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Another Story Rusha Kibayashi

今回、みんな大好き? 木林日光一の嫁再登場です。つまり、今大木こんだいきということですので気を付けて下さい。え? そこまで大好きじゃないですってえ? ところで今回、文字数がほんの少し増量、つまり、文少増もしょうぞうしていて、それっておかしくない? って気がしませんか? 私はそう感じます。一体何故でしょうねえ……


ーーーーーーーーーーー


ーーーーーーーーーーーAnother Story Rusha Kibayashiーーーーーーーーーーー


「只今、強風の影響により離陸許可が制限されており、出発が困難となっております。次回の案内までロビーにてお待ちください」

無機質なアナウンスが流れる中、カウンターのグランドスタッフの前に、一際目を引く影が立った。大きな白い帽子に、眩いほどの白いドレスを着た女性。サングラス越しでも伝わる


『尋常ならざる者』


の気配。


「あら? グァム行きの便は今日、8月1日の14時発なのよ? それっておかしくない?」

声だけを聞けば、守ってあげたくなるような愛らしいアニメキャラのようないわゆる


『萌えボイス』


だ。しかし、姿は年齢不詳、さらにその言葉の最後に込められた圧力(それっておかしくない?)は、氷点下の氷の刃のように鋭く、聞いた相手に混沌を与え、気分も沈み込ませてしまうような破壊力を備えている。この女性は間違いなく木林ルーシャであろうな……かつて私は一度だけ彼女と戦ったことがあるのだ。禿しい……おっと失礼……激しい戦いであった……そしてその結果、その声を聞くとあの恐怖が蘇る。2度と忘れられぬトラウマを植え付けられてしまったのだ。そう、やわらかい声と、鋭すぎる言葉のギャップに、相当苦戦した記憶があるのだ……何とか私の勝利で終わった訳だが、勝ってもいい思い出は一つも残っていない程の薄氷の勝利。再戦があったとして、再び勝つだろうが、それでも2度と戦いたくないと思える相手なのである……ブル。


「……天候の影響ですので、おかしくはありません。不可抗力です。お待ちいただく他ありません」

対応したスタッフは、疲れからか、あるいは彼女の威圧感への防衛本能か、ルーシャの言葉をなぞるような、それでいて突き放した返答をしてしまった。


「あら?」

ルーシャは、ゆっくりとサングラスを鼻先まで下げた。

剥き出しになった瞳は、慈悲など微塵も感じさせない、冷徹な法執行官のそれだ。


「今、私の言い方を模写したの? どうしてかしら? なにかイラっと来るわね。ここって


『おかしくはありません』


じゃなくて、


『仕方がありません』


でも言葉としては通用するはずなのよ? あえて私の言い方に被せてきたのは、どういう意図かしら。私に喧嘩でも売っているの? それとも、客を小馬鹿にするのがこの航空会社の教育方針なのかしら?」


「い、いえ、そのような意図は……」


「意図がないなら、なおさら質が悪いわ。無意識に相手を逆撫でする言葉を選ぶなんて……いい? 不可抗力という言葉は、全力を尽くした者が最後に使う免罪符よ。風速、滑走路の状況、代替便の有無。それら全てを提示せずにその言葉を吐くのは、ただの


『怠慢』


でしかないのよ。もしも刑事なら、その一言で被疑者を逃がすことになりかねないのよ。それっておかしくない?」

一瞬、彼女が刑事という単語を混ぜたことに、周囲の空気が凍りつく。彼女ならこれくらいのことでもそれを呼びかねないという確信が、全員の頭をよぎったからだ。


「ひい……な、何でございましょう?」

ドレスを揺らしつつ、カウンターに身を乗り出し、スタッフの瞳の奥を覗き込んだ。その眼光は、まるで隠し持った悪意や嘘を強制的に引きずり出す、取調室のライトのように強烈。


「……14時5分。5分だけ待つわ。それまでに納得のいく


『説明』


を持ってきなさい。さもなくば、あなたのその不遜な態度、責任者を通して徹底的に


『査察』


させてもらうから」


「い、いえ。そんなことは……人命に関わりますから。私共、自然現象を操る力はありません。なので5分で止む保証はないのです。どうかお待ちいただけますか?」

青ざめながらも必死に説明する受付の女性。


「はあ……」


「しょうがないな。でもわざわざ奥さんの言い方に似せて言うことはないはずだ。挑発的な言い方は止めるべきだぞ! これから奥さんとグァムだってのに全く……」

上下白のスーツの男もルーシャに便乗し、受付に当たり散らす。

30代前半だ。この二人はグァムまで旅行予定だったのだろう。ルーシャの恋人だろうか? かなりの年齢差だ。だが自分の恋人に対し


『奥さん』


というケースはあるだろうか?


「あら? 聖也君? 奥さんなんてよそよそしいわね。ちゃんと


【名前で】


呼んでよ聖也君?」


「え? それはその……」


「さっき4時間かけて教えてあげたのにもう忘れたの? それっておかしくない?」


「4時間で2回くらい高速で言っていました。ですが……あ、じゃあ直美姉さんでは? そっちのパターンで」


「覚えられないのね?」

この男は日光一を捨てた後に拾った新しい男であろうな。名前を教えたばかりということだからな。あの長い名前をなw


「無理です。俺も記憶力には結構自信あったんですよ。こう見えても一応慶応義塾大学の医学部を卒業してますから。それでもですよ? 半分も覚えられないです。こんなことをどんな感じで覚えたんですか?」

この男かなり高学歴だ。だがどうも出来る男には見えないのだ。どこか情けなさが漂うホストのような風貌。身長は170程でルーシャとほぼ同じ高さである。


「3歳で覚えたわ。何度も書き写して二年かけてね」

ほう……化け物じみている記憶力と言語理解力だな。


「嘘でしょ? こ、これをですか? すごく覚えにくい順番になっていて……漢字が続いたと思ったら急に英語に変わるし、法則が見えないんですよ。で、そう思ったら急に数字に変わったり数学の公式になったりで支離滅裂なんですよ……ご両親はどういうつもりでその名前を付けたんですか?」


「自己満足でしょうね」


「断ればよかったじゃないですか。その名前は嫌だって。そのパターンでは記憶しにくいからって」


「3歳の頃に断るという観念は無いのよ。親の出した物は絶対よ? それにね? 名前にパターンなんてないのよ。まあ覚え甲斐があったから覚えた。そんな所かしら?」


「それでご両親も90代で健在で、あなたも75歳でもそこまで若々しくて頭もいいんですね? 頭を使うことで長く生きられるというのを習ったことがあります」

流石医学部と言っていただけのことはある。彼が居れば病気になっても助けてくれるであろうな。なかなかいい彼氏なのではないか? 


「聖也? 歳の話は言わないでくれる? 受付の人にも聞かれちゃったじゃない? デリカシーはないのかしら? それって……」


「おかしいです。すいません」

もう彼女が何を言うか理解しておるな。先回りして


『おかしくない?』 


をキャンセルしておるな。


「あ、あのすごくお若い! 75には見えませんでした!! 40代くらいに見えました!!」


「なにそれ? そんな見え透いたお世辞は必要ないわ? その戯言は、75という年齢を聞いたから出たフォローでしかないわ。一流の接客のプロが何度も何度も客を逆なでするなんて……それっておかしくない?」


「ひえええ、すいませええんんおかしいですうううう」

びゅおおおおおお


「口を動かす暇があったら手を動かしなさい。ふう、まだ風も止みそうにないわね。空港内でも風の音が響いているわ……ここの食堂で時間を潰そうかしら?」


「いいえ、すぐそこにうまい蕎麦屋があるのでそちらで」


「聖也君おそばが好きなのね? 意外ね。いいわ、そこに行きましょ」


ーーーーーーーー8月1日 12:00 蒼天庵ーーーーーーーー


「直美姉さんここだよ」


「へえ、じゃあ早く入りましょう。おなかが減っちゃったわ。機内食で済ませる予定だったのに。まったく……」

ガラガラ


「いらっしゃい!」

中に入ると数名の客が雑談している。蕎麦を食っている様子はない。特に、紫の髪の男と小太りの茶色い男が席の隅でずっと顔を向き合わせてしゃべっている。どちらも真剣な表情だ。それ以外は普通の蕎麦屋だ。


「お兄さん、おすすめは何かしら?」


「十割そばだね。美味しいよ!」


「じゃあそれを2人前お願いするわ」


「へい」


「しかし運が悪かったですね。急に風が強くなるなんてね」


「ええ」


「このまま勢いが下がらない様なら今日はキャンセルですかね? ところで600万も取ったってマジすか? その金を今日の旅行で使ったってことですよね?」


「そうね、でも


『取った』


って言うのはちょっと違うわ。過去形じゃなく現在進行形だもの」


「え?」


「毎月600万だから」


「え? ま……毎月ですか? 一回だとばかり……」


「ええ、毎月」


「始めはいくらから?」


「いいえ。最初から600万を提示したの。月600万」


「女性は……怖いですね。因みに旦那さんはどんなリアクションでしたか?」


「キノコ」


「き、きのこぉ?」


「気 (き)が動転して脳 (の)が混乱、もしくは子供返り (こ)した老人。の略なのかもしれないわ」


「まあ、突然そんなことを言われればそうもなりますよね。俺もそうなってしまうかも……」


「でも私もそれに近い驚きを奴に味わわされたからね」


「と言うと?」


「一緒の大学を卒業したら結婚って約束だったけど、奴は父親の金で裏口入学で入ったのよ」


「そうだったんですか……」


「今回の出来事を事細かに弁護士に伝え、条件を詰めて、強制執行認諾付きにしたの」


「それ、なんですか?」


「振り込みを止めた瞬間、差し押さえできるってこと。口座も、不動産も」


「怒らせる相手を間違えたんですね」


「ええ、裏切られた代償は、感情じゃなくて数字で受け取ればいい」


「長いこと耐えたんですね……辛くなかったんですか? 泣きたいと思ったことは?」


「聖也君? 世の中ね、泣いた女が勝つんじゃないの。準備した女が勝つのよ」


「……」


「それにしてもたかだか風のせいで……自由になれたというのに……ついていないわ」


「小さい子が助けてくれたって話ですか?」 


「そう、確かアリサちゃんね。やっと……もうこんな老けちゃったけどね。もっと早く来てほしかった……」


「何!?」

ガタッ

どこからともなく驚きの声と共に椅子が激しく倒れる音が。そしてその声の主がルーシャに駆け寄ってくる。


「なんだお前は? う?」

聖也が立ち上がる。が、駆け寄ってきた男は自分よりも20センチは背が高い。その身長差に慎重に後ずさる。


「今あんた、アリサと言わなかったか?」


「何よあなた? まずは名乗りなさい」


「俺は白川だ。白川修。あんたは?」


「聞きたいの?」


「いや、名乗ったんだからそっちも普通名乗るだろ?」


「そうよねw確かにそれっておかしいわね? じゃあ……


『名乗る』


わね?」

ルーシャが唇の端を吊り上げた。その瞬間、蕎麦屋の湿った空気が、物理的な重圧を伴って白川の肩にのしかかる。


「あわわ……」


「何びびってんだこいつ? ん? ホストかこいつは? 何でホストがこの店に来るんだ? 店の雰囲気を考えろ! 景観を損なうわ、出てけ出てけ!」

白川のホストいじりをよそに、ルーシャは準備する。和風蕎麦屋に場違いなほど真っ白に輝くドレスが不気味さを醸し出す。彼女は深呼吸ひとつせず、その


「儀式」


を開始した。


「私の名は…………」


「え? ちょっと……」


「……………………」


「おいおい」


「お、お客さん? 何を……?」

店主の茹で釜から上がる湯気までもが、彼女の詠唱に氷付いたかのようだった。ルーシャはただ無表情に、深淵のような瞳で白川を見つめ、声にならない


『名前とは思えないほど長い何か』


を紡ぎ続ける。


「………………………………………………………………………………………………………………………………」


「も、もういい!! 分かった。分かったから! もう止めろぉ!」

耐えきれず、白川が絶叫に近い声を上げた。根負けだ。生理的な恐怖が、彼の聞くという機能を麻痺させたのだ。


「フフフ、名乗れと言ったから名乗ったのに。止めた方がいいの? まだ途中なのに……白川君? それっておかしくない?」

ルーシャの瞳が、獲物を射抜く猛禽類のようにギロリと光る。


「いや、その……でもよ、あんた、それっておかしくない? って口癖なのか? さっきから言ってるけどよ」


「ああ、これ? 母さんの影響かしら。少しでも意に反することを言うと必ずそう返してきたからね。いつのまにか伝染っちゃったのよ。でも、彼女の言うとおりにしていれば褒めてくれた。そして近所の奥さん達にも私を自慢してくれた。いつもテストは100点なのよ! ってね」


「母さんが好きなのか。奇遇だな。俺もだぜ」


「あなたの話は聞く必要ないわ。隙あらば自分語りなんて……それっておかしくない?」 


「ぐう……」


「ところであなたは今の流れで一体何が分かったのかしらね? この名前を言い終わるまでは誰一人分かったとは言えない状況なのよ? まさか途中まで聞いておいて、聞くに値しないってことが分かったからそう言ったんじゃないかしら? それっておかしくない?」


「それは……う……」

白川は言葉を失い、後ずさる。背中が壁に当たり、逃げ場がないことを悟る。


「この前私に惨敗した薄毛の眼鏡のおじいさんに名乗った時は、もう少し長く名乗らせてもらえたわよ? その名前に感動して何も言えなかったわ? でもあなたはこんなに早く止めるなんて……情けないと思わないの?」

……ま、まさか私か? 確かに長いこと聞いていたな。そう、全てを聞き終えたのだ。そしてその時彼女から勝利を収めたのだな。

だがそれはよく考えると、止めるというか唖然として止めることすら忘れ……おっと、ちがうよ? 何でもないんだ。結果、白川より私の方が忍耐力的には遥かに優れているという事実が判明してしまったようである。だが、これはもうその人の基本的な持って生まれたあれだから仕方が無いわけで……で、ここから分かることは、私はルーシャにも勝ち、白川にも勝ってしまったのだ。でもね? それに甘んじることなく日々邁進していくつもりなのでよろしくね。


「ハッ、自慢げに語るところじゃねえな」

白川は震える膝を叩き、精一杯の虚勢を張ってルーシャを睨み返した。


「あら?」


「その


『薄毛の眼鏡のおじいさん』


が最後まで聞いたのは、あんたへの敬意じゃねえ。止めようとしたけど頭の回転が非常に遅いおじいさんだから、反射神経が絶望的で、止めようと喋りかけようと頑張ったんだけど、あんたの剣幕が凄まじすぎて結局最後まで言わせちまったって話なだけだ。なんとも間抜けな話だがな……」

ちがうよ! そんなわけねえじゃん。


「年老い過ぎて流れるように右耳から入って左耳を抜けていくワードをさばききれず、最早お経のように感じてしまい、年老いてもうすぐあの世に行く準備態勢になったことで心地よくなってしまい盲目的に言い終わるまで待たざるを得なかっただけなんだわ。考えても見ろ、そんなおじいさんの平坦な人生の中で、普段起こり得ないことが突然起りゃあ、その異常事態に対して脳がシャットダウンしちまうのは当然だろ! あんたの自己紹介は、もはや名前の紹介じゃねえ……


『言葉の暴力』


による脳への強制的なハッキングなんだよッ! 長いこと頑張って本来生えていなければいけない部分を剥がしてしまったおじいさんだ。頭の防御力は髪の毛が無い分低い。そんな無防備なところにあんたの凶悪な呪文が流れ込んでくるわけだ。守る者がないゆえすんなりと通してしまう。そしてそのむき出しの頭皮の奥底に眠っている


『疲れ果てたおじいさん印の古びた脳』


にダイレクトで届いてしまう訳だな。これではフリーズしても仕方ねえだろ? あれだけの情報をおじいさんに与えたらショック死してしまうと思うぞ。もうあんたは既にそのおじいさんを殺してこの場所に立っているんじゃねえのか?」 


「途中で接続が切れたから分からないわ」

ああ、死んではいない。でも、そのあと2056本も毛根が死んじゃったんだ……勝利の代償はあまりに大きく毛深い……根深いものだった。もう男としては殺されたも同然だよ……戦いに勝って勝負に負けたと言っても過言ではない……だってもう潤沢な髪の毛はもう戻ってこない……ふさふさだったあの頃が懐かしいよ……


「だが俺はその疲れ果てたおじいさん印の古びた脳を持ったおじいさんとは違う。聞いている途中でクソだと分かった。こんなもんは、間違いなくクソだと断言させてもらうぜ」

白川よ、どさくさに紛れておじいさんを何回言うんだよ……何で反射神経がないって薄毛のおじいさんという話を聞いただけで確定しちゃうんだよ。同世代の中では比較的反射神経はいい方なんだよ? しかも最後に疲れ果てたおじいさん印の古びた脳なんて言い方してバカにして……こんなのぜってえにひどいよ! 


「な、なんですって?」

白川は鼻で笑い、彼女の顔を正面から指さす。


「んなもん名前じゃねえ。ただのバグの羅列、あるいは性能諸元表だ。途中まで聞いて確信したぜ。今の


『それ』


は、あんたを人間として愛するために付けられた名前じゃねえ。あんたに効率よく知識を詰め込むだけの


『個体』


として管理するための、シリアル番号だ。そこに


『親の愛』


なんて1ミリも、否、1ミクロンたりとも入ってねえ。あんたを勉強させていい大学を出して自分を養ってもらうためだけの機械に育てる気満々の、文字列に過ぎない。あんた、よっぽど親に疎まれて育ったんだな……あんたは本当の名前を付けられぬまま育っちまったんだよ! フン、同情するぜ、可哀想な


『名無し一号』


さんよ! それを会う奴会う奴に、誇らしげに名乗っているんだろ? あんた……虚しくならねえか? 一生その親の呪縛の中に飼われ続けるつもりか? それとも、もう戦うのを諦めて、その文字列の一部になり果てちまったのか?」


「……フフ、あはははは! 面白いわね、あなた。落ちぶれたホストみたいな顔をして、安っぽい三流ドラマの脚本家みたいな


『愛』


なんて言葉を、恥ずかしげもなく吐き出せるなんて。その薄っぺらな同情、お酒と一緒に客にでも売ってきたら?」

ルーシャはゆっくりと立ち上がり、獲物を値踏みするように白川を凝視する。


「いい? 勘違いしないで。愛なんていう実体のない、生存に不要なノイズで、名付けられる方が私にとって不愉快なのよ。 

名前なんてものはね、その個体が持つスペック、あるいは到達すべき領域を指し示す


【設計図】


であるべきなの。例えば日光一。これ、私の元旦那の名前よ? 一般人はダサいとか考えるでしょうけどそれでもあんたの名前よりは遥かに素晴らしいと言えるわ。奴の場合、完全に名前負けだけどね。ひとすじのサンシャインと読み、親が彼に光り輝く存在であってほしいと願いつけられた。私の親も私にこの長い


『シリアル番号』


を授けたのは、私が凡百の人間として埋もれることを拒絶し、膨大な知識を統べる


『唯一の個体』


であると定義したからよ。あなたはそれを呪縛と呼ぶけれど、私にとってはこれこそが最高級の


【武装】


なの。この名前を覚えきれず、理解できず、途中で脳をフリーズさせて脱落していくあなたのような


『低スペックな個体』


を振り分けるための、高精度のフィルターなのよ。虚しい? まさか。名乗るたびに相手の知性の限界が露呈する様を見るのは、この上ない愉悦だわ」

ルーシャは一歩、白川に詰め寄る。その瞳には人間を慈しむ色など微塵もない。


「それにね、シリアル番号で管理されることが非人間的だと言うのなら、あなた自身のその


『修』


という、どこにでもある量産型の記号はどう説明するのかしら? 誰にでも覚えられ、誰とでも代えが利く。それこそが、あなたが親から授かった平均的で無個性なモブキャラとしての烙印じゃない。私を名無し一号と呼んで憐れんだつもりでしょうけど、私から見れば、あなたは名前という名の鎖に繋がれた、ただの飼い慣らされた羊よ。親の愛という名の


『飼料』


を食べて、自分が特別な存在だと錯覚して生きている。どちらが虚しい人生かしら? ……あ、ごめんなさい。あなたのその処理速度の遅い脳では、今の質問に答えることすらバグの原因になってしまうかしらね?」


「……っ、てめえ……」


「言い返せないなら、その汚い指を下げなさい。私の名前をクソと呼ぶ権利があるのは、せめてこの文字列の半分でも理解できる知性を持った者だけよ。さあ、理解できた? それとも、また最初から名乗ってあげましょうか? 今度はもう少し、幼稚園児にも分かるようにゆっくりとね」


「俺を、その下らん文字列が理解できねえだけで幼稚園児扱いする程度の視力、能力なら、そのままそう扱えばいい。ああ、勝手にしろ。まさか令和のこの時代に、自己紹介でこんな大事故に遭うとは思わんかったぜ」

白川は鼻を鳴らし、ルーシャの冷徹な瞳を真っ向から見据え返す。


「お前さんは、そのシリアル番号を相当気に入っているようだな。こんな長い名前を覚えた私、さすがかっこいいとでも思っているんだろうな? 自分を特別な個体だと証明する、唯一の免許証だと思ってんだろ? それは分かった。だがな、一つ忠告だ。これからは一般人にだけは、その長い名前を名乗らねえ方がいい。お前さんの理屈で言えば、相手の能力が低いと分かった時点で、その名前を名乗るまでもないはずだろう?」

白川は椅子に深くもたれかかり、嘲笑うように口角を上げた。


「相手の能力が低いかどうかを、名前を全部名乗りきらなきゃ判断できねえってのも、知性のフィルターとしては欠陥品なんじゃねえのか? まるで、相手が困るのを知っていてわざと名乗り、その狼狽ぶりをニヤニヤ眺めて楽しんでいる……端から見りゃ、知性溢れる貴婦人様じゃなく、ただの


【性格最悪の理不尽いびり屋おばあさん】


にしか見えねえぜ。スペックだの設計図だの気取ったところで、やってることは公園の砂場でマウント取ってるガキと同じだ……これ位は、お前さんの高いIQでも理解できるだろ?」


「……な、んですって?」


「自慢のフィルターが聞いて呆れるぜ。相手が自分の名前を理解できないって分かった瞬間に、適当な偽名でも名乗って話を先に進める……それが本当の意味での効率的で、高スペックな人間のやり方じゃねえのか? お前さんは、自分のプライドを満たしたいがために、あんた自身だけでなく、他人の貴重な時間までをもその無価値な朗読会でドブに捨ててるんだよ。気付いてくれよ……こんなのどう考えても人生の無駄だとかさ、時間が勿体ねえとかを、そのクソ長げえ名を名乗っている間に一度たりとも思わなかったのかよ……なぁ、ちょっと聞こえちまったが、あんた、嫌な旦那からの呪縛から解き放たれて自由になったんだろ? だったら、その名前っていう不自由な鎧を脱ぎ捨てて、中身の自分自身で勝負してみたらどうだ?」


「フン、面白い解釈ね。でも、無価値な文字列を完璧に制御して自分の血肉にできる人間が、この世に何人いるのかしら? これのお陰で色々な資格も取得できたわ。特に苦労することもなくね……でも、もしかしたら、あなたの言うことも一理あるのかも……ね」


「お、おい! 白川だっけか? その辺にしておけ……だがお前すごいな……この方をここまで追い詰めて……」


「追い詰められてなんかいないわ! 私の勝ちで終わっているじゃない! どういう目と脳をしているの?」


「どこがだよ!」


「す、すいません……おい白川、この方には直美姉さんという別名もあるからそっちで呼んでくれ」


「聖也君? 余計なことを言わないの」


「ですが……」


「聖也だあ? こいつ、聖也っていうのかぁ? どうせ源氏名だろう? 本名は田吾作とかじゃねえのか?」


「いや、信彦だ」


「ノブちゃんかwwこりゃいいww真面目そうな名前だなあwまああんたの本名を覚える気はねえからそう呼ばせてもらうわ。よろしくな直美姉さん!」


「……嫌いなのよね……直美って」


「我慢して下さい。これは大量の時間を節約するために必要なことです。白川も言っていましたよ? 直美姉さんだって寿命があるじゃないですか? 名乗っている時間は相当無駄だと思いますよ? 絶対に覚えられないのを分かっていて面白そうに名乗っていましたし」


「そう言われて見ればそうよね」


「大切な命なんです。折角嫌な旦那から逃げられたんでしょ? 残りの時間はもっと有意義に使いましょうよ」


「そうね。間違っていたわ。聖也君ありがと」


「はい!」


「意外とこの、


『長い複雑な名前を名乗り、初対面の人をびっくりさせちゃおう大作戦』


もノブちゃんの決死の提案で簡単に解決したなw」


「ぬ、い」

プスプス

斉藤の頭から黒い煙が吹き出ている。奴は難しい言葉を立て続けに聞くとこうなってしまう。一話のホテルでもアリサにお説教された時や、4話でエステの説明を鈴木二号に教えてもらっていた時も同じ現象が起こっていたな。奴の癖なのかもしれぬな。


「お、おい斎藤さん大丈夫か?」


「少し、苦し。いです」

挿絵(By みてみん)

「……あら、不愉快だわ。何かしら? 視界の端に


『ゴミ』


が映り込んだかと思ったけれど……直視して分かったわ。まさかそれが人間だなんて。その不細工な質量、一体何のために存在しているのかしら?」


「あ? てめえ何を?」

しかし、ルーシャは続ける。


「50手前? の男かしら? いいえ、単に


『自己管理という知性』


を放棄して生きてきた結果の


『成れの果て』


と言った感じの塊ね。あなた、ワイシャツのボタンが悲鳴を上げているわよ? 自分の欲望を抑える程度の


『準備』


もできない塊が、よくもまあ恥ずかしげもなく公共の場に現れるものだわ。その膨れ上がった腹の中には、教養の代わりに、下品な食欲と怠慢だけが詰まっているのでしょうね」


「お、おい止め……」


「まだ話の途中でしょ? 話している間に口をはさんでもいいの? それっておかしくない? その肌の色……こげ茶色というより、もはや腐敗したジャガイモのような色ね。ひび割れた唇も、一重の垂れ下がった目も、すべてが


『私は思考を止めました』


と紹介しているようにしか思えないわね。あなたが吐き出す空気、いいえ最早毒ガスね。そんなものは吸い込むだけでこちらのIQまで低下しそうだわ。まさに、我が社で使い捨ててきた


『雑魚』


の最終形態というわけね」


「斉藤さんが雑魚だとお? おい、お前! いい加減にしろ」


「さっき名前を紹介したばかりよ? お前と言うのは不快だわ? 黙りなさい」


「白川? こうなったらもう止められん。少し我慢してくれ」


「何でこんな……」


「その滑稽な髪型と、不釣り合いすぎる豪華な装飾品、ピアス、指輪、時計。どれほど着飾っても、根底にある


『遺伝子レベルの貧しさ』


は隠せないのよ。あなたは自分が何かの主役だとでも思っているのかしら? 悪いけれど、私の世界において、あなたは


『壊れたら次を釣ってくればいい代えの利く部品』


ですらない。単なる産業廃棄物よ。……あ、でも安心して。廃棄物なら、せめて適切な処理場へ運ばれるよう、私が論理的に引導を渡してやりましょうか?」


「あ、い」

プスプス

再び煙を出す。


「あ。煙が……」


「あなたなどダイエット食品でも食ってなさいなんて、以前の私なら言ったかもしれないけれど、今のあなたにはそれすら贅沢ね。光合成でもして、二酸化炭素を吸って酸素を出して暮らしていなさい。それが、あなたの些末な人生において社会に貢献できる、唯一であり最後の手段ですもの」

相変わらずの切れ味である。言葉の一つ一つが、研ぎ澄まされた処刑人の斧のように、斉藤の自尊心を正確に削ぎ落としていく。こんな化け物を真っ向から相手にしてはいけない。


「植物扱いかよ……ひでえな……あ?」


「白、川……たす、け、て……」

ボスーン!

斉藤の頭頂部から、まるでオーバーヒートした機械のような黒い煙が噴き出した。そのまま白目を剥き、巨体がスローモーションで床に沈む。


「あ……斉藤さん!」


「大丈夫ですか」

何気なく近寄り、斉藤の脇に手を貸して起こそうとする聖也。


「気に。しない、で下さい。大丈夫。です……」


「放っておきなさい。そこで寝ていた方が、その悪臭も地面を漂うからここまで届かずに済むわ」


「地面にずっと留まってることはねえだろ。いずれ鼻の高さまで上がってくるさ……って、悪臭がするだと? おかしいぜ、さっき風呂に入ったばかりだ……ム! だが確かに会った時と変わらん臭いだな。どうなってるんだよ斉藤さん!」


「分かりま。せ。ん……」


「あ、あ……」

ぬ? 聖也とやらの様子がおかしい。斉藤の体に触れた瞬間、彼の指先がわずかに震え、瞳の焦点が定まらなくなっている。だが、ルーシャの圧倒的なプレッシャーの前に、誰もその異変には気づいていない。


「もう内部から腐ってるんじゃないの? そんな終焉物質に、何でそこまであなたほどの男が拘るのよ……それっておかしくない?」


「終焉物質って……人間だろ! 何でこの人の良さが分からねえんだ? ん? 良さ? ……どこがだ? いや、何かが凄いはずだろ! ほら、威厳があるし、恰幅がいい。横に広がっておおらかだし……でも、それ以外にあるか? なんだかはっきりしねえんだよな……ん? 分からねえ……でも、いや、何も無くないか!? いや! あるだろ!! よく考えりゃ! そうだよ、何かしらがあるに違いないんだ……ッ!」

なんだ、白川のこの様子は?

まるでもう一人の


『正しい』


白川と、


『洗脳された』


白川とが、泥沼の法廷闘争を繰り広げているように見える。斉藤の放つ、物理的な臭いを超えた


『概念的な腐敗』


が、白川の認識を歪めているのか。


「あなただって、はっきりと言えないのね……無いものを無理やり捻り出そうとしても、見苦しいだけよ? もうこの話は終わりにしましょう。永遠に平行線よ。私は絶対に折れるつもりはないわ」


「そうだぞ。しつこい男はモテないぜ」


「……くそ、分かったよ」

白川が力なく肩を落とす。無理もない。ルーシャの言葉は、真実という名の重りをつけて、深海まで沈めてくるのだ。


「何か用があったんじゃないのかしら? まさか名前を聞いただけで終わり? それっておかしくない?」

驚くべき事実だが、物語は既に全体の三分の二まで進行しているというのに、まだ互いの名前を名乗っただけである。世界一進行の遅い自己紹介だ。

「ああ、そうだった……で、な、直美姉さんよお。さっき


『アリサ』


って言ったよな? 確かに、俺の耳にはそう聞こえたんだが」

ぬう、皆、彼女を直美姉さんとしか呼ばぬな……前回、私は敬意を恐怖を込め、ルーシャと命名したが、この場の空気に飲まれるのもまた一興だ。私もこれより、彼女を直美姉さんと呼ぶことにしよう。


「ええ、言ったわよ。イチゴのワンピースを着た、生意気な女の子だったわ」

直美姉さんは、まるで昨日の夕食の献立を思い出すような軽さで答えた。


「!! 間違いない、あいつだ。あんたとも会っていたのか……で、どこで?」


「元、私の工場ね。もう無関係だけど」


「どこの工場なんだ?」


「埼玉の木林製作所よ」


「何でそんな所に? ボケ人間コンテストの会場から、埼玉なんて相当離れてるじゃねえか」

白川の問いに、直美姉さんはフッと冷たい笑みを漏らした。その瞳の奥に、一瞬だけ鋭い査察官の光が宿る。


「元旦那が私の指示でやっていたいじめ……それが許せなくて、亡くなった従業員の代わりに復讐に来たみたい。たった一人でよ? 恐ろしい行動力だわ。で、アリサちゃん曰く、その従業員と直接会ったって……最初は笑わせるなと思ったけれど、私たちが墓場まで持っていくはずの秘密を、彼女はズバリと言い当てていた。本来、一ヶ月後に来るはずの監査官を前倒しで呼び寄せて、私たちを完膚なきまでに追い詰めたわ。相当賢くておぞましい子よ」


「そうか、奴の執念深さならやりかねねえ……」

白川は苦い唾を飲み込んだ。(ネタ勝負で負けたと思ったら、突然俺を犯人扱いして動揺させ、賞品も賞金も全部かっさらって行きやがったからな。あいつの


『正義』


には、いつも容赦ねえ実利が伴ってやがる……)


「で、一つ気になることがあってね」


「ん?」


「彼女、地獄から蘇ったとか何とかを、誇らしげに大声で言っていたわ」


「はあ? どういうことだ? そりゃよお……」


「私だって分からないわよ。でも、地獄でその従業員と話して、私たちしか知らない内部事情を正確に把握していたのは事実。だから、まず嘘は言っていないと思うわ」


「待て待て、地獄で話しただあ? ってことは、その従業員は悪いことでもしたのか? それとも自ら命を絶ったってことか……そういうことをすると地獄に落ちるって、母さんは言っていた。ってことはだぞ? 直美姉さん、あんたも関わってるんじゃねえのか? 自殺に追い込むのに、一役買ったんじゃねえのか!」


「まあ、ちょっとはね。でも、もう過ぎたことよ。10年も前の話だわ」

直美姉さん……平気で嘘を吐くな。本来、主犯格としてその中心にいたはずなのに、まるで他人の不始末を語るような口ぶりだ。まあ、初対面の人間に自分の罪状を並べ立てるほど、彼女もお人好しではないのだろうがな。


「……まあ、今はあんたの罪を暴く尋問が目的じゃねえな。俺は刑事でも何でもねえ、ただのお笑い芸人だしな。すまん」


「あら? あなた芸人さんだったの? でも、アリサちゃんと石井君が即興で組んだコンビのネタの方が、ずっと面白かったわよ。あなたは私の名前を否定した時に一回笑いを取っただけだけど、二人のネタには何度も笑わせてもらったわ」


「あ? あいつ、あんたの所でネタを披露したってのか! なんでやねん!」


「一人の従業員の首が、蝶となって飛んで行ったのよ」

ああ、内藤か

挿絵(By みてみん)


「はあ!? 首が蝶に?」


「どうしてそんなことが起こっちゃったのかを、相談形式のネタにしていたわ。即興とは思えない完成度だった」


「そうか、人って追いつめられるとの大抵、首が蝶になり、体を置き去りにするパターンがほとんどだよな……って、なんでやねん!」


「フフフ」

直美姉さんの冷たい唇が、楽しげに弧を描く。


「まあそのことは一旦置いておこう。深く考えたくもねえ……」 (あいつ……この毒舌女を笑わせたってのか? しかも何度も……笑いのレベルも、あの時より上がってやがるのかよ。くそっ!)


「そうね。芸人としてのプライドが、ズタズタよね」


「う、うるせえよ! 何で心を読めるんだよ!」


「顔に書いてあったわ。あ、毒舌女ってのは止めてね。それっておかしくない?」

ひええ……


「ぐうう……そんなこと思ってねえよ。ってことはだぞ。すべてが真実なら、地獄に落ちてあんたの工場の話を聞いたあいつが、腹を立てて現実に戻り、そのまま工場に乗り込んだってことになるが……それで間違いないのか?」


「そうね」


「嘘だろ? だ、だが、確かにあいつ卑怯者ではあるけれど、正義感的な物もごくごく少量は残っていた気もするぜ。だからその話は納得できる。地獄に落ちていたというのは良く分からんが……」 (地獄に落ちて何らかの方法で戻ってきたってことか? 聞いた話をまとめるとそうだよな……何物だあいつ……)


「私も分からないわよ。でもその話を詳しく聞きたいならまだ埼玉の工場にいる


『木林ひとすじのサンシャイン』


を訪ねればいいわ」


「なんだそりゃ?」


「そういう名前の男がいるのよ。さっき言ったはずよ? 木林日光一ひとすじのサンシャイン


「そうだった、俺の


『修』


という名よりもいい名前とか言っていたな。思い出した。あいつの情報が聞けるなら行く価値はあるかもな」


「私も知、りた。いです」


「よし一休みしてから明日でも行ってみるか」


「は、い。」


「修ちゃん……この人とここに泊まる気じゃないよなあ?」


「ん、そうしとくか。ここは別荘みてえなもんだし」


「だよねえ……」(誰か助けてくれ……)

頭を抱える店主。


「頭を抱えているところ悪いけどおそばはまだかしら?」


「やべっ! ずっと聞き耳立ててて肝心の手を動かしてなかったぜい」


「ぜいじゃないわよ全く、それっておかしくない?」


「おっしゃる通りです。申し訳ないです」


「しっ。かりして、下さい」


「おめえだけには言われたかねえよ!」

すると……


「なあ、斉藤さんだっけか?」

聖也がフラフラと斉藤の元に歩きながら近づく。


「え? 聖也君?」


「は。い。?」


「俺、あんたの部下になりたい」

衝撃の発言。


「は? 聖也? 何を……こんな黒い塊お化けに何をお願いしているのよ! こっちに戻りなさい!」


「直美姉さんよお……黒い塊は酷えよ……この人には斎藤さんという名前があってだな……」


「そんな物はないわ!」


「ひでえ言い方……」


「とも。だち」


「部下に……どうか……」


「ともだ、ちです」


「しょうがない。不服ですがともだちでお願いします!」


「は、い」


「何よこれ……聖也に何をしたの? この塊! これからどうするつもりなの?」


「私、はな。にも……」


「聖也! 何とか言いなさい!」


「ええ、ここで斎藤さんの傍にいます。ずっと、ずっと」


「何を……」


「姉さんも一緒に来ませんか?」


「嫌よ」


「ですが風でどこにも行けないじゃないですか。その間だけでも」


「しょうがないわね。その


『ごっこ』


に、少しの間だけ付き合ってあげるわ。と言っても私は彼女に恨みらしい恨みはないけどね」


「ああ? ごっこだあ? 俺たちは真剣なんだ。斉藤さんはホテルを失い、俺も優勝の座を引きずり降ろされた。聖也だってアリサに人生をボロボロにされた。見ろよ、この野良犬の腐ったような眼をよお」


「でも俺、そんな気がしてきました。アリサめええ! よくもおお!」


「されてないわよ! さらっと嘘をつくなんて……それに大の大人が大勢で一人の女の子を攻撃? それっておかしくない?」


「う……だ、だが斉藤さんのホテルが……」


「ホテルはまだ残ってるでしょ?」


「形だけ残っていようが客が来ねえ。そんなのさ、ホテルの名をしただけのただの箱だぜ」


「確かに……この塊も醜く年老いて収入源を絶たれたらもう終わりね……」


「いちいち毒を吐くなよ……直美姉さんだって社長夫人の座を引きずり降ろされてカッとなってねえか? 本当に感謝してるのか? 姉さんもアリサに恨みがあるんじゃねえのか? もし少しでもそう思っていたならその優秀な頭脳を貸してくれ! あいつはみんなでかからなきゃ倒せない相手なんだ!」


「時間の無駄よ」


「不思議なんだよな、直美姉さんは斎藤さんを見てどうも思わねえのか? 聖也のように敬意を表したいとは思わねえのか?」 


「そんな訳ないでしょ! この塊から何を感じ取るの?」


「だよなあ? こんな塊に修ちゃんも聖也君もよ……俺は正気だから引っかからねえがな」

店主が腕を組む。


「最悪だわ……」


「俺、あんたの部下だった気がするんだ……」


「は?」


「なに?」


「え。?」

突然の発言に、その場の空気が一瞬固まった。


「ちょ、ちょっと待って! 聖也君? 何を言っているの?」


「いや……何か、さっきから頭の奥が変なんだ。斉藤さんの顔を見るとよ……」

聖也は自分のこめかみを押さえながら、斉藤を見つめる。


「私は、知りま、せん」


「俺は覚えてるんだ! 懐かしい……っていうか、あんたに怒られた記憶が浮かぶんだよ」


「わ私。にです。か……?」


「はい。なんか……現場で。あんたが、ヘルメット被ってて……」


「工場……? てか斎藤さんの頭に合うヘルメットって……」


「そう、それだ。工場だ。あんたが言ったんだよ。


『仕事。は段、取りが九。割だ』


って」


「今の斎藤さんからは言いそうにないセリフだなあ……」

白川が腕を組みながら首をかしげる。


「待って? あなた、医学部卒なんでしょ? 工場勤めってどういうことなの?」


「医学部ぅ? このノブちゃんがかあ?」


「ああ、慶応義塾大学医学部だ」


「すげえなあ。でもそんな高学歴が工場勤めかあ?」


「分からないんだよ! でも匂いだ。斉藤さんのこの……」


「匂い?」

全員が一斉に顔をしかめる。


「いや、悪臭じゃないんだ。もっとこう……鉄と油と汗が混ざったような……今もずっと漂ってる」


「それ完全に工場の匂いじゃねえか! だが匂いが取れないでずっと染みついているってことか?」


「もしかして俺……昔、そこで働いてたのか?」


「そんな馬鹿な話あるかよ……医学部出て工場勤務ってのも変だし、そのあとホストだろ? 波乱万丈すぎるぜ」


「そうね。それっておかしくない?」


「……」


「確かにおかしい」


「でも聞いたことがあるわ。記憶というのはね、突然の刺激で呼び起こされることがあるの。匂い、音、言葉……そういうものが鍵になることもある」


「じゃあ……」


「でもね? それが本当の記憶とは限らないのよ」


「え?」


「人間の脳はね、不安や混乱を埋めるために勝手に物語を作ることがあるの。つまり聖也君のその記憶、この塊を見て、あなたの脳が作った即席のドラマかもしれないのよ」


「即席の……」


「そう。芸人なら分かるでしょう? 人はね、それっぽい設定を与えられると、勝手に続きを作ってしまうの」


「マジか? つまりこいつの頭の中で今、工場ドラマが始まったってことなのか」


「ああ、妙にリアルなんだ! 怒鳴られてる記憶とか、昼飯がカップ焼きそばだったとか!」


「それは日本の工場の作業員あるあるね」


「ああ、汎用性が高すぎるわ」


「じゃあ全部嘘なんですか?」


「知らないわよ」


「ええ!?」


「でも一つだけ確かなことがあるわ」


「何ですか?」


「あなたのその混乱した顔……とても面白いわ」


「……」

聖也はがっくり肩を落とす。

グツグツ……

そしてしばしの沈黙。店内には、湯の音のみが聞こえてくる。そして……


「あ、茹でっぱなしだった! 完全に伸びてるぜい」


「あら? のびてしまったの? お客にそれを振舞うつもり? それっておかしくない?」


「完全におかしいです! 茹で直しますう」

店主が泣きそうな声で答えた。


「全くダ、メなオ。ヤジです」


「お前だけには言われたかねえよ!」

店主と直美姉さん以外が斉藤の友達となってしまったようだ。この先一体どうなる?


ーーーーーーーーーーーーThe Mirror Never Liesーーーーーーーーーーーー


「う、ま、また何か見えた……なんかやばい気がする……え? 現実!? 何よこれ!」


「さっきから……大丈夫?」


「多分美味しい料理で体力回復したからかしら? でも毒が入ってるんだよね。そのせいかな? こんなことが起こるなんて でも頻繁過ぎない? それっておかしくない?」

直美姉さんの話し方が伝染ってしまっている。だが、先程のことはしっかりと覚えているようだ。


「やばかったらいつでも言うのでござるよ」


「大丈夫かなあ……多分大丈夫……でもあの人、8月1日って言ってなかったっけ? 今日? 今日起こっている出来事がリアルタイムで見えたってことお? 今、斉藤と白川さんと奥さんが合流したように見えたけど……その中で白川さん私を恨んでいる感じもしたし……なんか怖い」 


「何の話?」


「何でもない……こっちの話。でも膳さんってそんな毒どこで入手してくるんだろうね」


「分からないけど、その毒は彼の金庫の中にしまっているからね。絶対に安心よ」


「英訳するとポイズンセーフか……言い得て妙ね」


「毒が安全? おかしな響きでござる」


「そうね。セーフって金庫の英語なのよ」


「そうなのね。やっぱりアリサは賢いわね」


「教育ママだからねえ。あ、ママで思い出した! そう言えばママに連絡しておかなきゃ。泊まるから今日は帰れないって」

携帯をいじるアリサ。

と、突然ふすまが開き、ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュと風の音が。兄が昼食を食べに来たのである。


「あ、この音……また兄だ。えさを求めに来たのか……あれ? なんか辺りの空間が汚れてるわ。どうしたんだろう?」

アリサは兄のいるであろう方向を向くと一点、黒いシミの様な物が浮いているように見えている。なんだこれは?


「何!!? いつの間に?」


「うわっ、おっさん声? 誰よ?」


「知らないわ」


「おばさんの兄の声かな? 初めて聞く声よ」


「そうなの? 兄さんの声、拙者聞いたことないのでござるよ」


「そうか……ここで食べないの?」

ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュ

(あ、汚れも音と共に遠ざかってる? あいつ、汚れが付くような何かを纏って行動してるの? でも普通に人間が消える訳ないし……わかんねえ)


「そうね」

アリサの言葉も空しく、台の上の皿がいくつか消え、兄は去っていった。


「あいつコミュ障なの? ふつうここで食べるよね?」


「そうよ。コミュニケーションはほぼないわ」


「やっぱりね、36であれじゃ彼女出来ないわね。しかし、おいしいわこれ」

ご馳走様をした筈が残飯アリサを……っと失礼、残飯あさりをしてしまうアサリ。


「アリサ? さっきも言ったけどあんまり食べ過ぎると少量の毒でも塵も積もれば山となるわよ? 死ぬかもしれないわ? 腹八分にしておきなさい」


「そう言えばそうだった、ここの料理ギャル佐野が腹一杯まで食ったら死んでるよな。怖い怖い」

その時、またもふすまが開き、例の風切り音が。

ヒュヒュヒュヒュゲプ


「あ、兄だ。最後ゲップしてるよ、汚い!」

すっかり兄に慣れてしまったアリサ。兄は、先程取っていった皿を元ある位置に戻し、去っていった。


「あら 意外と几帳面ね あれ? 皿がピカピカよ? まさか洗って返したくれたのかしら」

アリサの言葉に照代は失笑する。


「違うわ。兄は皿を全部綺麗に舐める習性があるからね。忍びたる者、一粒の飯粒すら残すのはいけないと言っていたわ。貧乏臭いわよね」


「でも、アリサもこれくらいやるよ」


「あら、そうなの? 意外でござるね」 

30分後、昼食も終わり、お茶を飲みながら言う。


「お腹一杯ね。じゃあ、教室回ってみようか。イロハニのどれから見学する? イが最上級の学年で、ロハニと下がっていく感じよ」


「そうね。まずは、ハ組から見てみたい」


「え? 何で? そんな中途半端の所から? 普通イか二じゃない?」 


「この屋敷の合言葉が葉月だったからかなあ」


「ああ、それまだ引きずってるんでござるね?」


「そりゃそうよ。一人孤独に冒険して辿り着いたと思ったら唐突の合言葉。これには流石の私も絶望した。それでも持ち前の推理力を駆使し、たった一人で誰の援助もない状態で一発正解したんだ。今日一番の、いいえ? この夏休み一番の思い出になる出来事よ!」

数日前に地獄に落ちたあの稀有な体験よりもすごいことなのかあ? 優先順位の分からない幼女である。だがそれを解く際、携帯で色々調べていたいなかったか? ということは、誰かが作ったサイトを見てヒントを得たという事実なのだ。それをもみ消して報告している。本来そのサイト制作者との共同作業での正解であった筈である。


「成程ね。わかったわ案内するわ」


ーーーーーーーーーーーーーーー


白川に続き聖也までが斉藤の配下に。この男に敬意を表する人物と、そうでない人物にはどんな違いがあるのでしょう? 因みに文字数は18783で


『嫌なばあさん』


ということでこの文字数にしました。

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