06――ドラゴニュートの老人
後日、解毒剤の成分が分かったとの手紙が工房に舞い込む。一応、表には出ていない工房なのだが、あの病院は裏の者も多く受け入れている。その伝手で情報が来たのだろう。
手紙の内容はこうだった。
薬品の主成分は野草と樹液と思われる。しかしどちらもスチームの周囲には群生しておらず、手に入れるのも困難。また、その材料を混ぜればいいというわけではなく、薬として効果を発揮するには特殊な技術が必要。とのことだ。
「キッド、背の低い老人から貰ったと言っていたな」
「ああ。爺さんに見えたが、なんか違和感あったんだよな。いつの間にかいなくなってたしよ」
ダイアンは一呼吸。
「……おそらく、以前俺が会ったドラゴニュートだ」
ダイアンが闇市で会った存在。現在キッドが使っている両手剣のチェーンソーの刃、竜の牙を硬化させる薬品を売った人物だ。闇市で無許可に店を構えたため、クラズには報告するように言われている。
「……どうする? キッド、報告した方がいいかしら」
リンは少しの逡巡。恩人の身に危険が及ぶ可能性があるからだ。
「そうだな。俺達が世話になったって伝えりゃあ、いきなり手荒くも行かないだろ。それにまだスチームに滞在しているかもわからねえんだ」
「……そうね」
じゃあクラズのところに行きましょ。二人は自動車に乗り込む。雨はもう降っていない、そろそろ寒冷期が来るのだろうか。
クラズの部屋、門は顔パスだった。
「やあ、また会ったね」
「……例のドラゴニュートについてだ」
キッドが事の顛末を説明する。キッドが見た時には店を構えていたわけではない事、リンの命を救った事。
「……そうか、リン君の恩人か。だがここで商売しているかははっきりしないな」
執事がやって来た。クラズになにか耳打ちする。それを聞いたクラズはため息を一つ。
「来客だ。君達も同席するといい」
部屋の扉が開かれる。そこにいたのは今まさに話題に上がっていた人物だ。
「ほっほ、早くもお世話になるときが来たようだ。お二方、無事なようで何よりです。……ここの首領に挨拶をと思いましてね」
クラズの表情は苦いものだ。
「貴方が、ドラゴニュートか」
「いかにも、スチームでは珍しいかえ?」
「珍しいなんてものではない。存在すら危ぶまれていますね」
老人はカラカラと笑う。
「ほほ、人目を避けて動いていたのは正解だったようだ。不用意に目立つのは私とて本意ではない」
「……貴方のようなドラゴニュートの商人が何故突然このスチームに?」
「大した理由など無いわい。ヒト種が今どうしてるのか気になっての」
ドラゴニュートは“ヒト種”と言った。これは明確に自身、ドラゴニュートというと、どれでもない人間を区別しているという事だ。
「いや、今まで沈黙を続けていた貴方方がこのスチームに出てくる以上何か理由があるのでしょう。本当のことを語っていただけますか?」
「……最近は自然の環境が崩れつつあるんじゃよ」
老人は語る。彼らの里はスチームよりも自然に恵まれており、獣も多くいる。しかし、それらの姿をとんと見なくなったそうだ。
「いくらここの環境が腐っているとはいえ、距離のある私達、ドラゴニュートの里まで影響が出るとは考えにくい。じゃが、不安要素の一つでもあるんでね。言うなれば私は私の里からの調査員じゃ」
「ですが、私のような悪党にはスチームを変える事などできません。いや、もはや誰にも変える事などできないでしょう。ここの住人すら何故スチームがスチームであるか知らないのですから」
「……そうじゃろうな。街を変えるなど容易ではない、現実的ではないじゃろう。じゃが、危機は迫っておるぞ。これを伝えに来た、と言ってもいい」
これはドラゴニュートからの明確な警告だった。
「そうじゃ、ドラゴニュートの方達に商売する許可も貰いに来たんじゃが、頂けるかな?」
「……何らかの形で対価を貰いましょう。いくら事情があるとはいえ、それがここのルールなもので」
「うむ、それが筋と言う物じゃな。しかしヒトの貨幣は持っておらぬ。私のルートで薬草などの、自然のものを納めさせてもらおう。これでよろしいかな?」
少しの思案の後、頷く。
「ええ、充分です。それらを一般人にも市場に出すことができればですが」
「……一般人にもか、まあいいじゃろう。商談成立じゃな」
老人はサングラスを下ろすと縦長の瞳孔でにこりと笑った。
数日後、闇市のはずれの人目につかないような場所にドラゴニュートは店を構える。しかし、野草等から作り出される軟膏はあっという間に話題になってしまった。その効能はスチーム付近にある質の悪い物の比ではなく、浅い傷なら使用しただけで塞がる、まるで魔法の様なものだったからだ。
「すごいわねキッド、私も試したけどとんでもない効き目だわ」
「これじゃあ俺達が買えるかも怪しいもんだな。まあいざという時には優先してくれるとは言っていたがよ」
二人がドラゴニュートの店の前にできた行列を見ていると、見覚えのある姿。レインだ。
「おーいレイン! お前もここの買いに来たのか?」
しかし、レインは振り向きもしない。キッドは構わず駆け寄る。
「なあなあ、お前もドラゴニュートなんだろ? 武器とかどうしてるんだ?」
「キッド! 大きな声でするような話題じゃないわよ」
「……お前達こそどうしてる? 私はクラズイーストの伝手」
仮面で表情はわからないが少し苛ついている様子だ。
「俺達は作ってくれる仲間がいるんだよ」
「……そう」
キッドは胸を張るが、レインに会話を続ける気は無いようだ。構わずキッドは続ける。
「なあレイン、普段何してるんだ? やっぱ竜とか狩ってるのか?」
「……言いたくない」
「えーと、あぁ、あれだ!」
「行くわよキッド」
リンがキッドの襟をつかむ。
「なんだよーリン。ドラゴニュート同士仲良くしたいじゃねえか」
キッドは引きずられながら抗議の声を上げた。
「無理に触れ合う必要もないわ。……一緒に仕事するならともかくね。それにしてもイーストの伝手っていうのはどういう事かしら。街の外にも顔が効くってこと?」
「わからねぇな。ダイアンだって表立って動いてるわけじゃねぇんだ。他にも誰かいるのかもな」
工房に帰り着くと、ダイアンが二人を出迎える。どこか興奮した様子だ。
「なあキッド、チェーンソーでカニデロを斬ったと言っていたな? 竜の牙の様子を見てくれ!」
外見は特に変わっている様子はない。
「これをこうするんだ」
ダイアンは手袋をつけて、牙を生の肉塊に押し当てる。すると牙の先端から紫色の液体が噴き出した。
「……これは、毒だな」
「そうだキッド、この牙は獲物によって特性が変化するか、もしくは成長している」
「カニデロを斬ったからそれを取り込んだっていうこと?」
「ああ、そういう事だリン! こんなモノは見たことないぞ!」
キッドも戸惑いを隠せない。
「……そんな竜、聞いたことねぇな。白骨化してたからか? それかやっぱり薬品がすごかったのか」
「まだ牙はないのか? できればもっと持ってきてほしいんだが」
それだけ力になるという事。異論はない。二人は笑顔で頷いた。
自動車に乗り、スラムの外を目指す。向かうのはあの日見つけた羽根有りの骨の場所だ。だがもう他の人間に持っていかれている可能性も低くはない。
杞憂だった、骨はそのまま残っている。連日の雨で泥にまみれてはいるが、確かにあの時の骨だ。
「牙だな、まあ他にも持っていこうぜ」
背骨や翼を荷台に積み込む。
「……キッド、猪がいる」
帰ろうという時、かなり距離があるが猪の群れが泥浴びをしている。あれ程の群れなら間違いなく群れの長、大物もいるだろう。群れの長たる猪は極めて狂暴だ。
「この距離はちょっと危ねぇな。羽根無し倒して周ったからここまで来ちまったか?」
猪はひときわ警戒心の強い獲物だ。こちらに気づいて逃げてくれればいいのだが、生憎狂暴でもあり一直線に敵に突っ込んでくる。
「リン、やるか?」
「……そうね」
念のため武器を持ってきていたのは幸いだった。機関に燃焼材を入れ、起動させる。リンは自動車から降り重機砲のバイポッドを立て、キッドも刃を唸らせる。自動車を破壊されてはかなわない。距離を置いた。
音でこちらに気づいたようだ。興奮している様子で地面を引っ掻く。突進の前兆だ。地面を蹴る際に、力を込めるため足元を踏み均す。
距離があるため、リンは徹甲弾を装填する。散弾は弾頭が炸裂するため遠距離には向かない。普通の弾も、今日持ってきているものは破壊力を増すために銃弾の先を潰したものだ、これは弾道がやや不安定になる。徹甲弾は鋭い弾頭に弾体の硬度と質量を大きくして、分厚い皮膚や鱗を貫く。重い弾の為、より蒸気を圧縮する必要があり機構への負担は少し大きいが、その分距離があっても貫通力は衰えない。
バスン。やや上を狙って放たれた徹甲弾は二頭の猪の頭を鋭く貫いた。
重機砲が冷却水と圧縮された蒸気を放つ。次弾、先の潰された弾を装填できるまではキッドの出番だ。
「毒がどれだけの効果があるか気になるところだな!」
直線で突っ込んでくる猪を躱しつつ、横薙ぎに斬りつける。肉に深く食い込む牙は大量の毒液を分泌していた。もう一頭迫る。だが所詮は猪、これも直線に体当たりを仕掛けてくる。同様に斬りつけると、一頭目が倒れているのがキッドの視界に入った。
「マジかよ……、一回斬っただけだぜ?」
二頭目も動きが鈍り、倒れる。
「キッド! 装填終わったわ!」
射線が開けると同時にリンは放つ。頭に直撃した弾頭は中で砕け、五頭目の猪の脳を掻きまわした。
「リン! やっぱりいたぞ! 大物だ!」
その巨体に似つかわしい大きく張り出した牙、白い毛、群れの長だろう。既にこちらを睨んでいる。自動車など簡単に吹き飛ばしてしまうような体躯だ。
大猪は前に立つキッドを狙い駆け出した。キッドに衝突しようとするその瞬間、軌道を変える。
狙いはリンだった。リンはなんとか横に転がり攻撃を回避する。背後からキッドが攻撃するが、振り向いた大猪の大きな牙がそれを阻んだ。頭部に届かない。
その隙にリンが装填したのは以前自動車のボンネットを貫いた榴弾。牙を振りかざし暴れるそいつをよく狙う。
バスン。榴弾は牙に命中した。瞬間、炸裂。硝煙が晴れると、その大きな牙は一本根元からへし折られていた。
「やるじゃねぇかリン! 狙ったんだろ?」
「汚名返上ってところね、足は引っ張りたくないわ。これで斬りやすいでしょ?」
しかしキッドが斬りかかるも、大猪は踵を返し、二人から離れていく。
「逃げたか?」
「……そうみたいね、装填も追いつかないわ。それにしても少し弾の装填に時間がかかりすぎね……、ダイアンに聞いてみないと」
「ともかく骨はゲット出来たんだ、帰ろうぜ」
キッドは鼻歌まじりだ。