第2話 わたしの名前
柔らかな布に包まれながら、私はぼんやりと天井を見つめていた。
さっきまで確かにあった、身体の周りを漂う淡い光は、今はもうどこにもない。
(……やっぱり、夢じゃない)
視界の端で、大人たちが静かに、けれど慌ただしく動いている。
小声で交わされる会話は、どれも緊張を帯びていた。
「今の光……見間違いではありませんね」
「ええ。確かに、この子から……」
内容は分からなくても、
自分が“普通ではない存在”として見られていることだけは、
はっきりと伝わってくる。
(目立たないようにしたいんだけどな……)
そう思った瞬間、
そっと、誰かの指が私の頬に触れた。
大きくて、温かい手。
「……小さいな」
低く落ち着いた声が、すぐ近くから聞こえた。
不思議と怖さはなく、胸の奥が少しだけ落ち着く。
「この子の名は――」
その一言で、空気が変わる。
周囲のざわめきが静まり、
全員の意識が、私に向けられたのが分かった。
「ルクシア・ノクティス」
その名を告げられた瞬間、
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
(……やっぱり、この名前)
何度も見て、何度も聞いた。
原作の中で、誇り高く、傲慢で、
最後には断罪される――悪役令嬢の名前。
(私が……ルクシア・ノクティス)
そう理解した途端、
嬉しさと不安が、同時に押し寄せてくる。
周囲からは、次々と声が上がった。
「なんて可憐なお子……」
「光に祝福されたような……」
「この子は、きっと――」
そのどれもが、
嫌悪や警戒ではなく、
驚くほど柔らかく、温かな視線だった。
(……あれ?)
原作では、
この家は冷たく、
彼女は幼い頃から孤独だったはず。
なのに。
「ほら、ルクシア様」
「小さな手……本当に愛らしい」
抱き上げられ、撫でられ、
私は完全にされるがままだ。
(距離、近くない?)
でも、
その腕の中は、思っていたよりもずっと安心できて――
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(……嫌われないように、だよね)
それだけを目標にしていたはずなのに、
名前を呼ばれるたび、
私は少しずつ、この世界に縛られていく。
ルクシア・ノクティス。
それは、
破滅へと続くはずだった名前。
けれど今はまだ、
優しく呼ばれるその響きが、
少しだけ――心地よかった。
私はまだ知らない。
この名前が、
やがて“溺愛”と共に呼ばれるようになることを。




