17――セイテン
出立。何故夜に出るのか。その疑問にはフォグが答えてくれた。
「ヒトを呼び込むわけにはいかんでな。貴重な自然を破壊されては困る」
それだけドラゴニュートの里ではヒトは毛嫌いされているのだろう。聞いた限り、翼竜の存在を確信し、自然と共に歩んできたドラゴニュートにとっては当然の事なのかもしれない。最初からスチームにいたリンとキッドは慣れてしまっていたが。
数日、ひたすら西を目指す。フォグ曰く、西にある山脈の麓にあるそうだ。
「うむ……妙じゃな」
「私も気になっていたわ」
「何の話だ?」
三人の後ろから時折、気配を感じるというもの。だが足音なども殺しており、ドラゴニュートの感性に引っかからない点から少なくともヒトではない。
「じゃあレインだろ。あいつくらいしかいねぇぜ?」
「以前言ったようにレインは私達の里から消えた身じゃ。今更つけてくる理由がないのお。それに、君達とも知り合いなんじゃろ? だったら尚更じゃ」
こちらが気づいたことには向こうも気づいただろう。暫く待つとする。
ようやく姿を現した。白いくせ毛、白い肌、紅い眼。その腰には鎖で繋がれた二振りの剣を帯びている。
セイテンだ。
しかし、彼女は竜と化したロナルドの腕から放たれた炎に焼かれて死んだはず。
「……」
相変わらず何もしゃべらない。差し出した手には空の小瓶。そう、リン達は傷薬を二つ貰っていたはず。一つはロナルドが使った。となるともう一つをセイテンが使った事になるが、彼女は完全に全身を焼かれていた。ドラゴニュートとはいえ、この回復力は異常の一言。やはりあの傷薬は危険なものなのだろうか。
「ホッホ、二人ともそう私を睨まんでくれ。害をなすような物は入れとりゃあせん。ただ、ヒトには強すぎる、というだけじゃ」
「……それを害っていうんじゃないの?」
「ホッ、どうじゃろうなあ」
「セイテンも来るか? 興味があるから付いてきたんだろ?」
「……」
頷く。
「待ちなさいよキッド。彼女が何者かもわからない、寝首を掻かれるなんてのは勘弁よ」
セイテンが手を差し出す。そこに握られていたのは二振りの剣。セイテンの武器だ。これを渡すから信頼しろという事なのだろう。
「……わかったわよ」
リンは少し不服だがそれを受け取り、腰に下げた。
元々フォグが一人でも行き来できるような道のりだ。危険な野生動物を見かける事は少ない。しかし、スチームからでも蒸気の向こうに見える山脈だが、その麓となると距離こそかなりのもの。
数日歩き、森を抜けたところで、大河に辿り着く。日も傾いてきたところだ。
「じいさん、ここはどうやって渡るんだ? 見たところ橋も無いが」
「狼煙を上げるんじゃ。一日ばかり待とうかの」
フォグは火を起こすと、黒い塊を放り込む。
「今のは何なの?」
「狼の糞じゃな。アレを入れると煙が真っ直ぐ上るんじゃよ」
月が昇り星空が広がる。スチームではまず見ることのできないもの。月はともかく、星などは休みを知らない歯車と立ち上る煙で到底拝めない。
「セイテン、眠らないの?」
温暖期とは言え、夜になれば気温もそれなりに下がる。セイテンは煙の上がり続ける焚火の明かりも届かない場所に座っていた。リンは隣に座る。
「……」
「貴女やジェンゴールはスチーム暮らしだったの? それにしては私達とレイン以外にドラゴニュートがいるなんて聞いたことないけれど……」
セイテンは焚火を見つめたまま首を振る。それはスチーム暮らしではないという事を示している。
「……スチームの近くに人が暮らしている場所なんてあったかしら。それともスラム?」
再び首を振る。スラムではないことは分かったが、ではどこから来たというのか。いや、スチーム近郊には人が暮らしていたかという疑問を否定したのか。
「貴女とジェンゴールはロナルドとは短い付き合いには見えなかった。私達を恨んでいるでしょ?」
セイテンは肯定も否定もしない。リンには、その表情からは何らかの感情を読み取ることも出来なかった。
「……そう、私は寝るわ」
リンは寝床に向かう。セイテンは一人、宵闇の中に過去を思い出していた。
彼女が物心ついた頃には既にジェンゴールと共に旅をしていた。そして出会ったその男にセイテンは恐怖を覚える。まるで野心が服を着たかのような存在。夢想家。スチーム東で食事をとっているセイテン達の前に現れた男は徐にこう言った。
「私と共にこのスチームを取りませんか?」
はっきり言ってセイテンに興味は無かった。だがジェンゴールはその話が気になったらしい。元々権力とは正反対にいるような放浪の身。セイテンが物心ついた時から共に旅を続けていたジェンゴールは、何処かに腰を据えることも考えていたようだ。
「面白れぇこと言うじゃねえか若造。お前に何ができる?」
「言った通りです。私ならばここの権力全てを握ることができる」
「はんっ、言うだけなら誰でもできるぜ?」
「……いいでしょう」
男は懐から銃を取り出すと、店の中にいたみすぼらしい身なりの老人に向けて撃った。当然のように撃った。
「スラムの人間の死などいくらでももみ消せる。私はこれ以上の権力を望みます。だが闇討ちばかりはどうしようもありません」
「……根無しの俺達にそれを頼むとは大きく出たもんだな」
「根無しだからこそ、です。“ドラゴニュート”の純粋な味方が欲しい」
「何故知ってる? まあいい。……見返りは? ただの金なんかじゃあ俺達は簡単に裏切るかもしれねえぜ?」
「ここに住む権利を与えましょう。子連れでいつまでも旅とはいかないでしょう?」
「……アッハッハッハ! 面白れぇ! 俺達がここに住みたがると思ってんのか?」
ふん、なかなか痛いところを突きやがる。ジェンゴールはそういうと、酒をあおる。
「セイテンはどう思う?」
今までジェンゴールはそのようにセイテンに聞いた事は無い。つまり、それだけ真剣に考えているという事だ。セイテンはジェンゴールがいるならば大丈夫だろうと考える。頷いた。
「決まりだ。若造、名前は?」
「ロナルドと申します」
それが何時になるのかセイテンは憶えていない。だがそれが初めてロナルドに会った日の事だ。
それからセイテンは様々な殺しをした。戦い方は知っていたし、ドラゴニュートの感性ならヒトに劣る要素は無い。
元々殺しに抵抗は無い。セイテンはそう育てられてきたからだ。スチームではドラゴニュートはあまり一般的ではないらしく、凄腕の、ヒトの範疇で見れば凄腕の暗殺者が現れたと噂が広まっていた。
結果的に、邪魔者を全て潰してきたロナルドはその手に持つ権力を見る見る大きくしていった。周囲に人は寄り付かなくなったが、それも彼の視界には入っていないのだろう。彼は昇り詰めていく。
以前、ロナルドに会うよりもずっと前にセイテンは、ジェンゴールと互いに死んだらどうするかを話したことがある。
その時ジェンゴールは彼女の事を心配していた。一人になるのではないか、という内容だっただろうかとセイテンは記憶している。ジェンゴールは、俺が死ぬのはたぶん俺が悪い時だろう、とその時は言った。そもそもセイテンはジェンゴールの心配などしていない。彼女はジェンゴールの判断を疑った事は無いし、間違えてきたとも思っていない。
しかし、その日はやって来た。
セイテンはキッド達を恨んではいない、のだろう。ジェンゴールが死んだということはジェンゴールがきっと何か間違ったことをしていたから。ロナルドも敵を増やし過ぎた。殺しが敵を作ることだという事くらいセイテンは理解している。
それから一人で考える時間がセイテンには充分にあった。
ロナルドと初めて会った日、彼が撃ち抜いた老人は何か間違っていたのだろうか。セイテンの記憶通りならロナルドは頷くだろう。ならばジェンゴールはどうだろうか。セイテンとジェンゴールは旅先で人と関わるようなこともしてこなかった。であればその判断に困ることもないだろう。
セイテンは思案を閉じる。彼らはもう死んだ、過去の話だ。