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第7話


「今の話……本当なのか? 仕事は全部ミナがしていたって……。それに、給金も」

「ハンス!」


 そこにいたのはハンスだった。挙動不審な様子で、二人の事を見つめている。


「そんなの嘘よ! 全部ミナのでたらめだわ!」

「けど、君も認めてたじゃないか。嘘なら嘘って言うはずだし……」

「びっくりしただけで、認めてなんかないわ。信じてちょうだい、ハンス!」


 ひしっとソフィアにしがみつかれても、ハンスはこの間のように反応しない。むしろ、居心地悪そうにミナの方をちらちらしている。

 なんだその目はと思ったが、ソフィアが離れてほっとした。


「その……ミナ? 今の話は本当かい?」

「……ええ、そうね」


 一瞬ためらったが、今さら隠してもしょうがないと腹をくくる。


「嘘つかないでよ、ミナ!」

 ソフィアが叫んだが、ハンスによって押さえ込まれる。


「ソフィアは黙っててくれ。あの……ミナ、もうひとつ聞きたいんだけど、君の勤務時間が鐘ひとつ分早かったのって……」

「ソフィアに言われた時間が違ってたの。もう本当のことが広まってるの?」


 その質問に、ハンスはあいまいに頷いた。


「団長に君が言ったこと、真実なんじゃないかって話になって……。ソフィアはいつまで経っても料理を作らないし、掃除も、洗濯も……ミナがいなくて落ち込んでるって言ってたけど、さすがにおかしいって誰かが言い出して……」


 聞けば、料理は全滅、掃除はやらない、洗濯は汚れが落ちていないか、しわだらけでぐちゃぐちゃ、あるいは生乾きで、ろくにたたみもしていない。

 帳簿の記入もミスだらけ、とどめに、軽食にと用意されたパイが生焼けで、食中毒が出たらしい。ちなみに、中身は生魚だった。それを聞き、(うわぁ…)と全員が身震いする。


「繕い物も……君がいなくなってから、仕上げるのはせいぜい三つか四つで、それもめちゃくちゃな縫い目だったし……」

「そう……」


 ソフィアが告白するまでもなく、真実が明らかになっていたというわけか。

 自分が仕事を辞めて二か月。意外と早かったと思うか、思ったよりも遅かったと思うかは人それぞれだ。


「その……今さらこんなことをと思われるかもしれないけど……前に聞いた話、まだ有効かな?」

「は?」


 目をやると、ハンスはもじもじと身をひねった。気色悪い、と反射的に眉が寄る。


「君が僕を好きって話。ずいぶん遅くなったけど、ようやく言えるよ。僕も君と同じ気持ちだ、ミナ。よかったら僕と結婚してくれないか」

「何言ってるの、ハンス!?」


 ソフィアがぎょっとした顔になったが、ハンスはソフィアを突き放した。


「僕は君にだまされてた。まさか、全部の仕事をミナに押しつけていたなんて。料理も洗濯も、まるでなってない。君が僕のお嫁さんになれるはずないだろう」

「冗談じゃないわ、あんなの全部でたらめよ!」

「君との婚約は破棄する、ソフィア。僕はミナと結婚するんだ。彼女なら僕にふさわしい」

「ふざけないで! そんなの許されるはずないわ。今さら結婚しないなんて、あたしはどうなるっていうのよ。もう仕事も辞めるつもりだったのに!」


 ギャんぎゃん騒ぐソフィアは、普段の彼女とは別人のようだ。そんな姿をわずらわしそうに眺め、ハンスはそっけなく吐き捨てた。


「まだ働けばいいじゃないか。できるかは分からないけど」


 そう言うと、彼はミナに目をやった。


「ごめんよ、ミナ。ソフィアにだまされて、僕は本当の愛を見失ってしまった。君が僕のために料理や洗濯、繕い物をしてくれてたこと、今になって分かるよ。あれは君の愛だった」

「いえ仕事です」

「軽食も、僕の好きなものばかりだった。あれは僕への気持ちだろう?」

「いえソフィアの命令です」

「それに、刺繍! (つがい)の小鳥の刺繍なんて、恋人同士のものじゃないか。あれは照れるよ、本当に」

「いえソフィアに言われたからです」


 何を言っても、ハンスの耳には入らない。ミナが彼の事を好きだと思い込んでいるようだ。清々(すがすが)しいほどの誤解なのだが、その目に迷いがなくてちょっと怖い。


(お似合いだわ、この二人……)


 どちらも人の話を聞かない。

 とはいえ、この先どうしたものだろう。

 さっさと帰ってくれればいいが、この分では難しそうだ。


(いっそのこと、みんなに頼んで、縛り上げてもらって送り返すか……いやいや)


 ちょっといい考えだが、さすがに大事になりすぎる。

 そもそも、これ以上関わり合いになりたくない。

 そんな事を思っていたミナは、急に手を取られてぎょっとした。


「婚約はいつにする? それとも、もう結婚してしまおうか。仕事は今まで通り続けていいけど、僕の方を優先してもらうよ。料理も掃除も、手を抜かれると困るからね」

「ちょっと……ちょっと待って、私はそんなつもりはないから」

「もしかして、ソフィアに遠慮してるのかい? そんな心配はいらないよ。君との関係を邪魔させない。そう、誰にだって――」


 ハンスが唇を近づけてきて、ミナは顔を引きつらせた。

 こうなったら、膝蹴りか頭突きをお見舞いしよう。

 後の事は後で考える。とにかく今は逃げないと。

 覚悟を決めて膝を曲げようとした時、ふいにハンスの顔が離れた。


「――いっ、たたたたっ!」


 悲鳴を上げるハンスの腕をつかんでいるのは、不機嫌な顔をしたアーサーだった。


「彼女から離れろ。そうでないと、腕をひねるぞ」

「団長、言葉の前に行動してます」

「もうひねってます、団長」

「結構な勢いでひねってます、団長」

「かなり痛そうです、団長」


 周囲から突っ込みが入ったが、彼は平然とした顔で言った。


「まだひねってない。ひねったら腕が折れている」

「ひっ……」


 その言葉がはったりでない証拠に、彼の指がぎりぎりとハンスの腕を締め上げている。握りしめる関節の音が聞こえてきそうだ。


「痛い、痛い、痛いっ! 離してくれ、やめろっ!」

「嫌がる女性に口づけするのは問題だ。そうだろう?」

「嫌がってない! 彼女は僕のことが好きなんだ!」

「違うわよ!」


 ミナは真っ赤になって叫んだ。


「あの町を出る時に言ったわよね? あなたのことなんか好きじゃないって。ソフィアに何を言われたか知らないけど、私はあなたを好きじゃない。勘違いしないで」

「そんな、ミナ!」

「たとえ好きだったとしても、あなた、私に何を言ったか忘れたの? 片方の言い分ばかり聞き入れて、私の言葉に耳を傾けようともしなかった男、こっちから願い下げだわ」


 ソフィアとお喋りしていた彼らは、本当に気づかなかったのだろうか。

 あれだけの時間を彼らと共に過ごしていて、仕事が終わるはずないのだと。


 料理を煮込む時間も、洗濯物の汚れを落とす時間も、シーツを取り込む時間もない。その間ずっと、働き回るミナの姿を一度も見かけた事はないのだろうか。


 都合の悪いあれこれに目をつぶり、美しいソフィアと楽しい時間を過ごしていたのなら、彼らにだって責任はある。


「もう二度と来ないでちょうだい。言っておくけど、あなたたち二人を含めた全員よ。分かったらさっさと帰って。二度と顔も見たくないわ」

「でも、このままじゃ掃除も洗濯も……」

「それが本音?」


 じろりとにらむと、彼はビクッ!! と身を固くした。


「い、いや、でも、だけど、君だってみんなが心配だろう? あれだけ世話を焼いてくれたのに、僕らがひもじい思いをしてるとか……」

「あいにくだが、それはない」


 未だにハンスの腕をつかんでいたアーサーが、事もなげに口を開いた。


「彼女はうちの団員を心配して、毎日世話を焼いてくれる。非常に忙しいが、楽しそうに働いてくれている。そちらを気にかける余裕はない」

「な……」


「掃除も洗濯も、団員全員で覚えているところだ。少しでも彼女の負担を軽くするように。料理は……先が長いが、そのうち習得するだろう。繕い物は、これから覚えるところだ。彼女は優秀な教師なので、教え方もうまい」


 淡々と述べるアーサーに、ハンスは目を白黒している。

 ミナにやってもらう事が前提の彼――正確に言えば彼ら――は、手伝うという発想が理解できないらしい。

 こんな男と結婚するのもまっぴらなら、あんな環境で使い潰されるのもまっぴらごめんだ。


「君は隣町の騎士団支部に所属しているそうだな。こちらから、正式に抗議文を届けさせる。上にも報告するから、そのつもりでいることだ」

「そんな、僕はっ……」

「それから、騎士団ぐるみで悪い噂を流す、給金をごまかして着服する、同僚をこき使ったあげく、脅迫とも取れる言葉で縛りつけようとした件、すべて王都に報告する」


 そんな事になれば、彼らのしでかした事が明らかになる。

 ミナだけを不当にこき使っていた事、彼らからの冷たい仕打ち、ソフィアのついた嘘や、(いわ)れのない中傷など。


 彼らもだまされていたという事を差し引いても、最初からソフィアは贔屓されていた。彼らの態度の違いが、ソフィアを助長させたのも事実だ。


 ソフィアにだけ話しかける嬉しそうな顔、ソフィアにだけ向けられるやさしい言葉、ソフィアにだけ渡される花や小物、ソフィアにだけお裾分けされる高価なお菓子。思い出せばまだまだある。


 そして、最後の日に見せた冷たい視線。


 最初のころはともかく、あれが決定的だった。

 だから、必要以上の同情はしない。


「これ以上の醜態を見せる前に、さっさと帰れ。――ああ、それと」

 そこで彼はハンスの腕を突き放し、ミナの指先を代わりに取った。


「彼女の隣は決まっている。二度と触れるな」

「なっ……」


 先ほどとは別の意味で、ミナが耳まで赤くなる。

 まったく動揺していないアーサーは、そう言うと軽く顎をしゃくった。


「町の外まで案内してやれ。くれぐれも、丁重にだ」

お読みいただきありがとうございます。あと1話です。


*雑用で雇われたのは確かですが、彼らは余分な仕事まで上乗せしていました。

ソフィアが断らない(正確に言えば、ミナが断れない)のをいい事に、ちゃっかり丸投げしていたので、せめてその分は手伝ってほしいというのが本音です。


ミナがいなくなり、彼らは相当苦労したのではないでしょうか。

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