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第1話


 山と積まれた洗濯物。

 食べ散らかされた大皿に、あふれるほどの(つくろ)い物。

 汚れだらけの床と壁、帳簿に必要な大量の書類。


「…………はぁ……」


 思わずため息をついたミナに、横にいた少女が眉を上げた。


「何よ、うっとうしいわね。ため息なんかつかないでよ」

「そう思うなら手伝って。半分はソフィアの仕事でしょう?」


 ミナの言葉に、ソフィアと呼ばれた少女は(あご)をそらした。

 ふんわりした金髪をゆるく巻き、目の色は鮮やかな濃いブルー。流行のドレスに身を包んだソフィアは、誰もが羨む美少女だ。ばっちりと化粧を施した顔で、ソフィアはつんと横を向いた。


「あたしには他の仕事があるもの。ミナは雑用が得意なんだから、あなたがやればいいじゃない」

「仕事って、髪を整えてるだけじゃない」


 そう言うと、ソフィアは目を吊り上げた。


「きちんとした格好をしていないと、騎士団のみんなに失礼でしょ? ただでさえ騎士団は女性の数が少ないのに、たった二人の女の子のうち、あんたが地味で冴えないんだから」

「そんな言い方しなくても……」


「あたしが誘ってあげなきゃ、こんな条件のいい仕事は見つからなかったのよ? 騎士団の支部での雑用なんて、安全で待遇もいいじゃない」

「それはそうだけど……」


 だが、当初の予定よりも、仕事の量が格段に多い。

 友人のソフィアに仕事を持ちかけられたのは、今から三か月ほど前の事だった。


 騎士団での雑用をしてくれる女性を募集している。

 仕事内容は掃除に洗濯、食事の支度。それから、ごく簡単な帳簿の記入。通いでいいから、週五日ほど頼みたい。時間は朝から夕方まで。基本的に残業はなし、週末は別の人を頼むから、料理の作り置きだけしてほしい。


 給料は一日銅貨三枚。銅貨二枚半くらいが相場だから、そう条件は悪くない。

 けれど、蓋を開けてみれば、色々と予想外の事があった。


「思ったよりも仕事が多いし、掃除も洗濯も、予想の倍くらいあるんだもの。ひとりじゃぜんぜん終わらないわ。ソフィアだって雇われてるんだから、せめて半分はやってちょうだい」

「あたしの分は終わったもの。これ以上仕事したら、手が荒れちゃうわ」


 そう言って、スラリと細い手をかざす。

 この仕事が始まってから、ミナの手は一気に荒れた。多少クリームを塗ってみても、とても追いつかないほどの乾燥ぶりだ。ひび割れた肌は赤くなり、冷たい水がピリピリと染みる。おまけに髪はぼさぼさ、服にはしわが寄っている。


 毎日大量の仕事をこなすため、身なりに気を遣う余裕はない。レースがたっぷりついた服に袖を通し、鏡ばかり見ているソフィアとは対照的だ。


 同じ十七歳という年齢ながら、ソフィアは男性からの人気が高く、しょっちゅうデートに誘われている。毎日へろへろのミナと違い、華やかで楽しそうな毎日だ。

 隣町の騎士団支部でも評判で、顔を見に来る者までいるらしい。ご苦労な事だ、と思ったが、嫉妬にしか見えないのでやめておく。


 ミナはソフィアと違い、ごく普通の娘である。


 茶色の髪に同色の瞳、まあまあ可愛い顔立ちだが、目を惹くほどの容姿ではない。

 そのせいか、騎士団の人間もミナではなく、ソフィアに話しかける事が多い。用事を頼むのも、基本的にソフィアを介してだ。そこから半分の作業を任されるのだが、その仕事量がとにかく多い。


 手の空いているソフィアに頼んでも、先ほどのように断られるか、のらくら言い訳されるだけだ。そのくせ、彼女は頻繁にミナのところへ顔を出し、あれこれうるさく口出しする。

 なぜそうなのかと聞いたところ、「だって、仕事ぶりを確認しなくちゃいけないでしょ?」と当然のように言われた。


(そんなことより手伝ってほしい……)


 だが、ソフィアには逆らえない。

 彼女の兄が騎士団のまとめ役で、かなりの権限を持っている。それだけでなく、ソフィア目当ての騎士達も多く、何かあっても頼れない。

 ソフィアもそれを見越して、余分な仕事を押しつけてくる。彼女にはお目当ての騎士がいるらしく、顔を見るためにこの仕事を始めたらしい。


 相手はハンスという名の、商家生まれの三男だ。確かにそこそこ顔は良く、町の娘も騒いでいるが、彼にはあまりいい記憶がない。


 ミナとソフィアが並んだ時、彼の目がソフィアを捉え、それからミナへと目を移し、じろじろと無遠慮に全身を眺めた後で、「ふっ」と馬鹿にしたように笑ったのを忘れてはいない。


 あの瞬間、ほのかに芽生えた恋心は砕け散った。


 他の皆も似たり寄ったりだ。

 ソフィアにはやさしく好意的でも、ミナの事は軽んじる。そのくせ、仕事だけは大量に言いつけるのだ。どれほど無茶な量を押しつけられても、ソフィアが手伝ってくれる事はない。


 正直、理想的な職場とは言い難い。

 けれど、すぐに別の働き口が見つかるとも思えない。

 結局ミナは、ソフィアに言われるまま働いている。


「うん、完璧ね」


 丁寧に髪を整えた後、ソフィアは爪を塗り始めた。

 働きまくるミナをよそに、のんびりと刷毛(はけ)を動かしている。それが終わると優雅にお茶、あとは雑誌を眺めるだけ。

 たまに部屋を出ていくと、しばらくの間戻ってこない。以前に見かけたところ、騎士達と楽しそうにお喋りしていた。つまりはそういう事だろう。


 いくらなんでも仕事量が違い過ぎると思い、ソフィアに抗議したところ、「あたしだってやってるわよ」と反論された。


「あなたが知らないだけで、いっぱい仕事はこなしてるわ。疑うなら他の人に聞いてちょうだい。ほら、どうぞ」


 そう言われても、親しく口を利く相手はいない。

 どう考えても不公平な仕事量だが、それ以上言う事はできなかった。


(うう、納得いかない……)


 ミナが黙り込むと、ソフィアはふふんと笑みを浮かべた。

「分かればいいのよ。早く残りの仕事をやってちょうだい」


 腹は立ったものの、確かに仕事は山積みだ。

 大量の洗濯物を干し終えて、汚れた皿を洗い、部屋を片付け、ようやく昼食の支度に取りかかる。今日は簡単に、(あぶ)り肉と野菜をパンで挟んだものにした。

 ソフィアがそれを持って行くと、ようやく午前の仕事が一段落だ。ミナも簡単に食事を済ませ、午後の仕事の準備を始めた。


 ソフィアが戻ってきたのは、午後三つの鐘が鳴ってからの事だった。


「あー、疲れたぁ。ちょっと休むわね」

 そう言うと、ソファに座ってごろごろする。優雅に菓子をつまむ指は、朝と変わらずつやつやしている。


「少しは仕事をしてよ。ひとりじゃ手が足りないの」

「やってるってば。疲れてるの、静かにして」


(もう……)


 それ以上言う気になれず、ミナはひとりで仕事を進めた。

 戻ってきたバスケットのパンくずをはたき、乾いた洗濯物を取り込んでたたみ、先の破れた靴下を繕う。(いた)んだ装備の確認をして、必要な数を発注、皮や金属部分の手入れ、その合間にパンも焼く。その間、ソフィアはのんびりしているだけだ。

 大鍋でシチューを煮込んでいると、窓を眺めていたソフィアが立ち上がった。


「そろそろ時間ね。帰っていいわよ、ミナ」

「え? でも、まだ煮込みが」


「いっぱい働いてくれたんだもの、残りはあたしがやっとくわ。もちろん、お給料はちゃんと払うから安心して」


 さあさあさあ、と、半ば押し出されるようにして部屋を出される。

 困惑したものの、とっくに就業時間は過ぎている。少しでも早く帰れるのはありがたい。


(もう少し繕い物を仕上げておきたかったけど……)


 ソフィアが代わってくれるならいいが、明日までそのままだろう。

 裏口から道に出ると、騎士のひとりに行き合った。


「お先に失礼します」


 ぺこりと頭を下げたミナに、彼はちょっと眉をひそめた。


「……ああ、気をつけて」

「?」


 何か機嫌が悪いのだろうか。

 よく分からないまま、ミナはそのまま背を向けた。

お読みいただきありがとうございます。割と短めのお話です。

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