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切れない赤い糸

 ーーあぁ、ここにいたのね。


 運命の赤い糸なんて表現は今となれば余計古臭いだろうが私は好きだ。

 運命は定められたもの。結ばれた糸は決して切る事は出来ない。

 運命なんだから、離れられるわけがない。

 距離や時間など関係ない。

 

 ーーやっと見つけた。


 私は導かれるように指を伸ばした。









 ーー最高だ。


 全身を包み込むような感触に思わずため息が漏れた。三十万もしたが座れば納得の質だ。漆黒の本革で誂えられたシックで高級な存在感は腰掛ける者を選ぶ傲慢さすらあるが、その高飛車な空気感も含めて気に入った。いつかこんなソファを部屋に置きたいと思っていたが良い買い物をした。頑張った自分へのご褒美だ。


 不安と期待を持って三十半ばにして本気で投資家の道を進むと決意してから三年が経った。投資はギャンブルとは違う。リターンではなくリスクをどれだけ生まないかを前提に置き、堅実な投資を繰り返してきた。

 投資はアルコールにも似てるなと感じていた。酒を飲めば人は酔う。酔わない為には飲んだアルコールに対して必要な水分を補う。たったこれだけの事だ。量や質を誤らず、常にリスクとのバランスを考えて行動すれば相応の結果を得られる。当然イレギュラーは存在するがそれも含めてのリスク管理だ。お陰様で会社員時代の倍の家賃のマンションで悠々自適に暮らせるようになった。


「はぁ……」

 

 幸福な溜息がまた漏れた。溜息は幸せが逃げるから良くないだなんて言うが、幸せだからこそ出るものを留める理由がどこにあるだろうか。

 晩酌に微睡ながら、気付けば上質な革に包まれ眠りに落ちた。






 ぴんぽーん。






 「……ん?」


 ふいに眠りから覚めた。酒が抜けておらず頭が重い。はっきりしない意識のまま、何故目が覚めたのかもよく分からない状態で不快な違和感に支配されていた。


 ぴんぽーん。


 二度目でようやく眠りを妨げた原因がチャイムの音だと分かった。手を伸ばしスマホを手に取る。時間は深夜の二時だった。


 ーーこんな時間に?


 ぴんぽーん。


 三度目のチャイム。どうやら無視出来そうにもなさそうだ。のそりとソファから立ち上がる。やはり酒のせいで頭が重く少しふらつきながらインターホンに近づく。カメラ付きなので誰が訪問してきたかは映像で分かる。しかしそこには誰も写っていなかった。


 ぴんぽーん。


 四度目。意識が覚醒し全てを理解した。

 このマンションはエントランスと玄関前の二段階でセキュリティが敷かれている。訪問者の場合、相手が部屋番号を入力すると対応した部屋のチャイムが鳴る仕組みだ。それとは別に玄関前のチャイムも存在している。

 二種類あるチャイムの内、今鳴っているのは玄関前のものだ。


 一気に鳥肌が立った。

 どうやってエントランスを潜り抜けた。入居者に便乗したのか。だが何故自分の部屋を訪ねてくる。


 ぴんぽーん。

 ぴんぽーん。

 ぴんぽーん。


 インターホンの前に立ち尽くす。きっと部屋の中にいるのはバレているだろう。それでもこれ以上音を立ててしまわないようにとその場で動けなくなった。


 ーーまさか、まだ……。


 その瞬間思い出してしまった。目の前が真っ暗になるほどの絶望を感じた。足から力が抜けその場にへたり込む。


 ーー終わっていないのか。


 繰り返し鳴るチャイムの音を聞きながら、十年以上も前に出会った一人の女の顔が脳裏に浮かんだ。








 二十代前半。俺は地方から出て都会の大学に通っていた。

 地元の田舎くさい空気が嫌いだった。ずっと都会の煌びやかな世界に憧れ、ようやく掴んだ夢の都会での大学生活を満喫していた。

 若く愚かで無知なのに体力だけは有り余り無駄に自信にも溢れていた。思い返せばどうしようもない時期だが、自分含め周りの人間は皆そんなものだった。

 血気盛んな男が考えるのは結局女だった。サークルや学部、色んなメンツで飲み会やら合コンやらとにかく女との出会いを求め楽しみ毎日のように馬鹿騒ぎを繰り返していた。

 

 そんな中で出会った女が佐藤絵美里だった。

 誘われた飲みの場で初めて出会ったが、悪い意味で場にそぐわない女だった。

 長い黒髪に幸の薄そうな顔立ち。服装も地味で自己紹介以外全く自分から喋る事はなく、人の会話を聞きながら相槌を打つのが精一杯な様子だった。

 それが逆に目を引いた。地味ではあるがよく見れば顔立ちは決して悪くなかった。こういうタイプの女性と関係を持ったことがなかった事もあり俄然興味が湧き、俺は絵美里に積極的に話しかけた。

 

 自発的ではなかったが、投げかければ緊張しながらも会話のボールはきちんと返してくれた。自分の言葉に遠慮がちに笑う顔や反応も俺の心をくすぐった。


「二人だけで飲みに行こうよ」


 一次会が終わり声を掛けてみると彼女は最初驚いたような顔をしたがこくりと頷いてくれた。二軒目では行き慣れた静かなバーでゆったりと時間を共にした。


「こんなふうに過ごすの初めてです」


 目はとろんと瞼が落ち、上気したふやけた笑顔は男慣れしていないはずなのに妙な色気があった。彼女はあざとく勢いに任せたように自分の頭を俺の肩に乗せた。

 酒にも慣れていないのだろう。一見可愛らしくお洒落な見た目だが、アルコール度数は反して暴力的だ。見た目と飲みやすさに騙されて一杯飲み終えた頃にはしっかりと酔いが回る俺にとっては非常に都合の良いアイテムだ。

 

 ちょろいな。全てがうまく行き過ぎていた。そこから流れるように一人暮らしの自室に連れ込み事を果たした。

 そしてその日を境に俺の生活は彼女に壊され始めた。

 

 大学に行けば入口で待ち構え、携帯には何十件と着信履歴が入り、昼夜問わず部屋のチャイムを鳴らし続けた。

 完全に狂ったストーカーの行動だった。今まで関係を持って面倒な女はいたが絵美里はそれらの比じゃなかった。いくら諭して論して怒鳴っても無駄で、こちらの常識は何一つ通じなかった。


「どうして? 私達赤い糸で結ばれた運命なのに」


 嘘みたいな甘っちょろい言葉を瞳孔の開いた一切疑いのない真っすぐな目で口にする彼女が途轍もなく恐ろしかった。

 とんでもない女に手を出してしまった。気付くにはあまりに遅すぎた。


 結局まともな大学生活を送る事が難しくなり、大学を辞め実家に戻った。当然携帯のアドレスや番号も全て変えた。本当は警察に頼りたかったが、時代的にストーカーへの対処は期待できなかった。とにかく彼女と関わりたくないという一心だった。


 おかげさまで彼女との接触や連絡は途絶えた。彼女の動向が気になり大学の友人に確認してみたが、完全におかしくなった彼女は次第に大学にも来なくなり、今どうなっているかは分からないとの事だった。


 馬鹿な自分を恥じた。二度とこんな軽率な事はしないと誓った。

 以降女遊びは辞め、落ち着いた頃に別の仕事を見つけ働きながらやがて投資に興味を持った。そして十年以上の時を経て捨てきれない憧れから、俺は再び都会へと戻った。







 気付けば朝になっていた。眠った記憶はないが気付けば床にへたり込んだままの状態だった。手にしたスマホを見ると時間は朝の六時だった。

 昨夜の事を思い出し玄関に目を向けると、玄関先に奇妙なものが見えた。薄っぺらく白い何かが玄関に落ちている。昨夜の時点ではそんなものはなかった。


 途端にまた緊張感が走った。考えられる事は一つ。チャイムを鳴らした何者かが置手紙のように差し込んだのだろう。

 恐る恐る玄関に近づく。傍まで来て見てみると何も書かれていないA4の白紙だった。屈んで落ちた紙に手を伸ばす。見る必要はないのかもしれないがどうしても好奇心が勝った。そのまま紙をひっくり返す。そして心底後悔した。


“運命は変えられないよ”


 もはや疑う余地はなかった。時間は何も解決してくれていなかった。夢など捨てて都会になんて来るべきではなかった。


 俺はまた佐々木絵美里に見つかった。

 

「……なんでだよ」


 恐怖と共に怒りが込み上げた。いつまで一人の男に執着しているんだ。あれからもう何年経ったと思っている。

 運命? 冗談じゃない。俺はお前に運命など感じていない。 

 

 ーーふざけやがって。


 あれから時代は変わった。事情を話せば今の警察なら理解し動いてくれる可能性は十分にある。

 警察に行こう。近くの交番に今すぐ駆け込もう。急いで靴を履き扉を開けた。


 がしゃ、がたん。

 

「ん?」


 扉を開いた瞬間、向こう側で何かが倒れたような音がした。


 ーー何だ?


 扉を開いたまま足元を確認するが何も見当たらない。外に出て扉を閉めたところで物音の正体が分かった。ただ何故こんなものが目の前に転がっているのかは全く意味が分からなかった。

 床に倒れていたのは黒い額縁に入れられた女性の写真と純白の壺だった。


「やっと会えた」


 後ろからしゃがれた声が聞こえた。反射的に振り返ると女が一人立っていた。

 長く垂れた黒髪。地味な服装。垂れた髪のせいで顔はよく見えないが、その姿はあの日の絵美里そのままだった。


「う、ああ……」


 悲鳴を上げたいのにまるで声が出なかった。


「やっぱり、運命だね」


 絵美里がこちらに近づいてくる。

 

「ゆる、して。許してくれ……」


 身体に力が入らない。腰が抜けまた俺はその場にへたり込んでしまう。

 

 ーー動け。動いてくれ。

 

 自分の身体なのに願いは通じず、倒れた俺の前に絵美里は屈み、ぬぅっと顔をこちらに近付けた。


「離れられないわよ。あなたと私は赤い糸で繋がってるんだもの」








 俺は都会を離れ実家に戻った。投資なんて都会じゃなくても出来る事だ。もう無理にいる必要はどこにもなかった。

 よほどの事がなければもう行く事はないだろう。そして女性と関わる事も。

 あの日、目を覚ますと病院にいた。どうやらあまりの恐怖に意識を失ってしまったらしい。心身が落ち着いてしばらくして、警察から全ての事情を聞いた。


 女は深夜、入居者に便乗してマンションに侵入し俺の部屋まで訪れ執拗にチャイムを鳴らした。しかし反応がない為マンション内に身をひそめながら俺が出てくるまでじっと様子を窺っていた。そして朝になりようやく扉が開いた所で俺に近づいた。

 

 ここから先は俺の記憶にない部分だが、早朝に関わらず女の声が五月蠅いと近隣住民が倒れる俺と女の姿を確認し通報した。しばらくして到着した警察に女は連れて行かれたそうだ。


「佐藤奈津美という方はご存じですか?」


 警察にそう問われた時、想像と違った名前に困惑した。

 佐藤絵美里なら分かる。だが奈津美なんて女は知らない。そう答えると、じゃあこの人物は分かるかと写真を見せられた。

 玄関先に落ちていた黒い額縁に入った写真だった。まるで遺影のように収められた絵美里の写真。俺は過去の事も合わせて絵美里について全てを話した。警察は神妙な顔で「なるほど」と呟いた。

 

「佐藤奈津美は佐藤絵美里の母親でした。ちなみに佐藤絵美里は数年前に事故死していました」


 数日後調べが進み改めて警察からそう聞かされた。

 やはりあれは遺影だったのだ。そしてもう一つ、あの純白の壺は絵美里の骨壺だった。


「奈津美は自分の事を絵美里だと言い張り、あなたとは運命の赤い糸で繋がっていると繰り返しています。精神鑑定をかけていますが、あの様子だと結果は見えています。あれが演技だとは到底思えません」


 結局絵美里の母親である奈津美が、何故娘と同じようにストーカー行為に及んだのかは分からない。娘を亡くした母親の異常行動。警察としてはそれで終わりだろう。


 それだけの事と言われればそれまでだ。だがどうしてそこに至ったのか。

 娘の意思を引き継ぎ想いを全うしようとした母の狂気なのか。

 それとも死んだ娘が乗り移り母親の身体を通して想いを果たそうとしたのか。

 オカルトなのか人間の怖さなのか。もはや知りようもなかった。


 眩暈と吐き気がした。

 これ以上考えるべきではない。こんな事に脳と心を割いてはいけない。

 自分の人生を生きよう。静かな実家で、画面に写るチャートに俺は神経を注いだ。








 はい。妙な声がするなとは思ったんですよ。これまさか自分のマンションじゃねぇだろうなって。夜勤帰りでへとへとだったんですけど甲高くて酷く耳障りな声で、その時点でうんざりって感じだったんですけど部屋に近づけば近づくほどその声がでかくなって。

 勘弁してくれよって思いながらエレベーターから降りて見た瞬間、マジで「は?」って感じでした。あ、ヤバイかもって。


 人が人の上に馬乗りになってて。はい。男が下で、女が上でした。

 男の方は、全く動いてなかったです。殺されたんだって思いました。

 でも、それより……うぇ、すんません。思い出すとどうしても気持ち悪くて。はい、大丈夫です。


 で、その……女だけが激しく動いて、あの甲高い耳障りな声を上げてるんですよ。

 何て言ってるとかじゃないです。言葉とかじゃなくて。ようやくそこで女が何してるか分かったんです。

 あれ、騎乗位ってやつですよ。激しく上下して。咽び泣くみたいなすげえ声でしたけど、喘ぎ声だったんですよ。

 マジ最悪ですよ。殺された上にそんな事……あんまりでしょ。酷すぎる。

 

 

 え? あの人、生きてたんですか?

 それは、良かったです。

 でも自分が何されてたか知ったら、死にたくなるでしょうね。その男の人。

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