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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

聖女(♂)召喚された俺、風呂場で騎士団長(♂)に聖剣(♂)を見られる。~処刑回避のために嘘の恋人になったら、騎士様が国を捨てて駆け落ちを迫ってきた件~

掲載日:2025/12/10



  1 



 人生には、取り返しのつかない瞬間というのが三つあるらしい。

 一つ目は、生まれた時。

 二つ目は、死ぬ時。

 そして三つ目は――文化祭のクラス演劇で、じゃんけんに負けて「お姫様役」をやらされている最中に、足元が光り輝いた時だ。


「は?」


 俺、真島日向(ひなた)の口から漏れたのは、およそ深窓の姫君に似つかわしくないドスの効いた低音だった。

 だが、俺の意識はそこで途切れた。

 視界を埋め尽くす幾何学模様の光。浮遊感。そして、内臓が裏返るような吐き気。


 次に目を開けた時、俺は見知らぬ石造りの床にへたり込んでいた。

 周囲を取り囲むのは、白いローブを着た老人たち。そして、祭壇の奥に立つ神々しい像。空気は冷たく、どこかお香のような匂いがする。


「おお……! 成功だ! 聖女召喚の儀は成功したぞ!」

「なんと美しい……! これぞ伝承にある『月の如き銀髪』!」

「穢れなき乙女の波動を感じる……!」


 老人たちが涙を流しながら、俺に向かってひれ伏していく。

 俺は状況を理解しようと努めた。

 まず、ここは学校の体育館ではない。間違いなく。

 そして俺の格好。演劇部から借りた、フリルとレース満載の純白のドレス。頭にはティアラ。銀髪のウィッグは召喚の衝撃でズレていないだろうか。

 そして、俺の顔。

 母親譲りの女顔で、中学時代には「黙っていれば美少女、喋れば残念なオタク」と言われ続けたこの顔面。


 つまり、だ。

 俺は今、異世界に召喚され、あろうことか「伝説の聖女」と勘違いされている。


(詰んだーーッッ)


 俺の心の中で、裁判長が木槌を叩き下ろした。判決、死刑。

 ここで「あ、俺、男っす。高校二年の演劇部員っす」なんて自己申告してみろ。

 期待に胸を膨らませているこの爺さんたちが、ショック死するか、あるいは「神への冒涜だ!」と激昂して俺を火あぶりにするのは明白だ。


 特に異世界ファンタジーのお約束として、偽物の聖女への扱いは雑巾より酷いと相場が決まっている。


「聖女様、どうか我らにお言葉を……!」


 一番偉そうな爺さんが、震える手で俺のドレスの裾に触れようとする。

 俺は反射的に背筋を伸ばした。演劇部の部長に叩き込まれた「姫ムーブ」が火を噴く。

 顎を引き、視線を15度上げる。これだけで「可憐さ」と「威厳」が同時に出る。


「……皆様、顔を上げてください」


 作った。限界まで声を高く、柔らかく、慈愛に満ちたトーンを。

 俺が微笑むと、神殿内どよめきが走った。

「ああっ、尊い!」「女神だ!」という幻聴が聞こえてきそうだ。やめろ、拝むな。俺はただの日本の男子高校生だ。


「聖女様、私は近衛騎士団長のアレン・フォルトと申します」


 その時、老人たちの輪を割って、一人の男が進み出てきた。

 燃えるような赤髪に、意思の強さを感じさせる青い瞳。背丈は俺より頭一つ分大きく、鍛え上げられた肉体が白銀の鎧に包まれている。

 イケメンだ。俺が女子なら黄色い悲鳴を上げていたレベルの、正統派ヒーロー顔。


「貴女様の護衛を任じられました。必ずや、この命に代えてもお守りいたします」


 彼はその場に跪き、俺の手を取って甲に口付けた。

 ひんやりとした唇の感触に、俺の背筋に悪寒が走る。

 やめてくれ。男に手をキスされて喜ぶ趣味はない。

 だが、俺は引きつりそうになる頬を必死に抑え、聖女スマイルを崩さなかった。


「……頼りにしていますわ、アレン様」


(早く家に帰してくれぇぇぇーーッッッ!!)


 俺の心の叫びは、誰にも届かなかった。


   ◇


 その日の夜。

 俺は王城の「聖女専用特別室」なる貴賓室に軟禁されていた。

 最高級の羽毛布団、目も眩むような調度品。だが、俺にとってここは処刑台への待合室でしかない。

 最大の危機は、到着直後に訪れた。


「聖女様、お召し替えを……」

「お湯の準備ができましたわ」


 侍女たちの襲撃である。

 ドレスを脱がされたら終わる。一発アウトだ。

 俺は、


「召喚の儀で疲弊しているのです。一人で祈りを捧げたいので、下がって」


 と、もっともらしい嘘をついて全員を部屋から追い出した。

 鍵をかけた瞬間、俺はその場にへたり込んだ。


「……マジでどうすんだよ、これ」


 重たいウィッグを毟り取り、締め付けのきついコルセットを緩める。

 鏡に映るのは、肩まで伸びた地毛の黒髪と、華奢な鎖骨。顔だけ見れば、確かに自分でも「可愛いな」と思う。だからこそタチが悪い。

 汗で肌がべたつく。ドレスの中は蒸れて最悪だ。

 (風呂……入りてぇ)


 部屋には小さな洗い場がついているが、どうせなら広い湯船で足を伸ばしたい。

 俺は窓の外を確認した。深夜二時。城内の明かりはほとんど消えている。

 聖女の部屋の隣には、大浴場があると言っていた。今なら誰もいないはずだ。

 俺はタオル一枚と銀髪のウィッグをひっつかみ、忍び足で廊下に出た。


   ◇


 大浴場は、俺の想像を絶する広さだった。

 プールのような浴槽。ライオンの口から出るお湯。立ち込める湯気。

 誰もいないことを確認し、俺は全ての衣服を脱ぎ捨てた。


「ふぁぁぁ〜……生き返る……」


 湯船に浸かった瞬間、緊張の糸が切れた。

 今日一日の理不尽な出来事が、お湯に溶けていくようだ。

 俺はタオルで体を洗いながら、自分の体を再確認する。

 薄い胸板。くびれた腰。筋肉の付きにくい体質はコンプレックスだが、今はそれが聖女としての偽装に役立っている。皮肉なもんだ。

 そして、視線を下に向ける。


 そこには、俺のアイデンティティがあった。

 色白で華奢な体躯には似つかわしくない、非常に健康的な、男子の証。

 自分で言うのもなんだが、そこそこ自信があるサイズだ。平均よりは確実に上を行っている。日本の銭湯でも「おっ、坊主いいモン持ってんな」と知らないおっさんに褒められたこともある。


「……頼むから、縮こまっててくれよな。これから毎日が演技なんだから」


 俺は相()に言い聞かせ、湯船から上がった。

 その時だった。


 ガチャリ。


 重厚な扉が開く音が、浴室に響き渡った。

 俺は硬直した。全裸で仁王立ちのまま、入り口を見る。

 湯気の向こうから現れたのは、見回りの交代だろうか、タオルと着替えを持った赤髪の男――騎士団長アレンだった。


「…………」

「…………」


 時間が、止まった。

 アレンの目が大きく見開かれる。

 こんな深夜に、まさか聖女が一人で入浴しているとは夢にも思わなかったのだろう。

 彼は瞬時に顔を真っ赤にし、慌てて視線を逸らそうとした。


「も、申し訳ありませ――ッ!!」


 実直な騎士として、聖女の裸体を見るなど万死に値する。彼はそう思ったはずだ。

 だからこそ、彼は視線を「顔」から外し、「下」に向けてしまった。

 礼儀として、目を伏せたのだ。

 その先に、何があるかも知らずに。


 アレンの動きが、ピタリと止まる。


 彼の視線は、俺の顔(美少女)から、平らな胸を通り過ぎ、臍の下へ。

 そして、そこに鎮座する「イチモツ」に釘付けになった。


 湯上がりで血行が良くなり、堂々と存在感を主張する俺の相棒。

 華奢な太ももの間で、それは異様なほどの存在感を放っていた。可憐な聖女という絵画に、極太のマジックで落書きされたかのような違和感。

 アレンの青い瞳が、極限まで見開かれる。


「……へ?」


 静寂を破ったのは、騎士団長の間の抜けた声だった。

 彼は一度目をこすり、もう一度見た。

 幻覚ではない。そこにあるのは、間違いなく、彼自身とおそろいアレだ。しかも、自分よりデカイかもしれない。


 俺は、タオルで隠すことすら忘れていた。

 いや、今更隠したところでもう遅い。

 アレンの顔から、急速に血の気が引いていく。赤面から蒼白へ、そして土気色へ。

 彼の唇がわなないた。


「せ、聖女……様……?」

「……見なかったことには、できないよな?」


 俺が低音(地声)でボソリと呟くと、それがトドメだった。

 アレンは白目を剥き、口から魂のようなものを吐き出しながら、その場に崩れ落ちそうによろめいた。

 壁に手をつき、彼はうわ言のように呟く。


「嘘だ……神よ、嘘だと言ってくれ……あんなに可愛い顔をして……ついている……しかも、あんなに立派なものが……」


 終わった。

 俺の異世界生活は、召喚から二十四時間を待たずして、風呂場で全裸のまま騎士団長に聖剣エクスカリバーを見せつけて終了した。


(処刑だ……父さん、母さん、先立つ不幸をお許しください……)


 俺は天井を仰いだ。

 湯気が、無情にも俺たちの間を揺らめいていた。



  2 



 大浴場での「聖剣開帳事件」から一夜。

 俺とアレン・フォルト騎士団長は、「俺が男だとバレたら二人とも破滅」という崖っぷちの共犯関係を結んだ。

 アレンは昨晩、俺のナニを見て気絶した後、復活するやいなや「墓場まで持っていく」と誓ってくれた。真面目すぎて胃に穴が空きそうな男だが、今の俺には頼れる唯一の味方だ。


 王都を出発し、最初の目的地である国境の街「ロズ」に到着した俺たちを待っていたのは、歓迎の人だかりと、一人の男だった。


「やあやあ! 噂の聖女様とお見受けする!」

「……ボルグ子爵殿」


 領主ボルグ子爵。豪奢な服に身を包んでいるが、その目は笑っていない。

 俺は演劇部で培った観察眼をフル稼働させた。

 口角は上がっているが、眼輪筋が動いていない。典型的な作り笑いだ。視線が俺の顔ではなく、首元の聖印やアレンの装備の等級を値踏みするように動いている。

 こいつは「好色」なだけじゃない。「強欲」だ。


「実は『聖女が偽物ではないか』という噂がありましてな。領主として、その清らかなお体を『検分』させていただく義務があるのです。……私の屋敷で、夜通し、たっぷりとね」


 下卑た提案に聞こえるが、これは罠だ。断れば「偽物だから検分を拒んだ」と吹聴し、受け入れれば弱みを握るつもりだろう。

 俺は恐怖で足がすくみそうになるのを、意識的に止めた。


(――メソッド演技法、『感情の記憶』。思い出せ、舞台袖の緊張感。深呼吸。横隔膜を下げろ。俺は今、か弱くも気高い聖女だ)


 俺は計算された「震え」を見せ、アレンの背中に隠れた。

 アレンが静かに前に出る。


「お断りする。聖女様は公務でお疲れだ」

「ほう? 断れば公務執行妨害として、貴殿らを拘束せねばならんかもしれんなぁ? この街の衛兵は王都の三倍はいるぞ」


 数の暴力による脅し。群衆がざわめき始める。

 どうする、アレン。腕力で突破するわけには行かないぞ。

 俺が不安げに見上げると、アレンは冷ややかな瞳でボルグを見下ろした。

 彼はゆっくりとボルグに歩み寄り、その胸ぐらを掴んだ。


「……検分、と言ったな」

「ぐっ……! な、何をする!」

「聖女の純潔を確認すると」

「そ、そうだ! 放せ!」

「無駄だ」


 アレンはボルグを強引に引き寄せると、俺の腰を抱きすくめた。

 そして、ボルグと俺にだけ聞こえる声量で囁いた。


「聖女は、もう純潔ではない。……なぜなら、私がすでに彼女を愛し、その身を捧げさせているからだ」


(……はぁぁーーッッ!?)


 俺の心の絶叫は、声には出せなかった。

 アレンは構わず、さらにドス黒い言葉を流し込む。


「彼女は、召喚される前から私の魂の恋人だ。これ以上、私の女に手を出すなら」


 アレンは懐から一冊の小さな手帳を取り出し、ボルグの目の前にちらつかせた。


「貴様が裏で行っている『聖水』の横流し。そして隣国への武器密売。その裏帳簿の写しは、すでに王都の監査局に送ってある」

「な、な……バカな!?」

「我々の関係をバラせば、この証拠が火を吹くぞ。貴様の一族郎党、破滅だ。……分かったな?」


 脳筋だと思っていた騎士団長は、実はこの街に来る前から領主の不正を掴み、手を打っていたのだ。

 「恋人」という嘘は、ボルグの口を封じるためのダメ押しに過ぎない。

 ボルグの顔色が土気色に変わる。アレンの背後に、権力という名の死神を見た彼は、「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げて転がるように逃げ出した。


 一瞬の静寂の後。

 誰かが「きゃあああっ!」と悲鳴を上げた。


「聞いた!? 騎士団長様が『俺の女だ』って!」

「禁断の恋よ! なんてロマンチックなの!」

「尊い……! 騎士×聖女、推せる……!」


(聞こえちゃってたーーッッ!)


 女性たちを中心に、割れんばかりの歓声が巻き起こった。

 アレンの知略のおかげで、貞操の危機は去った。だが、俺には「騎士団長の愛人(非処女)」というレッテルが貼られてしまった。


(死んだ……社会的に死んだ)


 俺は遠い目をしながら、歓声を上げる群衆に手を振った。


 ヤケクソだった。


   ◇


「……出してくれ。全速力だ」


 歓声から逃げるように馬車に飛び乗り、扉を閉める。

 密室となった車内に、窒息しそうなほどの沈黙が降りた。


「…………」

「…………」


 気まずい。死ぬほど気まずい。

 向かいの席のアレンは、両手で顔を覆ってうなだれていた。耳まで茹でた蛸のように赤い。


「……すまない」


 アレンが、指の隙間から呻くように言った。


「ボルグを黙らせるには、弱みを握り合う形にするのが最適だと判断したのだが……『魂の恋人』は、さすがに口が滑った……」

「あー、うん。設定盛りすぎだとは思ったけど。……でも、助かったよ。あんた、意外と頭切れるんだな」


 俺は努めて明るく返したが、アレンは顔を上げられない。

 狭い馬車の中、揺れるたびに俺たちの膝がコツンと当たる。

 その度に、さっき抱きしめられた時の異常な腕力と、硬い胸板の感触が蘇る。


「……だが、貴方の男としての尊厳は守れたはずだ」

「え?」

「男として恥をかくならば、汚名を着た方がマシでしょう」


 不器用すぎる。この男は、政治的な勝利よりも、俺の「男としてのプライド」を優先してくれたのか。

 俺は胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。


「……あんた、意外といい奴だな」

「いえ……騎士として当たり前のことをしたまで」


 俺たちはそれ以上、何も言えなかった。車輪の音だけが、高鳴る心臓の音を隠すように響いていた。



  3 



 気まずすぎる馬車の旅を終え、日が暮れる頃、俺たちは森の開けた場所で野営をすることになった。

 宿場町に泊まればまた騒ぎになる。アレンの判断で、今夜は星空の下だ。


「ヒナタ様は馬車の中で休んでいてください。火起こしと食事の準備は私が」

「いや、手伝うよ」


 俺は馬車から飛び降り、ドレスの袖をまくり上げた。

 アレンが慌てて止めようとする。


「いけません! 聖女様の手を荒れさせるわけには……」

「アレン。俺は男だぞ? 忘れんな」


 俺は苦笑して、スカートの裾をガサガサとたくし上げた。

 役に入り込んでいた「聖女」のスイッチを切る。重心を低くし、肩の力を抜く。男としての自然体に戻る瞬間だ。

 周囲の枯れ木を手際よく集め、ナイフで薪を作り、着火石を使って一発で火を起こす。林間学校と、親父に連れ回されたキャンプの経験がこんなところで役に立つとは。


「よし、いい火だ」


 パチパチと燃え上がる焚き火を前に、俺は満足げに手をパンパンと払った。

 振り返ると、アレンがぽかんと口を開けて立っていた。


「……歴代の聖女様とは、随分と勝手が違いますね」

「『守られるだけのヒロイン』は柄じゃないんだ。自分のケツくらい自分で拭くさ」


 アレンは少しだけ眩しそうに目を細めた。

 その視線には、もう「聖女」を見る崇拝の色はない。代わりに、対等な男を見るような、心地よい色が混じっていた。


   ◇


 簡素な干し肉のスープを啜りながら、俺たちは焚き火を囲んだ。

 静寂。パチパチと薪が爆ぜる音だけが響く。


「……悪いな、アレン。俺の護衛なんて貧乏くじを引かせて」


 ふと、俺は口を開いた。

 アレンはスープを見つめたまま、自嘲気味に笑った。


「いいえ。……これは私の、家のためでもありますから」

「家?」

「私の家門は、かつて王家の不興を買いました。私が騎士団長として完璧な功績を上げなければ家は取り潰される。今回の聖女護衛は、その最後のチャンスなのです」


 重い。

 サラッと言ったが、この男の双肩には一族の運命が乗っかっているらしい。

 俺は飲み干したカップを置き、アレンの隣にどかっと座った。


「大変なんだな、あんたも」

「……ヒナタ様」

「でもさ、今は俺しか見てないし。たまには肩の力抜けよ。完璧超人なんてやってたら、いつか壊れるぞ」


 俺はアレンの広い背中を、バシッ! と遠慮なく叩いた。

 男同士の、慰めと激励の一撃だ。


「俺の前では、カッコつけなくていいぜ。共犯者だろ?」


 ニカっと笑って見せると、アレンがこちらを見た。

 焚き火のオレンジ色の光が、彼の端正な顔を照らしている。その青い瞳が、揺れていた。


「――っ」


 アレンが突然、胸元を押さえて俯いた。


「おい、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です……!」


 アレンの声が裏返った。



   ◇ (アレン視点) ◇



(……なんだ、この動悸は)


 アレンは内心、パニックに陥っていた。

 今のヒナタの言葉。屈託のない笑顔。そして背中に残る、温かい掌の感触。

 それを受けた瞬間、彼の心臓が早鐘を打ったのだ。


(相手は男だぞ!? 私と同じモノがついているのを、この目で見たはずだ!)

 なのに、なぜこんなに愛おしいと思ってしまう?

 これは吊り橋効果か? それとも過労か?


「顔、赤いぞ? 熱でもあるのか?」

「ち、違います! 火が近いせいです!」


 心配して顔を覗き込んでくるヒナタから、アレンは逃げるように距離を取った。


「……私は見張りに立ちます。ヒナタ様は先に休んでください」

「そうか? じゃあ、お言葉に甘えて」


 ヒナタは大きなあくびをすると、草の上に横になり、すぐに寝息を立て始めた。

 アレンはため息をつき、自分のマントを脱いでヒナタにかけてやった。


「……調子が狂う」


 アレンは夜空を見上げた。心臓の音は、まだ鳴り止まなかった。



  4 



 国境の街を出た俺たちは、深い森の奥にある「第一の祠」にたどり着いた。

 そこは、昼間だというのに薄暗く、肌にまとわりつくような不快な冷気――瘴気が漂っていた。


「……下がっていてください、ヒナタ様」


 アレンが剣を抜き、俺を背に庇う。

 その白銀の鎧は昨日の移動と野営で少し汚れ、疲労の色が見え隠れしていた。昨晩、彼は一睡もせずに俺の寝る馬車の前で見張りをしていたのだ。


「グルルルル……」


 闇の奥から現れたのは、狼の形をした黒い霧の塊――『瘴気獣』の群れだった。

 赤い瞳が、ギラギラと俺たちを狙っている。アレンが剣を構えるが、切っ先が震えている。

 獣の一匹が、アレンの死角から飛びかかった。


「くっ……!」

「アレン!」


 鋭い爪が彼の肩を浅く切り裂く。鮮血が舞い、アレンの体勢が崩れた。

 獣たちが一斉に牙を剥く。終わった、と思った。恐怖で足が竦む。

 だが、俺の脳内の演出家が叫んだ。

 ――舞台上で立ち尽くす役者がどこにいる! 役に入れ! お前は今、この空間を支配する『聖女』だ!


「……合わせろよ、アレン!」


 俺はドレスの裾をまくり上げ、あろうことか戦場のど真ん中へ飛び出した。

 腹式呼吸。丹田に力を込め、喉ではなく腹から声を響かせる。劇場の一番後ろの席まで届ける、発声の技術。


「下がれェェェッ!! 汚らわしき闇の眷属よ!!」


 ビリビリと空気が震えた。

 ただの大声ではない。「威圧」という演技。

 獣たちが、その音圧と気迫に押され、本能的な恐怖を感じて一瞬怯む。

 その刹那の隙を、王国最強の騎士が見逃すはずがない。


「……ッ! はあああっ!」


 アレンの剣が閃く。

 銀色の軌跡が闇を切り裂き、次々と獣たちを霧散させていく。

 最後の一匹を串刺しにしたアレンが、荒い息で振り返った。


「今の声は……魔法ですか!?」

「いいや、ただの発声法だ。……舞台度胸、ナメんなよ」


 俺は震える膝を隠しながら、ニカっと笑ってみせた。

 背中合わせに立つ二人。恐怖はあるが、心は熱かった。


   ◇


 戦闘が終わり、俺たちは祠の最深部にある祭壇にたどり着いた。

 そこには、古びた石碑だけがある。俺は古代文字を読み上げた。


『――世界を覆う瘴気は、淀みきった【陰】の気なり』

『陰を払うことができるのは対極にある【陽】の気を持ち、かつ清らかなる器のみ』


「陰と……陽?」

 俺は眉をひそめた。聖女伝説では「清らかな乙女」が必要だとされている。

 だが、東洋哲学において「陰」は女性、「陽」は男性を表すことが多い。

 演劇の脚本読解で培った推察力が、ピースを繋ぎ合わせる。


「待てよ……。もし瘴気が『女性的な負のエネルギー(陰)』だとしたら、それを中和できるのは『女性(陰)』である聖女じゃない」


 俺の呟きに、アレンがハッとして顔を上げた。


「対極……つまり、『男性(陽)』のエネルギーが必要だと言うのですか?」

「そうだ。だが、器は『清らか(聖女の姿)』でなければならない。だから神殿で男の俺が聖女として召喚されたのは、バグったわけじゃなかったんだ」


 アレンが震える声で結論を口にする。


「神は、最初から……『聖女の姿をした男』である貴方を求めていた……!」


 謎は解けた。

 だが、碑文には続きがあった。俺はそれを読み進め、血の気が引いた。


『ただし、相反する気を体内で衝突させれば、器である魂は砕け散る。世界への人柱として』


「――っ!」

 救済の方法が分かった瞬間に、突きつけられた死刑宣告。

 俺が死ねば、国は助かる。そういうシステムだ。

 神殿の連中は知っていたのだ。だからこそ、何も知らない異世界人を召喚した。


「……なるほどな。まあ、元の世界にも帰れなさそうだし、そういう運命なら――」

「ふざけるな!」


 アレンの低い声が洞窟に響いた。

 彼は鞘に納めた剣を強く握りしめている。


「ヒナタ様。旅はここで終わりです」

「え? でも、旅を続けないと国が……」

「国など、どうでもいい!」


 アレンが叫んだ。

 今まで見たことのない、感情をむき出しにした表情だった。

 彼の脳裏には、なにが浮かんでいるのだろう。


「貴方が死ぬ前提の救済など、私が認めない! 友一人守れず、何が騎士だ!」


 彼は俺の手を引き、出口へと歩き出した。

 その背中は、もう「騎士団長」のものではなかった。ただ一人の男として、俺を守ろうとする背中だった。


「アレンいいのか? 俺を連れて逃げたら、あんたは逆賊だぞ。地位も名誉も失う」

「構いません」


 アレンは足を止め、振り返った。

 そして、俺の目をまっすぐに見つめ、あの「偽装工作」の時とは違う、飾り気のない声で告げた。


「……俺は誓った。貴方を守ると」


 一人称が「私」から「俺」に変わっていた。


「主従でもない。偽の恋人でもない。……俺はただ、友である貴方を死なせたくないだけだ!」


 その言葉に、胸が締め付けられるように熱くなった。

 論理(ロジック)で謎は解けたが、この感情(パッション)だけは理屈じゃない。

 俺たちは、この理不尽な世界で唯一の「共犯者」になったのだ。


 俺は苦笑して、彼の手を握り返した。


「……愛の告白にしちゃ、重すぎるぜ」

「勘違いしないでください。友としてです」

「はいはい、そういうことにしておいてやるよ」


 俺たちは走り出した。

 光溢れる出口の向こうには、追っ手の神官兵や、さらなる魔物が待っているだろう。

 それでも怖くはなかった。


 俺たちの本当の旅――「洗礼」ではなく、世界を敵に回す「逃避行」が、ここから始まる。


「行きましょう! ヒナタ様」

「おい、友人なんだろ? 様付けなんて水くせえよ」


「ふふ。わかった。共に行こう! ……ヒナタ!」


(了)

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