第2話
***
ミナの朝は早い。
「おはようございまーす……って、誰もいないわね」
騎士団といっても、本格的なものではない。
あくまでも王都から委託される、町の警備兵的なものである。基本的には三交代で、昼夜問わず近くの兵舎に詰めているが、ミナとは顔を合わせない。
調理の際は厨房にいるし、部屋の整理やシーツの交換など、必要がある時は無人の内にと言われている。朝食や昼食の用意はするが、それだけだ。
朝食も昼食も、持って行くのはソフィアと決まっている。戻ってきたソフィアに、
「みんながお礼を言ってたわ。ありがとう、ミナって」
と言われるので、味は及第点らしい。
夕食の時間はまちまちだが、夜七つの鐘が鳴るより早かった事はない。
ミナの仕事はそれより早く終わるので、彼らとは時間が合わないのだ。
毎日親しげにお喋りしているソフィアと違い、騎士団の人間と話した事はほとんどない。
けれど、最近では彼らの視線が冷たい気がして、少しだけ不思議だった。
(まぁ、最初からソフィアばっかりちやほやしていたものね……)
扱いに差をつけられるのは今さらだ。
文句を言っても、こちらがみじめになるだけだろう。
気にしない気にしないと、頭を振って振り払う。
流しを見ると、大量の皿が積み上がっている。まずはこれを片づけなければと、ミナは腕まくりした。
(もう少しソフィアが早く来てくれるといいんだけど……)
ミナとは違い、ソフィアの勤務時間は遅い。ちょうど鐘ひとつ分、陽が完全に上ってからだ。
朝がゆっくりできる分、終わりの時間も遅くなる。
どちらかといえば、ミナもそちらの方が楽だ。
朝は洗濯物がたまっているし、部屋もかなり散らかっている。ソフィアが帰った後、残っているのは男ばかりだから、そうなるのも仕方ない。
一度、やんわりと改善を申し出ようとしたが、ソフィアに「駄目よ」と止められた。
「せっかく雇ってもらったのに、怒らせたらクビになっちゃうわ。あたしもすっごく大変だけど、なんとかやれてるんだもの。慣れれば平気よ、きっと」
「でも、予定の倍近くも仕事があるなんて聞いてないわ。せめてもうひとりくらい雇っても……」
「無理なものは無理よ。仕方ないわ」
それで会話は終わってしまい、結局、忙しい毎日が続いている。
ソフィアがやってきたのは、朝八つの鐘を少し過ぎたころの事だった。
「おはよう、ミナ。今朝も早いわね」
「遅刻よ、ソフィア」
「いいじゃない。その分残業しておくわよ」
欠伸を噛み殺しながら、ソフィアは近くの菓子をつまんだ。
「ちょうどいいわ。ソフィア、お芋の皮をむいてくれる? 今日はまだ忙しくて、食事の支度ができてないの」
「えー、嫌よ。あたしだって忙しいの」
唇を尖らせ、ソフィアがもうひとつ菓子をつまむ。ちなみに、それもミナの手作りだ。
「今は忙しくて、とても手伝えないわ。それよりも、繕い物は終わったの?」
「ええ、まあ。そこの麻袋に……」
入ってる、と言った時にはもうソフィアの手が伸びている。袋を手に取り、ソフィアはそれを自分の側に置いた。
「じゃあ、確認が済んだら渡しておくわね。お疲れさま」
「ソフィアも半分やってるのよね? いちいち確認しなくてもいいと思うけど」
「仕事は完璧にしておきたいの。なんたって、あなたを紹介したのはあたしだもの」
そういうものかと思ったが、毎度確認するのは大変そうだ。せめて自分で渡すと言うと、「いいわよ、そんな」と断られた。
「あたしがやっておいてあげるから、心配しないで」
「でも、悪いわよ」
「いいんだってば。それよりも、食事の支度をしてちょうだい。もちろん、お芋の皮むきもね」
にこやかに言われ、そういうものかとため息をつく。
だらだらとミナのそばで時間を潰していたソフィアが、ふいに耳をそばだてた。
「ちょっとそれ貸して、ミナ」
「え、何?」
「いいから、あっち行ってていいわよ。少し休んでて」
そう言うと、ミナの持っていたレードルを引ったくり、今まで自分のいたソファに押しやる。目を白黒させていたものの、朝来てから一度も腰を下ろしていない事を思い出し、ミナは戸惑いつつも頷いた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
言われた通り、部屋の隅のソファへ行くと、どやどやと外で足音がした。
「あー、腹減った」
「いい匂いだなー」
「今日のメシ何?」
どうやら交代の騎士が戻ってきたらしい。出迎えようとすると、「いいから、休んでて」と強引に座らされる。
「みんな、お疲れさま! ご飯できてるわよ」
厨房から顔をのぞかせたソフィアに、彼らがわっと歓声を上げた。
「さっすがソフィア!」
「いつもありがとう、助かるよ」
「悪いなぁ、ほんとに」
口々に言う彼らに、「いいのよ」とソフィアが笑う。
「みんなが喜んでくれて嬉しいわ。いっぱい食べてちょうだいね」
(えー……?)
今のセリフはまるで、ソフィアが作ったようではないか。
何か言おうとして、「ほんとにやさしいな、ソフィアは」という声に口をつぐんだ。
「美人な上に料理上手で、女らしくてさ」
「今度デートしてくれよ。なあ、頼むから」
「バーカ、お前なんかにソフィアがなびくかよ」
口々に賞賛の言葉を浴びて、ソフィアははにかんだ顔になった。
「みんな、それくらいにしてちょうだい。それよりも、手は洗ったの? すぐに持って行くから、待っててね」
「……ちょっと、今の何?」
厨房へと戻ってきたソフィアに聞くと、彼女はうふふと微笑んだ。
「あたしだってかき混ぜたんだもの、あれくらいいいでしょ? ちょっと言い方は間違ったかもしれないけど」
「あれじゃ、ソフィアひとりで作ったみたいじゃない」
「そんなことないわよ。雑用は二人いるんだから、二人で作ったと思われてるはずよ」
「そうかもしれないけど……」
なんだか釈然としない。
そもそも、作ったのはミナであり、二人で作ったというのもおかしな話だ。
眉を寄せると、ソフィアが唇の端を上げた。
「そんなにむくれないで。可愛い顔が台無しよ、ミナ」
「誰のせいよ」
「いいじゃない、料理が得意なのはミナだもの。褒められてるのはあなたよ」
「そういうことじゃなくて……」
他人の手柄を横取りするような言動が問題なのだが、ソフィアは意に介さなかった。
まだ釈然としない様子のミナに、「何よ、文句でもあるの?」と顔をしかめる。
「嫌なら辞めてくれてもいいのよ。どうするの?」
腕組みをしたソフィアが脅すように言う。
「それは……」
ぐっと押し黙ったミナに、ソフィアがにんまりと笑みを浮かべる。
「文句がないなら、いいわよね。いちいちうるさく言わないで」
「……なら、これからはソフィアもやってくれるのよね?」
「はぁ? なんであたしが?」
ミナの言葉に、ソフィアは心外そうな顔になった。
「あなたがやればいいじゃない。あたしは料理なんてできないし、やりたくもないわ」
「そんな……」
「心配しなくても、お給料は払うわよ。それで文句ないでしょう?」
肩をすくめ、ソフィアは大鍋を持って部屋を出て行く。すぐに向こうの部屋で歓声が聞こえた。
(そういえば……)
料理の配膳を担当するのはソフィアだった。
ハンスと話したいのと頼まれたため、特に気にせず了承したが、もしかするとこのためだったのだろうか。
やられたと思ったが、どうにもならない。
ソフィアの言葉通り、彼女に逆らう事は難しい。
何もしていないソフィアに手柄の半分を横取りされるのは癪だが、余計な波風を立てたくない。
ここは我慢するべきか、それとも。
(……機会があったら絶対言おう)
内心でそう思いつつ、ミナは流しの片づけを始めた。