第4話 その瞳に映るもの
私がルクシア・ノクティスとしてこの世界に生まれてから、十日ほどが経った。
相変わらず、私は眠るか抱き上げられるかの日々を送っている。
けれど今日は、いつもより周囲が少し慌ただしい。
「奥様がお越しになります」
「身支度を整えて」
その言葉に、侍女たちの空気が一気に引き締まった。
(……奥様?)
原作の記憶が、自然と頭をよぎる。
――セレナ・ノクティス。
ルクシアの母親であり、類まれなる美貌を持つ公爵夫人。
けれど原作では、感情をあまり表に出さず、娘にも距離を置いていた人物。
(どんな人なんだろう……)
そう思った、そのとき。
扉が静かに開いた。
差し込む光の中に立っていたのは、
息を呑むほどに美しい女性だった。
淡い金色の髪は絹のように艶やかで、
整った顔立ちは冷ややかさすら感じさせるのに――
その瞳だけは、柔らかく揺れていた。
「……この子が」
小さく、震える声。
「ルクシア……私の……」
その瞬間、空気が変わった。
セレナ・ノクティスは、
まるで壊れやすい宝物に触れるかのように、そっと私を抱き上げた。
「……なんて、綺麗な子」
侍女の一人が、思わず息を呑む。
(――信じられない)
彼女は、この屋敷に長く仕えている。
奥様がこんな表情を浮かべるのを、初めて見た。
(いつもは凛として、隙なんて一切見せない方なのに……)
乳母もまた、そっと視線を伏せながら思う。
(まるで……初恋をした少女のようだわ)
セレナは、私の額にそっと口づけた。
「この子は……私が守るわ」
その声には、迷いがなかった。
(……あれ?)
私は、ぽかんとしながらその顔を見つめる。
(原作だと、こんなに……近かったっけ?)
けれど、彼女の腕は確かに温かくて、
抱きしめる力は優しくて――
胸の奥が、またじんわりと熱くなる。
(……ダメだよ)
期待してはいけない。
ここは、いずれ私を断罪する世界。
それでも。
「ルクシア」
母の声で名前を呼ばれるたび、
私は少しずつ、この温もりを覚えてしまう。
――愛されるということを。
それが、
どれほど甘くて、
どれほど残酷なものなのかを、
まだ知らないまま。




