第3話
それからも、ソフィアは仕事を怠けていた。
掃除は適当、料理もやらない。彼女の分担をやり直しているのはミナだ。洗濯と繕い物だけはしているようだが、とてもそれでは追いつかない。
(毎日シーツ二十枚、着替え六十枚、靴下六十枚か……)
このうち半分がミナの割り当てだ。毎日シーツ十枚、着替え三十枚、靴下三十枚を洗っている。苦情が出た事は一度もないから、ソフィアも真面目にこなしているらしい。
それから帳簿。こちらは少し厄介で、慣れるまでに時間がかかった。簡単な記入だけという事だったのに、面倒な作業や複雑な計算が必要なものまで任されて、約束違反すれすれだ。
そのうえ、ソフィアは気軽にお菓子や軽食のリクエストを引き受けて、ミナに丸投げしてくるのだ。
(ほんとに納得いかない……)
こんな時ばかり調子よく頼まれても、まったく嬉しくない。
それでいて、ミナと顔を合わせた時の彼らはよそよそしい。いや、そっけないと言ってもいい。
便利な道具のようにこき使われて、ソフィアとあからさまに差をつけられて、感謝の言葉ひとつない。それで楽しい人間がいたら顔を見たい。
(次の仕事が見つかれば……)
だが、そう簡単に割のいい仕事は見つからない。
悔しいが、ここで我慢して働き続けるしか道はない。
(ああもう、ストレスがたまる……!)
機会があったら絶対言おうと思ったが、機会がなくても言ってやりたい。
そう思い、ミナは拳を握りしめた。
***
***
――だが、その機会は意外と早く訪れる事になった。
「悪いんだけど、辞めてくれないか」
「は……?」
一月後。
急に呼び出されたミナを待っていたのは、ソフィアの兄である団長だった。
「団員から苦情が出てる。毎日仕事もせず、遊び惚けている雑用係がいると」
「ま……待ってください、どういうことですか?」
「どういうことも何も、そういうことだろう。彼らに聞いたが、君は何も仕事をしていないそうじゃないか。ソフィアの友達ということで雇ったが、その地位を利用して、好き放題にしていると。さすがに目に余る」
「そんなはずありません。私はちゃんとやっています」
ミナが働いていたのは、ソフィアだって知っている。それどころか、仕事の大半を引き受けていたのはミナだ。
ソフィアがやりたがらない作業や、面倒な仕事も押しつけられ、ミナの負担は増える一方だった。最近では刺繍や夜食まで頼まれて、さすがに困惑していたところだ。
だがそれを言うと、彼の視線が鋭くなった。
「なるほど。君は相当に面の皮が厚いようだ。まさかここまで言われてもまだ認めないとはな」
「え……?」
「もう全部分かってるんだ。これ以上、みっともない言い訳をするのはやめたらどうだ」
じろりとにらみつけられ、その眼光に体がすくむ。
けれど、ここで引き下がるわけにはいかない。ぐっと手を握りしめ、必死にミナは訴えた。
「違います! 仕事のほとんどは私がしていました。ちゃんと確かめてもらえば分かります。掃除も、洗濯も、料理だって……!」
そうだ、料理とミナは思い出した。
「食事は全部私が作っていました。疑うならソフィアに聞いてください! ソフィアなら証言してくれます」
だがその瞬間、彼のまなざしが一層きつくなった。
「聞いたとも。妹は言いたくなさそうだったが、無理やり聞き出したんだ。ソフィアが証言してくれたよ。あれを作っていたのは自分だと」
「なっ……!?」
「君はソフィアを脅して、あの子の手柄を横取りしていた。ソフィアが悲愴な顔で教えてくれたよ。友達だから黙っていたけれど、ずっと苦しかったと」
「待ってください、何……」
「掃除も洗濯も、ソフィアが全部やっていた。君の言う料理も、作っていたのはソフィアだろう。団員全員が証言してくれたよ。配膳をしてくれるのはいつもソフィアで、君の姿を見たことはないと。心当たりはあるだろう?」
「それは……」
確かに配膳したのはソフィアだが、彼女のした事はそれだけだ。
材料を洗って切ったのも、大量の皮をむいたのも、とろとろになるまで煮込んで味つけしたのも、全部ミナのした事なのに。
「それだけじゃない。君は繕い物までソフィアに押しつけていたそうだな。毎日麻袋に一杯分、ひとりでやるのがどれだけ大変なことか、君は考えたことがあるか?」
「は……?」
今度こそミナはぽかんとした。
(麻袋に一杯って……)
それはミナがしていた仕事だ。
何かの間違いか、それとも彼の勘違いか。――いや、そもそも。
「……二杯じゃないんですか?」
「何を言っている? 麻袋に一杯、それが一日の平均だ。洗濯だってそうだろう。毎日シーツ十枚に、着替えが三十、靴下が三十。二人でやれば半分なのに、ほとんどソフィアがやっていたそうじゃないか」
(待って待って待って)
あまりの混乱に、ミナは頭を抱えそうになった。
彼の言う仕事量は、ミナひとりで毎日こなしていたものだ。
百歩譲ってソフィアも行っていたとして、なぜ数が半分になる?
――まさか。
その瞬間にミナは理解した。
(だまされてた……?)
自分の分の繕い物までミナに押しつけ、洗濯もちゃっかり上乗せしていた。
ソフィアが席を外す時間が長かったから、その間にやっているのだとばかり思っていた。けれど、もしかしたら彼女はずっと、騎士達とお喋りに興じていただけだったのでは?
もしそうなら、彼女に繕い物をする時間などあるはずがない。
それどころか、今の話が本当なら、ミナの仕上げた大量の繕い物はどこへ行ったのか。
――確認が済んだら渡しておくわね。
微笑むソフィアの顔が脳裏に浮かぶ。
彼女は確か、いつもそう言っていた。
けれど、ソフィアが繕い物を仕上げている姿を見た事は一度もない。
呆然と団長の顔を見ると、彼は憎々しげな顔になった。
「ソフィアは毎日繕い物を手渡してくれた。君の顔は見たことがない。洗濯物も、届けに来てくれるのはいつもソフィアだ。君は何をしていたんだ?」
「それも、私が……っ」
「いい加減にしろ!」
すさまじい勢いで怒鳴られて、ミナはびくりと身をすくめた。
「仕事を怠けていただけじゃなく、ソフィアに負担を押しつけて、そのソフィアを悪者にするなんて。信じられないくらい性悪だな、君は。ソフィアとは大違いだ」
「そんな……私は……」
「君と違って、ソフィアは彼らから信頼されてる。毎日の食事だけじゃなく、簡単な軽食まで作ってくれると。その軽食もおいしくて、素晴らしいと評判だ。我が妹ながら誇らしい」
(待って)
何か言いかけた言葉が喉で詰まった。
待って、待って――待って。
(その軽食だって、私が……)
だって、ソフィアは言っていた。
――みんなが喜んでたわ。ありがとう、ミナって。
けれど、考えてみたら、彼らから直接お礼を言われた事は一度もない。
それどころか、彼らが食べる姿を見た事もない。持って行ったのはソフィアだから。
もしかして、あのころからだまされていたのだろうか。
いや、もしかすると、最初に雇われた日からずっと――?
目の前が暗くなる気がして、ミナは小さく首を振った。
「……それでも、作ったのは私です」
「まだ言うのか、君は」
呆れた顔になった団長が、露骨な軽蔑の視線を向けた。
「さすが、勤務時間を守らない人間は厚かましい。毎日早退しているのは、騎士団の人間も知っているぞ」
「え……?」
「なんだ、君も知っているだろう。朝八つの鐘が始まりで、夜七つの鐘が終わりの時間だと。君は鐘六つから六つ半くらいで帰っている。悪びれもせず、彼らに挨拶までしてな」
ソフィアから言われたのは、朝七つの鐘から夜六つの鐘までだ。
実際には仕事が押して、夜六つの鐘で帰れる事はほとんどない。鐘ひとつ分遅く来るソフィアが代わっているのだとばかり思っていた。
だがそれを震える声で言うと、「そんなことが信じられると思うのか」と冷たく返された。
「雇う際にソフィアが伝えたはずだ。あの子が間違えているはずがない」
「嘘じゃありません。だから、ソフィアに――」
「それもソフィアに聞いている。まだ駄目だと言っても、知らん顔して帰ってしまうのだと。残ったソフィアがひとりで食事の支度をして、たまった仕事を片づけて、疲れた彼らを出迎えているんだ。まったく、君みたいな相手に毎日銅貨四枚も渡していたのだと分かったら――」
「はっ!? 四枚!?」
ぎょっとして叫んだミナに、団長は怪訝な顔を向けた。
「ソフィアから聞いているだろう。一日当たり、銅貨四枚。それが君の給金だ」
「三枚じゃないんですか?」
「四枚だ。ソフィアから渡されているはずだが」
勤務が始まって三か月、ミナが受け取った給金は一日銅貨三枚だ。差額の一枚はどこへ消えた?
「……私は銅貨三枚しか受け取っていません」
「まだそんなことを言うのか? ソフィアが抜き取ったとでも言うつもりか」
「分かりません。でも、私は三枚しか受け取っていません」
ここでなあなあにするわけにはいかない。せめて給金の分の誤解だけでも解いておかなければ、彼の心証は最悪だ。
いや、今でもすでに最悪な気はするけれど。
「もういい。今すぐクビにと言いたいところだが、ソフィアが懇願するんでな。しばらくは怠けていた仕事分、無給で働いてもらおうか。それが済んだら君はクビだ。いいな」
「待ってください、そんな一方的な……」
「これでも十分に温情をかけているつもりだ。本当なら町の人の前で晒し者にしてやってもいいんだぞ」
それでもいいのかと、団長が凄んだ目つきで言う。
「仕事はしない、遊び惚ける、人の手柄を横取りする。おまけに、嘘をついてソフィアを貶めようとするなんて。本当に最悪な女だな、君は。ハンスに気があるようだが、彼はソフィアと婚約した。言っておくが、邪魔しようとは思わないことだ」
「婚約……?」
「あの子はここを辞めて、ハンスと暮らすことになるだろう。新しい雑用係を雇うまでの間、君の手も必要だ。そう言って大事にしなかったソフィアに感謝することだな」
そう言うと、団長は腕組みする。
彼が身に着けているシャツも、ミナが繕ったものだ。上着もシャツもミナが洗い、この部屋もピカピカに磨き上げた。朝食も昼食も、毎回きちんと用意した。夕食も、翌日の後片付けもだ。
ソフィアでなく、ミナが全部やってきた。
どんなに大変でも、誰にもいたわってもらえないまま。
――それなのに。
「指示はソフィアが出してくれる。あの子の言うことを聞いて、くれぐれも迷惑をかけるなよ」
ああそれと、と彼は付け加えた。
「勝手に辞めるならそれでもいいが、他の仕事が見つかると思うなよ。君の悪い噂は広めておいた。この町で暮らす以上、君の働く場所はここしかない」
「そんな……」
それでは、騎士団を辞めて暮らしていく事も難しい。
「後でソフィアに謝っておくことだ。いいな」
そして彼は冷たく「出て行っていい」とミナに告げる。
ふらつく足で、ミナはその場を後にした。