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第7話.騎士伯爵ネイン・クロスビー(前編)

 王太子アルフォンスへの謁見をすませたルクレシアは、複雑な心境を抱えつつクロスビー伯爵夫妻とともに馬車で伯爵家の屋敷へと向かった。

 

 馬車へ乗り込む直前、レイが心配そうな眼差しをよこしたものの、ルクレシアは首を横に振った。

 クロスビー伯爵夫妻が馬車内でいきなりルクレシアに襲いかかる、なんて心配はしなくてよい。そんな可能性のある者にゴルディは義親役を任せない。

 

 それでもレイはルクレシアに秀麗な顔を寄せ、もの憂げに囁く。

 

「本当に大丈夫ですか、お嬢様」

「なによ、やけに過保護じゃない」

「お嬢様になにかあれば私の首が飛びます。比喩ではなく物理的に」

「だからわたくしの心配をしなさいよ」

 

 胡乱な目つきになったルクレシアはため息をついた。

 

「大丈夫なのよ。……彼らには理由があるんだから」

「それでは、私が止めたのにお嬢様がしいて彼らと同乗したということで」

「はいはい」

 

 レイの手をとり、呆れ顔で馬車へ乗り込む。狭い車内でクロスビー夫妻は身を寄せあってルクレシアを窺っていた。

 

 ルクレシアが建前どおりクロスビー伯爵家で暮らす必要はない。それが建前であることは、王家にもわかっているのだから。

 クロスビー伯爵夫妻は、ルクレシアが王都郊外のオルピュール邸に戻ると考えていただろう。突然の訪問を表明したルクレシアに身構えるのは当然のこと。

 

(笑いかけたところで心は開いてもらえないでしょうね)

 

 少しだけ寂しい気持ちになりながら、表面上はクロスビー夫妻の視線を無視して、ルクレシアは座席に腰をおろした。尊大な態度で腕を組み、つんと顎を反らす。

 悪役令嬢に転生してしまった以上、嫌われるのは仕方のないことだ。好かれる役は聖女シュゼットに任せておけばいい。

 

 ただ一つだけ、ゲームの知識を持っているルクレシアには見逃せないことがある。

 だからこうして、義父母となった夫妻を怯えさせながらも、クロスビー伯爵家に向かっているのだ。

 

 

***

 

 

 堂々とした、それでもオルピュール家の屋敷よりはこぢんまりと感じるクロスビー伯爵邸に到着したルクレシアを、家じゅうの使用人が揃って出迎えた。

 深々と腰を折る使用人たちの前で、振り向いた伯爵夫妻も胸に手を当て頭をさげた。

 

「ようこそクロスビー家へお越しくださいました、ルクレシア様」

「……ありがとう」

 

 これはちょっとやりすぎじゃないかしらと内心で思いつつ、ルクレシアはつとめて冷静に、かつそっけなく、応えを返した。

 夫妻も使用人も、養子を迎える態度ではない。完全にルクレシアを賓客として――いやむしろ一家の新しい主人として、扱っている。

 恭順を示しておかなければならないと思い詰めているのだろう。

 

 ただ、ここにいるのは、クロスビー伯爵家の全員ではない。

 

「――俺はそんなやつを家族とは認めない!!」

 

 頭上から降りかかった声に、ルクレシアは顔をあげた。クロスビー夫妻も驚いた顔で声の主を振り向いた。

  

 玄関ホールからつながる大階段に、ひとりの少年が立っていた。ルクレシアより三つ年下のはずの彼は、ゆるくカールした赤髪とぱっちりとした翡翠色の目のせいで、年齢以上に幼く見える。

 手すりから身をのりだし、愛らしい顔をいっぱいにしかめている。

 

「なにを言うんだ、ネイン! 降りてきて謝りなさい!」

 

 顔面蒼白になったクロスビー伯爵が叱ると同時に、ネインと呼ばれた少年は手の中に隠し持っていたなにかを投げつけた。

 ルクレシアは正確に軌道を読み、スカートの裾を持ちあげて一歩左へずれる。

 

 ルクレシアがいた場所に落ちた卵がぐしゃりと潰れた。

 

「ネイン!!」

「申し訳ありません、ルクレシア様……!!」

 

 クロスビー夫妻が悲鳴をあげる。

 

「この家から出ていけ!!」

「いいわ、レイ」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴りつけるネイン。そんなネインのもとへ駆けつけようとするレイを制し、ルクレシアは自ら階段をのぼっていく。

 ちなみにレイについては、今は「お嬢様になんてことを!」とでも言いたげな顔だが、卵を避けたときに残念そうにしていたのをルクレシアは見逃さなかった。

 

「な、なんだよ……」

 

 まさか踏み込んでくるとは思わなかったのだろう。ルクレシアが一段ずつ階段をあがり、ふたりの距離が縮まるごとに、ネインの表情に戸惑いが広がっていく。

 そこにまざるのは恐怖だ。

 はあ、とルクレシアはこれ見よがしなため息をついた。

 

(アルフォンス様と同じじゃない)

 

 金がないのに偉そうにする男――ルクレシアの嫌いなタイプだ。

 だが、もしかしたらアルフォンスよりはマシかもしれない。

 激情に駆られて短慮に走ったものの、ルクレシアの機嫌を損ねればどういうことになるかは理解しているようだ。

 

「そんな顔をするくらいなら、最初からクロスビー夫妻と頭をさげなさいな」

「なっ!」

 

 青ざめかけた顔を赤くするネインのわきをすり抜け、ルクレシアは廊下を進んだ。

 用があるのはネインではない。

 

「おい! どこへ行く!!」

 

 無遠慮に腕をつかもうとした手をとり、反対にネインの腕をひねりあげる。

 ルクレシアとて危険の多いオルピュール家の愛孫だ。生卵攻撃しかり、この程度ならばレイがいなくとも自分でいなせる。

 

「ぐ……っ!!」

「オルピュール家が援助しているのだもの、その()()を確認するのは当然でしょう?」

 

 とんと背中を押せばバランスを崩したネインはよろめきながらも、「やめろ!!」と声をあげた。

 制止を無視して、ルクレシアは廊下の突きあたりのドアを開ける。

 

 角部屋になっているそこは、採光のための大きな窓が据えつけられ、外に出なくとも景色が楽しめるようになっていた。

 窓と反対の壁には天井まで届くような本棚がある。ただし上段の棚には本はなく、目を楽しませる硝子細工や木でできた動物などが置かれている。

 

 そしてもう一方の壁にはベッドがあった。ベッドサイドのテーブルには、様々な種類の薬や、ガラス瓶に入った水、香りのよいフルーツ、侍女を呼ぶためのベル、かわいらしいぬいぐるみ、四つ葉のクローバー、その他病人に与えられるだろうありとあらゆるものが所狭しとのせられていた。

 オルピュール家が金を出すまでは、この部屋はもっと物が少なかったはずだ。

 

 ルクレシアはベッドを覗き込んだ。

 清潔な白いシーツの上には、血の気の失せた顔でかぼそい呼吸をする少女が横たわっていた。

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