第5話
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あれから二か月が経った。
「おーい、こっちの靴下、また穴が空いたんだけど」
「消耗品の申請、ここの机で構わないか?」
「あー腹減った。今日の夕飯何?」
ざわざわと騒がしい騎士団の兵舎。
その中央にいた女性が、額ににじんだ汗をぬぐった。
「靴下はそこに置いておいて。消耗品はそうね、あっちの棚にお願い。夕飯は鶏肉とキノコのシチューよ。焼き立てのパンは食べ放題、サラダと揚げ物、それからデザートのプリン付き」
「さっすがミナ!」
わっと歓声が上がり、彼らが一気に盛り上がった。
「いやー、まさかこんな有能な人に来てもらえるとは思わなかった。ほんとにありがたい、大感謝だよ」
「ミナが来てくれてから、生活環境が格段に良くなったもんな。特に飯が最高。毎食毎食、マジで旨い」
「おおげさよ、もう」
「そんなことないって。……でも、いいのかな? せっかく隣町の騎士団にいたのに」
窺うように騎士のひとりに見つめられ、ミナは苦笑した。
「いいも何も、クビになったのよ。事情は説明したでしょう?」
「したけどさぁ……」
まだ信じられないと話す彼は、ミナの料理が大好物だ。しょっちゅうリクエストされるのだが、その分手伝いもしてくれる。残りの面々も似たようなもので、毎日騒がしい事この上ない。
けれど、にぎやかな人々に囲まれるのは、悪くない心境だった。
「それにしても、驚きだな。こんな優秀な人間を手放すなんて」
別のひとりが理解できないといった様子で首を振る。
「そんなことないわ。前はほぼひとりでやってたもの」
「この作業をひとりで!? うわ、信じらんねぇ」
ぎょっと目を剥く別の彼は、ミナよりやや年上だ。彼もミナの料理が大好物で、特に甘いものに目がない。前に作ったラズベリータルトを食べた時、感動のあまり硬直していた。
(ほんと、作り甲斐があるわ……)
彼らと出会ったのは偶然だった。
あの後――。
ソフィア達と別れ、ミナは自分の家へと向かった。
家と言っても、住んでいるのは間借りした一部屋だ。家族は田舎に住んでいて、今すぐには頼れない。
洋服は数枚、食器と小物に家具が少し。本が数冊と食料品。ミナの荷物はこれだけだ。
机と椅子は、もったいないが置いていく。食品は迷った結果、できるだけ調理していく事にした。場合によっては、近くの人々にふるまう事になるだろう。
部屋の解約を手早く済ませ、持って行けない家具の処分を頼む。事情を説明すると、大家は気の毒がって、すべて買い取ってくれた。それほど貯金のないミナにとって、この臨時収入はありがたかった。
無心で大量の料理を作り、その合間に荷造りする。貯金も整理し、小分けにして身に着けた。支度が全部終わったのは、夜明け近くの事だった。
騎士団の交代時間を待って、町の外に出る。元々、外から入る人には目を光らせているが、出て行く人の警戒はされない。女ひとりならなおさらだ。
ここから隣町まで歩いて二日。根性で歩き通すつもりだったが、そんな時に出会ったのが、行き倒れていた彼らだった。
「まさか途中の森で、隣町の騎士団の人が倒れてるとは思わなかったわ。おまけにその理由が、お腹が空きすぎたからなんて」
「いやー、俺たちもまさか動けなくなるとは思わなかった。マジで最悪の環境だったもんな、俺たち」
「掃除も洗濯もあれだったけど、食事がな……。とりあえず塩ぶっかけて火つけとけばなんとかなるってやつばっかで」
「練習すればするほどひどくなったんだよな。あれはほんとに不思議だった」
彼らがうんうんと頷き合う。
ミナの料理をあっという間に平らげた彼らの話を聞くと、どうやら隣町の騎士団でも雑用係を募集しているようだった。なんでも、すぐに働き手が辞めてしまい、非常に困っているという。もしよかったら来てくれないかと誘われて、ミナは一も二もなく飛びついた。
働き始めてみると、彼らの兵舎はすごかった。
まさに、魔窟。
男所帯の惨状に慣れているミナでなかったら、とっとと放り出していたかもしれない。だがその状況でも、彼らはひどく感じが良かった。
ミナの作る料理を絶賛し、掃除を手伝い、洗濯を学び、その都度感謝の言葉をくれる。繕い物を仕上げるたびに「ありがとう」と笑顔を向けてくれる。軽食は取り合い、何を作っても喜んでくれる。たまに焼き過ぎたり、今ひとつかなと思う味つけでも、基本的には褒めてくれる。
そして何より、彼らはミナをいたわってくれる。
おかげで、荒れていた指先はすっかり治り、肌もすべすべ、身だしなみを整える余裕もできた。花や小物をプレゼントされる事もあり、一度などはハンドクリームをもらった。曰く、「いつもお世話になってるお礼」だ。信じられない、嬉しすぎる。
そんな待遇の上、給金は前の職場の二倍(銅貨八枚)なのだ。聞けば、「これだけ仕事をこなす人間の相場としては安いくらい」らしい。
――もう絶対にどこにも行きたくない……。
そう考えるくらいには、居心地の良い職場だった。
料理ができるのを待っていたひとりが、やれやれとばかりに首を振る。
「そもそも、団長がいけないんだよ。団長目当ての女の子が多いからって、女性禁止って決めたから」
「そうそう、団長が悪い。自分なんて卵もまともに割れないくせにさぁ」
「顔がいいと大変だよな。顔しか良くないけど」
「むしろ顔だけは良すぎるくらいにいいけどな」
「――何か言ったか」
背の高い青年が現れると、彼らはひゅっと口をつぐんだ。
「毎日毎日、騒がしい。彼女に迷惑をかけるな」
ソフィアよりも鮮やかな金髪に、ソフィアよりも美しい青の瞳。一瞬で目を奪われるような美貌の主が、魔獣もひるむような目つきでこちらを見る。
「い……いえ、大丈夫です」
首を振ったミナに、彼は整った眉をひそめた。
「気を遣わなくていい。ところで、今日の献立は?」
「あ、鶏肉とキノコのシチューと……」
「焼き立てのパンがあります、団長!」
「サラダと揚げ物とデザートもあります、団長!」
「デザートはプリンです、団長!」
「ついでにパンは食べ放題です、団長!」
次々に声がかけられて、団長と呼ばれた彼は眉間のしわを深くした。
「……お前たちには聞いてない」
「あっミナとお喋りしたかったんですね、団長!」
「献立をきっかけにお喋りしたかったんですね、団長!」
「女の子とお喋りするために頑張ったんですね、団長!」
「涙ぐましい努力です、団長!」
「お前ら……」
団長の背後に怒りの炎が見える、と思ったところで、彼は無情に言い放った。
「今から腕立て伏せ百回、腹筋百回、背筋百回、スクワット千四百五十回。終わった者から夕食だ」
「えー!?」
「ひどい、腹減ってるのに!」
「鬼、悪魔、団長!」
「つかスクワットだけ数おかしくないですか!?」
ぎゃあぎゃあと彼らが文句を言う。だが彼に動じる様子はない。
「うるさい。さっさと行け」
眼光のひとにらみで全員を追い払うと、彼は打って変わって穏やかな表情になった。
「うるさくてすまない、いつも」
「大丈夫です。みんな手伝ってくれるし、助かってます」
「それならいいが」
真顔で頷かれ、ミナはどぎまぎして目をそらした。
彼――隣町の騎士団支部団長である、アーサー・オブライアン。
以前の職場と違い、こちらは王都直轄だ。格も上になるという。彼は事情があってこちらに配属されたが、かなり優秀なのは間違いなく、この町の犯罪件数はほぼゼロだ。
ひるがえって、日常生活にはあまり頓着しないようで、ミナが来る前の彼らの生活はかなり悲惨なものとなっていた。
そこに現れたのがミナだ。
最初は半信半疑だったアーサーも、すぐにミナの働きぶりを理解したらしく、即日雇う事を決めてくれた。他の団員が喜んだ事は言うまでもない。
何よりも歓喜したのがミナだ。
住む場所がないというミナに、アーサーは兵舎の一角を貸し与えてくれた。しかも、雑用係という名目上、無償でだ。さすがに申し訳ないと言ったものの、問題ないと押し切られれば、それ以上は言えなかった。
(ほんとにありがたい……天国みたい)
やさしい仲間達に囲まれて、仕事は楽しく、新しい料理に挑戦もできる。軽食の種類も格段に増え、甘いのからしょっぱいの、スコーンにパイに揚げ菓子など、彼らを喜ばせるためのメニューも豊富だ。
ちなみに、アーサーが好きなのはドライフルーツ入りのパイらしい。中にハチミツをたっぷり詰めたのがお気に入りで、三回もお代わりしていた。
彼らのためにできる事を、もっとしたい。
居心地よく過ごせるように、おいしいものが食べられるように。
そんな風に思えるようになったのが、一番の収穫かもしれなかった。
「あのー……、ミナ?」
そう思っていると、腕立て伏せに行ったばかりのひとりが戻ってきた。
「えっと、お客さんなんだけど……どうする?」
「お客さん?」
「あー、そのー……友達? かな?」
「友達」に「?」をつける理由が分からなかったが、ミナはとりあえず頷いた。
「分かった。すぐ行くわ」