食と薬と毒を極めし忍び 薬師寺 膳
様々な寄り道を経て、ようやく満足したか? ついに照代と共に昼食の部屋へと向かうアリサ。部屋の前には一人の男が待っていた。何やら緑色の小瓶を持っているが……
そして照代を見るなり一礼し一言。
「お嬢様、昼食の支度が整いました。そちらは?」
そして、普段見ない小さな来客にも興味を示す。
「うん、いつもありがとう。この子はこの前の毒入り野菜事件で犯人を言い当てたすごい子よ。お礼に食事に招待したの」
当然本当のことは伏せている。本来、
『自分の見合いについて来て!』
との用件でアリサを呼び寄せたのだからな。
「そうでしたか。こんなにも小さいのに、本当にあなたが……」
「あ、だめよ! 小さいはタブーよ!!」
「ああ、すいません。つい本音が……ですが決して馬鹿にしたということではございませんので……私は薬師寺 膳と申します。お嬢様がお世話になったそうで。まことに感謝しています」
再び深くお辞儀をする。彼は長く真田行家に仕え、屋敷の一角に構える食堂で従事する人物。
「薬師寺さん?(膳さん? 竜王さんが言ってた人かしら? じゃああのお茶を考えた人なのかしら? また飲みたいなあ) よろしくお願いします。私は小さくないアリサと言いますね? 感謝しているなら体のサイズに関しての発言だけは控えた方がいいですよ? それにね? 膳さんが大きすぎるんですってww」
アリサが倒れた際に振舞われた忍びの薬茶は、彼の調合によるものだ。
「私174cmでございます……そこまで巨人ではないと思いますが……それにしてもすごい推理だったそうで」
「十分巨人族ですよ。私ね? この様に、人と話すたびに見上げてばかりなんですよ? いつも首を上げながらの会話で疲労して大変なんですよ」
「それは失礼いたしました」
そう言いつつ目の高さにしゃがみ込む。すると独特の匂いが……薬品だろうかそれとも毒? 今まで感じたことの無い不思議な匂いだ。それは彼の体の周囲を漂っている。
「あ、わざわざそこまでしなくても……ほら、面を上げい!」
それはしゃがんだ人間にかける言葉ではない気がするぞ!
「かしこまりました」
元の高さに戻る。
「私が犯人を見つけることが出来たのはたまたま運が良かっただけですよ」
「いえ、本当に感謝しています」
「見つけたのは犯人が完全に仕事しちゃった後だからね」
「いいのいいの! もう怯えることが無くなったんだし! 私からもありがとう! 彼は料理人でありながら、薬の調合や毒の生成が得意な忍者なのよ」
そう言えば何か緑色の小瓶を持っていたが調味料としては違和感があった。これは調合中の毒なのか? 彼曰く料理を作り終えて外で照代を待っている状態だったはず。そんな時にそんなものを持っている理由はなんだ?
「へえ すごいね! 忍者って毒を使うんだ! その緑の瓶の中身でしょ? それを敵地の川に流して全滅させるんだよ! 流石忍者! 汚い!」
「いえ、そんなケフカじみたことはいたしません。薬もこの毒も全ては修行中の忍者のサポートに必須なものでございます」
全ては……? 薬はまだ分かるが毒も生徒に役立つというのか?
「え? ケフカじみたってなあに?」
「あなたがおっしゃった川に毒を流す作戦を立てた人物でございます。もちろんゲーム内でのお話ですけれども。ところでもともとお分かりになっていたのでは?」
「バレたww? でも料理も出来て毒や薬を作れるってハイスペックよねえ」
「そんなこと言ってるけど彼ね、忍武術も相当なのよ! 真田行流忍武術!」
得意げに言う。
「真田行流忍武術ぅ?」
「この屋敷で教えている独自の戦術と言いましょうか? 忍びの速さを生かした戦い方ですね」
この、薬師寺と呼ばれた男。その姿は、一言で表すなら
『黒装束を纏ったセバスチャン』
だ。
白髪混じりの短髪と、整えられた口ひげ。落ち着いた老紳士の佇まいは、本来ならば上質な燕尾服こそが相応しいはずだ。しかし、彼がその身を包んでいるのは、深淵を切り取ったかのような漆黒の忍び装束。右手に輝く、隠しきれていない隠しクナイ。
そのあまりにアンバランスな組み合わせは、見る者に
『豪邸に仕える洗練された執事』
としての安心感と、
『音もなく命を刈り取る暗殺者』
という相反した属性を共生させ、本能的に恐怖を抱かせる。だが、装束越しでもその肉体が並外れた密度で構成されていることは明白だった。
無駄な脂肪は一ミクロンたりとも存在せず、呼吸に合わせて微かに脈打つ筋肉は、さながら研ぎ澄まされた鋼の索だ。
しなやかでありつつも、ひとたび力を込めれば鋼鉄の剛性すら凌駕するであろうその肉体は、彼が
『料理人』
である以上に、この屋敷で最も危険な
『武器』
であることを無言で語っていた。
何より、その指先。薬を練り、毒を抽出してきたその両手は、驚くほど白く、そして繊細だ。だが、その爪先から放たれる気配は、ひとたび握り込めば人間の首など容易にへし折るであろう、凶器としての機能を隠しきれていない。もしこの人物が物語の主人公を務めるとしたら、私なら躊躇いもなくこのタイトルを付けるであろうな。
『黒装束のセバスチャン』
とな。
「確かに良く見たら強そう……忍武術……ブル……」
アリサが膳を見ながらその言葉を繰り返す。
武術としての剛健さと、忍術としての狡猾さ。その二つが混ざり合った時、どれほどの戦いが見れるのか。アリサは、彼の精悍な横顔を見上げながら、背筋に走る言い知れぬ寒気を感じていた。
「……アリサさん? 顔色が優れぬようですが、大丈夫ですか?」
膳がわずかに重心を移動させただけで、空気がピリリと裂けるような音が聞こえた気がした。アリサの視界には、彼の指先がいつでも自分の喉笛を掻き切れる位置にあるように映っている。
「……っ」
アリサは、奥歯がガチガチと鳴り出すのを必死に堪えた。背中に嫌な冷や汗が伝う。だが、ここで怯えては地獄に落ちて戻ってきた女の名が廃る。彼女は震える指先をワンピースの裾に隠し、ふいっと顔を背けて、震えを笑いに変換して吐き出す。
「な、何言ってるのよ。失礼ね。私は今、この屋敷の静けさをじっくり堪能していただけよ!!」
アリサは、自分を覗き込む膳の、あの冷徹なまでに澄んだ瞳を真っ向から見返した。
「ならいいのですが」
「私のことはお気にせず遊ばせ……あら?」
フラッ
そう言ってアリサは、わざとらしく優雅な動作で、照代に体を預けた。実際には、そうでもしないと腰が抜けて床に座り込んでしまいそうだったからだ。
「ちょっと! 何でもないんだったら突然寄りかかってこないでよ!」
「まあまあ、ちょっといい宿り木があったから休ませてもらっただけよ。あんたは人間よりも、根を張って動かない木材としての才能があるわ。その道で頑張ってみてはいかがかしら?」
(……なによ、あの筋肉。人間っていうより、細い針金を束ねた機械じゃない。あんな人に睨まれたら、心臓が止まっちゃうわよ……!)
「そうでござるか? じゃあこれからは宿り木として生きていくでござる」
「お嬢様? ノリが良すぎませんか? ……しかし、アリサさんも立ち眩みですか? 強がりは止めて、ゆっくり旅の疲れを癒して下さいね」
「いいえ何でもないんです。本当に(殺意は無い、普通に会話しているだけなのに何この迫力……しっかりするんだアリサ様!)……その、薬にも精通しているとお聞きしましたけど。薬と言うと……傷薬とか? 内服薬とか? あとは……薬のお茶とか?」
「はい。特に忍武術という、世の理を無視した技術を実践していくうちに、ケガをしてしまう生徒が多く……それこそ湯水のように消費します。お茶は生徒の精神を落ち着かせるのにも好評ですよ」
「はあ……それを一人でやってるんですね。……というか、そんなに怪我人が出る練習ってなんなのよ。やっぱり忍者って汚いんじゃないの……?」
「まあ、仕事ですから」
そう言って膳が浮かべた微かな笑みは、屋敷お抱えの薬師の慈愛というより、研ぎ澄まされた刃の反射した光に見え、更なる恐怖がアリサに襲い掛かる。
「ブル……しかしおばさん、ママに聞いたんだけど、あの毒って0.1ミリグラムでも鯨が死ぬっていう毒だったらしいよ。何で耐えられたのかなあ?」
「え? そんな強力な毒だったの? うーん分からないわ」
「それなら私めがお答えましょう」
「え? 膳さんが知ってるの? それに明確な理由があったってことなの? それなら知りたい! お願い、教えて!」
「はい、この真田行家は忍者の家系です。忍びは敵陣への隠密行動、仲間に密書という物を届けたり、味方の指揮官に戦況を報告することもします」
「戦ったりは? 暗殺とかさ、手裏剣で眉間をサクッととかさ」
アリサは女の子である。
「最後の手段で戦うという選択をすると言う感じでございます。自分から仕掛けることはございません」
「でもクナイとか手裏剣って相手に狙いをすまして当てる武器でしょ? 遠くからさ。流石忍者! 汚い!」
アリサは、汚いものを見るような、それでいてどこか羨ましそうな目で薬師寺を見上げた。
「……むむ、汚いではなく、効率的と言っていただきたいですね。我らの本分は、生きて情報を持ち帰ること。迫る追っ手をけん制するために仕方なしに投げる場合はあっても能動的に立ち向かうことはしないのです。忍は華々しく散る侍とは、美学の根底が違うのです」
「ふーん。でも、手裏剣とかでサクッとの練習するんでしょ? 実際、誰か倒したことあるの?」
「……現代において、そのような機会はございませぬ。投擲訓練は昔の名残でしょう。しかし、貧弱な忍者ではいけません。完全に消えることはないと思われます。そして真田行流忍武術の中には真田行家に伝わる
『歩法』
や
『気配の断絶』
もあるのです。例えば、アリサさんが気づかぬうちに背後に立つことなど、造作もないことです。
そして普段はその機動力を生かし逃げを選択するはずです。そして仕事柄、団体行動よりは単独行動が多くなります。新米忍者などは、任務遂行の志半ばで道に迷い空腹で倒れるものも少なくなかったのです。
まだ、開拓されていない土地が大半を占めていた時代です。敵の目から逃れる為に、目立たない山道の移動を余儀なくされることもあります。
そうなると、手持ちの食料では足りなくなるのです。ですから、時には狩りなどをして道中で休む必要もあった。しかし、返り討ちにあう未熟者まで居たのです。
野生動物が駄目なら、野草などを食いつなぎ目的地を目指す者もいた。しかし、野草には毒がある物も少なくない。そこで、毒を克服する為に、この家では小さい頃から、毒を限りなく薄めたものを食事に入れ、体に免疫を作るようになった。
それを初めて行ったのがこの真田行家なのです。当然お嬢様にも小さい頃から、古今東西の毒を薄めた物を食事にずっと混ぜさせていただきました」
衝撃の告白。照代は小さい頃から毒を食べていたということか。だがこれで先程の疑問が解消された。薬師寺は毒も生徒の役に立つと言っていたが、その真意はこの免疫上昇の為、有効利用していたということなのだな。だが、アリサは冷静だった。
「成程、それでその猛毒でも生きていたってことね。でもその後物凄い吐血してたんだよねえ。その血しぶきから赤い虹も出てたわ。綺麗だった。とっても……また見たい……はあ」
うっとり
まるで夢見る乙女の表情。この出来事はそんな表情で思い出してはいいものではないというのに全く……これは……リズッ。リグッ……ブべべッ、クッ、失礼! リッグ 違う! リブゾレンヌの血の虹事件であるな。懐かしい。詳しくは一話のエピソード20の
『毒を宿し女』
を見てほしい!
「そうだったんですか……もっと毒を与えていれば……」
物騒なことを平気で言う。まあ彼の中ではこれが普通なのかもしれぬ。
「この家にそんな秘密があったなんて初耳よ。……でもそのおかげで、今も私、まだいきてるよ。古いしきたりだろうけど、ご先祖様には感謝しなくちゃいけないな……くすん」
涙目の照代。
「私もでございます。ここに入った当時、お父上にこの話を聞いた時は本当にいいのだろうかと思いました。こっそり減らしてしまえとも思ったことさえございます。ですが、徹底的に定められた量を守った甲斐もあります。初めてお役に立てたという言葉をご本人の口から聞けたと思うと本当にやっていて良かったと思います。そして、もう一つ」
「え?」
「この屋敷には古い言い伝えがございまして」
「あ、あの話か……それが一番の理由かもねえ」
「左様でございます」
「え?」
「この屋敷に古くから伝わる話でございますが、瘴影丸という忍者がこの屋敷に居まして、彼は毒の魅力に取り付かれ、それを屋敷の者に仕掛け、苦しむ様子を巻物に記していたのです。それを突き止められ、家の者に処刑されるに至りましたが、彼の怨念はこの屋敷に残り、肉体を失ってなお毒を屋敷の者に与えたと言います。そして沢山の犠牲者を出しつつもようやくその霊を追い詰め、庭の祠へと封印されました。その教訓から、毒に耐性を持たなくてはいけないという気持ちが強くなったのでしょう。良くも悪くも毒に縁のある家なのです」
「封印ねえ」(祠? まさかね……)
「はい。ですので安心です。ではお嬢様とそのお客様、ごゆっくりお楽しみ下さい。当然少量の毒は混入していますが命に別状はありません。今まではこんなこと言えませんでしたが、今なら胸を張って言えます」
照代に釣られ、目頭が熱くなっていた薬師寺。




