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追放令嬢ですが地位も名誉もない殿方に娶られましたのでやり直しを願っても良いでしょうか  作者: 宇宙ねんねこ


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7/10

⑥結婚だなんて

光が斜めに差し込んでいた。

エリザは作業台の前で、小さく息を整えながら布を広げる。

裁断ばさみの金属音が、こつり、と静かに響く。

村の模様に使う布地は王都のそれより分厚く、手触りも粗い。慎重に線を引き、寸法を合わせながら、エリザは集中していた。


昨日よりも迷いなく布に手を伸ばせている自覚があった。

作業台の端に頬杖をつきながら、そんなエリザをじっと見つめていたメイは目を細める。


「……エリザさんって、すっごく綺麗ね…」

「え……?」

「肌も髪も手入れされてて……、所作も綺麗だし、なんか、全部ちゃんとしてるの。わたし、そういうの、すごく憧れる」


羨望を隠さない賛美。

その視線はまっすぐで、曇りがなかった。

エリザは思わず息を呑む。


「こんなに綺麗なのに、お裁縫もできて。きっと素敵な結婚相手がいるんでしょう?」


その瞬間、布を押さえていたエリザの指がかすかに震えた。

結婚。本来なら、とうに決まっていたはずの未来。


(……本当なら、私にも……)


胸に一瞬だけ影が落ちる。


メイはそれに気づかず、純粋な顔で続けた。


「わたし、お嫁さんになるの夢なんです。綺麗になって、自慢のお母さんなりたくて、だから……」


エリザの裾をそっとつまむ。


「エリザさんみたいになりたいって、思っちゃうんです……」


その言葉に返事が出てこなかった。

…私を?追放され、恥を抱え、泣く夜を越えたばかりのこの身を?

メイは続ける。


「身についた優しさとか、生き方とか。ちゃんとした教養がある人って、すごいです。わたし、憧れちゃいます」


その素直すぎる羨望に、エリザは胸の奥がきゅうっと締めつけられた。


(どうして……?)

(こんな私を……羨むなんて……)


けれど、それを否定できないほど、メイの笑顔はまっすぐだった。


「えへへ、長居しちゃった。

 また来ますね、イレーネさんに頼まれたお使い行かなきゃ!」


軽い足どりで駆け去っていくメイの背中を、エリザはしばらく見つめていた。

その胸には、かつての自分を見たような痛みと、未来へ進みたいというわずかな光が交じっていた。


メイの足音が遠ざかり、イレーネの家に再び静けさが戻った。

メイがいなくなった作業台の端にやわらかな影を落とす。

エリザはしばらく何もできず、布の上に指を置いたまま、動けなかった。


 (今の私なんて、羨ましがられるようなことはなにも……)


羨望のまなざし。

まっすぐで、濁りのない称賛。

そのどれもがエリザには、痛かった。

けれど──

心の奥底で、別の声がひそやかに囁く。


(……ああ、そうね)


王都の乙女たちを。姉を。

輝かしい未来が約束された令嬢たちを。過去の自分すらも。

エリザは手放したものを持っている彼女たちか羨ましかった。


優雅な結婚。家同士の繋がり。

新しい家族。幸福な未来。


あの時感じたざらついた焦り。

形ばかりの笑顔の裏で、心がきしんでいた。


メイの羨望は、決して悪意ではなく、ただ誰かのように生きたいと願う気持ち。

そんなメイの眼差しが、かつての自分と重なる。


エリザは布をそっと持ち上げた。

刺繍糸を慎重に針に通す。


村の文様は、王都の刺繍とは違い、

精緻さより“祈り”を形にするもの。


ひと針、ひと針。


優しく、ゆっくり。


糸を引くたびに、胸の奥に溜まっていた痛みが少しずつほどけていく。


本来なら今ごろ、式の日取りが決まっていたはず。

婚約の義を終え、新しい家に移り、未来を描いていたかもしれない。

そのどれもが失われた。


けれど──


針の動きがふと止まる。


(今の暮らしを、嫌だとは思っていない……)


驚くほど自然に、一日の中に小さな温かさが増えている。

イレーネの豪快な笑顔。

水汲みの井戸の優しい音。

村人の穏やかな挨拶。

竈から漂うパンの匂い。


そして――彼。


(……レオン様)


胸がきゅっと熱くなる。


彼の言葉の端々を思い出す。

歩幅を合わせてくれたこと。

心を押しつけない優しさ。

見守るような距離感。


(……あの方の隣では呼吸が楽になるのです)

(ただ、この村で少しずつ、生きる力が戻ってきて……。その中にあの方の姿があるだけ……)


言葉にはできない。

けれど確かに“癒し”のような何かが芽生えていた。


エリザはそっと目を閉じる。

羨望ばかり抱いていた過去の自分を、少しずつ手放していきたい。


針を動かしながら、ゆっくりと息を吐いた。

頬に当たる風が優しかった。


(……今日はお会いできるのかしら)


そう確かに思った時だった。

外から足音が近づいてくる。

レオンの穏やかな気配。


胸が高鳴り、エリザはそっと布を置いた。






「レオン様」

「やあ、エリザさん。何処かへ行く予定でした?」

「いいえ、なんとなく貴方がいらっしゃる気がして…」


レオンは少し驚いたように瞳を丸くしたが、すぐにふっと目を細め、使い込まれた藤の籠をエリザに渡す。

香りの良い薬草や艷やかな木の実の横に、小さな花冠が乗っている。


「今日、子どもたちと森にいて…どうしてもエリザさんに渡して欲しいと頼まれまして」


理由を述べてはいるが、どこかぎこちない。

エリザの胸が静かに温まる。


「まあ、綺麗……ありがとうございます。嬉しいですわ」


二人の間に、ふと沈黙が落ちた。

夕風が頬を撫でていく。

レオンが視線を上げ、空を見つめていた。


「……今日の夕陽、綺麗ですよ。少しだけ、外に出ますか?」


誘われたわけではない。

けれど、彼の声は断れないほど優しかった。


空の端が深い橙色に染まり、山の稜線が影のように浮かぶ。

暮れてゆく光はどこか切ないのに、不思議と心が落ち着く。


「……私、この夕空が好きなのです」


小さな花冠を手にしたまま、エリザはそっと胸を押さえる。


ふと視線を向ければ、レオンは柔らかく微笑んだ。

夕陽が彼の瞳に落ち、その奥が揺れる。

静かであたたかい琥珀色。


その瞬間、胸の奥で何かが強く跳ねた。


「まあ、レオン様の瞳…まるで……この黄昏の色を、そのまま閉じ込めていらっしゃるようですわ……」


レオンの呼吸が一瞬止まった。

驚きが隠せず、それでもこちらを見つめ返す瞳はどこか弱くて、脆くて。


「お恥ずかしいことに、私、今まできちんとお顔を向けることができなかったのです……」

「……エリザさん……」


彼の声はいつもより低く、かすかに揺れていた。

エリザはその揺らぎに、気づけた。

これまで溺れるほど苦しかった日々では、

誰かの心の動きなど感じられる余裕はなかった。


けれど今は──違う。


彼の小さな揺れを受け止められるだけの、自分になっている。

自分を恥じることなく、まっすぐ人と対峙できる。

今までの羞恥も後悔も全て受け入れて前を向ける。


レオンは言葉を選ぶように、そっと視線を落として微笑んだ。


「貴女の真っ直ぐな眼を見られて嬉しいです。……今日も、来てよかった」


エリザの胸がふわりと震えた。


(レオン様……)


何か言い返そうとしたけれど、言葉は出てこなかった。


「また明日、お会いできるでしょうか」

「ええ。きっと」


二人は小さく会釈し、レオンは背を向けた。

夕陽の中に彼の背中が沈んでいく。


エリザはその姿を見送って──ふと、視線の先に白い影を見つけた。

薬草畑からゆっくり歩いてくるイレーネだった。

遠くで子どもたちと別れ、こちらへ向かってくる。


胸の奥がふわっと熱くなる。

夕暮れの光がエリザの頬を照らし、微笑みを引き出す。


今日の出来事を、この気持ちを、どうしても伝えたい。

うまく言葉にできるか分からないけれど、それでも。


エリザはイレーネに大きく手を振り、足取軽く駆け出した。


レオンと見た黄昏は、胸の奥にまだ優しく灯っている。


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