ――刹那、羊皮紙に描かれた紋章の線が、蒼白い光を帯びて浮き上がる。血が回路を満たすように広がり、部屋の空気がわずかに甘く腐ったように香った。


「ふふっ……僕の読みどおりだ。君の血は、十分に対価となり得たね」


 ルシアンは血に濡れた私の手を取り、その傷口を愛おしそうになぞった。


 その視線には、指導者としての立場を超えた、壊れゆくものへの執着が満ちている。その視線さえも冷徹に利用する。彼が私に溺れれば溺れるほど、この計画の成功率は高まるのだ。




 ◆◇◆




 数日後。私は霧に包まれた国境沿いの遺跡、蒼氷の廃都に立っていた。


 ヴァレリアは王都での政務を優先し、全権を委ねている。表向きは資源の埋蔵量を正確に測るための鑑定。だが本当の目的は、この遺跡の最下層に眠る禁忌の書へと辿り着くことだ。


 随行する衛兵たちは、ルシアンが施した暗示の魔導により、深部への進行を当然の調査だと思い込まされている。


 ――はずだった。


 崩れかけた大理石の廊下を歩くなか、ふと、後方の衛兵の一人の足音が止まる。


 振り返った男の瞳が、一瞬だけ焦点を結んでいた。ぼんやりとした暗示の膜が剥がれかけたような、濁った困惑が浮かんでいる。


「……ここは、調査範囲の……」


 男の唇が動きかけた瞬間、ルシアンが半歩下がり、男の肩にそっと手を置いた。指先から淡い光が漏れ、男の目がゆっくりと再び曇っていく。


「……失礼しました。何でも、ありません」


 男は何事もなかったかのように歩き始めた。


 ルシアンと視線を交わす。彼の目には「次はない」と書いてあった。暗示の上書きには限界がある。ほころびが広がる前に、核心へ辿り着かなければならない。


「……見ろ、エリシア。あれが最初の門だ」


 ルシアンが指し示した先には、青白く発光する幾何学模様が刻まれた巨大な石扉があった。王室の血筋以外の者が触れれば、精神を焼き切るほどの衝撃が放たれる。


 私はルシアンから受け取った偽装の鍵を掌に握りしめた。


「準備はいいかい? ここを越えれば、もう後戻りはできない。君は、ヴァレリア・ド・ラ・ヴァリエールに対して、完全な反逆行為をとることになる」



『――消えなさい、エリシア』



 脈絡もなく、あの声が蘇った。大ホールで眼鏡を踏み砕いた、あの日のヴァレリアの声。


 ええ、閣下。貴女の従順な『道具』としての私は、あの日、死に絶えました。今ここにいるのは、貴女を破滅させるための『最強の淑女』です。


 扉の中央に掌を当てた。偽装された魔力が回路へと流れ込み、古の防衛機構が、私の存在を正当な継承者であると誤認していく。


 重厚な音とともに、扉がゆっくりと開き始めた。その奥から吹き抜ける風は、凍てつくように冷たく、それでいて甘美な知識の芳香に満ちている。


「……さあ、奪いに行きましょう。私の、新しい世界を」


 迷うことなく闇の中へと足を踏み入れる。


 私を『泥』と呼んだ者たちが、明日には私の書く因果によって、どのような悲鳴を上げることになるのか。


 ――『最強の淑女』による、歴史の簒奪。


 その歯車は、もう誰にも止めることはできないのだから。


読んでいただき、ありがとうございました。

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次話「魔導書奪取作戦 II」

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